レノボとかながら作業とか

いろいろ雑談とか。今日に関係ないことばかりだけど。

レノボの ThinkPad で中国人の落書き

ボクは ThinkPad 信者というかなんというか、ノート PC というとずっと ThinkPad を使っている。IBM からレノボに変わってからも、ThinkPad を使っている。と言うのも買収後も設計は大和事業所の人たちがやっていると聞いていたからだ。
ボクが ThinkPad を愛用する最大の理由はトラック ポイントにある。世の多くのノート PC で採用されているタッチパッドはボクは上手く使えない。アレが普及してしまったのが残念でならない。

さて、件の事件だがこういうのって検品では見つからないモノなのかねぇ。
ノート PC というのはデスクトップ PC とは違い、ユーザがメンテナンスするときでもマザーボード全てが露わになることはない。キーボード部分を外したときが一番露出が多いだろうか。
今回もメモリ交換で解る位置に落書きされていることから、書いた人は当然見られることを考えていると思われる。

中国人に平仮名が書けるものなんだろうかとも思ったが、戦争時代に満州に赴任していた祖父から「中国人は意外と平仮名が読めるので驚いた」と聞いたことがあるので、平仮名のマスターはそんなに大変ではないのかもしれない。
ただ工場で働く人が日本語がわかるのかどうかは疑問に思った。
このツイート主が、この件以降、ほとんどツイートしなくなってしまったのも気になるところではある(汗)

まぁ、でもいつも使っている機械に関する事なので、このツイートはボクの中ではけっこう生々しくうつり、今使っている X200 が壊れたらどうしようかなと思ってしまうようなツイートであった。まぁ、次も ThinkPad を買うとは思うけど……。

会話を聞きながらのながら作業はやはり難しい

端的な言い方をしてしまうとボクは「テレビを見る時間はない」くらいに忙しい。時間ができてもテレビを見るという選択はせずに、他の事に時間を費やしてしまう。ここで「テレビ」と書いたが、これも端的に表しただけで実際は映像作品全般を言う。
とは言え、世の中には沢山の映像作品があり、テレビのコンテンツもたくさんある。これらを見ないのは人生を損している。特にテレビはネットと違って自分に興味のない情報も流してくれるので、テレビを見ているだけでも自分の知らない情報を知ることができて面白い。ネットだとどうしても「自分から見に行く」ものであるため、自分が興味を持ったことについてしか情報が集まらない。

で、いつごろからかはもう憶えてないんだけど BGM を聞かずに TV や映画、ドキュメンタリーなどを裏で流しながら仕事をするというスタイルを頑張ってみているんだけど……ダメだー!! やっぱできない。
プログラミング、シナリオなど「思考」しながら物事を構築していくような作業の場合、やはりどうしても裏で流れているビデオのことは疎かになり、まったく頭に入っていない。結局、「あれ、どうしてこんな展開になってるんだっけ?」と巻き戻すことになる。
世の中には落語を聞きながらプログラミングできる人もいるので、たぶんできると思うんだけど、恐らくボクの脳がポンコツなんだろう。

ただ、スマフォのゲームに携わって、HTML を組むくらいなら裏でビデオを流していても問題なかった。ボクの中では HTML くらいなら脳がメインに動かなくても問題ないらしい。

そんなことを思いながら周囲をよくよく観察してみると、ビデオを流して作業している人たちは圧倒的に絵周りの人が多いことに気付いた。どうやら色を塗ったり絵を描いたりする分には、ビデオ内の会話やストーリーもちゃんと理解しつつ、作業もできるようなのだ。現に彼らがメールを書くときなどはビデオが流れているとサッパリ書けないらしい。
よかった、ボクだけではないようだ(そこかよw

しかし情報収集という観点から、やはり作業をしながら後ろでラジオやテレビを流してその内容もちゃんと受け取れるようになりたいなぁ……。

ゲームデザイナーの死、ねぇ

(関連記事:ゲームの目的ソーシャルゲームの値段設定がひどい
知り合いから下記のような記事が送られてきた(その時のツイート)。

簡単に話してしまうと、今、ゲームで必要とされるデザイン能力はユーザにいかにお金を払わせるかという心理学的な手法やアイデアが要求され、ゲーム性であるとか、そのゲーム性によって導かれるステージ毎のギミックだとかそんなのは必要ないよ、っていうお話。そして前者を勉強してこなかったゲーム デザイナーはもうお払い箱だよと。
あと、前者のようなやつは若い人でもできるから、給料安くて済むよねみたいな話も入っている。

