またショートショートができちゃった(汗

短編が一つ書き上がったので、公開した
rain forest というこちらは完全にファンタジーの世界での話である。作中では名前は出てこないが、少女の姿になってしまった大魔法使いと、命をかけてその弟子になりに来た男の子の話である。
この二人はそれこそ 20 年以上前からある設定で、最近になって日の目を見ることができた。
イラストを担当した人は、最近なにかと Twitter で絡んでくれる『佑真』さんである。まだ先のことは解らないが、これからちらほらお世話になるかもしれない……。

さて、本作はファンタジー作品だが、よくよく考えてみると中世の時代がずっと続いている世界というのはおかしなもので、そういう意味ではこの世界設定はいろいろ矛盾をはらんでいるように思う。もちろんヨーロッパには暗黒時代停滞の時代があり、それらはそれぞれ 200 ~ 300 年くらいである。
しかしファンタジー世界はもうずっとファンタジー世界という印象を抱いている人は多いのではないだろうか?
もちろん、10 世紀頃の一年間と現在の一年間は比較はできない。今の一年間の方が時間あたりの出来事は遥かに多く、中世での 10 年間分くらいの出来事が……いや、それ以上の出来事が現在の一年間では起きているといっても過言ではないだろう。
だからといって、何千年もファンタジーの世界が続くわけでもなく、彼らが住む世界というのは果たしてどれくらい続いてきた(そして続いていく)のだろうか? 作中では聖騎士が魔法使いが宮仕えをしていた時代を振り返るシーンがあるが、その話しぶりは人の寿命よりもはるかに昔のことであるかのように話している。となると 100 年以上前か? いやもっとか? ということは作中に出てくるノーザンブルグという国は 100 年くらいは安寧だったことになる。ファンタジー世界というか中世ヨーロッパでそれはあり得るのだろうか?
なかなか難しい問題のような気がする。

では何千年も続いた時代とはどこになるのかというと、それは四大文明や弥生時代、縄文時代、石器時代と言えるのではないだろうか? その時の世界なら、魔法使いが何の変わりもなく、遙か昔から存在していてもそんなにおかしくはない。

ただその頃の世界というのは、実は解っているようでいてよく解っていない。言葉というものはどうも一部の人間のものだったようだし、人々は自分の心の中に沸く「意志」を神から出たものだと考えていたようだ。かといって自由な会話や発想はなかったのかというと、どうもそう言うワケでもないらしい。
四大文明頃、いったい人間は言葉をどのように扱っていたのか……疑問である。

まぁ、もちろん当時のことなど解りはしないので、周辺の資料を寄せ集めて想像するしかないのだが、構築するにはなかなかハードルが高いなぁと思っている。ボクがずっと縄文~弥生~古墳時代~飛鳥時代をおっかけているのも、その辺に起因している。
またそのへんの時代にボクが執着するのは、その辺りがルーツのキャラクタが、ボクの世界にはけっこうたくさんいるというのもある。彼らが当時何を考え、何を為し、何を生き甲斐として生きてきたのか。そして現代がどのように見えているのか……興味は尽きないのである。

