3 ヶ月近く古い記事になるが、最近の流行音楽について分析した記事が 7 月に少しだけ話題になった。
とはいえ、今回は音楽についてあーだこーだと語るワケではない。ただこのような論文の結果になった一つの原因に、コンプレッサの存在が果たしている役割は大きいだろうというのはボクの考えである。そしてまた、この論文のような結果の発端を生み出した原因の一つはビートルズだというのがボクの考えである(ライブではなくスタジオ録音にシフトしていったことや、スタジオでしか表現出来ない音作りに向かっていった事など)。
未だに時々耳にする音楽性の論争で、いわゆる音色やエフェクター、ミックスダウンも含めて音楽性だという論と、いやいや飽くまでも音楽性というのは旋律(メロディ)、律動(リズム)、和音(コード)であって、録音方法とかエフェクトとかそういうところで凝ったものは音楽性になんら寄与しないという論がある。ただこれも区別は色々で、技法や奏法、果てはワンポイントで録音すべきだだの、オーバーダブは音楽性を破壊しているだの、さらに遡ると、そもそも平均律は音楽性を著しく破壊している……などなど、なんというか、様々な論争がある。
今回はそんな音楽的なこととはまったく関係のない話(笑)。
とにもかくにも、音楽は単純化しているんじゃないだろうかっていうのが今回の論文で明らかになった。それに伴って音楽の進化が……とか憂いでいる部分もあるらしいのだが、元の論文がどのような結論と未来を綴っているのかは、ボクは知らない。
ただボクが思うのは、世の中はどんどん複雑化、細分化している。それは学問しかり、趣味の世界もしかり、食も、住むところも、着るものも。とにかくあらゆるものが複雑になってきている。この複雑化というのはどういうことかというと「選択肢が増え続けている」という意味である。細分化とは「昔は一つのものだったのが、さらにそこから派生したり新しい発見があったりして、分化している」という意味である。
で、それとは逆のものがあるのよ。
それは言語、特に発音。これは逆にどんどん少なくなって、省略可が進んでいる。
例えば日本語にあった「ゑ」や「ゐ」、英語にあった、g(sign)やgh(high)。Ph や Th などが他の言語では文字として残っているが英語では文字として採用されなかったりとか。
文法もどんどん簡略化してきている(但し日本語は明治期に改められ、いったん複雑化したと言う人もあるかもしれない)。英語では格がどんどん減っていったが、昔は様々な格が存在していた。
ただ言葉でも複雑化というか、種類が増えているものはある。それは単語の数。それは当然で、世界全体が複雑化、細分化が進む以上、それに対応した言葉を当てはめなければならないので、どうしても単語は増える。
ちなみに音楽も複雑化しているモノがある。それは「ジャンル」。技法や用法は単一化したとしても、様々な技法や用法を取り入れるので、過去の技法や用法しか使っていない音楽であっても、それらを混ぜ合わせれば新しい音楽としてジャンルが確立したりするからだ。
で、なぜ世の中が複雑になってきているのに、言語は省略傾向にあるのか。それは世の中が複雑で、一つ一つを表現する暇がないからではないかとボクは感じている。様々なものがどんどん生まれて、どんどん便利になって、商売する方もあの手この手と様々な商品だけじゃなくて、商売の種類そのものも増やして……そういった中でいちいと「ゑ」や「ゐ」なんて使ってられない。「い」や「え」でいいじゃんってなってるんじゃないかナーって(笑)。
でね、最近思っているのがシナリオ。
シナリオそのものが単純化しているのかというと、それはボクはよく解らないし、あまりそう感じたことはない。ただ、「その場の文字に書いてあることがすべて」という風潮はなんとなく感じている。「行間」を察することなく、書いてある文面をその通りに受け取ってしまうことだ。
