アフリカでアルビノの部位を持っていると幸せになれるとかあるけど、日本もたいがいだなwwwwhttps://t.co/nSiILyciU6#事件 #オカルト
— 宇奈月けやき (@UNADUKI_Keyaki) August 27, 2017
和歌山旅行の記事、何故か書くの大変だった(汗)。今記事を振り返って見ると大した情報書いてないのに……なんであんなに時間かかったんだろっていうくらい大変だったなぁ。で、そのおかげで他のくだらないネタが色々放置されてしまったので、とりあえず一つ Pick Up してみた。
上の記事はいわゆる 20 世紀以降のオカルト事件をまとめたものである。よくアフリカで呪術などを使って悲惨な事件が起きたりしてて、それを笑って見てたりするけど、日本もけっこうなもんである(笑)。いや、笑い事ではないか。
偏見ではあるが大方は統合失調症などの精神疾患のように見える。また「思い込み」もバカにはできない。一度そうと思い込むと、人間、なかなかその思いを変えられないものである。
ところでボクはわりとオカルト方面の話を書くことが多い。一見そういう作品に見えなくても、仕掛けがオカルトだったりとか。だからボク自身がオカルトにかぶれているかというと、実際それはそうで、そっちの方面の研究はもちろんしている。だから突如このサイトで上記の事件の当事者のようなことを言い出す可能性もないとは言えない。
人間、何がきっかけで狂うかは、ずっと研究しているボクでも解らないもので、いつも客観的に観察する自分を置いておかなければ、フッと精神が連れて行かれてしまう。この「連れて行かれてしまう」というのはキツネとか悪魔とかに連れて行かれるとかそういうオカルトの話ではなく、脳が完全にそっちに向いてしまうということだ。脳は自分のものであるというか自分自身だとボクらは思って生活しているけれど、しかしその「自分自身」が「キツネに取り憑かれた自分自身」にいつの間にかなってしまっていると言うことは決して珍しいことではない。
とはいえ、この「客観的な自分を置いておく」というのもなかなか難しい。
客観的に見ているようで、実はこっちの方が先にイカれてましたなんてこともあり得る。
ここの記事でも書いたけど、今 20 代であの世を信じている人が増えている。今時の子供なんて、仮面ライダーなどの特撮を見た所でそれらは全部作り物でショッカーなんていないって解って見ているとボクは思っていたんだけど(ボクが子どもの頃は、あれが本気だと思い込んでいた)、実は案外そうでもないのかなって、最近は感じてる。
人間、どこかにオカルト的なものを信じたがっているっていうとなんか言い過ぎなんだけど、特に閉塞感が強い今の日本全体の雰囲気において──この閉塞感については色々と本当は言いたいことがあるんだけど(景気がいいのになんで閉塞感があるんだとか)、今回のテーマとは外れるので掘り下げない──どこかでこの閉塞感を払い取ることは「科学的には不可能」「自分の力だけでは不可能」だと感じているので、「オカルトの力」を何となく期待してしまっているのかな、と。しかもその力は別に社会全体に行き渡って欲しいわけじゃなくて(もちろんできればそれを願ってるけど)、自分だけでも解決できれば(逃げられれば)それでいいかな、みたいな?
なんかそんなのを感じるんだけど、皆さんはどうであろうか?
そしてそれは、神様やスーパーヒーローを求めているのと同じことなんだろうとも思う。
でも、その思いは結果的に不幸を呼ぶとボクは思っていて、やはりどうしても解決が科学的ではないと感じてしまう。「みんながそれを望んでるんだから法律よりもみんなの願望を優先」みたいな感じがするし、理性よりも感情を優先してるように見えるって表現した方が解りやすいか。
漠然とした「閉塞感」の中に、ボクはそれも含まれている。せっかくここまで科学が発達し、色々な解らないことが解ってきて、ボクらに理性的かつ冷静な判断力がついてきたというのに、まだオカルトが幅を利かせてる。
下の写真は会社の近くのコンビニで売っていた、和歌山のアイスと見たことない形状のかりんとう(こちらは岩手県)。
アイスの方はチョコの味が強すぎて、みかんの味があまりしなかった(笑)。割れかりんとうは形状が棒状ではなく、板状。イカフライみたいな感じ。でも味はかりんとうだった(当たり前か)。