ちあらの支配地域を増やしに行く(何それ

さて、8/4 の夜、東北に向けて出発した。
旅行に行ったこと自体の記憶はあるものの、なんでこの日にしたのかが思い出せない。別に連休でもなんでもないし……だけど金曜の夜に出発した。翌週の 8/7 ~ 8/13 がお盆休みだったのかなぁ?

今回も取材旅行である。目的は三つ。

  1. 第六天姫榊神社分社を探す
  2. ツクツクボウシの録音
  3. 大湯ストーンサークル館

というわけで 8/5の 0 時頃、那須高原 S.A でトイレ休憩。ついでに晩ご飯食べる。
なんだろうね、このラーメン。白河ラーメンかね?
で、そのあと仮眠したっぽい。

3:46 起床、白河 I.C. で高速を降り取材場所へ向かうも早すぎることに気付き、道の駅しもごうで時間を潰す(ぁ
外の気温は 19 ℃。過ごしやすい。
那須高原 S.A. で気温の写真を撮ってなかったのが悔やまれる。あっちもそこそこ標高はありそうだが……。

5:30、カメラで撮っても光量が問題なさそうだと判断し、移動開始。
まずは第六天姫榊神社の分社探しである。5/31 に公開した月夜野ちあらのショートではちあらが自分の分社を増やしている様子が描かれている。この小説では棚ぼた的に鶏冠山の山頂付近にある神社を手にするのだが、今後彼女は(というか、彼女の上司である所の黒翼が)日本全国に自分の分社を増やす計画である。
田舎にはうち捨てられてしまった神社や、管理費が出せない神社がたくさんあるのでなんかその辺を取材できないかなと思っていた。
一方、2021 年の GW に行った南会津から新潟へ抜けるドライブのときに、見落としたりコロナ禍のため地元民以外入浴できなかった温泉があったのでもう一度同じコースを辿りたいと思いながら地図を見ていたときのことだ。神社が異様に集まっているエリアを見つけたのだ。
で、ふと、このエリアにちあらの分社になりそうな神社がないかなぁと。
それが①の第六天姫榊神社の分社を探す、という目的なのだった。

で最初のポイントがココ(古峰神社)なんだけど、見つけられなかったっていうかね、今 Google Map では木塔って書いてあるけど、ボクが検索した頃は書いてなかった気がするんだよねぇ……。鳥居を目印に探してたんだけど見つけられず、あったのは藏だけ(汗)。

一番最後の写真はなかなか恐ろしい看板だ(汗)。
藏の写真の場所は右側の看板のエリアで、もう家はなくなっていて藏だけになっていた。一方、写真は撮っていないが左側のエリアはこんな感じでまだ人が住んでそうだった。まぁでもこうしてみると少なくとも数十年は土砂崩れは発生してないようで、まぁそんなに気にしなくていいことなのかもしれない。
一方の右側の看板のエリアは発生したから蔵しか残ってないのかなぁ??

つぎがココ。こちらも石碑のみで社(やしろ)があるわけではない。
いつの時代のモノか解るといいんだけどねぇ……ボクには知識もないし鑑定方法も解らない。

お次はココ(氷川神社)。
石碑と、さらに木々に半分埋もれかかった鳥居がイイ感じ。登っていくと、なんか小屋みたいな社がある(汗)。
また周囲には末社的なモノが奉られていたようだが、崩れてたり倒れてたりしていた。

次はここの奥なんだけど、人ん家の中っぽかったので諦めた……orz(結納赤城神社)
ちなみにここまで車では行ったw

で次がココ(熊野神社)。石碑とこれまた非常に手作り感あふれる社。規模感とかロケーションはイイ感じなんだけどねぇ。

下の写真は↑の結納赤城神社と熊野神社に行く途中にあった木。わざわざ道路を狭くしても残してあったので、地元では謂れのある木なのかもしれない。

次の写真はこのあたり
のどかだ。
通学路の背景として……とは思ったモノの、歩いて行ける範囲に学校あるのかなぁ? まぁ、ゲームとか作る時は架空の世界なワケだし別にいいかなどと思いつつ(ぉ