どうなんだろうねぇ? 将棋、麻雀、ポーカー、ブラックジャック、野球、サッカー……いずれのゲームもルールを学ばなければいけないし、今まで培ってきたデータは重要だし、ルール以外にもセオリーなんかも学ばなければならない。
ゲームとはプレイヤー側の努力が必要だ。
今までのコンピュータ ゲームもおおむねそうである。操作方法を学び、ゲームのルールを学び、そして上手くなるために練習しなければならない。もちろん、過去の戦歴データは重要だし、ステージ毎の特徴や自分が使えるアイテムなどにも熟知する必要もある。

ソーシャルゲームの多くはそういった努力は余り必要ない。
とはいえ、まったく必要ないかというとそう言うワケではない。カードの特徴やカードの持つスキル、そして成長カーブなんかは憶えておくにこしたことはない。デッキを組むときにそれらの知識や経験は重要だ。
しかし裾野を「ゲーム好き」からさらに「ヒマだからゲームでもするか」層に広げていくと、当然ゲームに対して努力しなくなるユーザが増える。
しかしゲーム会社としてもゲーム好きだけを相手にするわけにはいかない。儲けるためにはゲームに興味のない人たちも取り込んでいかなければならない。だから、上で書いた様なゲーム性よりも心理的にお金を払ってしまう環境を作り出す方に精を出してしまう(端的に言うと、射幸心をあおるような内容)。

まぁ、しかたのないことだろう。

そしてゲーム好きのためにちゃんとゲームを作って儲けることは全然出来るけど、そのパイは少ないというか、会社的には全世界で 10 社あればいいよね、みたいな気がする。
とはいえ、その 10 社だけだとゲーム好き向けのゲームはやはり衰退してしまう。何故か? 競争がなくなるからだ。だから採算がとれなくて潰れる会社がたくさんあって、諦めたり、業界から去って行くクリエイターや、給料ももらえずにそれでもしがみついて頑張るクリエイターなどなどそう言うのがいつつ、上位 10 社が高いレベルを保持できるのだ。

そんなわけで悲観する必要はないんじゃないかなぁ。もちろん、苦しいことに変わりはないけどね。

放出品ってそんなに沢山は出ないよね……

以下のようなニュースを見た。マニアにはなかなかたまらない一品じゃなかろうか?

こういうのって時々見るんだけど、おおっぴらにやってるのはあまり見ない。座席だけと言わず、酸素マスクとか、非常扉のコックとか、シートベルトをお閉めくださいのパネルとか、コックピットの計器の一部とか(メーターとか?)、マニアがほしがりそうなものは沢山ありそうなのにね。
解体費用がまかなえるぐらい、売上げが立つんじゃないかしら?

どうせスクラップになるのなら、の話だけど。

航空機の場合、おおっぴらに売らない理由はいくつか思い浮かぶけど(再利用率が高いとか、痛み方の研究に役立つとか、まだ機密なところがあるとか)、飛行機に限らず、電車や車、船、クレーンなどの重機などなど、スクラップになるもののウチ、形として取っておけるものはもっとオークションとかしたらいいんじゃないかなぁ?

というのもね、エロゲ会社でもけっこういろんなものが処分されるのよ。例えば色校。印刷会社から「こんな色で上がってきます」ってサンプルがあがってくるのね。こういうの、結局プロジェクトが終わったら捨てちゃう。
抱き枕カバーの色校なんかは本物の生地に印刷されたものを持ってくる(抱き枕カバーのように閉じられておらず、裏と表が一枚の布になってるけど)。
他にも台本。これもみかん段ボール箱に何箱もあるんだけど、全部捨てる。
あとは社員のみんなで話し合ったキャラデザの紙とか。色んなキャラデザや色が載せてあって、あーでもないこーでもないとやったもの。
失敗したグッズ類(色が間違えていたり、傷がついていたり)。
落丁本。
CG さんや原画家さんの落書き。
余ったグッズ類。

まー、他にも色々。数年もエロゲ会社やってると、こういうので倉庫がいっぱいになってしまい、結局捨てる。

でもどうせ捨てるなら、発売して 1 年経ったものとかはユーザさんにあげたりプレゼントしたりしていいんじゃないかなぁと思う。もちろん、ユーザさんが欲しがるのかどうかはボクも解らないけど……ムリヤリあげるんじゃなくて、欲しい人をサイトやイベントで募れば欲しい人はいるんじゃないかなぁ?