ただ、逆に複雑だと感じる部分もある。それは「抽象化」と「暗黙の了解」の領域が増えたこと。たとえばツンデレとか。いちいち物語の中で説明しなくても「コイツはツンデレ」と説明しておくだけでキャラの説明は終わるので、読み手もそれを前提に物語を読み進めていく。他にも解りやすいところで言えば、死亡フラグとか。「俺、○○が終わったら故郷に帰って結婚するんだ」とかあれば、そのキャラは死ぬ的な。これらはいちいち物語の中で説明しなくても、シナリオをそのように流していけば、読み手が勝手に理解してくれるという役割を果たしているわけである。
要するに世の中がどんどん複雑になって、考える事もたくさんあって、娯楽もたくさんあって……いちいち行間とか読んだり察したりする余裕ないし、さっさと次のシナリオ読みたいし……って事なんじゃないかなって事。そしてこれはゲームも同じ。ルール憶えて、最適解を見つけ出して、一生懸命やり込んで……なんて一つのゲームにそんな時間かけてらんないし、他にもやりたいゲームあるし……。
世の中、娯楽に限らず様々なものがあふれすぎて、人間の処理能力を超えちゃってるのかなと。
音楽が単純化するのも、そういうものが背景にはるのではないかなーと、上の記事を見て思ったのであった。と同時に、複雑なシナリオや行間を読み解かないとキャラクタの本意がわからないシナリオというのは、最早時代遅れなのかなと。音楽なんかでも技法や奏法、あと用法なんかがすごく優れていても、まったく話題にもならずに埋もれていくように……。
体調を崩していて、お返事が遅れましたm(_ _)m
その論を裏付けるなら、エロゲを作ってる人たちの中にはメイン・ストリーム(全年齢向け)では出来ないことを目指してやってきた人たちも当時は多かったのかも知れません(私もその一人です)。飽くまでも推測でしかないですが。そういう意味では 2000 年くらいからはそもそもクリエータの考え方が異なっているようにも思います。
別にエロゲが退化しているわけでもないですし、絵も内容も確実に進化していますし……。
思うに、人間の進歩としてとらえれば、今のエロゲの様相は、音楽に限らず、他の何にでも例えられることなのかもしれません。MT 車→ AT 車とか、フィルム・カメラ→デジタル・カメラとか。
ただここまでくると、流石に「石炭をば早つみたてつ」を現代の人に読み解かせるようなレベルになっている気もします。複雑なストーリーも同様で、エロゲにそこまでやるか、と言う人もいるかもしれない。
でも、ポップス音楽に代表されるように世の中の殆どが単純・直接的になっていく中、アダルト作品でありながらストーリーの構成やBGMなどをどんどん深化させていたというのは、だからこそ本当にすごいことだなと思うのです。後はそれが認められて売れれば・・・
ごめんなさい、上手くまとめられずにまた長くなってしまいましたorz
エロゲとクラシックを繋げて考えるのは、多分にうちのジャンル特有かつ他に例のない思考でしょうねww 同人クラシックピアノアレンジってエロゲBGMから誕生しているので。
ただ、今の音楽教育がクラシックベースであることもあり、直接の繋がりも結構あったりします。例えば「黒と黒と黒の祭壇 ~蟲毒~」では、ベートーベンがソナタで多用してたりする技法を使って実際にBGM数曲で「蟲毒」をやっていたり、とか。これはクラシックでもそれなりに分かっている人が聴かないと気付かれないハイレベルなもので、私も見つけた時は驚きました。これをぐっとレベルダウンさせて分かりやすくすると「いろは」、中間的なレベルのものを思い切って多用したのがPrismRhythmというと何となく分かりやす・・・くなってなかったorz 「メロディーの共用」のクラシック的進化版です。
私は18禁、つまり18歳未満は作品の対象として考えなくて良かったからこそ、ここまでエロゲにストーリーが発達したのだと思っています。とはいえ「さっさと抜かせろ」なアダルトジャンルとしてはやっぱり奇跡的で、ある意味今のシナリオは、残念ながらアダルト向け作品として無難な線に戻ってきてしまったのかもしれないですね。
