雑談とコンビニスイーツ

これは予想されたことではあったのだが、いざ亡くなってみると、やはり身体に染みついた習慣というのは無意識下ではなかなか払拭出来るようなものではなく、とくに介抱している間の思い入れは強かったので、余計にそう行動してしまう。前に飼っていた猫がなくなったときもそうだったなぁ。

新しいマシンにしてから、Bluetooth のパッドの調子が良くない。とにかく途中で切れるのよね。しかも切れたときに押していたボタンや方向が入りっぱなしになるばかりか、マウスやキーボードで操作しても解除出来なくて、ゲームを強制終了するしかなくなる。なんだろうなぁ……原因が解らん。

マックに続きバーガーキングでもポテト不足らしい。それはまぁしようがないとしてその代替案として示されたのがスナック菓子という……。いいのか? 本当にそれでいいのか!?

昨日今日と暑い。ツイートは機能のものなのだが、今日もお昼の段階で 28.2 ℃を記録している。
真夏日やんけ。

あとの写真はコンビニスイーツ、ローソン編(ぁ
森半のお抹茶ホイップあんぱんとゴディバのメロンパン。ゴディバシリーズ、がんばってるなぁ……相変わらず材料の安物感がひどいけど(ぁ

花、亡くなる

乳がんを患っていた猫が、今日のお昼頃、息を引き取った。
今回は最後の瞬間まで看取ることができた。
呼吸が次第にできなくなり、最後、酸素不足になったためか少し痙攣したあと、動かなくなった。
毎日患部を洗浄し、化膿止めを塗り、包帯を替えた。特に餌には苦労した。後半は高齢猫用の餌ではダメで、液状のモノやペースト状のモノを色々試した。ちなみにちゃおちゅ-るは途中からまったく見向きもしなくなった。最初の頃はけっこう夢中だったんだけどなぁ。いろんな味を試したんだけど、ダメだった。

なので、最終的にはいろんな種類の餌が余ったw

猫は死期を悟ると姿を見せなくなると言うが、じつはそれに類した出来事があった。
亡くなる前日、鳴きまくり、ボクの部屋から飛び出して、転がり落ちるように階段を降りて玄関まで行ったのだ。
死を覚悟したのか、それとも彼女なりの決死の何かだったのか?

最近は猫は家の中で飼う。
昔はよく外に出していたが、今はそれは推奨されていない。この猫も外に出ることはなく、家の中でずっと飼ってきた。
では彼女の世界は家の中だけなのかというと、それはどうもそう言うワケではなく「外がある」ということは認識している。というのも、窓から通りを眺めたり、なにか外に出たそうにしていたのをよく見たからだ。
死期を悟った彼女が自分の死に場所を選びたかったのか、それともいよいよ外敵から身を隠せる場所に行きたかったのか、それは解らないがその前日の決死のダイブは、何か意味はあったのだろうと今でも思っている。

人間の思いなんて勝手なモノで、2 月になくなったもう一匹と違って、最後まで世話をして見とれたので、亡くなったときの虚無感というか後悔というかそういうのはなかった。それよりも病との戦いにお疲れ様という気持ちの方が強い。素直に見送れたと思う。もし後悔があるとすれば、癌が発見された段階で患部を除去する手術はしてよかったんじゃないかなと、ボクは思っている。あのときはまだ体力もあったしなぁ……手術をしていたらもっと長生きしたのか、それとももっと早く逝ってしまったのかは解らないけど。それに長く生きることが幸せだとも限らないし……彼女が幸せだったのかどうか、それは彼女しか解らないだろう。

最後に、二匹の猫を振り返って見ると、人生の勉強になったこともあった。片方は頭が良く、場の空気を読み、遠慮するタイプで、もう片方は空気も読まず図々しい。先に亡くなったのは賢い方。そして介抱もロクにされなかった。一方の図々しい方(今日亡くなった猫)は家族みんなからちやほやされ、最後看取られていった。
図々しいのが由とはしないけど、図々しさってのは意外と大事なモノだなと思った。
人間社会でもそうではないか。静かで実直に生きてる人は、その存在に誰も気付かれない。わめいてる人が周囲にちやほやされ、相手にされて結果的に得をする。

