日本のグローバル化を阻んでいるもの

ボクが常日頃、日本人を見ていてなんとなく思っていることを二つほどまとめて見た。といっても別に民族性がどうとか、そういう深い話ではない。そして人によってはだからどうしたと思う人もいると思う。
けど、だからどうしたで済ませてはたぶんいけない気はしている。
内容は以下の二つである。

  1. 無勢で多勢を倒すのが好き
  2. 職人が好き

まず 1 から。日本人はとにかく少人数で大人数を倒すのが好きだなーって思うのよね。それは世の作品なんかを見ても思う。少人数で大軍団を蹴散らしたりとか。織田信長の桶狭間が大好きとかね。
でも現実はそんなことはなくて、やはり数は力である。そして欧米はそれをよく解ってるんじゃないかなって感じる。
戦争は数よ。
けれど太平洋戦争とか見ててもわかるけど日本人は奇をてらった作戦が好きだ。夜襲が好きだ。レーダーもろくになかったクセにwww 何言ってんの?www って思う。

次に 2 は専門性を持った人を妙に有り難がるというか、なんというか、この分野はこの人じゃないとダメとか、この機械は使いこなすのに何年かかるとかそういうのが好き。

この二つの何が問題なのか? それはね、このグローバル社会においてこの二つの思想は非常に非効率なものとなってしまうからだ。少人数で大人数がとりかかっている事業に取り組んだり、できあがった製品がすげー性能がいいんだけど、専門的すぎて扱いがとても難しかったり。
日本のプロダクトってそんなのばっかり。
でもそれじゃぁ世界に太刀打ちできない。そりゃ日本人がみんな天才ですっていうんならこれでも全然かまわないんだけど、残念ながら日本の頭脳は今どんどん世界から置いて行かれてしまっている。
そんな状態で、いつまでも奇襲作戦や性能はスゲーいいんだけど数人しか使えないハイテク機器とかあってもどうしようもない。

まぁでも日本で成功している企業は、この二つの思想を持ってないように思う。
SONY なんかはこの二つの思想でもろにやられちゃったイメージ。偏見だけどねww
そんな与太話でした。

男の性欲を侮ってはいけない

男の性欲についての話。朝日新聞に以下の様な記事があった。

女性には理解されにくいのかも知れないが、男は割と性欲が強い。妊娠が不倫のきっかけになるのは割と珍しいことではなく、セックスが出来ないと男は鬱積した性欲をどこかで吐き出さないと気が持たない。
こんな言い方は雑かも知れないが、女性に月経があってどうしても血が流れてしまうのと同じくらい、男は性欲を発散させないとストレスが非常にかかる生物なのである。そう、月経と違って具体的な身体の変化が見て解らないから見過ごされているだけで、性欲を吐き出せない状態の男性は非常に危険である。判断力(つまり理性)も鈍るし、いつ犯罪に走るか解らない。それくらい本人の健康にもそして社会的にも危険な状態だとボクは思う。

だからといって不倫やレイプを肯定するつもりはさらさらないが。

ただ男はそういう生き物であるというのはもっと周知する必要がある気がする。
また、男だからといってみんな性欲旺盛なのかというとそういうわけでもない。
だから恋人同士になったら、その辺の話し合いは充分したほうがいいのではないかと思っているのだが、どうだろうか?
性欲が強いならそれを相手にちゃんと伝える。女性の方も男の要求するセックスの頻度に答えられるか答えられないかをちゃんと考えて男に伝えるといいのかもしれない。

また男の性欲を健康的に発散させる方法というのがあるならば、医学界はちゃんと研究して欲しい。

そして今日の mineo は最悪だったようだ。どれくらい最悪かというとネットサーフィンも出来ないくらいの重さ。mineo ユーザってみんな我慢してるんだろうか? それとも mineo には苦情がたくさん行ってるんだろうか? 気になる……。

ジェンダーフリーとかフェミニストとかの価値観?