Apoptosis VI / rain forest

「たまにはこっちで泊まりましょうか?」
店で夜を過ごそうと提案したのは、少女の方だった。
どうせ朝になったら店を開けなくてはならない。
「でも、ベッド、一つしかないですよ?」
帰り支度をしながら、トーヤが思案した。とはいえ、別に自分は床に寝てもイイかというアイデアを思いつき、帰り支度をとりあえずやめた。
「一緒に寝ればいいじゃない」
ところが少女の答えはトーヤの予想と異なったものだった。
「え!?」
思わず声を上げる。
「ちょっと狭いけれど、トーヤだって小柄な方だし、私は見ての通り子供だし、きっと大丈夫よ」
そういってベッドルームへと駆けていく。
「せ、先生……」
ちょっと焦りながらも、トーヤが後を着いていった。
二階のベッドルームはシングルのベッドが一つ、ポツンと置いてあるだけの何もない部屋だった。
一応窓辺に、トーヤが生けた花が寂しげに置かれている。
店に飾ろうと、いくつか花も摘んでいたのである。
「ほら、ここのベッドは日光が当たるから、気持ちいいわよ?」
少女が掛け布団に顔を埋めて嬉しそうに笑った。
「ボクは床で寝ます」
そんな少女の言葉を尻目に、トーヤは自分のローブを床に敷き始めた。
「えー……」
少女が悲しそうな表情をして、足をばたつかせた。
その仕草はまさに少女らしい。
「狭いじゃないですか。それに……」
トーヤはなんだか恥ずかしかった。
子供じゃないんだから、一緒に寝るなんて。それに一緒に寝る相手は見た目こそ少女だが、自分が尊敬する……いや、あがめてもいいほどの大魔法使いである。一緒に寝るなど、畏れ多いことこの上ない。
「あ、ひょっとして!」
顔を赤くしたトーヤを見て、少女はポンと手を打った。
ギク。
トーヤが焦る。
「私に恋しようとしたって、ダメよ!」
ところが少女の言葉は、トーヤにとっては見当違いの応えだった。
でも、少なくとも少女は真剣なように見えた。
恋愛ごとに関しては、この目の前の少女はすごく疎いことをトーヤは何となく感じていた。
少女が自分の何倍生きているのか皆目見当は付かないが、こと色恋事とかその営みのことになると、まさに見たとおりの少女のようなあどけなさと未熟さを見せるのだった。
しかも当の少女は、それで自分が今まで見てきた常識と言わんばかりに振る舞うので、こればっかりはトーヤも苦笑してしまうのだ。
「はいはい、別にそんなんじゃないですよ」
なんだか逆に自分の方がイニシアティブをとった気になったトーヤは、少女のことなど無視して、寝る準備をする。ローブを敷いて、それから上着を脱いで、持っていたバッグで枕をこしらえる。そして寝心地を確かめるように横になった。
「む……」
納得がいかないのは少女の方である。
てっきりトーヤが自分のことを異性として認めてくれているのかと思い込んでいた所に、この仕打ちである。
自分のことをさっさと無視して床に寝っ転がるとは何事か。
少女はそのままトーヤの上にダイブした。
「わっ!」
「この───! 一緒に寝なさいって言ってるでしょっ!」
ジタバタとトーヤの上で少女が転がる。
「べ、別にボクは床の上でも大丈夫ですから……」
もう、すごい人なんだか幼稚な人なんだか、子供なんだか大人なんだか……。
「私と一緒に寝られないって言うの?」
トーヤに馬乗りになると、むーっと口をとがらせて、少女はトーヤの顔をのぞき込んだ。お互いの唇が触れるくらいまで二人の顔が接近する。
たぶん何を言っても、今の少女には通じないかもしれない。
でもそれは、彼女なりの愛情の表し方なのかもしれない。
「はいはい」
相手をするのも面倒になったトーヤは、起き上がった。
「もっと嬉しそうにしなさいよー、稀代の魔法使いが一緒に寝てやるって言ってんだから!」
そういう問題かなぁ……とトーヤは心の中でつぶやきながらもベッドに移動してみた。
なるほど、敷き布団も毛布も太陽の香りがほんのりとしみていて、心地よかった。
そして何よりも柔らかい。
少女がこのベッドで寝るように勧めた気持ちを少し理解して、トーヤは心の中で少女に謝った。
「えへへー!」
あとから入ってきた少女が、トーヤの胸元に顔を埋めて嬉しそうに笑った。
何が嬉しいのか……トーヤはちょっと解らなかったが、稀代の魔法使いがこういう笑顔をするというのは、実はいいことなのかもしれないと思った。
そしてこんな些細なことで、この小さな魔法使いが喜んでくれるのなら……とトーヤは思った。
以前少女は、世捨て人とか、人との関わりに愛想を尽かしたとか言っていた。
でも実は、そうでもないのかもしれないとトーヤは思うのだった。
だって自分のような弟子をとってくれたのだから。
トーヤはそう思うと、なんだか嬉しい気持ちがこみ上げていた。
「明日は、またお客さん、いっぱい来ますよ」
トーヤがささやくように少女に話しかける。
少女はもう寝てしまったかもしれない。
トーヤはさして答えを期待してはいなかった。
「じゃぁ断り方を、私が教えてあげる」
半分寝ぼけたような呂律のハッキリしない声。
「はい、お願いします」
でもトーヤはハッキリと少女にそうお願いした。
「うんうん……」
聞いているのか、聞いていないのか、少女の声はますます曖昧だった。
「おやすみなさい、先生」
最後は声に出さずに、トーヤはそっと心の中で少女に話しかけ……そしてゆっくりと目を閉じるのだった。

