Apoptosis I / rain forest

しとしとと降り続ける雨は、どんよりとした空気を生み出す。でもそれが毎日のこととなると、それがそうでもない。逆に、一見どれも同じように見えるこの霧雨も、実は様々な表情を持っていることに気付くだろう。
霧雨は地面に、木々に、まるで降り積もるかのように、優しく降り続いている。
「でも、午後には止むかもなぁ。」
手のひらに積もった水滴をなぞりながら、トーヤはつぶやいた。人差し指が小さな水滴をつぶしていく。
霧雨はほとんど音がしない。
ただ滴の垂れるわずかな音が聞こえてくるだけ。
目の前に広がる広大な森は、この霧雨に包まれて、ただただ静かに横たわっている。
「あんまり長いこといたら、濡れちゃうな……。」
肩に積もった水滴を払いながらトーヤはすぐ後ろの扉に手をかけた。
ギィと木製の扉がきしむ音がして、それはゆっくりと開いた。すると扉の向こうからは紅茶とミルクのにおいがすーっと流れ出してくる。
「トーヤ、紅茶飲まない?」
同時に少し舌足らずな声が、向こうから続いた。
「あ、いただきます、いただきます。」
トーヤは慌ただしく扉を開け、紅茶の香りの発生源へ向かって走った。
木の枝を編んで作ったもう一つの扉を抜けると、紅茶のにおいがいっそう強くなる。
同じく木のテーブルには紅茶とミルク、そしていくつかの木の実がお皿に載せてあった。
テーブルも木ならば、ティーカップもお皿もそして小さなフォークまで木で出来ている。よくみると、ポットも木とガラスであった。
「お砂糖はどうする?」
ティーポットを持っている小さな女の子はちょっと息を切らしているトーヤの方を振り向くと、悪戯っぽく笑った。
年の頃はまだ十歳くらいだろうか。長いローブは彼女の身長よりも遙かに長身で、裾はズルズルと床の上を這っている。
見た目こそ子供だが、その瞳は子供のそれではない。焦点の定まったその黄金の瞳は、まるで竜の瞳のようだ。
「どうしたの、トーヤ?」
しばらくその瞳に見入っていたトーヤだったが、少女のその舌っ足らずな声で我に返る。
あの金の瞳を除いては、この目の前の少女は本当にただの少女なのである。
「あ、砂糖はいいです」
トーヤは帽子を脱ぐと、木のイスに腰掛けた。
「あら、珍しい。いつも甘くないとダメって言うくせに」
少女がケタケタと笑って、手に持っていたティーカップをトーヤの前に置いた。
すぅっと紅茶の香りがトーヤの鼻をくすぐる。
「昨日いただいたばかりのキルケの葉っぱよ」
少女はもう一つのカップに紅茶を注ぎながら嬉しそうに目を閉じた。
その一つ一つの動作はまるで大人の女性のよう。自分よりも遙かに背が小さいのに、とトーヤは心の中でつぶやいた。
「まだ前の紅茶が残ってるのに、もう開けたんですか?」
確か南の領主から最高級の葉をもらって、それはまだ残っているはずだ。
「今のがなくなるまで待っていたら、味が落ちてしまうじゃない。どっちも美味しいうちに楽しまなくちゃ」
少女は笑うとトーヤの向かいのイスに腰掛けた。それは彼女の身長に合わせたイスで、トーヤの座っているイスよりも座面が高い。
トーヤがこの家に住む前は、テーブルもイスも、様々な家具がこの少女に合わせて作られていたのだが、トーヤがやって来てからというもの、なにかと頭をぶつけたり家具を壊したりするので、ついに少女は根負けしてサイズをトーヤの方に合わせたのであった。
「あ、おいしい……」
紅茶を一口飲んだトーヤは、思わずそんな声を上げる。柔らかくて厚みのある味わいが口の中に広がっていく。そしてほんのりと甘い。
「ほら、もらいたては美味しいでしょう?」
少女は得意げに胸を張った。
「ですね。」