疑心暗鬼な人々

NSAHTTPS を解読できるという話は、確かスノーデン氏のリーク情報が最初だったと思う。その後、NSA 長官も同じような発言があったと思うのだが、ざっと検索した限りでは明言しているところは見つけられなかった(関連記事)。

さて、何のことやらと思ってる人も多いと思うので、まずはちゃんとした説明からしておこう。
皆さんが IEGoogle Chrome などのウェブ ブラウザを使ってウェブサイトを見るとき(いわゆる、インターネットをするとき)、サーバとブラウザは HTTP という取り決めに従って見たいデータをやりとり(通信)している。
インターネットというのは色んなサーバがつながって成り立っていて、例えば、今見ている TAMA Networks のサーバから様々なサーバを経由して、あなたのパソコン(スマフォかもしれないが)に送られている。
なので、その経由しているサーバの管理者は、その内容を見ることができる。
これはウェブサイトに限らず、メールでも同じだ。

そこで、HTTPS という取り決めがある。コイツは TAMA Networks 上で暗号化しておき、あなたのパソコンにむかって情報を流す。そして受け取ったあなたのパソコンがその暗号を復号して、画面に表示する。
こうすることによって、経由しているサーバにデータは流れるものの、なんのデータかは解らなくなるわけだ。
この暗号は素数と素因数分解を用いるもので、途方もない計算量が必要なため、現在のコンピュータでは簡単に解読にできない(何百年もかかる)というのが「担保」になっている。

ところがスノーデンや NSA 曰く、すでに HTTPS については問題になってないらしい。
本当なのか!?

ボクが予想したのは、アメリカの認証局(その暗号と暗号の発信元が同一で有り、誰がその暗号を発行したのかを証明する機関)とすでに密約が交わされており、そこから秘密鍵を得て、HTTPS の通信を全て復号できるのではないかというものだ。
ただそれにしても、認証局は証明書を発行するだけで有り、秘密鍵まで知るわけではないはずだ。

ということは、NSA は暗号を解くことができるのだろうか?

実はもう一つ、暗号を回避する方法がある。それは中継されるサーバの間に簡単に言うとブラウザをかますのだ。例えばボクが Amazon で買い物をしたとする。ボクは Amazon に接続しようとするわけだが、ボクのパソコンと Amazon のサーバの間に、Amazon の証明書をもつ中継サーバを用意し、そのサーバがブラウザとなって Amazon と通信するのである。
Amazon は中継しているサーバに対して暗号化したデータを渡し、中継サーバはそのデータを盗んだ後、再度暗号化してボクの PC にデータを送るのである。
ただこの中継サーバは、本物の Amazon の証明書を持っている必要があるが、これならば秘密鍵が解らなくても、たぶんデータはぬけるんじゃないかと思う。つまり認証局と NSA が仲良くさえなれば可能ではないかと……( 間違ってたら突っ込みよろしく(汗

で、何をボクは心配しているのかというと、情報技術が進んだことによって、なんか世の中が凄い殺伐になって来ているというか、いや、もともと殺伐だったのが、よく見えるようになって来たというか……。
お花畑な思考なのかもしれないけど、科学が発達すれば、いつか労働はいらなくなり、人々は自由に時間を使い、好きなことができるようになるんじゃないかっていうことを幼少の頃からボクは考えていた。そして一部はそうなりつつある。

が、それよりも、為政者は古来からの夢を実現する方に科学技術を使う。
国民一人一人が何を考えているのか? 裏切るヤツはいるのか? 命を狙ってるヤツはいるのか? 他の国は何をしているのか?
これらが科学の力によってできるようになって来て、それをそのまま実行に移しているのだ。
国は疑心暗鬼に満ち、常にあらゆるものを監視し、あらゆるものを疑っている。そのメンタリティは紀元前から何も変わってない。