Apoptosis V / rain forest

夜の零時を回った頃、少女がやっと大鍋の火を落とした。
調合部屋は薬草を煮出した臭いで充満していて、その臭いは慣れない者が嗅いだら頭痛を憶えてしまうかもしれない。
調合部屋には大小様々なガラスでできた入れ物──いわゆるフラスコや試験管といったようなもの──そしてすり鉢にすりこぎ、一見何に使うのか解らないような装置群、顕微鏡のようなもの……などなどが所狭しと並べられている。
これらのものは実はトーヤ自身はあまり好きではなかった。臭いにも未だに慣れないし、そもそも虫の死骸とか干したイモリの死骸とか、場合によっては動物の死骸を使うこともあり、血が苦手なトーヤにとってこの調合というものは精神的に耐え難いものでもあった。
せめてもの救いは動物の標本とか、なんか化け物の心臓とか、そういうスプラッターなものがないことである。
「薬の調合くらいで音を上げていたんじゃ……」
少女が呆れて溜息をつく。
魔法には犠牲がつきものである。
術者が様々な魔法の恩恵にあずかれる代わりに、様々なものが犠牲になる。それは物質であったり、命であったり、術者自身であったり。
「本当に魔法使いになりたいの?」
少女の愚痴はまだ続く。
「………」
トーヤはうまく答えられずにうつむく。ただ黙々と、少女から貰った薬品を小瓶に分けていく。
トーヤの脳裏には、薬草を採るのを手伝ってくれた動物たちの顔が焼き付いていた。
自分や少女に協力をしてくれたあの動物たちだって、魔法に必要とあれば……。
その先を想像しそうになってトーヤはブンブンと首を振った。
「何を考えているの?」
不意に首を振るトーヤの頬を少女が両手で抑えた。
小さな手。
温かくて、柔らかくて、本当につたない子供の手。
少女は背伸びをして、トーヤの頬を抑えていた。
「私の話、ちゃんと聞いてるの?」
少女がまっすぐとトーヤの目を見つめる。
金色の瞳。
その中に浮かぶ、漆黒の瞳孔。
「命までかけて私のところに来たのに……犠牲を払うことをちゃんと知っているのかと私は思ったのよ?」
あのとき。
森の中で迷い、疲れ、食糧も尽き、何もかもが終わったように思ったとき。
それでもトーヤは終わったなどとは微塵にも思っていなかった。
指先一つ動かせなくなって、森の中で倒れたとき、前方に飢えたオオカミが見えても、トーヤは何も恐れることはなかった。
この森に住む魔法使いがきっと自分を助けてくれると信じていたから。
「バカ」
トーヤが目を醒まして最初に聞いた言葉が少女の、その言葉だった。
結局、少女はトーヤとの根比べに負けてしまった。
そして倒れたトーヤを救ってしまった。
それがこの二人の奇妙な師弟関係の始まりである。
「でも……やっぱりどんな小さな虫だって生きているし……」
トーヤの応えられる精一杯の答えだった。
そしてその後に続けたかった言葉があった。
あの動物たちの命を、魔法で必要となったら奪えるのだろうか……と。
でもさすがにそんなストレートなことをトーヤは聞くことが出来なかった。
「見かけだけの優しさ」
少女はトーヤの頬から手を離すと、プイッと後ろを向いてしまった。
え?
声には出なかったが、トーヤは驚いて顔を上げる。
見かけだけって……?
「じゃぁ、先生はあの動物たちを魔法のために殺したり出来るんですか……っ」
言ってしまってから、慌てて口を噤(つぐ)んだ。
慌てて少女から視線をそらす。
すると少女がゆっくりと振り返ると、興味深そうにまたトーヤに歩み寄った。
「ふ~~~ん」
そしてトーヤの顔をのぞき込む。
「そんな可愛いこと考えてたんだ?」
トーヤの困った表情を見て、ケタケタと笑った。
「………ど、どうせ」
トーヤは唇をとがらせる。
「もう……何年前になるのか……残念ながら私は、自分が駆け出しだった頃の記憶というのはほとんどないの」
すると少女はまたトーヤに背を向けると、冷え始めた大鍋の中身をかき混ぜる。
「でも確かに、トーヤみたいに優しい心を持っていたら、そう思うのも自然なのかも」
その少女の声はさっきよりは落ち着いていた。
「でもね、魔法使いって何だと思う?」
その問いは、どういう意味だろうか?
トーヤはそもそも質問の意味がわからなかった。
魔法使いとは、魔法を使う人のことを言うのではないのだろうか?
でもトーヤはもっと哲学的な、もっと根源的なことを聞かれているような気がしたのだ。
「魔法を使うのが、魔法使いだと……思います」
でもトーヤはそれしか答を持っていなかった。
「うん、正解」
すると少女はトーヤに背を向けたまま、そう答えた。その声はさっきよりも優しい。
トーヤは心の中で胸をなで下ろす。
「けど……」
しかし少女は言葉を続けた。
「魔法を手にすることは、この世界の理(ことわり)に干渉できる力を手に入れたのと同じことなの。トーヤが生まれもってきた、その身体以外に別の力を手に入れたことなの」
持って生まれた性質以外の、まったく異なる性質を手に入れたこと。そしてその性質を行使すること。
それが魔法使い。
「そしてそれを獲得すると言うことは、今私たちが住んでいるこの世界、そして社会にある一つの責任を背負ったことにもなるわ」
「責任?」
「それはもちろん魔法に限ったことではないけれど……魔法を手にすると言うことは、その責任がすごく大きいと言うことなの」
「ど、どんな責任なんですか?」
トーヤは想像が付かなかった。
魔法を手に入れたコトによる責任。それは重いものなのか、大変なものなのか……? そもそもどういうものなのか?
「あの動物たちを見たでしょう? 彼らは私を慕ってくれている。私の役に立とうと一生懸命。どうしてだと思う?」
「それは……」
先生がこの森を管理なさっていて、この森の平和を作ってくださっているから。
トーヤは素直に応えた。
「正解。それが私の責任だから」
そして少女はニッコリと笑った。
「あ……」
「そして、その責任において、彼らの命が必要ならば、彼らはその意味を知識としては理解してくれないかもしれないけれど、本能で悟ってくれるわ」
「だから私は、何の躊躇いもなくその命を頂戴するの」
「この虫たちの命も、薬草たちの命も、今日トーヤが作ってくれた料理に使われた鳥の命も、全ては私、そしてトーヤの魔法使いとしての責任の結果なのよ」
そうだった、そういえば今日は村で鶏肉を仕入れて、それを調理したのだった。
森の動物たちのことは思い出しても、鳥のことを思い出さないなんて……。
「だから、見かけだけの優しさって言ったのよ。トーヤは自分が気にしているところしか気にかけてない。命は遍く広く存在していて、トーヤが気付かない所でも失われてしまっている」
「………」
「そして、トーヤ、貴方は魔法を使う道を選んだのよ? その選択の意味を、もう少し考えて欲しいわ」
少女は振り返ると、もう一度トーヤの両頬をおさえ、トーヤの瞳を見つめた。
その目は優しくも、真剣で、そして何よりもトーヤの心の中を見透かしているような……そんな瞳だった。