グリッドガール廃止問題もそうだけど、こういうことを主張する人の価値観が知りたい。
普段どういう思考をしているのかなぁ。
ボクの方が古い考えの人間なんだろうなとは思うんだけど。っていうか、ボクの方ががエロいんだろうなとは思うんだけど(何。

たぶん話を聞いたら、賛成するかどうかはともかく、少なくとも理解はできるんじゃないかなぁと思って……。

amatsukami.jp サーバのキーボードが、ちっちゃいキーボードだけど有線なのね。しかもほとんど使わないので棚の上の方に置いてある。ぶっちゃけ有線である必要ないって言うか、線が邪魔。ついでにマウスも使えると便利かも、ということで買ってみた

マウスはつなげてなかったので項目移るのに TAB キー連打してたんだけど、このキーボードのおかげでその辺が楽になった。ありがたや~。しかもこれ、3000 円もしないんだよね。

でね、これは知人から受けた指摘なんだけど、この手の小さいキーボードって安いじゃない? 980 円とかからある。そのキーボードに較べてキー数も遥かに少ないし、大きさも小さくて部品点数が少ないはずのジョイスティックやジョイパッドはなぜ高いのかって言われて、そういえばなんでだろうって思った。

しかしどうでもいいけど、このキーボード、Amazon で売ってなかった……。
あとドスパラで買ったんだけど、「自作 PC の手引き」みたいな小冊子が入っていた(笑)。これらを知らずに PC パーツを買う人っているのかなぁ? あれか、部品だけ交換すれば安いよとか知り合いとかに乗せられちゃって、買ってはみたものの途方に暮れた人とか多いんだろうか?www

会社近くのミニストップで身体に悪そうな飲み物見つけた。
メーカーを見たらチェリオだった。さすがだ。
チェリオと言えば、身体に悪そうというイメージがなぜかある。別に他のメーカーも大差ないはずなのにねw

というわけで、腹一杯になった(ぁ

最後の写真はお昼に食べた酔壱やの肉うどん。透明なだし汁がいいね!
奮発してちくわの天ぷらも頼んでしまった。そういえば磯辺揚げではなかったな。
相変わらず麺がちょっと柔らかい気がした……。

関東の歴史を思う&白樺のシロップ

最近見ている TV 番組に『熱烈!ホットサンド!』というものがある。お笑いコンビ(?)のサンドウィッチマンがメインを務める北海道の番組だ。内容はバラエティに富んでいるので、一言で説明するのは難しいが、まぁそのなかで義経が北海道に渡ってきた伝説の地を辿るみたいな回があった。

ボクは関東に住んでいるわけだけれど、関東はイマイチ歴史の派手な部分には登場しない。戦国時代もだいたいは名古屋以西だし、奈良平安時代も西日本がメイン。学校で勉強する派手な合戦もどれも名古屋以西が多い。
それでも関東が日本の中心だった頃は三つあって、鎌倉時代江戸時代、そして明治から続く現代だ。
上のツイートは鎌倉時代のもので、義経自身は関東の生まれではないようだが、奥さんは川越出身だったりしてグッと身近に感じる。歴史に出てくる地名がボクの生活圏内だったりするとなんかうまく言えないんだけど、不思議な感覚になるのはなぜだろ。ボクだけかも知れないが、日本史で習ったことはどこか遠い場所の事ばかりなのでイマイチ実感がないというか、「そうなんだー」くらいにしか思わないのだが、秀吉の小田原攻めや、信玄の息子勝頼が自害した天目山なんかも近くを通ると、ぐっと実感が湧くのだ。

江戸時代はもちろん東京が中心だったから様々な出来事に思いを馳せることもあるんだけど、逆に近すぎて(?)、ボクらの生活の一部になってしまっているものもあるじゃない? 普段目にする川や道路、地名なんかで江戸時代からそのままなものは多い。

