ねこ膳

今日は知り合いの音楽団のコンサートがあり、それの録画やら録音やらで大忙しだった。
で、その打ち上げに、新宿のねこ膳という飲み屋兼定食屋。
この店、元々会社の同僚が見つけていたお店で、しかも朝の 7 時までやっているまさにボク向けのお店なのだ(ぁ
前々から行きたいと思っていたのだが、なかなか新宿に行く用事もなくズルズルと日付だけが経っていたのだが、スタッフを送るときに新宿を通ったので入ることにした。

ただ店内はめちゃめちゃ狭い。カウンターとテーブル席がそれぞれ一列のみ。しかも一人あたりのスペースもめっちゃ狭いので、ボクみたいなデブにはさらにきつい(汗)。

そして食べログの店数が妙に高いのは、味と言うよりは雰囲気と値段であろう。
ただ味も間違いはない。絶品とかそういうことはまったくないが、見た目通りの味に仕上がっている。コレは重要なことだと思う。あと酒飲み用にすべてのメニューは単品。そして定食にしたい人はすべての一品料理にご飯とお新香とお味噌汁を付けることが出来る、なかなかフレキシブルなお店だった。

田舎道の燃費を研究する②

今日はいい天気な上に、なんだか暖かい。
お出かけ日和である。
しかし、世はコロナ禍で、外出は控えるようにとのお達しが出ている。

なんとなーく人のいないところを探してみるが、Google Map の交通状況は赤いところばかり。マジか、みんな外出してんじゃん。

というわけでボクは今日の外出を諦めた。

が、ふと、あそこなら人がいなさそうと、前々からメモっていた場所を Google Map で検索すると、混んでいないとの表示が。よし、じゃぁ行ってみるか、ということで 13 時頃家を出た。目指すは群馬県神流湖の手前である。そこに、寝かせ玄米というものを出すご飯屋さんが入っている温泉『白寿の湯』があるのだ。

我が家は昔から白米ではなく玄米を食べており、この寝かせ玄米というものが前々から気になっていたのだ。ちょうど遠出の燃費の研究もしていることだし。

というわけで降り立ったのは埼玉県児玉郡神山町。アレ? 埼玉県??
そうなのだ、ボクが群馬県だと思っていた場所は、埼玉県だったのだ! マジか!! ショック!! というのもボクのサイトは埼玉県の記事を減らして、他の都道府県の記事を増やそうと思っていたからだ。まさか埼玉県だとは……orz

気を取り直して、ここ白寿の湯は濁り湯で、湯の種類としては塩化物泉。温度はぬるめだが、そもそも自噴している温泉ではないのであまりアテにならない。ただ露店も広いし内湯も広いので、ぬるさも相まってぼけーっといつまでも入っていられる温泉だった。
さらに面白いのが図書室があって、そこではお茶と珈琲が飲み放題。風呂上がりにゆっくりと時間が潰せるようになっている。すごいなぁ。田舎ならではかもね。

さて肝心のお食事をば。中に入っているレストランの名前は『俵屋』というらしい。
蕎麦も美味しそうだったので、お蕎麦も頼む。ごはんの方は、この辺りの名物である『つみっこ汁』の定食。要するにすいとんらしいのだが……肝心の手で練った小麦粉が不味いんだwww もちゃもちゃしててそれでいてつみれみたいなボコボコした食感。これがなんかよろしくない。
一方、お目当ての寝かせ玄米は好みだった。堅いのが心地いい食感に仕上がっていて(堅い部分がモチモチした硬さになっている)、玄米好きにはいいかもしれない。

一方の蕎麦は風味はあるが、冷やして無理矢理コシを出したタイプのヤツ。
かえしは甘めで食べやすい。また、わさびが練りわさびとかじゃなくてその場でおろしたものを出してくれる。
天ぷらは野菜メインなんだけど、もうちょっと山菜的なものもと思ったけど今は冬で山菜なんてないかと思いつつ。

そば湯がなかったのが残念。

全体的には美味しかったけど、サービスエリアや道の駅のレベルは超えてないかなーって言えば解りやすいかも?<ヲイ
でも、いわゆるスーパー銭湯系の中に入っているご飯屋さんの中では、いいほうかも!