せっかくインターネットで国境そのものが少しだが意味のないものになりつつあるのに、非常に悲しいなぁと思ったのである。

とは言え、無防備では当然いられない。国益、国防、国民の財産・命……国が守っていかなければならないものはたくさんある。
これからますます人を監視することは容易くなってくる。何億、何十億という人間がいても、それらを網羅し、さらに個人を知ることもできる。もちろんその中には為政者も含まれてはいるんだろうけど……はてさて、どんな世界になっていくのやら。

ソーシャル ゲームの値段設定がひどい

(関連記事:ゲームの目的ゲームデザイナーの死、ねぇ
ソーシャル ゲームに関わることになった。主に HTML / CSS / Javascript を担当することになった。いわゆる表層の部分である。まぁそれでクライアントから参考にしてくださいと言われたゲームをいくつかやってみたのだが……。

ゲームになってないとか、あんなのゲームじゃないとかそういうのはさんざん言われているし、たぶん作ってる側も承知で作ってるんだと思うのでここで書くことは特にないんだけど……個人的に驚いたのが、①課金アイテムの値段の高さと、②なんでもガチャで解決しようとしていること、そして同じく③なんでもカードで解決していることの三つである。

ボクが体験したゲームは、よくある「行動力」ってのがあってその数値が 0 になるまでゲームができると言うもの。冒険などに出掛けるとその行動力が徐々に減っていき、最終的に 0 になるとゲームができなくなる。
ゲームができなくなると言っても、そのゲームの主たる部分ができないだけで、例えばアイテムを整理したり、カードを合成したり、自分の土地に建造物を建てたりとか枝葉の部分は行動力がなくてもプレイできる。
で、行動力は時間とともに回復するのだが、それが待てない人のために行動力が一瞬で回復するアイテムが用意されている。このアイテムを手に入れるにはお金がかかる。
でね、ゲームのプレイ時間なんだけど、行動力が満タンの状態から 0 になる時間って、ものの数分なのよ。長くても 5 分くらい。そしてこの行動力を回復するアイテムがいくらするかというと、300 円もするのよ。300 円!? 5 分で 300 円!?
それ、ゲーセンよりひどくないすか。そりゃ待てば回復するものだけれど……ボクの価値観だと、30 円 50 円なんですけど。1 時間遊んで 300 円かなぁ。
そしてカードを一枚引くのも 300 円。
ちょ! 仮面ライダーとかプロ野球選手のだって、そんなにしないよ! しかもそっちはポテトチップもついてくるんだよ! しかも現実のカードがもらえるわけでもないし、もらったカードも JPEG や PNG でもらえるわけでもない、ゲームの中でしか見られない。しかも何が出るかも解らない。そんなのに 300 円……。これも 1 回 20 円だろう……。

ただここでちょっと計算してみよう。まぁ、ソーシャルゲームのカードが 1 枚いくらで作られているのかボクは知らないが(というか、かなり値段がまちまち)、最近けっこう絵描きさんや塗り師への報酬は高騰している。原画が 1 枚 2 万、塗りが 3 万だったとしよう(差分は含まない。1 回で出てくるカードは差分のウチの 1 枚だから)。
で、ディレクション費を制作費の 10% として、この場合 5000 円。
20000 + 30000 + 5000 = 55000 円になる。ガチャ 1 回 300 円だと 183.3 回引いてもらえれば元が取れる。1 回 20 円だと 2750 回である。

次の話題。なんでもガチャで解決していること。まぁカードはいいですわ。何が出るかな的なものもあるし、そもそもゲームバランスをとりやすい。どういうことかというと、ゲームをデザインする上で、ゲーム全体における強いカード(いわゆるレア カード)ってのは枚数を決めておくものなのだ。これはユーザ数やゲームの規模によって調整されるので、ユーザが増えればレアカードの上限値も増えていく。
自由にカードを買えるようにしてしまうと、お金を持っている人はどんどん高いカードを買ってしまい、強いカードが出回りすぎてゲームバランスが崩れてしまう。
運営側としては「今のゲーム規模だとこの強いカードは○枚までが限界だな」とか設計して、それをガチャのプログラムの確率調整部分に反映させる。こうすることによって強いカードがゲームの世界に氾濫したりするのを防ぐことができるのだ。
ところが、他のアイテムだの衣装だのまでガチャのことが多いんだよね……orz
なんだこれ、気に入った衣装が出るまでガチャし続けなくちゃいけないのか!? こういうのは普通に買わせてくれよ……なんでもガチャにするんじゃないよ。
ガチャにした方が儲かるのかなぁ??