トーヤも笑顔でうなづくと、ミルク瓶を手にとって紅茶に少し入れた。甘い香りが、紅茶の香りにプラスされる。
「外はどうだった?」
少女がもう自分のカップに二杯目の紅茶をつぎながら問いかける。
「雨は止みそうですよ、この分だと普通に森の中を歩けるかも」
「じゃぁ雨が上がったら、少し葉を摘みに行きましょうか」
「うん、それがいいです」
トーヤは嬉しそうに返事をした。
「葉が集まったら、さっそく薬を作らないと……」
そしてそう言葉を続ける。
「あら、足りないの?」
「はい、打ち身の薬と怪我の薬、あと痛み止めと熱冷ましと……あ、火傷のアロエも切らしてたかなぁ」
トーヤは指を折りながら、棚に並んでいる薬瓶の数を思い浮かべた。擦り傷や切り傷の薬と痛み止めは、冒険者のみならず、普通の家庭でももっとも使われる薬であるため、すぐに売り切れてしまうのだ。
「この間補充したばっかりなのに……」
少女はちょっと呆れ気味にため息をついた。
「軽い症状の時でも売ったりしてるんでしょ!」
そしてテーブル越しに上半身を乗り出すと、トーヤに詰め寄った。
「え……と……それは……」
どうなんだろう……。
トーヤは戸惑った。
薬を買いに来る人たちは皆、困っているからトーヤの元へ来る。そんな苦しみ、痛みを訴える人たちに「これくらいなら薬はいりませんよ」と断ることがなかなか出来ないのも事実であった。
「いい? 何度も言うけど、薬に頼るとね、人の体って弱くなるの。そりゃ、薬がないとダメな場合は別だけど……でも自然に治るようなちょっとした怪我や病気に薬を使うのは良くないのよ!?」
舌足らずな声がキンキンとトーヤの耳に響く。
もう耳にタコができるぐらい聞き飽きた言葉だ。
「わ、わかってるよう!」
解ってはいるんだけど……とトーヤは心で続けながら、薬が必要そうでもなかった人たちの顔を思い浮かべた。
「もう……」
戸惑うトーヤの表情を見て、少女はまたため息をついた。でもそのため息は、先ほどのそれと比べると、少し優しい。
「優しさがね、時によってはその人のためにならないことだってあるんだから……」
その人のためを思って優しくすることが、その人に悪い影響を与えてしまうことはある。
そして、回り回ってそれが優しくした方に影響することも……。
「ま、今のトーヤに言っても、解らないかもしれないけどぉ」
「な、なんですかぁ……」
今度はトーヤがカップを置いて、身を乗り出す。
「べっつに~?」
少女は悪戯っぽく笑うとポットに残っていた紅茶を全て自分のカップに注いだ。
二人の間に湯気が香り立ち、トーヤはその香りに惹かれるように身を引いた。
「たしかにトーヤにお店を任せてから売り上げいいもんね~~」
「う……」
「それだけたくさん薬が出回ってるってコトよね~♪」
「ギクギク!」
「でもでも、やっぱり断るなんて出来ない……」
ついに観念してか、トーヤは正直に吐露した。
「処方を考えるのも貴方の役目でしょう、トーヤ?」
「う、うん……」
「じゃぁ、薬にはならないけど無害なヤツとかテキトーに混ぜとけばいいじゃない」
「え゛……」
それって、ウソをつけって言うこと??
トーヤはそう思ったが、声には出せなかった。
「その人がその薬に侵されるよりは、全然いいと思うけど。それに何のために魔法の勉強をしているのよ?」
「でも……」
「これから少しずつやっていけばいいじゃない。とにかく、無闇矢鱈と薬を勧めるのはダメよ!」
少女は身を乗り出すと、念を押すようにトーヤの額を人差し指でぐいっと押す。
「は、はい」
自信はないけど……と心で思いながらも、トーヤはコクリと頷くのだった。

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