でも規模は解らないのだけど、実は東京でもけっこう合戦は行われていて、学校では習わない様々な合戦が鎌倉時代~室町時代初期にはあったようだ。もともと東京は秩父氏を祖とする武士が支配していたようなのだが、その秩父氏の支流には河越氏豊島氏と言った埼玉~東京に馴染みある名前も見られる(先の義経の嫁は、この河越氏である)。
あの徳川家康も、徳川という姓は群馬にある得川という地名からとったもので、これはおそらく新田義貞にあやかったものだろう(いちおう家康の祖父の代で、得川から駿河に移り住んだと伝わっているが)。
戦国時代も歴史の表舞台には出てこないが、地方勢力同士の小さな小競り合いはあったようだ。

何が言いたいかというと、西日本に住んでる人たちなんかは日本史を習ったときにとても現実感を持って捉えられたと思うんだよね。さらにはそれぞれ世代を超えて愛されている歴史上の人物を持ってるところも多い。山梨県なら信玄さんとか、鹿児島県なら西郷どん宮城県なら伊達政宗とか、下越の方は謙信かな? 東京というか関東に住んでるとそういうのがなくてちょっと寂しいななんて思ってるんだけど、色々調べてみると関東は関東で色んなことが起きてて、負けたもんじゃないぞっていうそれだけの話(笑)。
まぁ、東京の人はもっと家康さんをリスペクトするといいのかもしれないけどね。

ところでメイプルシロップと同じような感じで、白樺からもシロップが採れるらしい。メイプルほど味がべたっとしてないらしい。実はボクはメイプルシロップがいまいち苦手で、もうちょっとスッキリした甘さのシロップはないものかと前々から思っていたのだ。

もしかしたら、この白樺から採れる樹液がボクの求めるシロップかも知れないと思ったのだ。

ところが検索して出てくるのは清涼飲料水としての白樺樹液ばかり。これはどうやら白樺から採れる水らしく、シロップではないらしい。
で、ようやくそれらしいものを見つけた。

たか!!! 3000 円すか……。ちなみにガムとかでよく目にするキシリトール、これがどうやら白樺からとれる糖分のようだ。ボクはてっきり人工甘味料かと思ってたよ。
でも、いつか買ってみたいなぁ……。

本能は思考を求めていない

すごいトートツなツイートなんだけど、要するに便利になればなるほど人って思考を放棄していってるよなって思っただけ。わかりやすく説明すると、たとえば普通に電灯。これの仕組みなんて知らないけど、だいたいは家とかに付いてるじゃない? でスイッチを入れれば、つく。でもどうして光るのかなんて知ってる人なんて、とても少ない。
知らなくても使うことが出来る。科学の勝利だ。

これは娯楽にも言えるのではないかと思っている。その辺は、この記事に詳しい。昔の娯楽は前提知識がかなり必要だった。

でね、このあいだ知人からなかなか興味深い話を聞いた。彼女は漫画のアシスタントであり、比較的シリアス系ストーリー系の漫画に携わっている。ボクなんかよりも世間に出ている漫画や小説を読み、また大手出版社との編集との打ち合わせなどにも顔を出している人間なのだが、曰く、素晴らしい作品よりも刹那的なネタになる作品の方がよく売れていると言う。

もう少し詳しく説明すると、素晴らしいシナリオ、そして素晴らしい絵、それらを満たした作品は確かに評価が高い。誰しも評価してくれる。しかし買う作品は何かというとそういう作品ではなく、一発ネタやエロネタで誰しもが理解でき、同じ感情を抱ける作品が売れていると言う。

特にエロの効果は大きく、内容も絵も大したことないのにパンツや脱衣が多いと言うだけで部数が伸びる。

これはコミュニティにおいて作品を語る必要があるからだと分析する。前者のような素晴らしい作品の場合、「どこが面白いのか?」「何が素晴らしいのか?」というのを説明する必要がある。しかし後者のような作品の場合、「こそあど」で表現が済んでしまう。「○○のアレ、面白かったよね」とか、いや、アレの部分さえもいらないかも知れない。「○○、面白かったよね」で通じてしまう。また、作品を知らない人に勧める時も後者の作品の方が圧倒的に勧めやすい。

