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さて、起きたのが 12
時でありました(汗)。 あわてて、Den.(こちら)を迎えに行って、会社に。 今日は会社で
TRPG の日なのです。前の会社で同じ課だった人間(こちら)が
TOKYO NOVA(こちら)という TRPG の
GM(NOVAではルーラというのかな?)をやってくれることになっていたのです。TRPG
において、いわゆる【ロールプレイ】に重きを置くようになったベテラン・プレイヤーをどのように扱っていくか……というのが、昨今のボクの中でのテーマでした。 ボクも含めて、ベテランのプレイヤーというのはすでにパーティーを組むとか目的を達成するといった、マスター側の意図とは別に、自分の作ったキャラクタを世界の中で演じ、過ごすということに重きを置いていきます。したがって、GM
の用意したシナリオ通りに進まなくても、キャラクタがそれを選んだのは仕方のないことだという考え方になっていくのです。もちろん、これでゲームが破綻しないのが、ベテラン・プレイヤーの腕と言いますか、なんだかんだと事件に絡み出し、最後は一つの目的に向かっていくと言うのが、自然に出来てくるわけです。 しかし、このプレイ方法は一人一人の行動がバラバラなので、マスタリングに限界が生じるのです。マスターは一人しかいないので、プレイヤーは自分の出番が来るまで待つしかありませんし、素人プレイヤーは何をしていいのか解らなくなり、ゲームそのものから取り残されてしまいます。 さて、TOYKO
NOVA はボクが聞いていた話ではそのあたりを解決した RPG
であるとボクの中では認識していました。そして、それがついに、体験できるときが来たのです。
ボクがプレイしたのは【タタラ、タタラ、ヒルコ】というキャラクタで、背中から羽の生えてるなんちゅ〜か、遺伝子改造人間?(笑い)。つ〜か、おまえは鳥人間すきだな〜みたいな。しかも初っぱなから別PCと肉体関係有り(笑)。初っぱなからその PC
とせくーすするところから始まって、いい感じです(爆)。 ここで学んだことは、ボクが漠然と考えていた、シナリオを細かく切り分ける、各キャラクタにまんべんなく登場機会を与えてやるというやりかたはおそらく間違いはないであろうということです。前述したベテラン・プレイヤーに対するアプローチはこの方法で解決していくしかなさそうです。
一方で
TOKYO NOVA は GM
のお膳立てが過ぎていると感じました。あとはご都合主義過ぎること。しかしこれは多くの和製RPGに見られる現象です。登場したければそれを宣言すればいい(一応チェックはありますが)、神業の二つは特にそれに値するでしょう。 あとは、ノリのゲームであると言うこと。細かいことは気にしない、とにかくそのノリでそのまま突っ走ればOK、といった大味な部分。PCはヒーローであるために努力するのではなく、はじめからヒーローであるという所ですね。 逆にボクが
GM をやると、PC
もその他のキャラも烏合の衆の中でしかなく、ある意味プレイヤーはその中から知恵と労力を振り絞って生き抜いていかなければなりませんが、そういうめんどくさい部分は必要なく、自分のキャラをプレイし、そして活躍させることに焦点を当てたゲームであると言えます。
>>続く
No(1484)
▼たまきん 続き>>
ここでもやっぱり、洋ゲーと和ゲーの差かなぁという至極つまらない感想に陥ってしまいました(汗)。洋ゲーはよく解らない世界にほっぽりだされて、あとは自分で頑張って。頑張らないヤツは、死んでください(プレイをやめることも含む)ってスタンスで、和ゲーってのはシナリオを用意して、次はこうして、こうすると面白いですよという、手とり足とりサポートしてくれる。 往々にして言えることは、前者は自由度は高いが、苦労が多い。後者は自由度は低いが、面白い場所を探し当てるのは簡単で、すぐに楽しめる。
と。でも、やっぱりそういうことなのかも(笑い)。 しかし、今回のプレイでいろいろと確信したり確認したことはあったので、コンピュータ・ゲームにしても
TRPG