さて、ここからが本番。
まずコースとしては大泉インターから関越道に乗り、本庄児玉インターへ。そこから白寿の湯に行き、神流湖→上野村南牧村下仁田町に出て、そこからはひたすら R254 で帰ってきて、嵐山・小川インターでまた関越に乗り、練馬インターまで戻って来た。

さて、今回は前回のガソリンの続きだったので、給油もしたので燃費が出せる。
結果から言うと、燃費は 1km/L ほど改善された。これはとても喜ばしいことである。具体的な燃費は 13.696km/L である。ほぼ 13.7km。これなら前の車よりも燃費が良い。

この郊外、田舎道、峠道、高速道路で燃費を稼ぐコツだが、今回と前回の運転で位置エネルギーの積極的な利用がとりあえず効くと言うことが解った。簡単な例としては下り坂ではとことんエンジンを使わないというものなのだが、実際はそれだけではない。

道路というのは平坦な場所でも、実際は意外と上り下りがある。この平坦路にもある微妙な下りでもアクセルを緩めるのだ。ボクの車は重いというのもあるのかもしれないが、このちょっとした下りでアクセルを抜いても速度は簡単には落ちない。
ところがこの微妙な下り坂というのは目で見ても解らない。実は上り坂に見えても下り坂だったりなんてことも珍しくない。信じるのはアクセル ペダルに伝わる微妙な負荷だ。たとえば上り坂にさしかかったとき同じ速度を維持しようと思うとアクセルを踏まなければならない。一方、下り坂は逆でアクセルを抜かないと加速してしまう。この微妙な変化を足の裏で感じ取り、負荷が少なくなった瞬間にすかさずアクセルを抜くのだ。

もう一つは田舎道・郊外での走りだが、ボクの車は加速時にはなかなかモータだけで走ってはくれない。そこで目的の速度までは躊躇せずにアクセルを踏むことにした。目的の速度に達したらアクセルをいったん抜く。するとモータだけの走行になる。
そこからは速度を維持するために軽くアクセルを踏むだけで、モータだけで走ってくれる。しかし田舎道ではアップダウンも多いのでアップ時にはエンジンがかかってしまうのだが、この時もちょい強めに踏み、上り坂の頂点に達する前にアクセルを抜くと、頂点にさしかかる前にエンジンが止まり、そこから惰性で頂点まで行ったあとは位置エネルギーだけで走る。こうしてなるべくエンジンのかかる時間を短くするようにした。

この運転方法が正しいかはまだまだ検証を続けなければならないが、なんとか糸口は掴んだように見える。しかし 14km/L はムリなのかなぁ……そもそも今回説明した運転って、無意識に出来るんだろうかという疑問があるのだ。
今回は一人だったから燃費に気を使う運転が出来たけど、同乗者がいて、喋りながら運転してたらと思うとなかなか難しい気がする。

哲ちゃん物語

まずは昨日(木曜日)の話から。

最近はお昼ご飯を台場で食べるのをやめている。個人的なコロナ対策ではあるのだが、あまり意味はない。ただなるべく人が集まるところをさけているだけである。
で、会社から帰りに行きたいお店を探して、そこで晩御飯を食べている感じだ。

結局ご飯屋さんに寄るので、台場で飯を食わないというのはあまり意味がないというわけである。とはいえ台場ほどの繁華街で飯を食ったりはしていないので、少しはマシなのかもしれない。

でね、昨日は前々から気になっていたお店に入ることを決意した。
その店は新青梅街道沿いにあるんだけど、車を駐める場所がないのね。だから今までスルーしてたんだけど、わざわざ近くのコインパーキングを探した。

