関東の歴史を思う&白樺のシロップ

最近見ている TV 番組に『熱烈!ホットサンド!』というものがある。お笑いコンビ(?)のサンドウィッチマンがメインを務める北海道の番組だ。内容はバラエティに富んでいるので、一言で説明するのは難しいが、まぁそのなかで義経が北海道に渡ってきた伝説の地を辿るみたいな回があった。

ボクは関東に住んでいるわけだけれど、関東はイマイチ歴史の派手な部分には登場しない。戦国時代もだいたいは名古屋以西だし、奈良平安時代も西日本がメイン。学校で勉強する派手な合戦もどれも名古屋以西が多い。
それでも関東が日本の中心だった頃は三つあって、鎌倉時代江戸時代、そして明治から続く現代だ。
上のツイートは鎌倉時代のもので、義経自身は関東の生まれではないようだが、奥さんは川越出身だったりしてグッと身近に感じる。歴史に出てくる地名がボクの生活圏内だったりするとなんかうまく言えないんだけど、不思議な感覚になるのはなぜだろ。ボクだけかも知れないが、日本史で習ったことはどこか遠い場所の事ばかりなのでイマイチ実感がないというか、「そうなんだー」くらいにしか思わないのだが、秀吉の小田原攻めや、信玄の息子勝頼が自害した天目山なんかも近くを通ると、ぐっと実感が湧くのだ。

江戸時代はもちろん東京が中心だったから様々な出来事に思いを馳せることもあるんだけど、逆に近すぎて(?)、ボクらの生活の一部になってしまっているものもあるじゃない? 普段目にする川や道路、地名なんかで江戸時代からそのままなものは多い。

でも規模は解らないのだけど、実は東京でもけっこう合戦は行われていて、学校では習わない様々な合戦が鎌倉時代~室町時代初期にはあったようだ。もともと東京は秩父氏を祖とする武士が支配していたようなのだが、その秩父氏の支流には河越氏豊島氏と言った埼玉~東京に馴染みある名前も見られる(先の義経の嫁は、この河越氏である)。
あの徳川家康も、徳川という姓は群馬にある得川という地名からとったもので、これはおそらく新田義貞にあやかったものだろう(いちおう家康の祖父の代で、得川から駿河に移り住んだと伝わっているが)。
戦国時代も歴史の表舞台には出てこないが、地方勢力同士の小さな小競り合いはあったようだ。

何が言いたいかというと、西日本に住んでる人たちなんかは日本史を習ったときにとても現実感を持って捉えられたと思うんだよね。さらにはそれぞれ世代を超えて愛されている歴史上の人物を持ってるところも多い。山梨県なら信玄さんとか、鹿児島県なら西郷どん宮城県なら伊達政宗とか、下越の方は謙信かな? 東京というか関東に住んでるとそういうのがなくてちょっと寂しいななんて思ってるんだけど、色々調べてみると関東は関東で色んなことが起きてて、負けたもんじゃないぞっていうそれだけの話(笑)。
まぁ、東京の人はもっと家康さんをリスペクトするといいのかもしれないけどね。

ところでメイプルシロップと同じような感じで、白樺からもシロップが採れるらしい。メイプルほど味がべたっとしてないらしい。実はボクはメイプルシロップがいまいち苦手で、もうちょっとスッキリした甘さのシロップはないものかと前々から思っていたのだ。

もしかしたら、この白樺から採れる樹液がボクの求めるシロップかも知れないと思ったのだ。

ところが検索して出てくるのは清涼飲料水としての白樺樹液ばかり。これはどうやら白樺から採れる水らしく、シロップではないらしい。
で、ようやくそれらしいものを見つけた。

たか!!! 3000 円すか……。ちなみにガムとかでよく目にするキシリトール、これがどうやら白樺からとれる糖分のようだ。ボクはてっきり人工甘味料かと思ってたよ。
でも、いつか買ってみたいなぁ……。

