木場を歩く

まずは昨日の会津坂下町からの帰り、同乗者を下ろしてからなか卯に寄ったときのツイート。なので記事的には昨日書くべきないようなんだけど日付はテッペン回って今日だったのでなんとなく今日に移動したw
照り焼き丼を頼んだんだけど鶏肉がぬめっとしていてぬるっとした食感。これは店で焼いてないな、と。たぶんパウチかなんかされたのを電子レンジが湯煎で温めたものだと思われる(汗

吉野家の鮭亭を思い出した。あれも焼いてなくて茹でてた記憶がある。吉野家は今は焼く設備が厨房にあるようだが、昔はなかったので暖めるか茹でるしかなかったのよね。なか卯も焼く施設、ないのかなぁ?

下の写真は桜台にあった坂内の閉店のお知らせ。
まじかー。
日記にはあんまり出てこないんだけど、年に数回は利用してたのよね。この店との出会いは 2007 年なので 17 年も利用したことになる(過去の坂内の記事)。

さて、今日は木場に用事があった。木場なんてまず来ないなぁ……。そして意外と住宅街だった。へー、そう言う場所なのか。木場というと言葉の通りの貯木場としてのイメージと首都高の出入口っていう認識でしかない(汗)。かなり小さい頃、親の勤務先が月島で、その関係で丸太がたくさん海(?)に浮かべられている場所を通った記憶がある。ただそこが木場だったのか新木場だったのかは解らないが……。

というわけでまずはお昼ご飯。実はどこで食べようかかなり迷った。ちなみに店そのものはそこそこあった。

結局、インドカレー屋に入った。『シカール』という名前。
三種のカレーのシシカバブ セット。

ナンをおかわりしてしまった!

それからデザートを求めて Google Maps で検索すると抹茶専門の喫茶店が近くにあることが解り、そこまで歩いて行くことにする。下の写真はカレー屋からその喫茶店まで歩いている中で気になった風景を撮ったものだ。まずは人用の小さな橋。川の名前は大横川というらしい。箸の名前は新田橋。塗り直したばかりなのかとても綺麗。そして船宿の看板があるのがまたイイ(5 枚目)。屋形船とか出してるのかなぁ? 宿だから泊まることも出来るのかしら?

さらに歩いて行くと立派な神社が。『洲崎神社』と言うらしい。江戸時代創建。祭神は弁財天
お稲荷さんが二つもあった(16 ~ 21 枚目、22 ~ 27 枚目)。
わかりにくいのだが、15 枚目が本殿(依代をおいてあるところ)だ。本殿ってこんな感じで撮りにくいようになっているところばっかりなのよね。まぁしょうがないんだけど(汗)。

さらに進んで行くと遊歩道みたいなのが現れたのでそちらを歩いてみる(州崎川緑道と言うらしい)。自転車用のレーンも用意されている。いいなぁ、散歩に持って来いじゃないか。緑が多いのもイイ。ちょっとわかりにくい写真もあるとおもうので説明すると、この遊歩道はどうも坂の上にあるらしく写真(ボクが歩いている方向)の右側が坂になっている。8 枚目の写真は低いところから遊歩道を見たところだ。正面奥にある煉瓦の部分が遊歩道で、左右に階段が整備されている。つまり一つ前の 7 枚目の写真はその低い場所から遊歩道を背に反対側を撮ったものだ。そして 9 枚目が遊歩道の上から撮ったものだ。高低差がよく分かると思う。

11, 12 枚目は同じく低地の路地とその路地から遊歩道に登っていく坂。そして 13 枚目以降はこの遊歩道を分断している大門通の人道用アンダーパスだ。

そして抹茶専門喫茶店『Sette』に到着。なんか普通の家を改良したみたいな感じ。でも中は面白くて、カウンターは地面と同じ高さなんだけどホールは数段下に下がっている。もともとどういう構造だったんだろう? 駐車場だったのかなぁ??

ラテはわりとすっきりしていてさらに粉っぽさも抹茶のえぐみもけっこうおさえれていて、抹茶がそんなに得意じゃないひとでも楽しめそう。ただ抹茶専門店ならもっと抹茶が自己主張しても良いようなと思いつつ……堪能しますた。最後に歩いた歩数は 8885 歩。普段 100 歩も歩いていないので良く歩いた方じゃなかろうか(汗

そうそう、歩いてたら PHV のプリウスのパトカーをみかけた(4 代目プリウス、PHV としては二代目)。写真撮りたかったけど、スマフォを構える時間なく行ってしまった。ああいうのもパトカーとして使われてるんだなぁ。

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