抽象化とゲーム

AV のパクリタイトルはもはや伝統工芸なのだが、コレはさすがに読めなかったw

ある程度成熟した(サービスが始まって数年が経っている)ゲームだと強キャラがガチャで出ても手放しでは喜べない。ゲームの成熟とともに様々な要素も成熟し、さらにキャラの育て方、どういうキャラが強いかというのも固まり、育ちきったキャラクタをプレイヤーみんながある程度所持している状態だからだ。

つまり強キャラとはいえ、成熟したキャラよりは弱く、すでに育ちきったより強くするには相当な時間がかかる。
普通の買い切りのゲームのように数日徹夜してやり込めば最強キャラに育つわけではない。なぜならソシャゲは一度にたくさん育たないように様々なリミッタが仕掛けられているからだ。買い切りゲームはプレイすればプレイするだけ強くなれるが、ソシャゲはそうではない。何故そんなリミッタを設けているかというと、年単位で遊ばせるためだ。ソシャゲとは本来なら 50 時間とかかけてクリアするゲームを、ムリヤリ年単位でクリアするように引き延ばしたものなのだ。

こういった問題に対処すべく、最近のソシャゲではすでに育ったキャラからその過程を新しく取得したキャラに移動するということができるようになった。つまり今まで育てたキャラの経験値とかスキルとか装備とかをそのキャラから剥奪し(そのキャラは LV.1 に戻る)、新しいキャラに適用するというものだ。こうすることによって新しいキャラを元となるキャラと同じレベルまで成長させることができる。

あとは最高レベルでキャラそのものを吐き出すゲームもあるけどね。いやはや。

ここでボクがいつも気にしているのが、それは現実世界に例えるとどういうことなんだ? ということだ。
ゲームだからそんなこと考えてどうするんだという人も多いと思うのだが、そもそも逆なのだ。将棋にしろチェスにしろ、現実を抽象化しルール化したものがゲームだ。○○ということにしておこう、と。↑のこともそれの集大成なわけだが、ゲーム内のキャラクタも一応その世界で生きている「ということになっている」はずだ。
そこでいきなり経験値からスキルから果ては装備まで剥奪されたあげくに、新キャラに持って行かれてしまうっていうのは、一体どういう現象なんだろうかw
たとえばよくある「転生」も、輪廻転生の転生だとしたら、あれは転生するたびに死んでるのか? とか、パーティを組んで遠征に行かせられるソシャゲも多いが、遠征に行っているはずのキャラでメイン ストーリーやイベント ストーリーのパーティが組めたりとか。いや、おまえは遠征に行ってるんじゃないんか?

「○○ということにしておこう」というのの度が過ぎてないか?www

ってボクは思うんだけどなぁ。