かもしれない運転

上のツイートは言葉の綾というか、言葉遊びでしかないのだが、この機会に「かもしれない運転」と「だろう運転」についてちょっと触れておこうと思う。もっとも今でもこのようなことを教習所で教わるのかは解らないが。

かもしれない運転はだろう運転でもあるという人がよくいる。

「あの信号のない交差点から、こどもが飛び出してくるかもしれない」
「あの信号のない交差点から、こどもが飛び出してくるだろう」

というわけである。並べてみると解ると思うけど、意味全然違う(笑
「かもしれない」ということは、まぁ、普通はあり得ないけど、もしかしたらという時に使う。
「だろう」は通常あり得ることを予想するときに使う。

なので「あの信号のない交差点から、こどもが飛び出してくるだろう」は、ほぼ確実に飛び出してくるとドライバーは予想していることになる。一方、「あの信号のない交差点から、こどもが飛び出してくるかもしれない」は、そんなことは起きないのが普通だが、万が一にもそういうこともあるかもしれないという予想になる。

なので「かもしれない運転」というのは万一のことにも備えて運転しましょうということであって、それを「だろう」に置き換えたら意味はまったく違ってしまうのだ。

いわゆる「だろう運転」で典型的な「歩行者用信号は赤だから、あの小学生は渡ってきたりはしないだろう」の方は「渡ってこない」ことが当たり前のときに使われている。

この違いを頭に中に入れておくといいかもしれない。

たとえばボクなんかは、正面から来る自転車に乗った女子高生とか、交差点で信号待ちをしている女子高生が、ノーパンかもしれないと常にかもしれない運転を心がけている<バーカ
かもしれない運転、大事である。

松よしと東京煮干屋本舗

今日行った『松よし』は 10/20長寿庵という店に行ったとき、その隣りにあった店だ。そういえば行かなくちゃと思っていたものの、なかなかいけないでいた。昨日入ろうとして入れなかった店でもある(爆
中はかなり広い。そしてお客さんけっこう入ってる。こちらも常連客が多そうなイメージ。
メニューは壁に貼ってあるので、それと気付かなかったボクは最初戸惑った。そして遠くて読めなかったので日替わりランチの中華丼にしてしまった。

味は凄いこなれてる感がある。まとまっていて、そつがナイ感じ。塩加減も、あんかけのあんも、凄く整っていて食べやすかった。そしてお味噌汁も味噌と出汁がボク好み。料理でそつがないというはこう言うことをいうのだなぁ。
他のメニューもいろいろ食べてみたくなったので、また来たい。
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今日も帰りは同僚と一緒で、何か食べようと言うことになって『三田製麺所』行こうと思って中野へ舵を向けたんだけど、けっこう混んでてどうしようかなぁと車をコインパーキングに回そうとしていたら見知らぬお店を見つけて、そっちに行ってみようと言うことで言ってみた。『東京煮干屋本舗』というお店。
煮干しかー……と思いつつ<なら入るなよ
入ったらラーメン屋よりも油ソバがメインの店だった。しかも出汁も多少色つけを変えられるっぽい。
しかも釜揚げしらすがどかっと乗っている。相模湾産らしい。ブランド モノじゃないの!
味はね、以外とシンプル。これだけゴチャッとしているから、さぞかし複雑な味がするのかと思ったのだけれど、濃いめのだし汁をまんべんなくかき混ぜると、出汁よりも素材の味の方が強く、しょっぱさや出汁の渋みなどまったく感じる事なく食べられた。
ボクはカツオの風味を足してもらったので、それもあるのかもしれない。
思ったより油々してないし。
ボクはとても気に入りました。
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アジアナと長浜食堂

今日は『アジアナ』に行った。門前仲町に来てから三度目である。これはあるまじきことである。というのも、まだまだ門前仲町で行っていない店はたくさんあり、一通り制覇してから二度目、三度目に行くべきなのである。
いや、違うんだ! もともとは違う店に行こうとしてたんだ。そしたら前から OL っぽいお姉さんがやってきて、ボクの前で何かを思い出したかのように引き返していったんだ。するとお姉さんの後ろをボクが歩くことになる。
んでまぁ、ずっとお姉さんのあとをついていく感じになっちゃったのね。それが 400 mくらい続いて、ボクが曲がりたい交差点でそのお姉さんもボクが行きたい方に曲がるワケよ。
うわー、これじゃストーカーじゃん(って別にお姉さんの方はなんとも思っちゃいないだろうけどさ)、ってボクの中ではなっちゃったわけ。
で、交差点曲がったら目的の店が見えてきた。あの店に入ってさえしまえば、この僕の心の中の気にしすぎの変な感じもなくなる!って思ったら、そのお姉さんボクが行きたかった店に入りやんの!
もう泣きながら、そのお向かいのアジアナに入りましたよ。ええ、ええ。

というわけなんだ。
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さて、夜は本社の同僚と帰りが一緒になったので、ご飯でも食べようと言うことで、中野の『長浜食堂』に行った。ここは長浜ラーメン(とんこつラーメン)のお店なんだけど、妙に定食が充実しているという、不思議なお店。
生姜焼き定食を頼んでみた。
すごい味が沁みてて、ご飯が進みまくる。でもちょっと濃すぎかな。でもそれぐらいじゃないと生姜焼きとは言えないか。
とんこつラーメンも食べてしまった。匂いとかあるけどあっさりしているので、つるっといけてしまう。そう、本来のとんこつラーメンはあっさりしているのだ。
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作家を先生と呼ぶことに未だに抵抗があるヲレ

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これはボク自身がゲーム業界にいて常日頃思っていることなんだけど、今回、コミケを通して痛感したというか、うーむと思ってしまったので記事にしてみた。なぜだか知らないが、小説家や政治家、そして漫画家は「先生」と呼ぶことになっている。コミケなんかでも「○○先生描き下ろし」なんていう言葉が踊る。
だがボク自身、この使い方が非常に好きではない。
「先生」って誰に対して? ユーザに? それともボクに?
例えば、ボクが「漫画家を目指そう」と思い、誰かの漫画家に師事した場合、その漫画家はボクにとっては「先生」なので、その漫画家のことを「○○先生」と呼ぶと思う。けど、それ以外の場合、たとえばボクがその漫画家に仕事を頼むとき、ボクはその漫画家のことを「先生」とは呼ばない。書面とかでは「○○様」だし、会話では「○○さん」である。
だってその人は別に教師でもなければ、自分が師事する人でもないからだ。あくまでも仕事上の相手である。
ボクが作る立場ではなく、ユーザだった頃(高校生とか)も、作家や漫画家を先生と呼んだことはない。

ところが、小説家や政治家、そして漫画家(絵描き含む)には「先生」と呼ばれないと機嫌を損ねる人がいる。

なんじゃそりゃ! 以下略。