Apoptosis IV / rain forest

「は~~い、おしま~~~い」
悪戯好きのピクシーから紫蘇の葉っぱを取り上げた所で、遥か後ろの方から風に乗って少女の声が届いてきた。
「あ、はーい」
何とはなしに、トーヤも返事を送る。
その声が届いたのかどうかトーヤには解らなかったが、すぐ真後ろにいつの間にか少女が立っていた。
手一杯の薬草を抱えて……かと思うとそんなことはなく、この沢に着いたときのそのままの格好でちょこんと立っているのだった。
「はい、まとめてまとめて」
少女はトーヤが肩から提げていたバッグに、次から次へと薬草を入れる。
その薬草はいったいどこにあったのだろう?
次々と少女の手に薬草が現れては、トーヤのバックにおさめられる。
でも量はそんなに多いワケじゃない。
山椒、莱、杜仲、紫蘇系のハーブ、アロエ、よく解らない根っこ類、キノコ類、それから……。
虫類……。
いくつかの虫の死骸を入れる所で、トーヤは反射的に後ずさりしてしまうのだった。
「さて、と……じゃぁ、今度はお店に行きましょう」
少女がまた一瞬で呪文を完成させる。
すると少女の周囲に風が巻き起こるのが解る。
時間はすでに夜の六時を回っていた。
この辺の日の入りは、今の季節、午後の一〇時を回った頃。
まだまだ森は明るい。
「今日とれた分は、今日のうちに下ごしらえをしておかないとね」
少女はトーヤの腕をとると、空に舞い上がった。
その腕が引っ張られるよりも前に、トーヤの身体ごとふわりと空中へ投げ出される。
しばらくの間、何匹かのオオカミと鹿、そして鳥たちが追随していたが、数百メートルも走ると、彼らは立ち止まって二人を見送った。
動物たちの姿が見えなくなると、少女は高度を上げ、森の上へ抜ける。
木々を越えると、この森がいかに広いかを思い知らされる。
地平線ならぬ、木平線とでも言おうか。
一面ずっと森が続いている。
東西南北。
ただ、北の果てはわかる。
遙か北には、巨大な山脈が空を支えるように横たわっているからだ。
そして森はその山々まで続いている。
所々開けている所は湖や沼、広い沢がある場所である。
あとは本当に一面の森なのである。
少女は木の上すれすれのところを低空飛行する。
これには理由があって、あまり高い所を飛ぶと、ドラゴンに発見されてしまうからだという。
かといって森の中は進みづらい。
障害物を気にせず急ごうとすると、この木々の上、すれすれのところを飛ぶのが良いのだという。
もっともこの森の南限にある店と少女の根城は魔法の力でつながっている(Dimension Door)。
トーヤが店番をするときは、森を通らずに魔法の力を使って一瞬で店と少女の家とを行き来する。
けれど、こうやって時々、森を通ることによって、普段解らないこともいろいろ知ることが出来ると少女はトーヤに教えた。
木々の様子。
そこで育まれる動物たちの様子。
それらを肌で感じることが大事なのだと、少女はトーヤに説いた。
「一見何も変わっていないように見えても、森は刻一刻とその表情を変えているものなのよ?」
舌足らずな横に伸びた少女の声。
その言葉に誘われるように、トーヤは森を見渡すのだった。
それから静かな時間が過ぎる。
本当はこうして飛んでいる間も、トーヤは少女に色々と教わりたいことを話しかけるのだが、ほぼ一日中薬草を集めていたので、喋る元気がなくなっていた。
雲ごしに見える太陽は少しずつ傾いていて、夕方を迎える頃、森の切れ目が前方にやっと見えてきた。
その先は草原と、一本の道。
そして森の終わりにはささやかで小さな村があった。
時刻はもう夜の八時を過ぎていた。
いくつかの家の煙突からは、煙が立ち上っている。
「なんかいいにおいがしてきますね」
トーヤがやっと口を開いた。
「そういえばお腹すいたわよね」
少女も笑顔を浮かべて応える。
「何か作ります」
今日の食事当番は少女の方だったが、行きも帰りも少女の魔法に頼ってしまったことに気付いたトーヤは、食事当番を立候補した。
「あら、楽しみね」
少女は嬉しそうに笑うと、トーヤの頬に軽くキスをした。
そして二人はゆっくりと高度を落とし、村の一kmほど手前で森の中に降りる。ここからは歩いて行く。
いきなり空から村に入ってきたら、村中の人を驚かせてしまうからだ。
それにここまで村に近付けば、この森の中にも村人達が作った道がいくつかあるのだ。
村に着くと、さっそく二人は店を開けた。
ランプに明かりをともし、入り口のカーテンを開ける。
ペンダラム・ハーブと書いてある木の看板は、雨風にさらされてずいぶんとすり切れてしまったいた。
それでもこの店は、この村のみならず、この地方一帯の冒険者達にはなくてはならない薬屋なのである。
店は二階建てで、売り場とその奥に調合部屋、二階はちょっとした寝室とリビングがある。
村の一番北側に位置し、店の向こうはすぐ森が広がっているのだった。
やがて店の煙突からも、モクモクと煙が立ち上り始める。

