マジコン問題

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ボクがよく仕事の手を休めたときに見に行っている理系の掲示板スラッシュドットに以下のようなスレが立っていた。

ボクが面白いなぁと思ったのが、「文化の継承」や「文化の保全」について述べている投稿が意外に多かったことだ。ただ思うに、ゲーム制作者からしたらそれは「大きなお世話」なのではないだろうか?(笑)
10 年後 20 年後、ハードが失われ、そのゲームがプレイできなくなる。いずれ忘れ去られ、せっかくのゲームという文化遺産が失われる、ということらしいのだが、それよりも作り手は「ちゃんと金払ってプレイしてくれよ」ってことだろう。そのためにはプロテクトだってかけるし、だいたい今プレイしてくれれば基本的にそれで良いわけである。
作ったゲームを後世に伝えていくのは、その後だと。
10 年後 20年後…… 100 年後?
文化? 継承?
それをなんでユーザが心配する? 大きなお世話だ、ということではないだろうか。
ここで言いたいのは、本当に心配しているユーザというのはごく一部で、あくまでも文化だ継承だなんていうのは詭弁や大義名分に使われているだけでは、ということである。そもそも本当にこのゲームが大事な文化であり継承すべきものであるなら、メーカーが取り組むべきだし、メーカーとユーザが手を組むべきだし、さらに文科省などを巻き込んで、コンシューマやアミューズメントの環境整備に乗り出すべきであって、ユーザだけがその心配をしている構図自体が、文化やその継承という高尚な志から乖離しているように見える。

もちろん「バックアップができない」「ハードがなくなったらユーザの持っているソフトは遊べなくなってしまう」というユーザ側の不利益もある。でも実は、それらの制限を含んでの今のゲームの値段なんじゃないかなぁとボクは思っている。というかそれを含んでのゲームの値段だと言うことをゲームメーカーはもっと主張すべきなのではないか?
いつまでもプレイできる環境、そして誰でもバックアップがとれる環境を提供したら、ゲームの値段はそれこそ何倍、何十倍にもしないと元が取れないんだよ、ということを主張すべきなのではないだろうか?
現にそれらを実現できる夢のハード「PC」でのゲーム市場は、日本のみならず海外でもボロボロである。海外のゲーム会社もどんどんコンシューマに逃げている。
もちろん「互換性」をなるべく持たそうとゲーム機のメーカーは努力している。実はスーパーファミコンだって、ファミコンと互換性を持たせようと色々努力した跡がある。でもあの時代ではコストを考えるととてもペイできるものではなかった。

そんなわけで、まだまだコンピュータ・ゲームというものは全人類が「文化だ」「芸術だ」と評価するレベルには達していないのではないかと思う。でも悲観することはないと思っている。コンピュータ・ゲームは定着はしている。これから先、コンピュータ・ゲームを作り続ける限り、いつか文化そして芸術として認められ、ゲーム・ユーザに限らずみんなが口をそろえて「そのゲームは 100 年先でも遊べるようにしよう」と言うだろう。現に、認められつつあるゲームも出てきているのだから。

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