今頃のように秋葉原の事件を……今度は腹がヤバい。 まぁこの事件自体、ボクがどうこう言うようなことはないのだが、ざっと新聞を眺めたり知人たちと会話をした中では見受けられなかった思考法があったので、備忘録も兼ねて書いてみた。 ところで先日の秋葉原通り魔事件(通り魔なのか、という疑問はさておき)はボクらの間でもなかなか風化せず、様々な話題になっている。その多くはオタクを原因にするな的な話題である*1。それよりも今の派遣って言うのは、とんでもない状況なのだと。 まぁこの事件自体、ボクがどうこう言うようなことはないのだが、ざっと新聞を眺めたり知人たちと会話をした中では見受けられなかった思考法があったので、備忘録も兼ねて書いてみた*2。 オタクって言うのは割と幼少からアニメ・漫画で育っている事が多いと思う。 アニメ・漫画で多いのがよく中二病と揶揄される設定だ。主人公は○○の生まれ変わりとか、特別な力を持っているとか、選ばれた○○とか、その手の設定。これは今でも健在で、一番売れているエロゲーなんかもこの設定が強い。ボクが最近手伝ったゲームでもそんな設定だった。 つまりオタクは「自分は何か特別な存在に違いない」という思い・願望が強いんじゃないか、ということだ。 ただこの思いは実は人間誰しもある。 そして「自分は特別な存在だから正しい」となると、間違っているのは「周囲」「世間」ということになる。そして粛正に走るわけだ(笑)。 どうしてそう思ってしまうのかとかいうのは、脳の専門家に任せるとして(関連記事)、オタクというのは上記のような中二病設定の作品で育ってきたおかげで、「自分は特別な存在なはず」「脳内ではいろいろ自分が特別な存在である設定を持っている」「世間はこんなだが自分は違うんだ」的な気持ちを強く持って生きているのではないだろうか? 世間とのギャップが自分の理想とあまりにも乖離しすぎたときのショックがオタクではない人に比べて人一倍強いのではないだろうか? そして「自分は特別な存在だから」となると、正しいのは「自分」で間違っているのは「周囲」「世間」ということになる。そして粛正に走るわけだ(笑)。 オタクの文化はエロとバイオレンスである*3。宮崎駿の作品がそれを象徴している(笑)。 まぁそんなわけで、マスコミとは違う側面で、原因がオタクにあるというのを考えてみた。 どうせオタク批判をするならマスコミもこれくらいの事は言ってくれないとねぇ。オタク=人の心を失った何かじゃダメだと思うんだよね。 「窮鼠猫をかむ」という言葉があるが、今回の秋葉の犯人もそうだったんじゃないかな(意味不明)。 「窮鼠猫をかむ」という言葉があるが、今回の秋葉の犯人もそうだったんじゃないかな(意味通じるかな~?)。
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