店の名前は『哲ちゃん』。この名前はたぶん店主の名前ではなくて『哲学堂』が近いからつけたのではないかと予想している。

中はわりとご高齢のおじさんとおばさん。おぉ、予想通りだ。
昭和の味が楽しめると確信した。

頼んだのは野菜炒め定食とチャーシュー麺(醤油)。
出てくるのが早い!!
ラーメンがよかった。鶏ガラかなぁ、それにストレートな醤油味。チャーシューが固いのもイイ。食べる前にチャーシューはスープの底に沈めておくのだ。ボクが子どもの頃に教わった食べ方そのまま。野菜炒めも見た通りの味だ。ご飯が進む。そしてご飯の量がすごい。大盛りを頼まなくてもこの量である。

店内に客はそんなにいなかったんだけど、来るお客さんみんな迷わず注文していくので、おそらく常連さんなのだろう。ボクはけっこう迷ったw

そんなわけで哲ちゃん、会社帰りにちょっとよってささっと食う、そんな時にぴったりのお店。吉野家やマックとかに行くより全然いいお店でした。

ってのが昨日の話だ。

でね、今日はボクの勤める台場と比較的近い青海勤務になった同僚がいて、その人を車で乗せて途中まで帰ることになった。途中、どこかで晩御飯を食べようということになり、さらに新宿に勤めている同僚とも合流した。
このメンツは質より量のメンツだ。しかも値段が安いことが求められる。

そこで、久しぶりに中野にある長浜食堂に行こうとしたら、食べログでは閉店になっている。まじか! 確かにその前を通ると、知らん店になっていた。しかも建物まで変わっている始末。
悲しい……。

しかしこの時間で定食とかが安く食えてさらにチェーン店系じゃないところっていうと……まぁ中野にはたぶんたくさんあるんだろうけど、ボクはそんなに詳しくない……。で、中野をちょっと北上すると新井薬師なのよね。

そういえば昨日食べた哲っちゃんが、安くて量が食える店だったなと思い出し、二人を連れて行くことにw
つまりボクは二日続けて哲ちゃんに(爆

今回は激辛ラーメンと炒飯を頼んだ。二枚目三枚目の写真にある肉細切り炒めと生姜焼きは同僚たちが頼んだものだ。

激辛ラーメンは全然辛くなかったw 優しい味。優しいちょっと辛い味噌ラーメン。
炒飯はこれまた教科書通りの炒飯。けっこうご飯はパラパラしていて、米は堅め。
どちらも見たままの味だ。やっぱりここは気軽に利用するにはいいなぁ……。

とはいえ、二日連続で来るとは思ってなかったけどw

下の写真は新宿大ガード下から見えた新しく建ったビル。そのビルに入っている病院の名前が面白くてさ、新宿近視クリニックと新宿内視鏡クリニックwww え、これ本当に名前なの??www
でも、公式サイトでもそういう名前なので、まぁあっているのだろう。

まぁ解りやすいけどねw
エロゲーで例えるなら、ブランド名がそのまんま「エロゲー」っていうようなもんだよね??

さて、話はさらに変わって、今日、交通事故の示談が成立した。
なんの話かというと、日記には書いてなかったのだが、仕事始めの 1/6、台場から帰るときタクシーと接触した。しかもけっこうな速度で。その時の示談が今日、成立したので日記にも書くことにした。

まずはどんな事故だったのか、ドラレコにとれていたので公開。


(MP4 / 1080p / 30fps / 16Mbps / 0’12″)

左側の歩道に歩行者がいて、手を上げた瞬間タクシーが後方確認せずに車線変更してきたという、まぁタクシーとの事故ではありがちなシチュエーションだ。ボクがまったく減速していないのは、ここで急ブレーキを踏んだら、逆にボクがタクシーに突っ込むと判断したためだ。速度差を考えると、そのまま一気に通り抜けた方が被害は少ないとボクは判断したのである。実際にぶつかる直前に少し速度は上がったものの、結局ぶつかったのですぐに諦めて速度を落としている。

急ブレーキを踏んだ方が良かったのか、それとも今回のように走り抜けた方が良かったのかは、今でも解らない。でも保険屋さん同士の判断で 1:9 で落ち着いてくれた。よかった。ウィンカーが出ていても、ほぼ躱せないタイミングで車線変更してしまったのがタクシー側の過失を高めたと保険屋さんからは聞いた。

お互いけが人はなく、物損のみ。何はともあれ、それがよかった。たぶんタクシーもすぐにハンドルを右に切ったのだろう。しかし残念ながらバンパーやガードなどの樹脂部分だけでなく、ボディにもがっつりと傷が入ってしまった。

こちらも自分が走っていた車線が空いていたので油断してしまった。今後の教訓としたい。

舟塚山古墳へ!

