呉~広島へ行く
もう UMPC で入力するのヤダ─────────!!
首は痛いわ、肩は凝るわ、腰は痛くなるわ……
やっぱちょっとした外出先で打ち合わせとかで2~3時間使うのが限界なんだね。
今回の四国行きは仕事を持ち帰っていて、一日中 UMPC で作業とかしてたんだけど、もー体中が痛い。イヤ、いすとデスクがなくてずっと地べたに座るか寝っ転がるしかないという環境のせいもあるんだけどね。日本家屋で、洋室がないのだ。
というわけで、気を取り直して、東京に戻ってきたので、更新。
この日は広島に行くことにした。元々、大社に行くつもりであったのだが、大社は大屋根の吹き替え工事で全景が見られないと言うことで、じゃぁ、広島にでも行こうかと思い立ったのである。
この日も先日の足摺岬のように、朝 7:00 には出て、午前中に呉港、午後一には平和記念公園、そして 15 時には厳島神社と考えていたのだが、前日に未明近くまで仕事をしてしまったため、結局出発は 10 時過ぎになってしまった(汗)。
しかもガソリンが呉までは足りず、どこかで給油しなければいけなかったのだが、給油のチャンスを逃し、広島県は三原市まで下道で突入。しかも三原市街は渋滞という失態をやらかしてしまったため、呉港まで 3 時間を要するという事態に。厳島神社は 18 時には閉まると言うことで、結局回れたのは呉港と平和記念公園の二カ所となってしまった。
ただ、そもそも、呉~広島(平和記念公園)~厳島神社はいずれも一日かけて見回っても余るほどの規模を持っており、朝 7 時に出られたとしても、結局、ちゃんと見ることはできなかったのではないかと予想する。
軍の街、呉
広島へ行くと思い立ったとき、真っ先に「呉」という言葉を思いついたのは、詮無いことなのである。と言うのも、ボクは幼少の頃宇宙戦艦ヤマトで育っているのである。ヤマトと言えば、戦艦大和。戦艦大和と言えば、呉港である(ぉ
しかも、呉港にはなんと、大日本帝国海軍……じゃない、海上自衛隊が運営している無料の資料館
があるというのである!
さっそく行ってみると、そこにはゆうしお型潜水艦、あきしおの雄志が!!
否が応でも盛り上がるってもんですよ!
この潜水艦が展示してある「てつのぐじら館」は海上自衛隊の歴史と、掃海の歴史と役割、そして海上自衛隊における潜水艦の役割と歴史が展示されている。
敗戦直後、日本の近海には連合軍が敷設した機雷が 2 万個近くあり、戦後とともに大日本帝国海軍(当時は第二復員省)は復員事業とともに、この機雷の掃海が主な任務となっていたらしい。しかも呉のあった瀬戸内海は 8000 発もの機雷があり、復員してきた船がこれらの機雷に衝突するという事故も絶えなかったらしい。
またこれらの機雷は現在 344 個が未発見で、なんと今年も 1 個発見されていて、日本近海の掃海活動は現在でも続けられているとのこと。でも考えてみればこれは当然で、現在でも不発弾が見つかるわけであるからして、海もまた同じ事情なのであろう。
この掃海活動によって、海上自衛隊員 77 人、非戦闘員 1500 名以上が命を失っている。
続いては海上自衛隊における潜水艦の記録と、その役割である。
これについては詳しく触れないが、とにかく写真をいっぱい撮ってきたので、そっちで堪能してください(ぉ
男の子なら燃えること間違いなし!
と言いたい所なんだけど、最近の男の子って戦争とか銃とか車とか飛行機とか、とにかくメカとか戦うことに興味がないみたいなんだよね……orz
メカいいよ、メカ!
ちなみに興味深かったのが、すべての資料において、太平洋戦争の終戦に「敗戦」と言う言葉をつかっていたこと。マスコミでは「終戦」という言葉が使われているが、海上自衛隊もとい、旧海軍にはやはり「敗北」という認識があるのだろうか……? それとも左よりの団体からいろいろ文句を言われたのだろうか?(笑)
さて、潜水艦もタップリ見たし、いよいよ次は大和だ!