ラヴェルのコンサートを聴いた当時の人たちは、その和音の妙に感嘆した人もいれば、不協和音を不快に感じた人もいたそうです。森鴎外や芥川の小説に、当時の人たちは様々な情景を思い描き、短いセンテンス一つ一つの意味を深くかみしめたことでしょう。「石炭をば早つみたてつ」。この一文だけで、主人公の置かれた状況や心境を当時の人たちはなんの疑問もなく受け入れられたのですから。
ただ思うに、その当時の娯楽は誰しもが楽しめたわけでもないのかなと言うことを思い出しました。ハリウッドの映画が単純化の一途をたどった原因の一つが、文字も書けないような人たちも映画館に足を運ぶようになったからだとか(それでも最近のハリウッド映画は、話が複雑になって来ていますね)。
現代の人がクラシックを楽しめないかというと、そんなことはないのでしょうが、多くの人は、退屈で、どこを聞けばいいのか解らないのでしょう。
なるほどそう考えてみれば、行間や些細な表現から心情を読み解く作品は、クラシックに通じるモノもあるかもしれませんね。もっとも、ラノベやエロゲ以外のシナリオというのは実はそうなのかも知れませんけどね(汗)。ラノベは子ども向けですし、エロゲは抜くためのものです。そこに、繊細さだ、行間だとか超いらないし。いいからさっさと抜かせろ。繊細な作品は他で楽しむわ、ってことなのかも……。
歌詞になったと言う部分は「より直接的になった」と捉えています。今まで色んなことに喩えて「あなたが好きだ」と言っていたのですが、今はもう「あなたは好きだ」と直接言えばいい、みたいなw。これはエロゲも同じで、「あなたは変態の女の子が住んでいる女子寮に入ります」とか、要するに「この世界は裸でしか過ごしちゃ行けません。めくるめくエロの世界へようこそ」っていう身も蓋も何もないストレートで誰にでも解る作品へと流れていっているのかなーと。
しかしクラシックをエロゲで例えられるとは思わなかったw
考えたのが、歴史って繰り返してるんだなー、と。
私は同人でクラシックのピアノアレンジやっているのですが、クラシックから言わせれば最近のポップスって、内容伝達を歌詞に任せて単なる雰囲気作りしかしてないじゃん、なんです。伝えたいものが複雑であれば細かいニュアンスの表現は必須なので、単に音を大きくすればいいという考えには至りませんし、コンプレッサーをかけて自分から強弱を潰すなんてもっての外です。(なのでクラシックな音しか扱わない私は未だにコンプレッサー使ったことがないという・・・) しかしそんな細部を読み取ってもなお具体的な何かが伝わる訳ではない難解さは、言語が故に明快な「歌詞」と分かりやすい魅力である「力強さ」の前に衰退の一途を辿ったのですね。
シナリオにも同じことが起こっているように私は感じるのです。エロゲで言えば、菅野さんがクラシックを確立させたバッハ、keyの泣きゲー感動路線はソナタのようなイメージでしょうか。クラシックの衰退は、エロゲでは00年台の半ばから。「力強さ」の代わりに「抽象化・暗黙の了解」が当てはまり、「歌詞」になったのはやはりキャラクター性でしょうか。キャラの魅力による一本足打法で物語が進み、シナリオは下を支えるだけになってしまっている感があります。
私はクラシックアレンジの勉強材料として、エロゲのシナリオの構成を見ています。音楽では失われてしまったものが残っているからです。逆に言えば、エロゲのシナリオのその先を見通すには、音楽を参考にするといいのかもしれません。つまり、車の中や仕事中などに音楽を聞くように気楽に、読んでいくことができるシナリオ。ただそれが、シナリオ単体がもつ魅力のどれだけを捨てているかは言うまでもないでしょうが。
長文を失礼しました。
寂しい話ですが、音楽も言語もシナリオも全く同感です。
・・・えと、共感できる所が多すぎます&思いつくことが多すぎます。
「物語消費」→「データベース消費」の流れとか、同じ「連鎖型」な人間として最近「刹那型」しか持てはやされないなーとか、色々。