Top > Diary > 2006-10-21
  • 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
  • Diary/2006-10-21 へ行く。

//カテゴリ:旅行
***どうでもいい話(笑) [#na4ee98a]
#ref(Diary/FKH0101.png,nolink)
ボクは一度通った道は覚える方で、たとえば道案内をされればそれがどんなに遠かろうがしっかりと道を覚えることができる。だから高校の時に友人に「行きと帰りで景色が違うから元来た道を戻るなんてできないよ」と言われて、ンなバカなと思ったものである。&br;
たとえば道案内されて、それ以降何ヶ月も行ってないっていうんなら忘れることもあるが、朝にその人の家に案内されれば帰りは案内された通りに今度は戻れば良いだけである。帰りに景色が違うって、あり得るだろうか?&br;
この疑問はボクの 10 代の疑問の一つだった。&br;
しかし 20 代、車の免許を取ったときにこの謎は氷解するのである。&br;
&br;
初めて行きと帰りで景色が違う。そう思った瞬間があった。しかも車の免許を取ってからだいぶんたった、24 の時である。場所は C's ware のビルの近くだった。&br;
ここで思い立ったのが、情報量の差なのではないかということだ。&br;
10 代はもっぱら移動手段は自転車であった。&br;
自転車のスクロール速度ではボクは「道を覚えるための最低限の情報」を読み取ることができるようだ。この「道を覚えるための最低限の情報」は人によって違うと思う。目印にするものや距離の感覚、景色のとらえ方が人によって様々だからだ。&br;
そして車で移動すると、景色の移り変わりが当然早くなるのでこの「道を覚えるための最低限の情報」を得る前に景色が遠ざかってしまうことになる。&br;
したがって帰りに同じ場所を通っても、そこが行きに通った場所と同じかどうか判断できないというわけだ。&br;
&br;
ところで一度通った道は覚えるというボクの習性(?)だが、車に乗るようになって衰えていることに気づいた。単純に加齢による脳の低下もあるだろうが、先ほどの「道を覚えるための最低限の情報」をやはり車の速度では充分に得られていないのが原因だとボクは思っている。もはや自転車で移動することはなくなってしまったし(そもそも自転車をもう持っていない)、移動はもっぱら車であり、車の速度で移動するのがボクにとっての日常なのだ。&br;
&br;
それでもまったく失われたわけではなく、住宅街のゴチャゴチャしたところを曲がりまくるとかそう言うのでもない限り、少なくともその日のウチは覚えている。だが 1 ヶ月も 2 ヶ月も行かないと、もう覚えていない。これには別の原因があることが判明した。&br;
それは行く場所の多さである。&br;
車に頼ることによって行ける場所の選択肢が大幅に増えた。今ボクのドライビング・コースや知人宅、つきあいのある会社の場所、そして田舎の四国の道路などを含めると何百カ所という場所や道程を覚えている。どの記憶も常に使っているわけでもないし、ドライブのコースなんかは新しいところに行くたびに増えていく。&br;
しかも都内だけならまだ良いが、北関東や東北などの温泉地とかになるとそこまでに行くための交差点を曲がる数はかなり多い。自転車で 5 ~ 10km 移動するのとでは覚えなければならないことは格段に違う。&br;
単純に覚えなければならない地点が多すぎるのである。&br;
&br;
「昔はよく道を一発で覚えられたモンなんだが……」&br;
というのは、ただ加齢して脳が弱っただけでなくそれ以外の要素があるのではないかということに気づき、少し安心している今日この頃である。

#comment

    ホーム 一覧 検索 最終更新 バックアップ リンク元   ヘルプ   最終更新のRSS