本能は思考を求めていない

すごいトートツなツイートなんだけど、要するに便利になればなるほど人って思考を放棄していってるよなって思っただけ。わかりやすく説明すると、たとえば普通に電灯。これの仕組みなんて知らないけど、だいたいは家とかに付いてるじゃない? でスイッチを入れれば、つく。でもどうして光るのかなんて知ってる人なんて、とても少ない。
知らなくても使うことが出来る。科学の勝利だ。

これは娯楽にも言えるのではないかと思っている。その辺は、この記事に詳しい。昔の娯楽は前提知識がかなり必要だった。

でね、このあいだ知人からなかなか興味深い話を聞いた。彼女は漫画のアシスタントであり、比較的シリアス系ストーリー系の漫画に携わっている。ボクなんかよりも世間に出ている漫画や小説を読み、また大手出版社との編集との打ち合わせなどにも顔を出している人間なのだが、曰く、素晴らしい作品よりも刹那的なネタになる作品の方がよく売れていると言う。

もう少し詳しく説明すると、素晴らしいシナリオ、そして素晴らしい絵、それらを満たした作品は確かに評価が高い。誰しも評価してくれる。しかし買う作品は何かというとそういう作品ではなく、一発ネタやエロネタで誰しもが理解でき、同じ感情を抱ける作品が売れていると言う。

特にエロの効果は大きく、内容も絵も大したことないのにパンツや脱衣が多いと言うだけで部数が伸びる。

これはコミュニティにおいて作品を語る必要があるからだと分析する。前者のような素晴らしい作品の場合、「どこが面白いのか?」「何が素晴らしいのか?」というのを説明する必要がある。しかし後者のような作品の場合、「こそあど」で表現が済んでしまう。「○○のアレ、面白かったよね」とか、いや、アレの部分さえもいらないかも知れない。「○○、面白かったよね」で通じてしまう。また、作品を知らない人に勧める時も後者の作品の方が圧倒的に勧めやすい。

彼女自身も、自分が好きな作品というのはあるし、アレが素晴らしい、コレが素晴らしいとは感じるものの、いざ買うとなるとやはり後者のような作品の方に偏りがちだという。動機はシナリオはどうってことないけど好みのキャラがいるとか、そんな程度だ。でもそちらの方が手放しに楽しめるし、その気持ちを他人と共有しやすい。

さらにボクが感じているのが、一作品への思い入れだ。今やお客さんは色んな娯楽に囲まれている。ソシャゲに、漫画に、アニメに、映画に、自分自身の趣味に、エロに……。とにかく娯楽が豊富だ。そうなってくるとじっくり考えさせられる作品なんかいらないし、やってる余裕もないだろうなぁって思う。
特に頭を使わなくてよくて、面白くて、スカッと出来て、いい気分にさせてくれればそれでよいのだろう。

また Photoshop が HEIF に対応してくれないっていう話。
懲りずに言い続けるぞ! さっさと対応してくれぇぇぇぇぇ!!

えげつない漁師と幸せな女子高生

資源管理の話。日本人はそれこそ縄文時代から魚とは付き合ってきたはずだし、取りすぎたらどうなるかと言うこともわかっていたと思うんだけど、なんともふがいない話である。この手の話では日本ではハタハタの保護が有名だと思う。三年間の禁漁を経て漁獲を回復したという。もちろん、禁漁さえすればいいのかというとそういうわけではないし、学術機関との連携なども必要であろう。

ただ、これはボクの偏見でしかないが、漁師はわりと言うことをきかないというイメージはある(汗)。また、漁師にも代々培ってきたノウハウなどもあるのだろう。現場をしらない学者があーだこーだ言うのも気にくわないのかもしれない(もっとも学芸員や研究者はわりと漁に参加しているイメージもあるが)。

そもそも日本の漁獲枠対象魚種が 7 種類しか設定されてないのにはびっくりした。
本当にそれでいいのか? 将来のためにも真剣に取り組んで欲しい問題である。

話は変わって、高校生の幸福度の話。記事の見出しでは「女子高生がやたらと楽しそう」となっているが、実際は男子高校生が不幸に感じているよという記事。ここから何を学び取ればいいのか、ボクは頭が悪いので判然としなかったが、まぁそういう数値があると言うことだけは気にとめておこう(ぁ

