帰りは国道二号でノロノロと大阪くらいまでは帰ろうかなぁなんて考えていた。でもそういうことをする場合は事前に地図を見ておくべきだった。どこを走っているか感覚的に解らなくなり、結局途中から高速に乗ってしまった。
小谷 S.A. に 16:00 着。2 時間ほど仮眠して 18:00 発。
23:30 に名古屋着。
ここで晩御飯を食べたりどしたり。
11/4 に変わって AM1:00 に名古屋発。3:30 に山梨県は双葉 S.A. に到着。
ここで仮眠……とか思ってたら、目が覚めたら朝 8:30 だったwww
結局双葉 S.A. から直接出社した。11/1 の 0 時から始まった旅はフルに三日間を使い切った旅となった。振り返って見れば短いけれど、感覚的にはずいぶん長いこと旅していたという気になった。
ボクはもともと車中泊はあんまり好きではないのだが、エスティマに乗り換えてからというもの、車中泊が苦ではないということは解った。とは言え、やはり車中泊に頼らない旅は心がけたい。特に、冷暖房を使うのが環境にも良くないし、エンジンにも良くない。
もう一つは、やはり一人旅というのは気軽で楽しいものだと改めて感じた。10 代後半~ 20 代前半の頃はよく一人旅をしていたが、いつしか一人ではあまり旅しなくなっていた(複数人で車の旅をすると旅費がとてつもなく安くなるのが、一人旅が減った同機である)。ただ翻ってみれば、今回のような行き当たりばったりでしかも宿に泊まれるかどうかも解らないような旅は、他人を一緒には連れて行けないなとも思った。
さて、初めての山陰であるが、まず感じたのが言葉は関西弁に近いのだが、人間性はまったく異なるということだ。さすがかつて中央と張り合うほどの勢力を誇っていた……からかどうかは解らないが、なんとも言えないプライドの高さのようなモノを感じた。そしてお風呂などで気軽に話が出来ない。こんなこと、初めてである。
ボクはよく旅に行くと現地の人と世間話をするのだが、今回の旅ではほとんどなかった。つけいる隙がないというかなんというか、そして逆にこちらに対しても、無干渉なのだ。
石見銀山で少しだけバスの運転手と会話できたが、ものすごく島根への郷土愛というのだろうか、また来て欲しい、他にも見るところはたくさんあり、歴史は京都には負けていないからという気持ちがヒシヒシと伝わってきた。
次に山陰地方の考古学的考察だが、非常に面白く取材できた。特に京都と同じ金型で作られた銅鐸なども発見されており、当時の交流の深度がうかがわれ、面白い。しかし取材としては中途半端であり、まだまだ見なければならない場所があると言うことが解った程度である。
古事記や日本書紀、万葉集がどこまで正しいかは別として、国譲り以前の島根の正体に少し近づけたと思いつつも、その後、ここに住んでいた人たちはそのままなのか、それとも他へ散って行ったのかなどなど疑問に思うことは尽きない。
荒神谷遺跡にせよ加茂岩倉遺跡にせよ、結局の所、謎な部分が多く、全容解明にはまだまだ時間がかかるように見えた。と言うことは、こちらとしても想像を豊かにして憶測で物事を決めなくてはならないのだが、説得力を持たせられる設定にするにはさらなる研究と情報収集が必要であると思われる。