台場とコミケと豚肉

今日はコミケに行った。一般で入るのは実は初めてかもしれない? 今まで何らかの形で運営側に関わるか出展側に関わってでしか入ったことがないかも? もう昔の記憶はかなり曖昧だけど<ヲイ
あ、いや、一般で入ったことなんどもあるや<マテ
午後、迎えに行ったり、撤収を手伝ったりとかで。

一般に並んで入るのが初めてなだけだった(汗
というのもコロナ禍前だと午後になったら並ばずに入れるからだ。しかも撤収時なんてコミケが閉まる直前だったりするので余裕で入れてしまう。

今日は知人が出店していたのでその陣中見舞いに訪れた。ちゃんとその人の作品を買おうと。
でね、車を駐める場所を探してたんだけど、お台場変わったねー。2021 年の 4 月までお台場で働いてたんだけどそれから二年、ボクが使っていた駐車場がことごとく閉鎖もしくは営業終了していた。えー……。そしてダイバーシティは車の長蛇の列! ここは元職場なんだけど(商業施設の奥にオフィス棟がある)土日に来るとこんなことになってるのね、スゲー。

というわけで諦めて臨時駐車場に駐める。ここは確か 2000 円だったかなぁ? しかも一回入れるだけでそれだけとられちゃうのよね。一日中台場で過ごすなら全然やすいんだけど、ボクは目的のブースで挨拶したら帰るだけなので 2000 円は高いのよねぇ。

で、話を戻して一般入場。コロナ禍後、チケットが必要なのは知っていた。サイトを見ると午後入場は当日券で良いみたいなことが書いてあったので、じゃぁサクッと入場券買えるんだろうと思って現地に着いたらアラ大変。長蛇の列。ぇー。仕方がないので並ぶ。ボク的にはさっと渡してさっと帰るつもりだったので出鼻をくじかれた感じだ。
そしたら不幸は続くもので大雨が降ってきた。いやー、車から降りるとき傘を持っていくべきかは悩んだのよねぇ……。
ボク自身はぬれるのは構わないが、知人に渡すお土産とか持っていたのでコレを濡らすわけにはと思ってお土産を腹に抱えて前にかがんだら周囲から次々と傘が差し出されるではありませんか! オタクって優しいね。前の人も後ろの人も隣の人も傘を差しだしてくれるという……。

で、無事、任務達成。

しかしびしょ濡れだ。下着まで濡れていたかもしれん。とりあえず会場をあとにしたあと近くのミニストップで飲み物を買って服が乾くまでビルのラウンジで突っ立ってたw

服が乾いて車に乗れるようになったのを確認して駐車場に戻り、今度は中目黒を目指す。別の知人とマロリーポークステーキに行くことになっていたのだ。というわけで再び豚肉の塊を食う。今回はデカいのを一つ頼んでそれを三人で食べた。こっちの方が冷める前に食べきれるので美味しさを保てるかも。前回は一人で 1kg を頼んでしまったので、途中で冷えてしまったのよね。

それから前回来た時発見したコンビニにまた行く(ぁ
ここはかつて八百屋だったのか、野菜と果物が普通に店頭に並んでいるのだ。しかもそんなに高くない。
というわけでトウモロコシと梨とブドウ買った。

そんなわけでわりとバタバタした一日ではあったが、久しぶりにお台場の様子とかコミケの様子とか見られて楽しかった。

縄文の風を感じる

取材旅行、続き。昨日は福島県を中心に、神社の写真ツクツクボウシの声を収めた。
それから夜のウチに秋田県に移動、道の駅おおゆで仮眠をとる。場所は秋田県北部とは言え、この季節、結構暑くてあまり寝られなかった。かといってエアコンのためにエンジンを掛けるのはマナー違反だ。

7 時起床。暑くて眠れん。
この道の駅の商業施設が開店するのは 9:00 なのでまだ駐車場にいても迷惑にはならないのだが、このままだと蒸し焼きになりそうなので移動することにする。とりあえず目的地である大湯ストーンサークル館へ。当然開いてない。コチラも 9:00 からだ。

東北は縄文時代に関する資料館や博物館が多い。一番有名なのは青森県三内丸山遺跡だろうか(取材したときの日記)。
三内丸山遺跡ばかり注目されがちだが、同規模やそれ以上の集落は東北のあちこちで発見されており、縄文時代の繁栄ぶりを物語っている。