呉港と言えば、大和。大和と言えば呉港! とにかく大和だ大和!!
と、意気揚々と「てつのくじら館」と道路をはさんだ向かいにあるその名も「大和ミュージアム
」へ!!
「入館料 500 円」
さて、腹も減ったし、広島にお好み焼き食いに行くか!
以上!!
そして広島もまた、軍の街だった
呉→広島は距離にして 2 ~ 30km。30 分ほどで到着する。平和記念公園
はすぐに見つかるものの、駐車場が見つからず、ぐるぐると周囲を回る。最終的に公園の警備員に聞いてみると、公園の敷地内に駐車場はなく、周囲の道路に駐車場があるのでそっちを使ってくれと案内される。
平和記念公園を取り巻く道路はとても広く、側道・本線 3 車線・本線 3 車線・側道という構造になっており、この側道の部分に駐車場があるのであった。わかんねーよwww
さて、ここでは写真も色々撮ったのだが、敢て改めて紹介する必要はないと思う。原爆に関するコメントも、ボク自身は特にすることはない。もちろん展示の仕方や、表現の仕方に、ボク的に首をかしげる部分もないこともないが、原爆投下によって起きたこと、それをただ、ただ伝えて行くのみ。それがこの場所なのである。
ボクは実は原子力推進派と呼ばれる部類の人間だ。人類が発展をし続けることを標榜するボクにとって、原子力の利用は必要不可欠のものであると考えているからである。かつて人類が火を使い始めたとき、そこには大きな恐怖もあった。当時の人類のコミュニティにおいて炎が及ぼす影響は原子力に匹敵したものだっただろう。
しかし、人は火を制してきた。原子力もまた、制していかなければならないと思っている。
が、そこで効率主義、利益追求、利己主義にひた走ることもまた考えなければならない。それによって悲劇を起こさないためにも、原爆の事実というのは常に語り継ぎ、心に留めておかなければならないことなのではないだろうか。
ところでこの平和記念公園にはたくさんの外国人が訪れていることに、ボクは少し驚いたと同時に、うれしさを覚えた。ちゃんと数を数えたわけではないが、入館者の半数近くが外国人に見えた。しかもこの日、結局広島市街に到着したのは 15 時で、それから食事をとったり駐車場探しに時間をとられたりして、17 時過ぎにやっと入れたのだが、それでも人でいっぱいで、落ち着いて見られないほどの人が訪れていた。
広島風お好み焼き!
広島と言えば、お好み焼きである。「広島風お好み焼き」という表現をすると、広島の人は怒る。「広島風も何も、これがお好み焼きだ」というわけである。この点に関しては、ボクも賛成である。ボクはお好み焼きと言えば、この広島のものが大好きなのだ。
まぁもっともその背景には、ボクがあまり粉ものが得意ではないというのがあるのだが(汗)。
この日行ったのは「みっちゃん 総本店
」。広島でも評判の店らしいのだが……行ってみたら、客はほとんどいなかった(笑)。おいおい大丈夫か、と思ったら、15:30 でお店が閉まるのであった。そして多分だけど、閉まってたんじゃないかな。看板とかよく見ずに入ってしまった……orz
でも、快く、お好み焼きを焼いてくれた。
そしてうまかった。キャベツの柔らかさもさることながら、麺の堅さも絶妙だった。外がカリカリ、内側がジューシー。この「みっちゃん」が広島ではどれくらいのお店なのかは解らないけれど、ボクは満足。でもやっぱりお好み焼きなんだよねぇ(何)。要するに、ソースと鰹節と青のりの味からは脱しないというかなんというか。いやまぁ、お好み焼きに何を求めているんだと言われるとそれまでなんだけど。
あー、東京にももっと広島のお好み焼きが食べられるお店が増えるといいのになぁ。
- 車移動なんだからノートPC持って行けばいいのに・・・。 -- ときたみ
- 持ち運びできる PC は UMPC しかもってないです(ぉ -- たまきん
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