あっさりしたもんだ

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朝、父の家に行って、遺体を小手指のメモリアル・ホールへ。そこで納棺。花をたくさん入れた。そして、午後に飯能の火葬場で火葬。火葬には 1 時間 30 分ほど。あっけなく、父は真っ白な骨だけとなってしまった。お骨は一部だけなのかとおもったら全身を骨壺に入れていて驚いた。ボクの経験では全身入れたのは初めてだ。
あとで周囲に聞いたら、全身入れることはそんなに珍しいことではないとのこと。
関東と関西で違うのかな?

なんだかんだで、15 時頃には遺影とお骨がもとの家に戻ってきた。
あっさりしたもんだなぁ、と感じた。
人の死はもっとねちっこくて、長くて、そして不可侵なんてことを思っていたが、実際に肉親として関わってみると、あっさりしたものだった。愛媛の叔父はこのような葬儀のやり方に大変ご立腹であったが、ボクはこれぐらいがちょうど良いと思った。葬式をあげることなど残った者のためにやるようなものであり、死んだ人間には何の意味もない。
ただ納棺し、ただ焼き、そして墓に納めるなりなんなりすればよいのである。もし本当に魂とやらがあるのなら、とっくにその遺体にはないのだから。

ただ、墓は好きだ。父の墓は建てようと思う。そこにその人がいたことの証拠として。
その身は滅びようとも、かつてその人はいたのだから。
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