ゆず庵

夜、ご飯に行った~。
もともと最初の目的は、東京唯一の道の駅とされる『道の駅八王子滝山』だった。ここには八王子~山梨県でとれたいろいろな農作物が売っているだろうということで、行ってみたのだ。案の定、野菜もいろいろあった。

びっくりしたのが、保谷納豆。ちょっと! 保谷に住んでいるボクでも見たことないんだけど!!
というわけで、二パックも買ってしまった(汗)。
でも住所見たら、武蔵村山市って書いてあった。えー……。でも Wikipedia だと西東京市にあるらしい……。んー?

帰ってきてから食べたけど、味は……うーん、いつも買ってるのとそんなに変わらなかった(何

道の駅に寄った後、ゆず庵でご飯食べた。
このところしゃぶしゃぶと言えば、ずっとゆず庵一択だ(汗)。いわゆる食べ放題をやっている『どん亭』『しゃぶしゃぶ温野菜』『かごの屋』と食べ歩いて、今のところこのゆず庵がお気に入りなのだ。理由は、まず出てくるのが早い。飲み物が特殊なヤツも飲み放題、デザートも食べ放題。
ただ、肉はたぶんかごの屋が一番良いか? どん亭と温野菜は牛が何故か高級なモノでもひどい。たぶん脂を後から注入したタイプの肉だからだと思うのだが……ぬるぬるしていて、気持ち悪いのだ。

だが、最近車に乗っていると『しゃぶ葉』というのを見るようになった。値段的にかなり安いので、たぶんお肉とかそんなに良くないか、その一番安いのは豚だけなのかなと思っているけど、そのうち行ってみたいと思っている。

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今年二回目のオペラを見に行く

モーツァルトの『魔笛』を見て来た
いやー、やっぱり生音はイイ。それにつきる(っていうか、お前それしか言ってないだろ
しかしこれを言ったらおしまいだが、話としてはかなり色々とお粗末ではある(突っ込み処が多い)。まぁ、それはしかたがないが。
魔笛は神官ザラストロ(バリトン)と夜の女王(ソプラノ)の対比が凄く美しい楽曲である。ボクはあまり詳しくないのだが、オペラ歌手にとって夜の女王が歌えると言うことはそれだけでステータスになるほど難しいらしい。

さて今回のオペラは何故か知らないが、主人公タミーノは現代人という設定である。あるコンピュータ ゲームを買ってきたら、その中に入ってしまうと言う導入で始まる。つまりゲームの中が『魔笛』ということなのだ。
演出はあの「ダバダ~」の CM でおなじみの宮本亜門である(ぁ
舞台を 90 度回転させ、奥が∠になっている……で通じるかな(汗)。
で、プロジェクション マッピングをつかってその∠を平面に見せたりそのまま∠に見せたりして演出していた。

個人的にはここまでやってしまうのなら、そもそも美術(大道具/舞台背景のこと)はすべてコンピュータでもいいんじゃないかと思ってしまう。そして中途半端にやったのでは劇団四季には勝てないわけで、なんともはや中途半端さを感じた。
思うに、オペラのストーリーは僕らシナリオ ライターが書くものに較べて簡素化されており、詳しい考察をしてしまうとアラが目立ってしまう。どちらかというと音楽とストーリーの中のやりたいことを誇張したものであるから、演出もあくまでも古来からやられてきた方法でよいと思った。
あまり演出を派手にしたりリアルにしたりすると、じゃぁあの時はどうしてこうだったんだとか、○○はどうなったんだとかいったアラが余計に目立ってしまう。しかしながらそれらのアラをフォローする楽曲は当然書かれていないわけで(そして付け足すわけにも行かず)、ストーリーのチープさがよけい浮き彫りにされてしまうと言う……(^^;

まぁそんなことを思いながらも、やはり音楽には引き込まれるわけであって、非常によい時間を過ごすことが出来た。今年は仕事に隙間が出来ることが多く、旅行にオペラにとなにかと楽しく過ごさせてもらっている気がする。