Apoptosis III / rain forest

それからどれくらい飛んだだろうか。
時間にしてみたらそう長いこと飛んでいないことを、トーヤは何となく陽の傾きから知った。
でも移動距離は半端じゃない。
フォルホクの沢は北に五〇kmは飛ばないとつけない、トーヤが薬草を採りに行く場所としては最も遠い沢の入り口だった。
普段のトーヤなら、ここに来るだけで三~四時間はかかってしまう。雨の降っていない日を選んで、午前中に出発しないと来られない場所だ。
もっともこの森自体は、ここからさらに五〇km北に進んでも終わることがない。実際、トーヤ自身もこの森がどこまで続いているのか皆目見当が付かないくらいこの森は広大なのだった。
「ん~~~~……っ!!」
少女が長い金色の杖を振りかざして大きく伸びをした。
飛んでいる間にいくつか跳ねた水滴が、彼女の髪の毛をつたってキラリと光る。
天は相変わらずの曇り空。
けれどもここは少し森が開けていて、幾分明るかった。
フォルというのは落ちるという意味があって、ホクは集まると言う意味らしい。
確かにこの辺りは丘陵になっていて、地面が落ち込んだ所で幾つもの沢が合流しており、トーヤ達の目の前にささやかな沼を創り出している。だから森が少し開けているのだった。
ただ湖と言うほどは大きくはない。
ここにはシダや広葉樹達の間にたくさんの薬草に使える植物が所狭しと自生している。
豊かな水と、ささやかではあるが森の中よりも太陽の光が届くからだろう。
沼の周囲は湿地のような状態になっており、普通に足を踏み入れるとズブズブと底なし沼のように沈んでしまう。
ここでは空中浮遊の呪文が欠かせない。
「さて、じゃぁさっそく摘みましょうか」
少女はそういうとまた二、三言呪文を唱えた(Plant Control, Detect Magic, Speak with Animals)。
それは一瞬の出来事で、トーヤにはまったくもって理解できなかった。
そもそも少女の呪文は速すぎる。
トーヤが一分や二分かけて行うような魔法も、少女はほんの数秒で、いや場合によっては一秒もかからずにかけることが出来るのだ。
その魔法の仕組みそのものを、トーヤはまだよく解っていなかった。
「何ボーッとしているの?」
少女がトーヤに歩み寄ると、下からトーヤの顔をのぞき込んだ。
「あ……いえ、なんでもないです……」
慌ててトーヤが顔を背けて視線をそらす。
「なによなによ?」
すると少女がトーヤの顔を追っかける。
「な、なんでもないですってば~~~」
今度は少女を押しのけようとするが、トーヤの腕は空を切るだけ(少女の身体は何重もの魔法障壁に守られており、普通に触れるだけでも困難である→ AC:-24)。
「わわっ!」
バランスを崩して危うく転びそうになるが、まだ飛翔の呪文が残っているせいか、勝手にバランスを取り直し、トーヤはくるんと身体を回転させて、また元の立ち姿勢に戻った。
「あぶないあぶない……」
額の汗をぬぐうと、フゥと溜息をつく。
「まったく、何を考えていたのかしら……」
少女は呆れると、沼の縁にそって歩き始めた。
「あ、ま、待ってくださいよ~」
トーヤがあとを追う。
「わっ……」
そこで自分の前を歩く少女の姿を見て、トーヤは思わず立ち止まった。
少女の向かう先には、いつの間にかたくさんの動物が立っていた。
まるで少女が来るのを待っていたかのように。
空を見上げれば、鳥たちも悠々と空を旋回していた。
トナカイに野ウサギたち、クマやキツネにオオカミ。足許に目をやれば、小さなハリネズミなんかもいる。
絶対に一緒にいるはずのない動物たちが、少女を取り囲んでいた。
「ありがとう。でも、あなたたちはあなたたちのことをしてていいのよ?」
嬉しそうに笑う少女。
「もし暇なら、薬草の場所を教えて?」
その言葉をちゃんと理解しているかのように動物たちはそこここと薬草のある場所へ走っていく。
「トーヤ、手分けして摘みましょう? でも、全部とっちゃダメよ?」
「わ、解ってます」
少し圧倒される。
けれどこれが少女の力。
そして少女がいかに森にとって大切な存在か。
また、森がいかに少女を大切にしているか。
その証だった。