今日はとてもいい天気!
かねてより行きたかった茨城県にある舟塚山古墳に取材に行ってきた。本当はもっと身近な場所にある古墳で調べなきゃいけないことはけっこうあるんだけどね……。まぁでも期間限定の資料展示とのことなので……。ちなみにもっと近場の古墳とは埼玉県北部から群馬県や栃木県南部に広がる古墳群だ。
群馬県(毛野国)は早くから西日本の政権(これが邪馬台国なのかは不明)の軍門に降っており(?)、蝦夷(この場合、関東も含む)制覇に一躍買っている。なので調べるべきはそっちのほうなんだけど(ぉ

古代(といっても弥生後期古墳時代くらい)の日本の様子は、西日本は割と解っていることが多いものの、東日本に関しては判然としない。その理由の一つは弥生から古墳時代ともなると、西日本では比較的大きな政権にまとまりつつあったのに対し、東日本では小国家(部族? 村?)が乱立(というかまとまる必要も無かったのであろう)していたため、一つの体系的な歴史が存在しないからだろうと思っている。

とは言え、人は住んでいたし、記紀には東方を平定しに行く話が何度もあり、それは平安時代でもそうであったようなので、何かしらの勢力(と言っていいのかどうかはよく解らないが)があったのは間違いないのだろう。
史実は解らないが、とても簡単に弥生後期~古墳時代のボクの拙い知識をまとめると、こんな感じ。

  • 邪馬台国はあったんだろうが、大和王権とは違う政権
  • 国譲りで譲られたのが邪馬台国? だとしたら出雲が邪馬台国? -> 台与の段階で政権譲渡完了?
  • 九州北部、南部にはまだ独立勢力が現存

というわけで日本列島の西日本と呼ばれるエリアはほとんど一つにまとまりつつあったのではないか、と考えている。出雲が奈良というか大和まで支配下にあったのではというのは三輪山に残る神々の配置が出雲の神だからっていうただそれだけの事なんだけどね。また、浜名湖遠江と名付けられていることから、さらに出雲は越の国に手を焼いていたことから、富山(もしかしたら福井手前までかもしれない)~浜名湖くらいまでは支配下にあっただろうと推測している。

神武東征は戦争による征服ではあるものの、三輪山のようなものが残っているということは国譲りとまでは行かないまでもある程度平和的な解決があったかもしれないのと、垂仁天皇が「出雲をちゃんと顧みなさいな」的な夢を見るという話があるくらいなので、大和が一方的に出雲を叩きのめしたと言うわけでもないだろうと推測している。そういう意味では大和は邪馬台国の領土と政治基盤をそのまま受け継いだとも言える。

というような状況を元に、さて茨城県にあった、関東第二位の大きさもある舟塚山古墳はどんな古墳であったかというのが今回の取材のテーマである。とはいえ、まぁなんだ、だいたいの事は解っているというかなんというか、前方後円墳っていう段階で西日本由来のものであるわけで、西暦 400 年~ 450 年頃に西日本の政権(当時は邪馬台国?)に協力した豪族であろうというのがボクの見解であり、おおよそ展示でもそのようなことが書かれていた。

今回は取材の過程を動画にまとめてみた(笑い

まずは展示物(出土品)。展示場となった『ふるさと歴史館』はとても小さな博物館(?)だ。石岡小学校に隣接している建物で、もともとここには常陸国府があった場所らしい。かつては茨城県の県庁所在地だったということですな。

しかしガラス(アクリル?)ケースに入れられているのは、まぁお決まりのことなんだけど、カメラで撮ろうとすると反射しちゃって困るのよねぇ……これなんとかならんかねぇ。ボクの影が映り込みまくってるしwwww

