■2005年08月31日(Wed)
天皇制の話
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8月の最終日は、天皇制の話だ。一連の太平洋戦争がらみの話は、この天皇制の話で終わりとなる。そして、あまりあれやこれやと触れてはいけない話題でもあろう(笑い 天皇制に限ったことではないが、宗教化したものは論じるのが難しい。 なぜなら、これは理性だけでは片付けられないからだ。 信じてしまったものは、誰がなんと言おうと曲げることはできない。 科学的に信者の方が間違っていると証明されたとしても、だ。 そしてこの天皇制の問題も、そう言う性質を胚んでいると僕は思っている。つまり理論で諭しても、科学的に証明しても、信じ込んでしまった人には無意味だと言うことだ。それだけ信じる力は強いし、侮れないし、パワフルなのだ。
もう一つはボクはあまり神道や天皇に関する知識が、今までの政治経済、太平洋戦争に増して乏しい。神道を専門に勉強をしたこともないし、せいぜい、寺社を観光気分で訪ねたり調べたりしたくらいだ。だから、深く天皇を信じている人、勉強している人たちにとっては、これから語ることは滑稽にうつるかもしれない。 それでも、太平洋戦争と関わりの深いものであるからボクなりに綴ってみようと思う。
さて、天皇自身がどう思っていたかは別にして、国民は太平洋戦争を天皇陛下のために戦った戦争である。大東亜共栄圏も、八紘一宇もまた天皇の元に一つとなる、平等となる思想だ。 それだけ天皇制というのは戦前では日本国内において重要なファクターだった。
だから太平洋戦争の項目でも述べたように、天皇に戦争の責任がないかと言えば、それはあんまりにもあんまりだろう。ないわけがない。たとえそれが、当時の軍部がし向けたことであろうが、国民があおったことであろうが、天皇の名の下に戦ったのだから、天皇に戦争責任は十分にあるとボクは思っている。。 だいたい、日本の艦船についていた菊の家紋は天皇家のものだ。 無条件降伏を受け入れられずずるずると戦争を引き延ばしたのは、天皇制の維持にこだわったからだ。当時の政府や軍部でさえも、天皇制が滅ぼされるなら本土決戦もやむを得じと決断したくらいに天皇は特別な存在なのだ。
そもそも歴史を振り返ってみると天皇に逆らった者は少ない。 源頼朝も、朝廷を滅ぼすようなことはしなかった。室町も江戸もしかり。 もちろん武士の時代、天皇家の生活は苦しかったらしいが、それでも滅ぼされるようなことはなかった。戦国時代の時に、誰も天皇を討ち取り、天皇に成り代わろうとする者が現れなかった。 あの信長でさえ、最初は京に登ることを天下統一の道だと考えていたのだから。
それぐらい天皇の存在は日本国民の中で神格化され、特別な存在になっているのではないかとボクは思っている。 当の天皇がどう思っているかは、謎だが(汗)。
これが伝統のなせる技なのか、それとも教育のなせる技なのか、メディアの影響なのか……それはボクもわからない。だが、あのマッカーサーも驚いたように、日本は天皇の元に一つなのだ。
今度は神道に話をうつそう。 そもそも神道は全国を束ねる系統だったものはないのではないかと思っている。それぞれの土地にはそれぞれの氏子がおり、その土地の文化や風俗、風習と一緒に育まれて来た、それぞれの神社の信仰があるとボクは思っている。 だから、江戸時代では仏教と融合してしまったり、風神様がいつの間にかいろんな御利益の神様になってしまったりしたけれども、それはご都合主義のように見えてその土地に暮らす人たちの中から生まれてきた神道のありのままの姿なのではないかとボクは感じている。 そもそも神道を一つのくくりに納めること自体ナンセンスなのだ。
だが、明治になってどうしても神道を一つにまとめて確立しなければならない理由があった。 江戸幕府が大政奉還をし、日本がじわじわと近代国家としての一つの国を形成していこうとしているそのとき、右も左もわからない日本国民を束ねるにはどうしたらいいか……そう考えると、日本国民誰しもが知っている天皇を使う手はないだろう。 天皇の元に一丸となって、日本国という一つの国家を形成していく。 封建社会から一気に近代国家へと変貌していくのに、天皇制は必要な日本国のビジョンそのものだったのではないかと思うのだ。
だが日本人は頭はいいが、まじめで極端なところがある。 いわゆる「○○道」という奴だ。 ある目的が、その目的を達成するための手段が目的になると言う精神だ(笑い ちなみにこれは今でも立派に日本人の中に脈々と受け継がれている。 理解できない人がいたら、本当に申し訳ないがこればっかりはうまい説明が付かない(笑い 皆さんもたぶん遭遇したことがあるはずだ。たとえば、ある目的を果たすために標語を作ったとしよう。美化運動でも、遅刻撲滅運動でもなんでもいい。ところが、いつの間にか日本人はその標語を暗唱して毎朝言うとか、その標語を必ず黒板に書くとか、その標語そのものが権威あるものとして扱われ、その標語が目指す目的はいつの間にか忘れ去られているのだ。 こういう現象をボクは保育園の頃から目の当たりにしてきた。 それは法律なんかでもそうだ。そもそも何でその法律が作られたのかがないがしろにされて、その法律そのものを作り上げることがメインになってしまうのだ。
天皇制においても、最初は国民を一つの方向へ向けるためのビジョンであったのが、いつの間にか先鋭化し、天皇制の優先度の方が高くなってしまったのである。そして天皇家という、2600 年続く(笑)伝統ある神の子孫という「ブランド」がさらに天皇制を後押しし、いつの間にか天皇制を守る国となってしまったのだ。 ボクにはそう思えてならないのだ。
そしてそう根付いてしまった天皇制を崩壊させるのは難しいだろう。 だが、考えてみて欲しい。
今の日本のビジョンはどこにあるのか?
それは天皇にあるのか? 小泉にあるのか? アメリカにあるのか? 中国にあるのか? それについては、国民一人一人がよく考えなければならないのではないかと思っている。
そしてそのビジョンの先に天皇が必要ないのであれば、躊躇うことなく捨てることもまた必要なのではないかと僕は思っている。そして逆に、天皇の元に一丸となり、日本という国がまた強くなれるというのであれば、天皇は必要であろう。 だが、今までの日本のやり方はもう通じないと言うことを我々自身は気付かなければならない。 良くも悪くも、日本は日本だけでは完結しない国になってしまっているのだから。
ああ、なんか読み返すとまとまっていないな……_| ̄|○
aral / Catherine Lara <- ヒーリング・インダストリアル? | | | |