Apoptosis II / rain forest

霧雨の晴れた森はなんだか少し色が違っていた。
明るい緑。
空は曇っているのに、葉々はまるで新緑に戻ったかのように生き生きとしている。
それでも地面はまだまだ湿っていて、足で踏みしめるとたくさんの根に絡め取られた土からじわっと水が滲み出す。
この地面が乾くことなど、過去もそして今も、これからもないだろう。
トーヤは靴紐をしっかりと結び直すと、振り返って扉の奥に声をかけた。
「早くしないと、またすぐに降ってきてしまいますよ?」
トーヤの後ろには巨大な幹がそびえている。
その幹には蔦が幾重にも絡まり、それらは苔で覆われていた。
そして幹の中央に、人一人分通れそうな穴が空いており、そこにはささやかな木の扉がつけられているのだった。
『創世の森には魔術師が住んでいる』
誰がそう言い出したのか解らないが、この森に魔法使いが住んでいるのは本当のことで、そしてここがそのささやかな根城だと言うことを知っているのは、世界広しといえどもトーヤぐらいなものだろう。
「お待たせ」
程なくすると一人の少女がその扉から姿を現した。
年の頃は一〇歳くらいだろうか? トーヤの胸元にも及ばない。
つたなく小さな手、おぼつかない足どり。
手には自分の二倍はあろうかという金色の杖、着ているローブは長すぎて地面の上を引きずっている。だが不思議とそのローブは汚れていなかった。
「薬草をとってから、お店に行きましょ?」
少女はそう言いながらもいくつかの魔法を使う。トーヤに話しかけながらも、その合間合間につぶやくような言葉が続いていたことをトーヤは聞き逃さなかった。
つぶやきが終わると杖が何度か明滅し、少女の身体が光ったりトーヤの身体が光ったりした。
「はい」
少女が自分の隣まで来るのを待ってから、トーヤは左手を差し出した。
少女がその左手をしっかと右手でつかむ。
ほぼ同時に巨大な幹にあった入り口は跡形もなく消え去った。
そこには巨大な木が天高くそびえているだけだった。
「留守番、よろしくね、ムーン」
振り返るでもなく、少女がつぶやいた。
「はい、ご主人様」
するとどこからとも無く声が降り、二人の真上の枝を揺らして一匹の黒猫が顔を出した。
そして得意気に一鳴きすると、また枝の中に隠れてしまった。
それを見届けると、トーヤがグンと地面を蹴った。
トーヤの周囲の空気が動き出し、まるでトーヤを上へ押し出すかのように下に集まると、トーヤの跳躍とともに一気に上へと流れ出した。
同時にトーヤとそして少女の身体がふわりと浮く。
「あら、うまくなったじゃない」
ローブを風にたなびかせながら少女が嬉しそうに笑う。
「フォルホクの沢まで行きます」
少女の褒め言葉にうまく反応できなくて、トーヤはぶっきらぼうに行き先を告げるとそのまま空(くう)を切って、目指す方向へと飛び立った。
少女がそんなトーヤを見透かしてクスッと笑うが、魔法で手一杯のトーヤにそれをかまう余裕はなかった。
風がトーヤと少女を受け止めて、そして遠くへ飛ばす。
でも森より高くは飛ぶことはない。
あくまでも木々の間をぬって進む。
風は湿っているから決してこの飛行が爽快とは言い切れないが、それでも葉々の香りで充満していて、なんだか心地よい。
それになんといっても、雨が降っていないのがイイ。
雨の中を飛ぶと、歩いているときよりも何倍も濡れてしまうのだ。
途中、トーヤ達に気付いた鳥たちが併行する。
二、三言少女と言葉を交わすと、鳥たちはまたどこかへ飛んで行ってしまう。
「当分雨は降らないみたいよ?」
鳥たちに聞いたのだろうか?
少女はトーヤにそう教える。
「は、はい」
でもどうやらトーヤの方はそれどころではないようだった。
「高所恐怖症だもんね~。怖いんでしょ~~~?」
少女がトーヤの腕をギュッとつかむと、顔を寄せてきた。
「そ、そんなこと……」
ない!
と否定したくて、なんとなく下を見る。
たかだか五メートルそこそこの所を飛んでいるはずなのに、眩暈すら憶える。
空を飛べるようになったからといって、別に高い所が平気になるわけではないようだった。
「わっ……わっ……わわっ…!!」
その瞬間、飛行が不安定になる。
「あのね……」
少女は呆れて溜息をついた。
「怖いものは怖いんですよぉ!」
慌てて体勢を立て直しながら、トーヤが子供の悲鳴にも似た声を上げた。
「あ」
ふらついていたトーヤの姿勢がなんとか定まった時だった。
少女が短い声を上げる。
「え、なに?」
の「に」の辺りでトーヤの声が途絶えた。
同時に響く鈍い音。
トーヤは姿勢を立て直すのに精一杯で、前方に木が迫っていたことに気付いていなかったのだった。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
言葉にならないうめき声が木の根元から聞こえてくる。
「ちゃんと前を見なさいよ……」
一方の少女はと言えば、空中にふよふよと浮いている。
「き、気付いてたんなら、教えてくださいよぉ……」
ぶつけた頭をおさえながらトーヤが涙声をあげた。
「うーん、教えてたらたぶん落っこちてたかなぁ」
体勢を立て直している所で、前方に迫っている木のことを教えたら、今度は回避行動で墜落していたかもしれない。
「先生が高所恐怖症なんて言うから……」
トーヤはやっと起き上がると、長い溜息をついた。
「まさかあそこまで取り乱すとは思わなかったのよ」
少女はクスクスと笑いながらトーヤの足許に降り立った。
「さ、気を取り直して、行きましょ?」
「はい……」
元気のない返事。
無理もないかと少女は苦笑する。
魔法は交代。
結局少女が飛翔の呪文を唱えることとなった。
「────……───!!」
トーヤには聞き取れない発音の言葉。
遙か昔に滅んでしまった言葉だと、少女が前に言っていた。
すると、先ほどとは較べものにならないほどの空気が少女の元に集まってくる。
力強く、鋭い風。まるで少女を中心に、風が落ち込んでいるかのよう。
木々がざわざわと揺れ動き、周囲のものが風で少女に引きつけられているかのようにまあるく歪んだ。
「じゃぁ行きましょうか」
今度は少女が小さな手をトーヤにさしのべた。
「はい」
トーヤも手を差し出す。
その手に触れるが早いか、背中を押されるような風が二人を襲った。
そしてなんの抵抗もなく二人は空中へと持ち上がり、一気に森の中を突き進んだ。
トーヤがぶつかった木はあっという間に見えなくなり、耳をつんざくような風切り音に包まれる。
「は、速すぎですよぉ……!!」
しかしそんなトーヤの声もまるで置いて行かれるような速度だった。
枝という枝、幹という幹が迫ってきては目前で左右へと別れていく。
実際は自分たちが避けているのだが、あまりにもスピーディで、木々や枝の方から避けているようにトーヤには見えた。
一方の少女はと言えば、気持ちよさそうに目を細め、そして髪とローブをたなびかせながら飛行を楽しんでいる。
途中で出会う枝に時折触れると、何か蛍の光のような小さな光体が少女の身体を行ったり来たりするのが解る。
この高速移動の最中にも、少女は木々達とコミュニケーションをとっているのだった。
「北の湿地に新しいドラゴンが住み着いたって。一悶着ありそうね」
「あら、キツツキの親子が迷子に?」
「あのフクロウ、また餌をとれなかったのね……」
森で起きたあらゆることが、少女の元に届けられる。
彼女はこの森の管理者でもあるのかもしれない。