にしても、新しい世界が開けそうです。あ、ちなみにボクは洋ゲー形式が大好きなんですけどね(笑)。でも、それだとなかなかプレイヤーは乗ってきてくれない。かといって、お膳立てするのも、違うような気がしますし(w
GM
、プレイヤーのみなさん、お疲れ様でした。特に GM とボクをサポートしてくれた nobu
氏には感謝です。 ..2003/02/10(Mon) 21:29 (1485) ▼BGM inner universe / Origa(こちら) ..2003/02/10(Mon) 21:32 (1486) ▼みりふぇ んー、僕のへっぽこマスタリングでNOVAを「温い和ゲー」に分類されてしまうのは、ちょっと悲しいです(^^; 確かにNOVAは突き放しタイプの洋ゲーとは大きく違うと思います。というか洋ゲーユーザと和ゲーユーザの「楽しみどころ」というのは当然違う部分にあるわけで。その辺を踏まえた上でのシステム作りという部分をもう少し見極めて欲しかったなと思います。僕は逆に「PC=金と権力(と経験値w)を求めるもの」という洋ゲーの根底にある部分が嫌いなので、その辺でやっぱり相容れないのかなと感じたりもしています。 僕はむしろ、和ゲーのヒロイックモノというのは洋ゲーにおける即物的な欲を殺ぎ落として、キャラクター同士の関係もしくはキャラクター自身の思想や主義主張というものに焦点を当てるべきものなのではないかと考えています。レベルが高い=強いだけではない、内面的な成長を描き促していくのが和ゲーの行き着く先ではないかと。 日本の文化そのものって感じですけどね(笑) 長文駄文、失礼しました。 ..2003/02/12(Wed)
21:06 (1502) ▼たまきん えっ!!?? キャラクタ自身の思想や主義主張? NOVA
では逆にそれは不要に感じますが。 ..2003/02/13(Thu) 04:06 (1505) ▼みりふぇ それを不要と感じさせてしまうあたり、僕のマスタリングに問題があるってことですね(^^; NOVAでいう「自由」というのは、提示された使命や依頼に「逆らう」事も可能であるという部分です。例えば神業は「特定の使い方」をすれば経験値になりますが、そうじゃない使い方(例えばnobu氏がやった落雷によって培養装置を壊したアレ)も当然可能なわけです。それを選択するのはRLではなくPCです。RLは適切な使用法を示唆することは出来てもそれを実際に使用させる事はできませんから。もちろんRL権限として使用させないという選択もありますが、そればかりをするRLの卓では誰もプレイしてくれなくなるでしょう。 つまり「提示されているもの」があるからこそ、逆らう事も享受することも、もしくはそれ以外の方法を模索することだって可能なわけです。例えば同じ目標を「殺す」と「助ける」側に分かれていても、時には協力しても良いし、最初から反発しあっていてもかまわない。それがキャラクターの主義主張であるなら「それでいい」んです。ただ前回はRLを除く全員がNOVA初心者ということもあって、そういう展開にはし難かったというだけのことです。 NOVAは各PCたちが「スタイル」を貫くゲームです。PC同士が協力し合ってお約束的に事件を解決するというのがすべてではありません。もちろんそれも「可能」なのではありますが。特に「リング状のコネ」というルールで勘違いされたかもしれませんけど、あれは「人間関係はどこかでつながっている」という表現と「コネと自分のどちらを取るか」という選択の一環でもあるのです。 またもや、長文駄文にて失礼しました(^^; ..2003/02/13(Thu)
13:24 (1509) ▼たまきん いくつか、書く気になったので、今頃のようにレスします。 まず、あのシステムはプレイヤーの【思考】を必要としてないと思うのですよ。もちろん、GM(
NOVA
の場合ルーラ?)のポリシーによってセッションの内容は変わるのですが、まずコネのシステム。これは情報収集をする上でのプレイヤーの思考を単純化させ、プレイの幅を狭めます。次に、登場のシステム。こちらも特にクライマックスは出れてしまう点など、こちらもプレイヤーの思考を妨げる要因だと思います。これでは【セッション】ではなく、ただの物語になってしまうと思うのです。いかがでしょうか? ..2003/02/14(Fri)
18:30 (1510) | |