パノラマの次の写真はそこから少し北上したところにある祠たち(この辺この辺)。そしてこの奥にイイ感じの大きさの神社があることをボクは見逃していた。ちゃんとポイントはしてたし GSV にもバッチリ写っているのになぜスルーしてしまったのか__orz。朝立神社というらしい。



さて、次がなんか山の中にある神社二カ所なのだが……こちらは動画を作ったので張っておく。
結果から言うと、見つけられなかった……orz
そうなんだよ、今回、地図にはあっても見つけられない事が多いんだよね……ボクの探し方が悪いってのが一つと、あと神社と地図には書いてあるものの、一番最初のヤツみたいに木塔だったり石碑がぽつんと置いてあるだけだったり。

ただなかなかイイ感じに寂れた寺はあったので撮ってみた。仏像、もっとちゃんとアップで撮っておけば良かった。

こちらは路肩に駐めて地図とにらめっこしてたら飛んで来た猛禽類。
ただ、あれね、視線とか解るのね。目が合った瞬間、飛んで行ってしまった。たぶんこの電柱

で、その電柱の先にあったお寺。Google Map には「川島興五右衛門の慰霊碑」となっている。
この名前で検索しても、パッとは出てこなかった。一応触れている書物は存在しているらしい。英霊の碑があったので、兵隊さんなのかなぁとかも思ったが詳細は謎のままである。

その慰霊碑からもうちょっと北に行った所にあったのが下の写真の碑。
Google Map には何も書かれていない。
Google MAp だとすでになくなっているが、ココはかつて辻だったようで……道祖神の碑の可能性もある??

下のはこの辺で、明らかに集落の入り口にあったので、まぁ道祖神の碑であろう。

そこからさらに入った辻にあった碑。
新しく建て直してある。けど新しい方の碑はなんか違う事が書いてあるぞ(汗)。団体営圃場整備事業尾岐窪地区と旧字体で書かれている。ただ場所的にはやはり辻なので、なんか昔は普通に道祖神の碑があったんじゃないかなぁ<テキトー
ところでこの『尾岐窪』という地名、「おぎくぼ」って読むのかなぁ? 東京の荻窪と同じ?

んでもって、下がこの辺。岩山稲荷神社。
予想外の場所にwww
これは見つけられないわ……。↑の Youtube の動画で探してた神社も、こう言うのだったら絶対無理だと思う。
で、パノラマの方はその神社の反対側を撮ったもの。ホント、いい景色。


下の池の写真はこの道路沿いに鬼渡神社、聖神社という二つの神社があると言うことだったので行ってみたら行き止まりまで来てしまったって言う。ここでも神社は見つけられなかった。まさかここまで見つけられないとはなぁ……。

でもこの日記を書いている時、GSV 見てたらあったよ(聖神社)。でもこれは人ん家だよね。いや神社だって人様の土地だけどさ(汗)。もう一つもこの通り(鬼渡神社)。なんで見つけられなかったかなぁ。ただ見つけられたとしてもここに入っていく勇気はないなぁ、というか入っていくとしたらこの家の人に普通に尋ねるけどね。

熊出没注意! となみに道祖神の碑もあった。

次来たところが雰囲気はいーんだわ(熊野神社)。場所はこの辺で、地名も山ノ神ってかっこよくない!?
みて、この参道。そして埋もれ具合。こんなところにさ、白髪の巫女が突っ立てたらホラーだよね。
ただ拝殿がやっぱり小屋みたいな感じなのよね。

で、上の熊野神社から少し下ると、これまたいい雰囲気の神社が。名前も凄い、鬼荒神社。こわいわ。
ここも参道が素晴らしい。お社は拝殿と本殿が分かれてないけど、上の熊野神社よりは映えがあると思う。末社もあったみたいで、石の祠がいくつか置いてあった。

