思想を歴史に頼った右翼のアイデンティティは成立するのか?

政治ネタ。まぁ、日記は上の記事についてではない。
ボクなりの右翼がするべきことにちょっと触れてみたいと思った。
今の右翼はわりとアメリカに迎合している者が多い。なんでかは解らないが、自分たちが存続する上でも楽だからだろう。安倍ちゃんなんかもその部類に入る。もしくはアメリカから何か担保されている可能性も否定出来ない。

右翼の定義も難しい。日本の場合ただの保守というだけでなく、天皇制も絡んでくる。

ところで今の天皇制を生んだ明治政府、引いては薩摩長州の政治ポリシーはどんなものであったのだろうか? ボクのツイートでは「右翼は天皇の言うことを聞かない」と表現したが、薩長から言わせれば、彼らが天皇を復帰させたのであって(しかもあまり支配欲のない皇族を選んだとされている)、そういう立場からすると天皇の方が言うことを聞かないとなってしまうだろう。

今の右翼が薩長寄りの精神を受け継いだものなのかどうかボクには解らない。

さらに戦後はどうか? アメリカは戦犯というものを強調し、悪かったのは彼らであり、国民はそれに踊らされたという常識を作り上げた、とされている。これは左翼がやるプロパガンダを参考にして行われた(このプロパガンダには CIA の前身である OSS が実際に中国やソビエトからレクチャーを受けているらしい)。かくして日本国民は太平洋戦争の罪悪感を感じることなく、それらはすべて戦犯の所為にして高度経済成長時代を築き上げた。
もっとも靖国神社は戦犯を戦犯としては扱っていない。ひょっとしたら靖国神社の中枢の人たちは今でもアメリカ憎しなのかも知れない。

どちらにせよ右翼のやるべきことはアメリカが作り上げた戦前の日本像を丁寧に説明して否定し、本来の大和魂と言われる戦前の日本像を解き明かしていくことが大事だとボクには思えた。そこには武士道といった日本の誇れる正義感や価値観があり、美しい日本とはまさにこのことであろう。というかそれが右翼の目指す社会なのだろう。

だがこれには一つ大きなリスクが伴う。それは太平洋戦争の責任を戦犯だけでなく日本国民全員が背負うことになるからだ。国民みんなが八紘一宇のために一丸となって戦ったのだということを日本の常識にしなければならないのだ。
これが今の右翼が反アメリカになかなかならない理由の一つではないかと、ちょっと思っている。

ところで先ほど美しい日本とは武士道ではないかと書いたが、右翼思想と武士道には矛盾もある。そもそも武家社会は天皇を遠ざけてきたはずで、そしてそのために神道ではなく仏教を取り入れてきた。しかし薩長は天皇を担ぎ上げて江戸幕府を倒幕し、系統化されていなかった神道を無理やり国教に仕立て上げた。

結局の所、我々は先人たちの残した過去の資料から歴史を知ることしか出来ない。そしてその資料を読み解いた一人一人がその歴史を自分の思想の元に解釈し、空白になっている所は想像して、自分が納得する歴史を作り上げていく。
従って明治から太平洋戦争終結までの日本人の感覚・常識・アイデンティティというものが一体どういうものであったのかを正しく知ることはなかなか難しく、また何の歴史資料に触れたかによっても歴史認識は異なってしまうだろう。
そうなると「歴史にその思想の大半を頼る日本の右翼」のアイデンティティというものをちゃんと説明出来る人はいないのではないかとも思えてくる。例えば夫婦別姓に反対する右翼なんかも、いったいどこに伝統の中心を置いているのか、右翼でない人間からするとよく解らないのである。

右翼というとたぶんみんな「あんな感じ」という漠然としたイメージはあると思うが、突き詰めていくとそのアイデンティティを明確にするのは非常に難しいと感じている。右翼の人自身がどのように自己を確立出来ているのか解らないが、おそらく彼らも突き詰めた議論は出来ていないようにも思うが、どうだろうか?

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