死を身近に感じるようになって…

今夏、立て続けに友人や知人が三人も亡くなった。いずれも同い年だ。
特に友人についてはボクをオタクの世界に引き込んだ張本人であり、オタクの世界のみならずコンピュータの世界でもボクのブレインであり続けた人だった。姿こそ出てこなかったがこの日記にも何度も話題なったり、ご飯を一緒に食べに行ったりしていた。

もう一人は高校の時の同級生で、もう一人は中学の時の同級生だ。

本当はそれぞれの人への思いを綴りたいところなのだが、どうしても個人情報に触れなければならないため、故人への話はここまで。ただ、今年、自分に身近な存在が三人も亡くなった事は自分への記録としてもこうして日記に残しておきたい。

自分の事として感じる事は、歳を取ったと言うことである。芸能人や政治家、著名人などが亡くなるときもそう思う事はあるが、自分自身もいつ亡くなってもおかしくない年齢にさしかかってきたんだなぁと思う。また同時に、思想や思考も穏やかになり内向的になってしまったように感じている。

攻めの姿勢が随分となくなってしまった。

まだまだ攻めなければならないのに……ここ数年はずっと同じ場所で立ち往生している。
アイデアそのものは枯渇はしてないんだけどね……それぞ現実の物にすることに出来ていない。

ただアイデアの多くが一人で実現できるものではないものが多いというのも問題だ。
そう言う意味では生成 AI には凄く期待していて、頭の中にある巨大なモノを一人で作れるんじゃないかととらぬ狸の皮算用している。しかし実際に AI をいじってみると、まだまだナカナカだ。ただこのナカナカが AI の扱いが悪いのか、AI の性能がまだまだなのかは難しいところではある。

あともう一つは自分のアイデアと世間が求めているモノが大きくズレているのも問題だ。
このアイデアは金にならないw
それ自体はボクはいいのだが、それは即ち、作品では食っていけないことも指しているので……仕事は続けなければならない。すると作品はさらに遅れる。この辺、生きるのが下手なのだろうなぁと思う。

というわけで未だに五里霧中である。10 代 20 代でもないのに、五里霧中であるw

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です