とりあえず展示物を見た所でお昼ご飯にする。
実は目を付けているお店がいくつかあった。今回の選定基準は昭和の頃からやってそうなお店だ。今時は田舎でもオシャレな店ができているが、そんなところは別に東京でも食えるわけで、むしろ昭和の努力していない店(これは褒め言葉である)を求めた。
とは言え時間は 14:00。やっているか不安だったが、森樹というお店へ。

やばい、中がすごく暗いwww

勇気を出してドアを開けると、おばさんが一人座っていた。
やっていますかと聞くと、どうぞと言われたので入店。よかった!

外観の写真は実はけっこうオシャレ。
しかし内装は……昭和である(笑)。いやー、予想通りで嬉しい。
客はボク一人で、しかも電気も消してあった。ボクが席に着くと電気と TV をつけてくれた。

色々頼みたかったのだが胃袋にも限界があるので、ミックスピザと豚の香草焼き定食を注文。

出てくるのにはそれなりの時間がかかった。まぁ、当然だろう。
ピザはかなり厚い生地で、縁がパイ生地のようになっている。食感は厚い割にはサクサクしている。乗っている具も大きく、食べ応え充分。こちらは味付けはわりとあっさりとしていて海老やチーズの味がぐっとくる。
一方、豚の香草焼きは……しょっぱい!!!
ビックリするくらいのしょっぱさ。
その上に味噌汁、香の物、昆布の佃煮まで来るのだから……本来ならばご飯は三杯以上行ける塩分であった(笑

何はともあれ満足! おなかいっぱいw そもそも量は多めなので、二品頼んだのは無理があったようだ。でもなぁ、もう二度と来ることはないし、色々食べたいじゃない! そういう意味では夜来るのが良いんだよね。そしたらおかず系とか一品物をたくさん頼めるから。

 

さて、お腹がいっぱいになったところで、いよいよ本体の舟塚山古墳古墳へ行く。と言っても、まぁ見てふーんくらいだろうと高をくくっていた。

実際行けばもちろん、それはその通りなんだけれども、186m という大きさは見て歩く分にはちょうど良いかもしれないと感じた。というのも、iPhone のカメラで収まる(笑)。そして収まって立てる場所が開けているというのもありがたかった。
周囲が住宅に囲まれていたりしたら意味ないなぁなんて思っていたからだ。

あとは百聞は一見にしかず、実際に写真をみてもらえれば規模感とか周囲の雰囲気とか掴めると思う。

▼後円墳側にある神社。なぜか本殿があった。本殿は古墳そのものではないのか、と思いつつ。

▼後円墳側の天辺から、前方部を眺めた景色。

▼三角点(?)と後円墳の南側に空いた穴、造り出しの部分にあった地元の人と思われる墓、前方部から後円部を見た景色と、前方部の地面に降りた状態から後円部方向の眺め。

▼前方部から後円部方向をみた眺め

▼全景(左が後円部、右が前方部)

▼全体像

▼古墳周囲の風景。この写真は古墳の北から東にかけてを収めたもので、古墳の北側はこのように畑と平野が続いている。

▼墓と古墳。この古墳の周囲には墓がたくさんあった。二枚目は後円部の神社のあるあたりを遠景から。三枚目は立て札である。

▼下の 5 枚は古墳の南側の道路を捉えたもので、南側は急な斜面となっており(恋瀬川河岸段丘?)、古墳がこの丘の上に建っていることが解った。

以上で取材旅行は終了である。概ね目的が達せられたと思う。
その場所に立ち、その場所で考えることが大事である。
ちなみにこの弥生後期~古墳時代にボクが興味を持っているのは、現段階ではわりと自由に歴史をいじれるからである。いわゆる賢者が活躍できる幅も広い。だからこの辺に物語の仕掛けを持ってくると、個人的には楽しいなぁと思っているしだいである。