ところで今回、iOS 用にアプリ(ゲーム)が配布されていたようなのだが、Docomo 回線ではほとんど接続出来ず、アプリをダウンロード出来なかった。なんか普通に遊べていた人もいるんだけど、どこのキャリアだったのかなぁ。下の写真の舞台のど真ん中に写し出されている QR コードがそのアプリへのリンクだった。
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帰りに塚田農場でご飯たべたんだけど……ここのメニューは当たり外れが大きいことに気付いた。うまいモノはうまいが、イマイチなものはとことんイマイチだ(汗)。前回来た時も確かに美味しくなかった料理はあったのだが……。
今度来るときは注文するときに気をつけたいところだ。
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自殺も殺人の一つとして

ネットでニュースを見ていたとき、閲覧ランキングの中に気になる記事があったので読んでみた。

ママ友の間でいじめがあり、いじめられていた A さんが自殺。その後、A さんと仲の良かった(A さんをかばった) B さんもいじめに遭い、B さんも自殺してしまったというもの。
これには後日談があり、この事件(?)を新聞社にたれ込んだのは誰だと集落の間で犯人捜しが起きており、住人全員が疑心暗鬼に陥っているという(そっちの記事は見つけられなかった)。

田舎って怖いねって言うか、この場合、女性って怖いね、なのかもしれないがそれは今回の話題ではないので取り扱わないでおく。
今回は自殺について取り上げたい。

日本はわりと自殺には寛容だ。死んでしまうとなんていうんだろうね、それ以上追求しないというか何というか。だから何か問題が起きても当事者かそれに近い人間が死ぬと有耶無耶になることが多い。
これはよくないことだとボクは思っている。死人にムチを打つ気かと言われるかもしれないが、問題事の解決にその死んだ人が関わっているなら、それはしっかりと調べるべきである。またそのような対策をとることによって自殺を減らすことも出来る。死ねば終わりじゃないんだと言うことを知らしめるべきなのである。
さらに日本には古くから「死んで詫びる」という文化や「死ぬと美化される」文化もあるので、これもまた自殺を助長させているのだろう。

だが「自殺」という漢字が表しているとおり、自殺も殺人の一つなのだと認識すべきではないか?

でね、色んな自殺の記事を見てきたけれども、自殺する人ってのは「選択肢の少ない人」だとボクは思っているのね。あとは死ぬしかないとすぐに思ってしまう人というか何というか。よくよく話を聞いてみれば(調べてみれば)、実は選択肢はたくさんあって、ああすればよかったこうすればよかったってのは色々思いつくのに何故それを選ばずに死を選んだのか? よっぽどプライドが高かったのか?
あと日本の場合、検視をちゃんとしないので、自殺と言いつつも実は他殺なんてことも多いとみられる。この辺も行政には何とかして欲しいと思っている(が、これは今回の議題と外れるので触れないでおく)。

そこでボクが思い出したのが、有名なサイコパス心理テストだ。葬式に理想の人が来たので、その理想の人に会うために身内を殺してもう一度葬式を行うというアレだ。これは心理学の分野なのでボクにはこのテストから何を読み取ればいいのかよくわからないのだが、殺人を犯す人も実は選択肢が少ないのではないか、とふと思ったのである。
そしてこういった心理テストによって殺人者となる人とそうでない人をなんとなく分けられるのであれば(しっかり線引きできるわけではないと思う)、自殺する人としない人もなんとなくではあるが分けられるのではなかろうか?

そこでもう一つ思い出したことがある。それはいじめられる人のことだ。これも言葉ではハッキリと表せられないが、初対面の人と話をしたとき、「あ、この人、いじめられたことがあるな」とか「あ、この人、いじめられるかも」みたいなのを何となく感じ取ることが出来る。これはボクが子どもの頃から感じてきたことだ(まぁボク自身も、いじめのようなものに遭ったことはあるが)。

つまり何が言いたいかというと、自殺をする人、殺人をする人というのは解る人が見れば(会話すれば?)なんとなく解ってしまうんではないかってことだ。もちろんそれでレッテル貼りをしてはならないが、自殺・殺人の予防に役立てるのではないかと思ったのである。
また、科学的・医学的に解明できるような気がするのだ。
予測でしかないが、殺人者・自殺者の周囲にいた人で、「あ、この人は殺しちゃうかも」とか「なんかこの人、普通の人とは違うな。会話がうまくいかない」って感じた人っていたんじゃないかなぁ……そういう調査ってしてないのかなぁ?