前者に気付ける人間になりたいと思いつつ……。

同じく死に関わる問題だが、こちらは自殺の話。実はコロナ禍で自殺そのものの人数は減っている。しかし、芸能人と女性は増えている。
これは何か共通点はあったりするんだろうか?
個人的に思ったのが芸能人も女性も「見られる立場」だということだ。悲しいかな、女性はまだまだ「見られる」対象だ。化粧をしないで外に出ただけで非難されてしまうような世の中だし。そして当然芸能人は「見られてナンボ」の世界の人たちだ。それがコロナ禍というエフェクトがかかり、自殺を選ぶ要因になったりしていないだろうか?

ちなみにツイートでは漏れているが、子供の自殺も増えている。こちらも「見られる」が無関係ではない。
というのも四六時中親とともにいるということは「見られ続ける」ことになる。

人間の脳というのは不思議なモノである。どんなに恵まれていても、必ず不平不満が出るようにできている。なんなんだろうね、コレ。

肉バル

今日は肉バルに行った。『SHOWTIAN』というお店。
肉奴隷バーのことである。まさに酒池肉林である(嘘
場所は渋谷だ。女子人気の店らしい。だがそんなことはどうでもいいのだ、むさいおっさんだが入るのだ(ぇー

席はほぼ満席だった。でも予約していたので、問題なし。そして感染対策はわりと御座成りだった。大丈夫か?(汗
ボクがかかるのはいいが……一緒に連れてきた人がかかったら申し訳ないなと思いつつ……。

バル(Bar)なのに酒の写真が一切ないw
同乗者は酒頼んでた。
どうでもいいけど、いつからバルとか言うようになったんだよ。バーでいいじゃねーか。意識高すぎンだよっておっさんは思う(ぁ
こういう言葉の言い換えが個人的に気に入らない。売春を援交とかパパ活とか、セックスを H するとか(違。だいたい H って変態の頭文字だぞ! H するってのは変態をするって意味だぞ!<ヲイ

閑話休題。
お店のトレードマーク(?)が桜なのがイマイチ解せない。桜は馬なんじゃと思いつつ……(ぉ
三枚目は突き出し。しぐれ煮。5 枚目はチーズ。
7 枚目はなんだろうね、ローストビーフにしては分厚いし……。
8 枚目は普通にステーキやね。9 枚目はハンバーグで、肉汁たっぷり!
10 枚目もハンバーグと思いきや、牛肉のなめろう。
11 枚目もステーキなのかなぁ? 忘れた!
12 枚目は牛のちらし寿司。
13, 14 枚目は牛の握り。

うまかったー。いずれも口に入れたら溶けてしまうくらい柔らかくてジューシーで、肉好きにはたまらなかった。
この店の牛肉メニューは概ね制覇したと思う。
また来たいけど……渋谷は車を止めるのがちょっとめんどくさい(汗
吉祥寺あたりに似たような店、ありそうだけどどうなんだろう……。

最後に、靴下を着た猫w
乳がんにあててある包帯がずれないように、靴下を改造してつくったものだ。
まーしかし、こいつはいつも不満そうな顔をしているなw

あと台風一号が発生した。今年は遅め??(去年は 2/18 に発生

通り魔や凶悪犯罪の動機

昨日の続き。自分が不幸だと思い込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなると、さらに職に就いてないなどで時間があると、人間はどうしても悪い方へと思考が向いてしまう。そう、人間って暇になると悪いことしか考えないのだ(笑)。さらに年を重ねれば重ねるほど、過去の自分への理不尽感は増していき、同時に世間へのヘイトも貯まっていく。

そんなとき、自分がスターダムにのし上がる一番簡単な方法はというと、「ショッキングな事件を起こす」ということなのかもしれないな、と思ったのが上のツイートである。

よく「教科書に載るようなことをしたい」とか「あの政治家は教科書に載りたいんでしょ」なんて聞くが、まぁそれの手っ取り早い版である。

ショッキングな事件を起こすことによって、日本中から注目されることに間違いはない。この時ばかりは日本の中で彼が主人公である。

もちろんそんなことを考えて事件を起こしているのかは解らないし、世間はどちらかというと犯人の境遇とかがフィーチャーされてしまうが、実は TV に映ってチヤホヤされている(ようにみえる)人のように、Youtube で何百万人も視聴者をかかえてノリに乗っている人のように、自分も! なんて思っていても別に不思議はないのではなかろうか。