さて、帰りは特にどこに寄ることもなく、大人しく帰った。
岩城に温泉でも入りに行こうと思ったのだが、けっこう遠くて諦めた(笑)。

途中、守谷サービスエリアには寄った。ここも昭和の雰囲気を残したぼろっちぃサービスエリアだったのだが、建て変わったと聞いていたのだ。案の定オシャレになっている。お客さんもたくさん来ていた。
とはいえ腹はいっぱいだったので、せいぜい飲み物を買ったぐらいだが(汗

トイレがコントロール パネルが一つにまとまっていてかっこよかった。便座を拭くための消毒液を格納する部分まで一つにまとまっていた。いつもこれは後付けで付いていることが多いのになぁ。

牡蠣フライと穴子

なんか和食な気分だったので、アクアシティで和食食える店に来てみた。

一応目を付けてるお店はあるっていうか、西側から入って最初のエスカレータで 6F に上がると目の前が和食屋なのだ。なので前から来たいとは思っていた。名前を『さち福や』。

焼き魚か牡蠣フライかでかなり悩んだものの、穴子丼に釣られて牡蠣フライにしてしまった。
小鉢も二品付いている。

牡蠣がねー、ちょっと揚げすぎだった。
穴子は思ったよりも柔らかかった。
お値段はこれで 1480 円だから、やっぱりお台場は高いなーって感じだ。浅草橋なら 800 円、芝公園でも 1000 円ぐらいではなかろうか。

ちなみに穴子丼は焼き魚でもできたらしいことを、食べ終わってから気付くorz

あとフロア担当のお姉さんって言うか、もうおばさんだろうけど、フィリピン パブみたいな感じの外人さんだった(汗)。和食店にあってなかなか目立っていたなぁ……巻き舌っぽい発音だったしw

また台風がお生まれなさった。28 号。
どんどん生まれる。30 号あり得るか!?

今でも武田と上杉は仲が悪かったり、会津と薩長とは仲が悪いという話は聞くものの、ボクはそれらと関係ない場所で生まれているし生活しているので、実感としてそれを感じる事はあまりない。なのでこういう記事を見ると、とても感慨深い。
会津は今でも同じ福島県の太平洋側とは仲が良くないと聞く。
しかし明治政府が会津藩に助けられたこともある。それは西南戦争だ。やはり西郷率いる薩摩軍(と呼んでいいのかは解らないがw)は強かったのだが、それを打破したのが、当時警察官などに転職していた元会津藩士たちだと聞いたことがある。けっきょく西南戦争は、武士によって起こされ、武士によって鎮圧された戦争だと。

天気と紅葉に恵まれた一日

朝おきると、とてもいい天気だった。
起きた時間は朝 8 時頃。フロント ウィンドウには紅葉の景色が広がっていた。

寒いのも忘れて外に出て写真を撮る。
これは期待が持てるかも、と思った。

しかしまだ 8 時台だというのに続々と人がやって来る。
紅葉を撮りに来た人や、登山客と思われる人、さらに外国人(白人)。外は 4 ℃だっていうのに外国人のみなさん、半袖短パンだったよ。すげー……寒くないのかっていうか人間、4 ℃でも平気な身体になれるんだなぁ。

ちなみに写真だととても解りにくいのだが、ボクらが昨夜入った川(中津川と言うらしい)の温泉は三枚目の奥の方にある。そしてこの撮影地点はちょうど川の合流地点にあり(地図)、もう一方の川(雑漁川というらしい)が 4 枚目の写真だ。6 枚目とその拡大写真である 7 枚目は合流したあとの川(中津川)である。

さて、身体は冷えきっている。温泉に入ろうじゃないかと言うことで、ここから少しくだったところにある小赤沢温泉に行くことにする。下のエセパノラマ写真は切明温泉から小赤沢温泉に向かう途中、開けた所があったんだけど、そのから見えた鳥甲山(たぶん)。

小赤沢温泉についたのは 9:30 頃。開くのは 10 時なのでしばし待機というか周辺を散策してみた。
下手な説明を書くよりも、写真を見てもらうのが一番だろう。
個人的に気に入っているのは、二枚目。そのままエロゲの背景に使えそうだw
この二枚目から続く道が登山道へとつながっているらしい。おそらく苗場山に登れるのだと思われる。