上の熊野神社と鬼荒神社のある道路には廃校もあった。この辺。旭小学校って言うらしい。
ただ、微妙な古さ(汗)。
エロゲとかで期待しちゃうのは木造校舎だよねー<ヲイ

二宮金次郎の像があるのはイイね。ちなみにこの像についてはなかなか面白い歴史があるらしく、Youtube で取り上げられていた

んで、このエリア最後の神社、亀岡八幡神社。いやー、他にもあったんだけど……見つけるのに疲れちゃったorz
こちらはほぼ理想の神社というか、こう言うのを探してたみたいな?
でも立地はのどかでいい所ながら、個人的には↑の熊野神社や鬼荒神社が絵になるなぁ。

この段階で午前 9 時である。
今日の予定は午後には南相馬にツクツクボウシだけの森に行って録音をしなければならない。
朝飯も食ってないし、あとお風呂も入ってない。
というわけで南相馬までの移動時間を考えると、そろそろ移動した方がいいかもと思いつつ会津美里町を後にした。

まずはお風呂。同じ会津美里町にある『あやめの湯』という所に行く。朝の 9 時からやっているのは確認済み。

下の写真はそのあやめの湯に行く途中で見つけたお稲荷さんである(滝壺稲荷神社)。
社の感じとか規模感とかはイイ感じなんだけど、ここは道路ッ端にあるせいで参道が短すぎるのと鬱蒼感が足りない(汗)。

でもかわいらしい、イイ神社だった。

で、あやめの湯に到着したのだが、なんか雰囲気が変だ。
というのも施設に入っていく人たちがどう考えてもお風呂に入るような格好ではない。そして周囲の人が風呂道具を持っているボクをジロジロ見る。
そもそも建物の見た目も温泉施設と言うよりは、なんか公民館みたいなそんな建物だ。でもちゃんとあやめ温泉の看板はあるのだが(当時のドラレコの映像)。
で、入り口から入ろうとしたらご用件はと聞かれたのでお風呂と言うと、潰れたとのこと。

えー……。

というわけで他の温泉を検索。『本郷温泉 湯陶里』というところがやっていたので、そっちに移動する。

午前 11 時、風呂から上がる。
そして今日の最後の神社を撮りに行く。それは『伊佐須美神社』でこの地方一帯の総社である。と書いたモノの、Wikipedia を読むと総社ではなく、謂れがハッキリしている大きな神社のようだ(二宮)。Wikipedia に書かれていなかったので補足すると、総社というのは中央(京都)から派遣されてきた国造は現地についたら最初に治める土地の神社を挨拶回りすることになっているのだが、それはめんどくさいので一番メインの神社(一宮)に他の神社の分社を置いてそのメイン神社だけ参拝すれば他は全部回ったことにするための神社のことだ。

伊佐須美神社もたくさんの末社・分社があるのでてっきり総社かと思ったのだが。

まずは末社の一つ、『殺生石稲荷神社』。この神社の地下に殺生石が埋まっているという伝説がある。
Lay=Alld の設定では当のは鼻で笑う<ヲイ
そもそも彩からしたら自分と宇迦之御魂神を結びつけることに怒りすら覚えているであろう。
ま、それはさておき、綺麗な神社だった。

それから本体の伊佐須美神社へ。下の写真はその神社を取り巻くように流れている

伊佐須美神社はちょうど七夕だったらしく、風鈴や短冊がたなびいていた。
Wikipedia に詳しいので特に解説することはないのだが、まぁそこそこデカい。参道がいくつもあり、それぞれに手水舎も設けられており、立派な神社であった。

さて、伊佐須美神社を撮り終わった段階で 11:40 である。まだ午前中だ、いいぞ、計画通りだ。いや見落とした神社はいっぱいあるけどさ! ここは涙を拭いて未来に進もう<大袈裟

というわけで次なる取材地、南相馬市博物館へと車を向けた