実際に TV に出て人気者になったり、Youtube などでたくさんの視聴者を抱えるようになるにはたくさんの努力とそしてタイミングと運が必要だ。しかし犯罪ならばそのコストはかなり少なくて済む(ように見える)。ただ実際は犯罪を実行するにもそれなりに様々なコストや運・タイミングが必要だったりはする。しょーもない放火事件や通り魔事件を起こして、世間から馬鹿にされるだけで終わってしまう犯罪も多い(汗)。また京アニ事件のように、様々な要素が重なって結果的に多くの人が亡くなってしまうというようなことも。

まぁ今後、後がないひとの犯罪というのは増えるような気はする。
それはその人自身にも問題があるだろうし、それを放置してきた社会にも責任はあるだろう。誰かが言ってたな、本当に支援が必要な人たちというのは、周囲から見たら、支援したくなくなるような人たちだ、と。要するに周囲に当たり散らし、ネットで暴言を吐き、ワガママで人の言うことを聞かず、憂さ晴らし的に店員などに当たり散らしているような人。そう言う人たちこそが支援が必要だということらしい。京アニ事件の犯人も病院で手当てされたとき「こんな優しくされたことはなかった」とつぶやいていたように。

戦後、モノが豊かになり、そして 21 世紀に入って情報化社会になり……世界は刻一刻と変わっている。それに応じてモノの価値観や考え方、倫理観も変わって行く。それらに柔軟に対応できる人は少ない。しかし立ち往生している人にどうすればいいかを指し示すことはできる。我々は社会に生きているのだから。自己責任という言葉だけで片付けずに、社会全体で絶望した人たちに光を当てることはできるんじゃないだろうか……と思っている。

下の写真はなんか不満そうな猫w
靴下がぴったり合っている(ぁ

若葉ケヤキモール

ボクは毎週日曜日の午前中は桜台にいるわけだが、そこで前から気になっている肉料理屋があったのでお昼に行ってみた。
そもそも知るきっかけは知人がこの店を気に入っており、美味しいと聞いていたからだ。
そしてその知人はいわゆるハイソサエティな人である。

なるほど、行ってみるとランチなのにそこそこ強気な値段設定。
ただ桜台という町は北側がけっこうお金持ちが多いエリアがあって、巨大な家が並んでいる。のでこの値段帯でも別に高いウチに入らないのだろう……などと思いながら店員さんに話を聞くと、そもそも本店は岩手県にあるブランド牛を出すお店で、東京でも丸の内や六本木にお店を構える、高級店だった(汗)。

マジか。

店内はほぼ満席で、さらに客層も有閑マダムっぽい人ばかり。すげーな、桜台。ただのベッドタウンじゃないんだな。

頼んだのはハンバーグ定食なのだが、まず肉々しい。肉を食って肉々しいってなんだよって思われるかもしれないが、ごろっとした歯ごたえがあり、そして大量の肉汁。大きさとしては物足りないが、しかし確かにうまい。熟成肉の質もよい。これは是非今度は焼肉定食や牛タンを食べに来ようと思った。

さて、それから、立川の方にロケハンに行った。4/3 に公開した短編小説の背景写真を撮るのが目的だ。
小説の中に小規模なショッピングモールが出てくるのだが、それがちょうど立川にある『若葉ケヤキモール』というモールがサイズ的にぴったりだったのだ。このケヤキモール、なんていうんだろう、狭い敷地にぎっしりと詰まっていて、建物もなかなかイイ感じだ。この辺りは農家が多く、一区画の土地が広いのだが、恐らくこのケヤキモールも大きな農家が手放した土地なのではないかと想像しているものの、前に何があったのかまでは覚えていない(このモールができる前からモールの前の通り(五日市街道)はよく通っていたのだが……)。