彼女自身も、自分が好きな作品というのはあるし、アレが素晴らしい、コレが素晴らしいとは感じるものの、いざ買うとなるとやはり後者のような作品の方に偏りがちだという。動機はシナリオはどうってことないけど好みのキャラがいるとか、そんな程度だ。でもそちらの方が手放しに楽しめるし、その気持ちを他人と共有しやすい。

さらにボクが感じているのが、一作品への思い入れだ。今やお客さんは色んな娯楽に囲まれている。ソシャゲに、漫画に、アニメに、映画に、自分自身の趣味に、エロに……。とにかく娯楽が豊富だ。そうなってくるとじっくり考えさせられる作品なんかいらないし、やってる余裕もないだろうなぁって思う。
特に頭を使わなくてよくて、面白くて、スカッと出来て、いい気分にさせてくれればそれでよいのだろう。

また Photoshop が HEIF に対応してくれないっていう話。
懲りずに言い続けるぞ! さっさと対応してくれぇぇぇぇぇ!!

えげつない漁師と幸せな女子高生

資源管理の話。日本人はそれこそ縄文時代から魚とは付き合ってきたはずだし、取りすぎたらどうなるかと言うこともわかっていたと思うんだけど、なんともふがいない話である。この手の話では日本ではハタハタの保護が有名だと思う。三年間の禁漁を経て漁獲を回復したという。もちろん、禁漁さえすればいいのかというとそういうわけではないし、学術機関との連携なども必要であろう。

ただ、これはボクの偏見でしかないが、漁師はわりと言うことをきかないというイメージはある(汗)。また、漁師にも代々培ってきたノウハウなどもあるのだろう。現場をしらない学者があーだこーだ言うのも気にくわないのかもしれない(もっとも学芸員や研究者はわりと漁に参加しているイメージもあるが)。

そもそも日本の漁獲枠対象魚種が 7 種類しか設定されてないのにはびっくりした。
本当にそれでいいのか? 将来のためにも真剣に取り組んで欲しい問題である。

話は変わって、高校生の幸福度の話。記事の見出しでは「女子高生がやたらと楽しそう」となっているが、実際は男子高校生が不幸に感じているよという記事。ここから何を学び取ればいいのか、ボクは頭が悪いので判然としなかったが、まぁそういう数値があると言うことだけは気にとめておこう(ぁ

そこに余地があるから

なんとも切ない記事を見つけたので、それから派生した話を一つ。ジャンル的にはなんだろうねぇ、哲学に近いのかしら? とはいえ、そんな大仰な話ではない。

生きるという事は大変だ。それでも人類は社会というものを形成し、自然界の弱肉強食の世界からはある程度離脱することに成功した。とはいえ、この社会の中での生活がけっして誰にとっても幸せに過ごせるというものでもない。
戦争、いじめ、経済格差、様々な差別などなどの問題が社会の中に溢れかえっている。
結局のところ、これだけ科学が発達し、社会制度が発達しても、誰しもが食うために一生懸命だ。

なぜかくも、この世界は過酷なのか。

幼少の頃からそう思ってはいたけれど、その答えもたくさんあったように思う。弱肉強食というのもその一つだろうし、人間が持つ欲望・自己中心・妬みなどを揚げる場合もある。自然災害ももちろん原因の一つだろう。
ただ、これら全ては、一つの理由に集約できないか? と、漠然と思ってきた。

ところで(きん)という物質がある。我々の社会では価値の高い金属として有名だ。あの金は超新星爆発がないと生まれない元素であることをご存じだろうか? 恒星(太陽)が燃え尽き、自分の重力で大爆発を起こしたときの超高温や高重力で原子と原子がくっついて生まれたのが金だ。
金に限らずより重い原子は、すべて超新星で生まれる。また鉄を含むそれよりも軽い原子は、恒星の中で作られる。これらは水素ヘリウムが、恒星内部の高重力と高熱によって、元素合成が起きて作られるのだ。
夜空を見上げると、たくさんの星々が瞬いているが、あの中で、鉄ばかりでなく岩石の元となるケイ素や、硫黄塩素などなど様々な原子が作られているのである。