大湯ストーンサークル館につくと門は開いていたので車を駐車場に入れることは出来た。
が、日陰がないのでここで開館まで待っていても焼け死んでしまう。
というわけでなんか面白いものはないのかと Google Map をなんとなくスクロールしてたら『八郎太郎出生の地』なんていうのがあった。マジか。そんなの同定されていたのか! 八郎太郎というのは秋田県に伝わる三湖伝説八郎潟に住んでいた龍である。1/2 summer の主人公でもある。

これは面白いというわけで行ってみた。碑には簡単なあらすじも書いてあった。丁寧だなぁ。
コレを立てたのは誰なんだろうか? まさか八郎太郎の子孫が今でもここにいるとでもいうのだろうか? いや、伝説の通りなら八郎太郎は田沢湖にいるので子孫もそっちにいそうだが……果たして?

下の写真は八郎太郎出生の地から大湯ストーンサークル館に戻る途中で、通学路とかに使えそうだったので撮った写真。緑が綺麗だなぁ~

で、大湯ストーンサークル館に戻ってきたのは 7:50。まだ一時間以上ある。というわけで飲み物を買いに近くのコンビニへ。するとこれまた景色のいい開けた場所に出たので写真を撮った。場所はこの辺。で、この坂の下を農業用水なのかなぁ? 小さな水路があったのでそっちもなんとなく写真に収めてみた。小さな水路とは言うものの水量は豊富だしこれだけの水量だと、落ちたら一気に流されてしまいそうではあった。

それでもまだ時間がある。というわけでさらに Google Map とにらめっこしていると田道陣没地とされる神社猿賀神社)があったので行ってみる。しかし田道は上毛野とついているということは、本人も蝦夷だったのではないかと思いつつ……まぁ群馬県栃木県は早くから大和王権側についていたようなので、別に矛盾はないのだが……。

ところで説明書きの札が↑の八郎太郎出生の地と同じような感じなので、鹿角市か秋田県が設置したのかねぇ??

さて、ようやく大湯ストーンサークル館、開館である。
中には縄文時代をメインに据えた様々な展示と、土器の製作体験なんかがある。単純に写真を送っていくだけで展示物の内容は把握できると思う。個人的に面白かったのは、縄文という名前のある、縄とそれによって出来る土器の模様。楽しいというか、当時の人たちも考えるの楽しかったんじゃなかろうか。












そして、個人的には一番見たかったストーンサークル。
周囲の景色(道路や木など)は変わってしまったが、地形はほぼ変わっていないはずで、この場所の空気を感じるとことは数千年後である今でも意味はあるとなんとなく思っている。ただ個人的にこの場所が生活の場所であったのかどうかは少し疑問が残る。祭儀の場所ではあったようだが。
大湯ストーンサークル館は実はちょうど丘の上に建っていて、東西と大湯温泉のある北側は標高が下がっている。西側には大湯川が流れていて、おそらく集落そのものはそっちにあったのではないかとなんとなく感じている。集落から見ると(見上げると)、この大湯ストーンサークル館のある場所が高台になっていて、祭儀をするにはちょうど良い場所だったのではなかろうか?

現状、世に出ておるボクの作品で、この時代(縄文時代)から日本にいたのは黒翼熾永ぐらいなものなのだが、連綿と続く人間の営みをイモータルなりにどう捉えていたのかを考える良い機会にはなったと思う。

さて、ここではもう一つ小さな事件があった。
昨日の日記ツクツクボウシの鳴き声を録音するのは 8 年越しだと書いた。なぜ 8 年もかかったかというと、8 年前に南相馬でツクツクボウシだらけの鳴き声を聞いたとき、「ああ、沿岸部はツクツクボウシなんだな」と思ってしまったからである。つまり東北地方は全体的にツクツクボウシが優勢という思考にはならなかったわけだ。

なのでツクツクボウシの声を録ろうと思ったら、東北地方の太平洋側に行かないとなぁとずっと思い込んでいたのだ。
だからその後何度も東北に行っているにもかかわらず、ツクツクボウシの声を録音しようとは思ってもなかったし、また、セミの声に耳を傾けることもなかった。

だが、この大湯ストーンサークル館の林で鳴いていたセミは、ツクツクボウシだったのである!
マジかwww
そして一番良質な音がとれたのである(汗
その音が↓だ。

つまり何が言いたいかというと……南相馬に行く意味はほとんどなかったのであった……orz

というわけで、今回の旅行の目的はすべて果たした。
時刻は 10:00。これから、東北を縦断しながら 12 時間以上かけて東京に戻ることにする。