小説ではショッピングモールはコの字型になっていて中心に池があるのだが、そこまでそっくりではない。ただ 6 枚目の写真をみると解りやすいと思うのだが、モール自体はコの字型になってはいる。

まぁ彩が建てたショッピングモール(金を出したのはルイーゼだけど)の規模感とか解ってもらえれば。

で、一通り写真を撮ったああと、同じ立川に住んでいる知人を誘って晩飯に。
今日の目的は魚べい。回転寿司計では一番ネタが大きいのだとか。
というわけで行って見るも、大行列。すげー。
その後、焼肉きんぐを巡るも、大行列。

いつの間にか、小作にまで流されていたwww

で、結局、鳥貴族となった(汗)。

まぁでも焼き鳥も久しぶりだ。焼きとん食いたくなったけどw

最期に、乳がんを患っているウチの猫の写真。
包帯を毎日変えてるんだけど、それを抑えておくものがなかなかいいのがなくて、自分の靴下を改造して作ったw
なかなかフィットしている。

TVer の CM、多くなった。前は一個しか挟まれなかったのに、今は三個ぐらい流れる。
ただいいところもあって、たぶん番組ごとに流す CM の数(尺?)が決まっているらしく、後半になるとまったく CM がなくなるということも(笑)。あと、地上波で見るより CM そのものの尺はまだまだ TVer の方がぜんぜん短いと思う。

風、逝く

ウチには姉妹猫がいるのだが、その片方が亡くなった。
突然といえば突然だったのか、いやそうでもないのか……実はわりとボクの中では心残りな亡くなり方だった。

ちなみに姉妹猫は白い方を「花」、黒い方を「風」という。

時系列順に整理すると、一月の終わり頃、花の乳がんが判明した。こちらの猫についてはまた彼女が亡くなったときに詳しく記事にするが、とにかくこの猫のために毎日包帯を変える必要や、餌の種類が異なるために餌をやるときは二匹別々に隔離するなどの対応に追われた。

そんなある日、風がトイレに行こうとするとまっすぐ歩かず、ぐるぐると回るのに遭遇した。いわゆる目が回ったような状態だ。
なんだこれ? と思ったのだが、飼い主と相談した結果、三半規管が狂ってるだけなので様子を見てずっと続くようであれば病院に連れて行くということになった。
その後、ぐるぐる回ることはなくなったのだが、とにかく元気がなかった。
それでも毎日食事とるにつれて回復してきて、あぁなんか良くなりそう、とにかく今は花の乳がんの手当をせねば……花が落ち着いたら風も病院に連れて行こうと思っていたら、今日の夜、花の隣で息絶えていた。

というわけで個人的にはなんとも言えない「後悔」が残ってしまったというわけだ。
年は恐らく 18 歳。ボク的には 21 歳くらいまでは生きるかなーなんて思っていたんだが……。

最後の一ヶ月、風はひたすらホットカーペットの上で過ごしていた。
身体を温めることが、体調を癒やす方法だと本能的に知っているのだろう。風邪などで発熱するのと同じ効果だ。
だからボクも昼間は切っていたホットカーペットをずっとつけっぱなしにしていた。
ただ残念ながらウィルスや菌に冒されたわけではないので、この暖めるという行為がどこまで意味があったのかは解らない(逆効果だった可能性もある)。

なので風が亡くなってから三日ほど、自責の念が続いてしまったw
いや三日だけかよと思われるかもしれないが(汗)。
一方、花の方は三日では済まなかったようで、毎日、いろんな部屋に行ってはにゃーにゃーと唏いていた。
これの意味するところはもちろん花にしか解らないのだが、ボクには風を探しているように見えた。今までそんな行動をしたことはなかったからだ。
これは一ヶ月くらい続き、風が亡くなったことがストレスになって、花の寿命も短くなるのではないかと心配した。