つまりボクらの足許にある地球、そしてボクらの身体を構成する物質は全てがあの星々の活動によって生まれたのである。その中でも特に金は、超新星によってのみ生まれた元素なのだ(恒星が全て最後超新星爆発をするわけではない)。
もちろん宇宙規模で見れば、超新星なんて至る所で起きてはいるが、その時生まれた元素がこうして宇宙の至る所に広まって、ボクらが住んでいる地球の中にも埋もれている。非常に浪漫あふれる話ではあるが、同時にこの原子たちの広まりに恐ろしさをさえ感じる。
あの広大な宇宙に、つまりこれだけの原子が漂い、そして宇宙の果ての果てにまで行き届いているのだ。

そう、これこそが、ボクらが生きることを大変にしている元凶なのだと気づいたのだ。

高校だったか中学だったか、化学の授業の時、物質は均等になろうとするというのを教わったと思う。偏りのあるものはなるべく平らになろうとする。もちろん、それが不可能な場合もある。せき止められていたり重力があったりして、平らになれないこともあるが、とにかく物質はまんべんなく混ざろうとするのだ。そして何もない場所があれば、もちろんそことも混ざろうとする。つまり広がろうとするのだ。
だから、宇宙中に水素とヘリウムだけでなく、恒星によって作られた様々な物質が広がっていった。広がれるところがあれば、そこに原子はどんどんと広がっていく。そう、そこに自分たちが入る「余地」があるからだ。
これとボクらの社会となんの関係があるのか?

生物もまた、そこに余地があれば入ろうとするのである。

生きるためにとか、生存圏獲得のためとかではなく、そもそも我々はというか、物質はどこまでもどこまでも広がっていこうとするものなのだ。そこに入り込める「余地」があれば、勝手に入っていってしまうのである。
思考や哲学は関係ない。原子も、分子も、元からそうなのだから、それらで構成される遺伝子もまた同じ性質を持ち、そしてその遺伝子で作られたボクらもそうなのである。ちょっとでも隙があったら入り込む。そこにすでに何かあるなら、追い出したり融合したりしてやっぱり進出する。
欲望とか利己的とかなどというのは思考を持った我々が考え出した後付けの理由であって、そんなものがなくても、我々(というか、我々を構成する物質)は、広がり、そこに何かあれば侵略し、もしくは融合し、そしてまた広がるものなのである。
つまり人間が他人をおしのけて自我を押し通すのは、ずばりそのまま元素が宇宙に広がっていくことと同じことなのだ。金持ちが満足せずに搾取を拡大するのも、国家が空白地帯や他国に侵出するのも、弱者を追いやるのも、はたまた宇宙開発に乗り出すのも、全ては余地を求めて広がろうとする物質の本質なのだ。だからこれから先どんなに社会が成熟しようとも、過酷な世界なのは変わらないのかもしれない。少なくとも宇宙が生まれて 138 億年、ずっとそうだったのだから。

だけれども我々はその広がろうとする物質によって、知性を得た。その知性もまた広がろうとすることに支配されてはいるものの、異なる思考や思いができるようになってきた。138 億年かけて宇宙が生み出した、新しい概念・新しい仕組みかもしれない(もちろん、知的生命体は過去にも生まれて新しい概念を作り出せていたかもしれないが)。
それが正しいことなのか間違ったことなのかは解らない。間違っているなら、やはり広がろうとする物質たちに駆逐されて終わるだろう。
しかし、間違っていないなら、もしかしたら、新しい物質の法則が生まれるのかもしれない。ボクはそれに期待している。

などということをしゃぶしゃぶを食いながら考えて……いたワケでもないが、ゆず庵に行った!