振り子時計は姿勢を崩すことなく、ただ黙って壁に寄り掛かり、沈黙を守っている。止まってしまった針は、11時59分を指してるようだ。

 少女は何となく、自分の向かいにそびえるその古時計を見上げていた。そしてこの止まっている時計を、心の中で動かしてみた。一秒、またその次の一秒と、少女の中に時間が押し寄せる。間隔を持った時間は、少女の心を揺らす。

ボーン! ボーン! ボーン………

 不意に振り子が鐘を打った。少女はハッと我に返り、辺りを見渡した。

 すると、まるでその時報を待っていたかのように、キィと木製の扉が開かれる音がした。少女はその音のする方へ顔を向ける。開かれた扉からは、白衣を着た細身の男性が顔を覗かせると、こちらの部屋へ入ってきた。

「あ、若……せんせい?」

 少女は幼い声を漏らしながらも、少し戸惑いを見せた。

「おやおや、かわいい患者さんだ。初めてだね? 最近越してきたのかい?」

 若先生と呼ばれたその男性は、優しく笑うと少女にそう話しかけた。

 少女のあどけない顔が、曇る。いつもの若先生と何かが違うと少女は思った。

「先生、香織のこと、忘れたの?」

 少女の不安気な声が、部屋の中に響いた。時計の音と共に。

「おや、どこかでお会いしましたかね?」

 若先生はしゃがみ込むと、目線を少女に会わせた。少女の瞳は、わずかに憂いでいる。とその時、時計が時を刻むのを止めた。

「ああ、ちょっと待って下さい。どうやら時計が止まってしまったようだ。最近調子が悪くてね。何、ネジを交換すれば直りますよ」

 若先生は止まってしまった振り子を一瞥すると、立ち上がって向こうの部屋へと消えていった。少女は、その背中を目で追う。

 しかし、待てども待てども、若先生は戻ってこない。時計も止まったままだ。

 少女は寂しくなって、若先生の後を追った。半開きの木の扉を引くと、部屋の中に入る。するとそこは医務室のようで、粗末な黒いベッドと、医療品の数々が置かれてあった。しかし、若先生はいない。もう少し奥へ入ってみると、若先生のであろう机の上に、一本のネジが置いてあった。少女は何気なくそれを手に取る。その瞬間、辺りが暗やみに包まれたような感覚を、少女は覚えた。

 目を開けると、止まった振り子時計がそびえている。手には、あのネジがしっかりと握られていた。

「おやおやおや、これはおじいさんがなくした時計のネジではありませんか。どうして香織ちゃんが持っているんだい?」

 若先生は、少女の小さな掌にのっている、小さなネジを見つけて驚いた。

「先生、これでまた時計が動くようになるの?」

 少女は、あどけない笑みをこぼして若先生を見上げる。

「ええ、きっと動きますよ。少し待っていて下さい」

 若先生が文字盤を開く。それから、あの時計の秒を刻む音が少女の耳に届いたのは、少したってからのことだった。

1996/06/29(sat)

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Last-modified: Thu, 06 Mar 2008 02:48:08 JST (5889d)