残念だったのが風の持っているなんていうんだろうね、場の空気を読む能力?
この猫はとにかく空気を読む(ように見える)。ボクの機嫌も読む。今はかまってもらうべきではないなと判断すると、さっさと自室に帰る。さらにボクが出かける準備をしていると、それも察してさっさと自室に帰る。
キーボードは絶対に踏まない。
「お帰り」という言葉を解す。
などなど。
同じ哺乳類同士、理解し合える部分ってあるんだなと思ったのと、この空気を読む能力が死によってなくなってしまうのがなんとも切なかった。
でもそれは人間も同じで、その人にしかできなくて且つ他人に継承することもできない事ってあって、それは現段階ではその人が亡くなってしまったら失われてしまう。

そんな空気を読む風と対照的なのが花だ。花はこっちの事情など意に介さずなんでも要求する。

でも見ていて思ったのが、花の方が得だなってこと。花のことを「図々しい」とか「なんだコイツ」とか色々思うけど、結局要求通りにしてしまう。風のように場の空気を読んで遠慮していると、こちらも「あぁ、風は別にいいのか」なんて判断してしまうのだ。それはたぶん人間の世界でも同じだろう。図々しい人の方が得をする。とくに人に憎まれることなく図々しくなれる人(人たらし)がいるけど、コミュ障・陰キャの自分からすると、すごいなぁと思う。

まぁそんなわけで、風にしてあげられたことが少なかったなと感じるし、風自身が不公平感を感じていなかっただろうかと自責の念が湧いてしまうのだ。
しかしその心のウチを知る方法は、すでにない。

最期、花ばかり手当てしていたボクを見て、風は何を思っただろうか?

南部線沿いの忘年会

今日は軽い忘年会があった。ネットで知り合った、いわゆる菅野ひろゆき氏ファンの集まりだ。このメンバーはけっこういろいろなことで集まるのだが、日記に主に出てくるのはホタルツアーだろう(2017, 2018, 2019)。ちなみにこのホタルツアーはコロナ禍になってからは開催されていない。

集まったお店は『味ん味ん矢野口店』という焼き肉屋さん。写真はいっさいないw
会話と食うのに夢中で、ぜんぜん撮ってなかった(汗

味ん味ん、いいよねぇ。ほどほどの肉が安く食べられる。

それから、温泉に行く。矢野口という場所に集まったのも、最近気に入っているスーパー銭湯形式の温泉『季の彩』に行くからだった。ここのお湯はそこそこ気に入っている。炭酸水素塩泉。ただけっこう傷があるとしみるw

下の写真はのぼせたので帰りに寄った COCO’S。冷たいものだけ食べるつもりが、つい、タコサラダとポテト的なのを頼んでしまった。冷たいものはピスタチオのパフェ。ここ数年、ピスタチオを使った商品を見るようになったよね。前はこんなになかった。個人的にはうれしい。

ところで最後の写真を見て欲しいのだが、コロナ禍で流行っている注文用の端末だ。見ても解る通り、番号で注文する。つまりこれとは別に紙のメニューがあってそこに書いてある番号を端末に入力して注文するという仕組みだ。端末にメニューの写真があってそれを選んで注文するというタイプじゃない。

以前にもこの形式に出会ったけど、これ、手抜きだよなぁ。

ただメリットがあることには気付いた。というのも端末はテーブルに一台しかない。大人数できたとき、紙のメニューならそれこそ人数分用意することも可能だ。で、頼む料理が決まった人から順に番号をどんどん入れて行けば、端末一台しかないより注文が早い。でもそれは別に端末にメニューの写真があって、それをタップしたんでもいいじゃんと思う向きもあるかもしれないが、メニューの名前を言われてそれを端末から探すよりも番号を入力する方が圧倒的に早いだろう。

下の写真は今日の未明で目が合ってしまった猫どもの写真。
写真に記録された時間によると、未明 3:45 らしい。ボクが寝る時間だ。たぶんベッドに入る前に撮ったんだと思う。
冬だからというのもあるけど、丸々太って見える(冬毛なため)。表情的になんとも、ふてぶてしさを感じるw

しかしこうやってみるととても元気そうなんだけどなぁ……今だから書けるが、右の茶色い子は約三ヶ月後の二月末に、そして左の白い子は半年後の 5/17 に亡くなる。まさかこんなに急に訪れるとはなぁ。もっとだんだんと弱ったりして亡くなると思っていたのに。まぁそのあたりの経緯は、その日の日記に書くことと思う。