三つ目はとにかく、何でもかんでもカード ゲームなのよ。クライアントに教えてもらったゲームを一通りやってみて「他にどんなゲーム有るんだろう? そうだ、RPG のソーシャルゲームってどうなってるんだろう?」って思って検索してやってみたら、どれもカード ゲームだったでござる……orz
普通に RPG ってないんすか? パーティ組んで装備とかしてダンジョン潜って、ぺしぺし敵倒して。ソーシャル要素は戦闘の時に助けを呼べるとか(レイド含む)、ギルド戦があるとか、パーティ バトルとか、精錬とか装備を作る時に協力し合えるとか……。

まー、そんなわけで、ソーシャル ゲームはボクにとって「なんじゃこりゃ?」ってのがてんこ盛りのコンテンツでした(ぁ
とにかくなんでもガチャにするのはやめてー。欲しい衣装があるのに……<そこかよ。ゲームと全然かんけーねー

「発売」の誤用

以前「絶賛発売中」についてのコラムを書いた。
しかし今頃になって、そもそも「発売中」という言葉そのものが間違っていることに気付いたので、ここに記しておきたい。

そもそも「発売中」という言葉は、おかしいのである。
なぜなら「発売」という言葉は「売り出すまさにその時」のことを表すのであって、継続するものではないからだ。つまり発売中ではなく、「販売中」としなければいけないのだ(汗)。

いやー、ホント物書きのくせに日本語、なってねぇな(爆)。

おみやげ

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たぶんだけれど、ボクはよく旅行する方だと思う。旅行とまで言わなくても、夜中ちょっと遠くへ行くことも多く、最近では深夜でも東京から 100km 以上離れた場所に行くことも珍しくなくなってきた。
そんなときにふと高速のサービスエリアや道の駅でお土産を買う……こともあるんだけど、最近お土産について色々考える事も多い。

昔はよく職場にお土産を買っていったものだ。
あと取引のある会社さんとかね。
逆に親や知人にはあまり買ってこないことが多い(汗)。

お土産は基本的に「食べ物」を選ぶ。これは古くからの知人の受け売りで、「物をもらうと、いつかはゴミになってしまうのだが、他人からいただいたものなので捨てられなくて、逆に迷惑だから、お土産は食べたらなくなるものが良い」という物だ。 その話を聞いてからと言うもの、ボクもキーホルダーとかペナントとか、そう言うのは買わずに、食べ物を買ってくるようになった。また、どうしても形あるモノを買ってくる場合は、渡すときに「ネタで買ってきたものだから」と言って渡すようにしている。

しかしそれら最近、買わなくなってしまった。
というか、お土産、買い忘れるんだよね(汗)。昔は旅行する前に「○○社は○○人」「□△社は□△人」とかをチェックして、現地に行ったときに買ったんだけどね~。でもお土産代ってバカにならない。そうやって会社に買っていこうとするとお土産代で一万円以上飛ぶことも……(汗)。

閑話休題。
最近は自分のためにお土産を買うことが多くなった。これは主に二つに分かれていて、一つは漬け物とか佃煮とか、ご飯の上に乗せて食べるもの。もう一つは消耗品(日常よく使うもの)。石けんやシャンプーなどのものから、文房具などである。
前者はただ単に、土地土地のものをご飯と一緒に食べたいっていうだけなんだけど、後者はわりと 30 代になってから気付いたことで、旅行先で買った消耗品を家で使うと、その旅行先での思い出がけっこう思い起こされるのだ。
しかもそれは消耗品がなくなるまで続く(もちろん思い出は美化されているだろうけど)。これが「旅行にいって良かった」と思う気持ちが長続きして、面白いのだ。
と言うわけで、お土産って自分のため買うのも悪くないと思っている今日この頃である。

p.s.
今日、出社している時にセミの声を聞いた。東京では今夏、初めて聞いたかもしれない。