暗黙の了解が多すぎる日本

以前、同じくエンジニア系の知り合いから、「営業からこう言う機能が欲しいと言われたとき、具体的にいろんな条件などを質問していたら、怒られてるみたいだからやめてと言われた」という話をされた。ボク的には「何それ?」なんだけど、まぁ、上のツイートの通りなのだろう。

とにかく日本は「察する文化」である。まぁそれは解るし、ボクも努力はしているのだが、こと技術系というか、○○をするという目的が明確なものに関してはそれではダメだ。察する内容を間違えると異なるものができあがるからだ。
だから「こう言う場合はどう処理すればいいです?」「じゃぁこうなったらどうします?」なんてのをどんどん聞いていくことになる。するとなぜか知らないが、相手は責められているという気になってしまうらしいwwww
なんで?wwwww

ちなみに実はボクはあまり聞かない。向こうが言ったことを、「あぁ、だいたいこういうことかな?」と思って作り始めちゃうことが多い。で、作ってから、「こういうのであってますか?」と実際に見せてから修正していく。
この時のコツは「この人達は最終的に何を求めているか?」と言う所を注意して聞くことである。そこが守られていれば、「こういうとき、どうします?」っていう部分は、その最終目標と照らし合わせて作ってしまえばいいのだ。そもそも発注する側は「こういうとき」なんてことは想定していないっていうか気付いてすらいないでボクに発注してくることがほとんどだからだ。
さらにもっと言えば、文章や言葉で説明しても、実物を見ないと解らない人も多い。だから根掘り葉掘り全部聞いて作っても、完成した物を見て「いや、こういうのじゃない」と言い出すのはザラだ。だからボクなりに勝手に解釈して、とりあえず作ってしまう。

これは相手に非常に喜ばれるのだが、多くのエンジニアが嫌うように、面倒くさいし工数もかかる。
が、完成してからやり直しを言ってくる客も珍しくないので、結局同じじゃね? って思っている。

ただ、声を大にして言いたいのは、IT の世界では 60 階建ての高層ビルを建ててから「やっぱり基礎ごと西にもう 10m 移動してくれませんかね?」というようなことを平気で言ってくる人がたくさんいるということだ。こっちから言わせて貰えば、「今更何言ってんの?」「仕様書、ちゃんと読ました?」「過去の議事録になんて書いてあるか、憶えてないの?」と反論したいし、「じゃぁ、作り直しなので金倍払って」って言いたいところである。

閑話休題。
今回はそういうことを言いたいわけではないwwww
単純に日本は暗黙の了解が多すぎて外国人は大変だな、っていう話。これはボクが小学校の頃から思っていることだ。ところが慣れというのは怖いもので、ボク自身もあまりしゃべらなくなってしまった。ボクが仕事を頼む側になったとき、本当は事細かに全部説明しなくちゃいけないんだけど、つい「まぁこんな感じで」と済ませてしまう自分がいる。まぁそれでできあがってきた物に文句を言うことはあんまりないのだけど……良くないことだなぁと思う。

あとこの暗黙の了解は若い人には通用しなくなってきていて、それはボクはよいことだと思っているんだけど、若い人は若い人でこれまたいろんなものを省略するので、何を言っているのか解らないwww
特に主語を省略するので、今しゃべっていることが誰のことをしゃべっているのかが解らないことが多い。あれは何とかならんのかと思うものの、明治より前の日本語って主語がなかったので、昔の人はこんな感じだったのかなとか思うこともwwww

とりあえず仕事の世界では疑問に思ったことはなんでも質問した方がいいし、質問された側もテレパシーを持っているわけじゃないんだから、細かく説明しよう。それがグローバル経済で勝つための一つの条件だと思う。察してくれるだろうとかでビジネスを進めたら、絶対に失敗する。
あともう一つ良いことは、精神障害者に対しても優しい世界となる。察せなかったり、一言二言ではなにをすればいいのか解らないという人はけっこういる。日本だと「なんでできないんだよ!」って怒られるけど、質問するというのが常識になれば、こういった人たちも萎縮する必要はなくなるし、もっともっと大胆に仕事が出来るようになると思う。

問題は質問されると責められている・拒絶されているように感じてしまう国民性だろうwwww この感覚はどういう過程で持ってしまうのだろうか? 疑問である。

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