Apoptosis I / rain forest

しとしとと降り続ける雨は、どんよりとした空気を生み出す。でもそれが毎日のこととなると、それがそうでもない。逆に、一見どれも同じように見えるこの霧雨も、実は様々な表情を持っていることに気付くだろう。
霧雨は地面に、木々に、まるで降り積もるかのように、優しく降り続いている。
「でも、午後には止むかもなぁ。」
手のひらに積もった水滴をなぞりながら、トーヤはつぶやいた。人差し指が小さな水滴をつぶしていく。
霧雨はほとんど音がしない。
ただ滴の垂れるわずかな音が聞こえてくるだけ。
目の前に広がる広大な森は、この霧雨に包まれて、ただただ静かに横たわっている。
「あんまり長いこといたら、濡れちゃうな……。」
肩に積もった水滴を払いながらトーヤはすぐ後ろの扉に手をかけた。
ギィと木製の扉がきしむ音がして、それはゆっくりと開いた。すると扉の向こうからは紅茶とミルクのにおいがすーっと流れ出してくる。
「トーヤ、紅茶飲まない?」
同時に少し舌足らずな声が、向こうから続いた。
「あ、いただきます、いただきます。」
トーヤは慌ただしく扉を開け、紅茶の香りの発生源へ向かって走った。
木の枝を編んで作ったもう一つの扉を抜けると、紅茶のにおいがいっそう強くなる。
同じく木のテーブルには紅茶とミルク、そしていくつかの木の実がお皿に載せてあった。
テーブルも木ならば、ティーカップもお皿もそして小さなフォークまで木で出来ている。よくみると、ポットも木とガラスであった。
「お砂糖はどうする?」
ティーポットを持っている小さな女の子はちょっと息を切らしているトーヤの方を振り向くと、悪戯っぽく笑った。
年の頃はまだ十歳くらいだろうか。長いローブは彼女の身長よりも遙かに長身で、裾はズルズルと床の上を這っている。
見た目こそ子供だが、その瞳は子供のそれではない。焦点の定まったその黄金の瞳は、まるで竜の瞳のようだ。
「どうしたの、トーヤ?」
しばらくその瞳に見入っていたトーヤだったが、少女のその舌っ足らずな声で我に返る。
あの金の瞳を除いては、この目の前の少女は本当にただの少女なのである。
「あ、砂糖はいいです」
トーヤは帽子を脱ぐと、木のイスに腰掛けた。
「あら、珍しい。いつも甘くないとダメって言うくせに」
少女がケタケタと笑って、手に持っていたティーカップをトーヤの前に置いた。
すぅっと紅茶の香りがトーヤの鼻をくすぐる。
「昨日いただいたばかりのキルケの葉っぱよ」
少女はもう一つのカップに紅茶を注ぎながら嬉しそうに目を閉じた。
その一つ一つの動作はまるで大人の女性のよう。自分よりも遙かに背が小さいのに、とトーヤは心の中でつぶやいた。
「まだ前の紅茶が残ってるのに、もう開けたんですか?」
確か南の領主から最高級の葉をもらって、それはまだ残っているはずだ。
「今のがなくなるまで待っていたら、味が落ちてしまうじゃない。どっちも美味しいうちに楽しまなくちゃ」
少女は笑うとトーヤの向かいのイスに腰掛けた。それは彼女の身長に合わせたイスで、トーヤの座っているイスよりも座面が高い。
トーヤがこの家に住む前は、テーブルもイスも、様々な家具がこの少女に合わせて作られていたのだが、トーヤがやって来てからというもの、なにかと頭をぶつけたり家具を壊したりするので、ついに少女は根負けしてサイズをトーヤの方に合わせたのであった。
「あ、おいしい……」
紅茶を一口飲んだトーヤは、思わずそんな声を上げる。柔らかくて厚みのある味わいが口の中に広がっていく。そしてほんのりと甘い。
「ほら、もらいたては美味しいでしょう?」
少女は得意げに胸を張った。