最後の似非パノラマ写真の一番右にある建物が、小赤沢温泉の建物だ。

10:00 になったので一番風呂をいただく。ここは鉄分がたくさん含まれた温泉で、お湯の色が赤い。小赤沢という名前の由来だろうか? 硫黄成分も含まれていて、ほんのり硫黄の匂いもする。
初めて知ったのだが、温泉成分で膜ができてしまうらしい(三枚目の写真)。それを崩して入ってと言われた。へー、面白い。

なんだかんだで一時間くらい湯に浸かり、それから朝ご飯。
同じく小赤沢温泉で食べられる。
山菜定食とヤマメ、同乗者はキノコ蕎麦を頼んでいた。
あんまりしょっぱくないのに少し驚いた。素朴で、しっかりと山菜の味がする。朝にはちょうど良い味付けだった。脂っ気がほとんどない朝食w


(MP4 / 1080p / 60fps / 24Mbps / 9:49 / 2 倍速 / 切明温泉~小赤沢温泉)

時間はすっかり 11 時を回っていた。いかんいかん、紅葉を撮らねばならないのに。
さてこれから一路、同じ長野県でも一山も二山も越えて野沢湯田中かで悩むものの、野沢の方がより現在地より北にあり標高も高いため、紅葉もそちらのほうがお盛んであろうということで野沢温泉を目指した。

まずは切明温泉まで戻ってくる。野沢温泉に抜ける道はいくつかあるようなのだが、その中でもメインの道路(秋山林道)は通行止めらしい。そこで五宝木というところを通る道(県道 507)を選択したのだが……実はこれも通行止めだった。
そうなのだ、今回の旅は、台風跡のために至る所が通行止めになっており、最後までこの通行止めに悩まされることになる。

下の写真は野沢温泉に至るまでの紅葉を捉えたものである。最後から二番目の写真はススキが道の両側にずーっと連なっていて幻想的な風景だったんだけど、逆光だった……orz 逆側から撮ればよかった……。


(MP4 / 1080p / 60fps / 24Mbps / 49:13 / 2.5 倍速 / 8.24GiB / 小赤沢温泉~野沢温泉)

五十日って本当にあるのかなぁ

昨日・今日とスゲー渋滞だった。もー、来るの大変だった。
五十日でもなんでもないのになぁ……。

実は台場に車通勤するようになってから、ラッシュ帯の通勤なので五十日を意識するようになった。どういう意識かというと、つまりそもそも五十日とはただの思い込みなのではないかってことだ。ボクは人生の半分以上を車通勤か自転車通勤で過ごしてきた。電車で通勤したことは人生全てを通してもそんなにない。
そんな中で勝手に五十日というものがあると思い込んできた。

しかし実際観測したわけではない。なぜかというと、そもそもボクは今まで午後に出勤することが多く、余り渋滞に悩まされることもなかったからだ。で、「そういえば今日混んでるな」って思う日はだいたい五十日だったので、「あぁ、五十日って本当にあるんだな」と思い込んでいるわけである。しかもそれは五十日であった日を強く記憶しているだけで、五十日じゃない日の渋滞のことは憶えてないだけなんじゃないかという懸念があるのだ。

人間の記憶なんて、それぐらいアテにならないものである。

朝の通勤ラッシュ帯に車を出すようになって、果たして本当に五十日というのは存在するのかどうか、観察し続けている。そして今だいぶ、あんまり関係ないんじゃないかという気持ちに少し傾きつつある。今後も観測を続けたいと思っている。

さて、今日は忙しかったので(ボクが担当するゲームの新イベントの実装があるのだ)、ダイバーシティ内で食事を済ませた。しかも選ぶのもめんどくさかったので、つい数日前に行った大八でお肉タップリの定食を食ってきた。これでイベントにそなえるのだ。食べ放題のきんぴらゴボウがね、なかなか味濃いめで、これとご飯だけでも行ける!