縁あって、re:CYBORG009 を見てきた。今日から封切り。
映像は見たかったのよねぇ。
以下感想、ネタバレあるので注意。
まず映像はよかったー。ハリウッド映画なみに頑張ってると思う。そして内容もハリウッド映画みたい(笑)。トランスフォーマーが現実世界に存在したらどういう存在になっているかとかをいろいろ考えて映画化しているように、サイボーグたちがこの世界に存在していたらどうなっていたかをシミュレートして設定されている。ちょっと夢見すぎな設定もあるけれど(NSA のくだりとか)、ハリウッド映画も同じようなものなので、よいと思う。
あとは兵器産業が関わっていることも、原作をちゃんと読んでいるなという印象を受けた。
映像面でも 3D 表現を非常に生かしたカメラワークやコンテが随所に見られて楽しい。特にゲームで育った人たちは、いろいろとニヤリとするシーンがあったのではないだろうか。しかもクオリティが高いので、こちらの方がより楽しめる。
さて、肝心の「彼の声」だが、難しいテーマを選んだなぁと個人的には思った。けど、惜しい。脚本家がフェニキア文字についてもっと知っていれば、おそらくもっと別の話になっていたと思う。実はインド・ヨーロッパ語族の間では「思考=神の所行」という考え方があったのだ。つまり自分自身が思考しているのは自分ではなく、神なのだと。神が語り、神が意志を決定してくれていると。これは多くの人が読むどころか言葉そのものを自在に操ることが出来なかった時代の人たちのこと(この頃、東洋ではどうだったのかはちょっとまだ調べていない)。
つまり人間はそもそそも神というものを自然に生み出し、神によって自分は成し、神によって生かされているという認識があった。誰しもが預言者だったわけだ。そして言葉を自在に操り、言葉を創出できる人間というのは限られていたようで、それが次第に今度は読み書きに移っていく。言葉は自分で自由に創出し、人々は会話をすることができるようになった。そういった中で、今度はそれを記録する事が出来る人間が特別な存在となっていく。
しかしそれも決定的な革命が起きる。フェニキア文字の誕生である。たった 20 数文字を憶えるだけで思考を記録することが出来る。そしてこの時人々が叫んだのは「神の声が聞こえなくなった」という言葉だ。つまり人は自分で言葉を操って、自分の経験や記憶から次にすべき行動というのを紡いでいたことに気付いた。
神の声とは、自分だったわけである。
あとは最後のところかな。核を処理したあと、どうやって戻ってきたかってのはちゃんとやりようがあったと思うんだけど、何となくお茶を濁された感じだった。あそこで生還劇も描けばかなり感動的なエンディングになったと思うんだけど、説教臭い方向でまとめてしまって、個人的には「うーん」って感じであった。攻殻の TV アニメの時も思ったんだけど、脚本家さんは描きたいことをもうちょっと深く調べてテーマを描き切るとよいなぁと思った(攻殻の時も、色んなテーマを入れすぎて結局使い切れてない、というか自分の知識になっていないという感じだったので)。
なんて、なんか偉そうに書いてしまったけれど……どうしてもレビューってこうなっちゃうよねぇ……。
個人的に羨ましいなぁと思ったのが、やっぱり派手さね。核爆発とかね。
翼をくださいとかでもそうなんだけど、エロゲではサイボーグ(ボクの世界ならばイモータル)が暴れ回るってことがあんまりできない。どうしても恋愛重視になるし、学園モノになるし……どうしても小さくまとまっちゃうのよねー。ハリウッド映画もそうだけど、ああやってドンパチやって地球壊したりできたりしていいなぁ……っていつも思う。
翼をくださいのシリーズも 5 作品めくらいまで作れれば、かなーりどっかんぱっかん出来るんだけど……そこまで作れるかなぁ……結局 2 年過ぎて未だに続編は作れてないしなぁ。がんばらないと!!
最後に、劇場の音が悪くてびっくりした。スピーカーがまったく音源に着いて来られずに、全部の周波数がごちゃっとなってしまって、サラウンドが半分くらい死んでた。みんなセンターから鳴るの。なにあれ!? もうちょっと余裕のあるスピーカー使おうよ……orz
下の写真は、映画みたあと食べに行った餃子市。
金曜日と祝日の前日は朝までやっている。わりとボクの中で定番な中華料理屋である。虫みたいな写真は、新メニュー作ったので食べてくださいって持って来てくれたエビの料理なんだけど……そもそも食い方が解らなかったwww 食べにくいよww しかもそのおかげで他の頼んだものが食べきれなかったよ(汗)。