「ですね。」
トーヤも笑顔でうなづくと、ミルク瓶を手にとって紅茶に少し入れた。甘い香りが、紅茶の香りにプラスされる。
「外はどうだった?」
少女がもう自分のカップに二杯目の紅茶をつぎながら問いかける。
「雨は止みそうですよ、この分だと普通に森の中を歩けるかも」
「じゃぁ雨が上がったら、少し葉を摘みに行きましょうか」
「うん、それがいいです」
トーヤは嬉しそうに返事をした。
「葉が集まったら、さっそく薬を作らないと……」
そしてそう言葉を続ける。
「あら、足りないの?」
「はい、打ち身の薬と怪我の薬、あと痛み止めと熱冷ましと……あ、火傷のアロエも切らしてたかなぁ」
トーヤは指を折りながら、棚に並んでいる薬瓶の数を思い浮かべた。擦り傷や切り傷の薬と痛み止めは、冒険者のみならず、普通の家庭でももっとも使われる薬であるため、すぐに売り切れてしまうのだ。
「この間補充したばっかりなのに……」
少女はちょっと呆れ気味にため息をついた。
「軽い症状の時でも売ったりしてるんでしょ!」
そしてテーブル越しに上半身を乗り出すと、トーヤに詰め寄った。
「え……と……それは……」
どうなんだろう……。
トーヤは戸惑った。
薬を買いに来る人たちは皆、困っているからトーヤの元へ来る。そんな苦しみ、痛みを訴える人たちに「これくらいなら薬はいりませんよ」と断ることがなかなか出来ないのも事実であった。
「いい? 何度も言うけど、薬に頼るとね、人の体って弱くなるの。そりゃ、薬がないとダメな場合は別だけど……でも自然に治るようなちょっとした怪我や病気に薬を使うのは良くないのよ!?」
舌足らずな声がキンキンとトーヤの耳に響く。
もう耳にタコができるぐらい聞き飽きた言葉だ。
「わ、わかってるよう!」
解ってはいるんだけど……とトーヤは心で続けながら、薬が必要そうでもなかった人たちの顔を思い浮かべた。
「もう……」
戸惑うトーヤの表情を見て、少女はまたため息をついた。でもそのため息は、先ほどのそれと比べると、少し優しい。
「優しさがね、時によってはその人のためにならないことだってあるんだから……」
その人のためを思って優しくすることが、その人に悪い影響を与えてしまうことはある。
そして、回り回ってそれが優しくした方に影響することも……。
「ま、今のトーヤに言っても、解らないかもしれないけどぉ」
「な、なんですかぁ……」
今度はトーヤがカップを置いて、身を乗り出す。
「べっつに~?」
少女は悪戯っぽく笑うとポットに残っていた紅茶を全て自分のカップに注いだ。
二人の間に湯気が香り立ち、トーヤはその香りに惹かれるように身を引いた。
「たしかにトーヤにお店を任せてから売り上げいいもんね~~」
「う……」
「それだけたくさん薬が出回ってるってコトよね~♪」
「ギクギク!」
「でもでも、やっぱり断るなんて出来ない……」
ついに観念してか、トーヤは正直に吐露した。
「処方を考えるのも貴方の役目でしょう、トーヤ?」
「う、うん……」
「じゃぁ、薬にはならないけど無害なヤツとかテキトーに混ぜとけばいいじゃない」
「え゛……」
それって、ウソをつけって言うこと??
トーヤはそう思ったが、声には出せなかった。
「その人がその薬に侵されるよりは、全然いいと思うけど。それに何のために魔法の勉強をしているのよ?」
「でも……」
「これから少しずつやっていけばいいじゃない。とにかく、無闇矢鱈と薬を勧めるのはダメよ!」
少女は身を乗り出すと、念を押すようにトーヤの額を人差し指でぐいっと押す。
「は、はい」
自信はないけど……と心で思いながらも、トーヤはコクリと頷くのだった。