そこに余地があるから

なんとも切ない記事を見つけたので、それから派生した話を一つ。ジャンル的にはなんだろうねぇ、哲学に近いのかしら? とはいえ、そんな大仰な話ではない。

生きるという事は大変だ。それでも人類は社会というものを形成し、自然界の弱肉強食の世界からはある程度離脱することに成功した。とはいえ、この社会の中での生活がけっして誰にとっても幸せに過ごせるというものでもない。
戦争、いじめ、経済格差、様々な差別などなどの問題が社会の中に溢れかえっている。
結局のところ、これだけ科学が発達し、社会制度が発達しても、誰しもが食うために一生懸命だ。

なぜかくも、この世界は過酷なのか。

幼少の頃からそう思ってはいたけれど、その答えもたくさんあったように思う。弱肉強食というのもその一つだろうし、人間が持つ欲望・自己中心・妬みなどを揚げる場合もある。自然災害ももちろん原因の一つだろう。
ただ、これら全ては、一つの理由に集約できないか? と、漠然と思ってきた。

ところで(きん)という物質がある。我々の社会では価値の高い金属として有名だ。あの金は超新星爆発がないと生まれない元素であることをご存じだろうか? 恒星(太陽)が燃え尽き、自分の重力で大爆発を起こしたときの超高温や高重力で原子と原子がくっついて生まれたのが金だ。
金に限らずより重い原子は、すべて超新星で生まれる。また鉄を含むそれよりも軽い原子は、恒星の中で作られる。これらは水素ヘリウムが、恒星内部の高重力と高熱によって、元素合成が起きて作られるのだ。
夜空を見上げると、たくさんの星々が瞬いているが、あの中で、鉄ばかりでなく岩石の元となるケイ素や、硫黄塩素などなど様々な原子が作られているのである。

つまりボクらの足許にある地球、そしてボクらの身体を構成する物質は全てがあの星々の活動によって生まれたのである。その中でも特に金は、超新星によってのみ生まれた元素なのだ(恒星が全て最後超新星爆発をするわけではない)。
もちろん宇宙規模で見れば、超新星なんて至る所で起きてはいるが、その時生まれた元素がこうして宇宙の至る所に広まって、ボクらが住んでいる地球の中にも埋もれている。非常に浪漫あふれる話ではあるが、同時にこの原子たちの広まりに恐ろしさをさえ感じる。
あの広大な宇宙に、つまりこれだけの原子が漂い、そして宇宙の果ての果てにまで行き届いているのだ。

そう、これこそが、ボクらが生きることを大変にしている元凶なのだと気づいたのだ。

高校だったか中学だったか、化学の授業の時、物質は均等になろうとするというのを教わったと思う。偏りのあるものはなるべく平らになろうとする。もちろん、それが不可能な場合もある。せき止められていたり重力があったりして、平らになれないこともあるが、とにかく物質はまんべんなく混ざろうとするのだ。そして何もない場所があれば、もちろんそことも混ざろうとする。つまり広がろうとするのだ。
だから、宇宙中に水素とヘリウムだけでなく、恒星によって作られた様々な物質が広がっていった。広がれるところがあれば、そこに原子はどんどんと広がっていく。そう、そこに自分たちが入る「余地」があるからだ。
これとボクらの社会となんの関係があるのか?

生物もまた、そこに余地があれば入ろうとするのである。

生きるためにとか、生存圏獲得のためとかではなく、そもそも我々はというか、物質はどこまでもどこまでも広がっていこうとするものなのだ。そこに入り込める「余地」があれば、勝手に入っていってしまうのである。
思考や哲学は関係ない。原子も、分子も、元からそうなのだから、それらで構成される遺伝子もまた同じ性質を持ち、そしてその遺伝子で作られたボクらもそうなのである。ちょっとでも隙があったら入り込む。そこにすでに何かあるなら、追い出したり融合したりしてやっぱり進出する。
欲望とか利己的とかなどというのは思考を持った我々が考え出した後付けの理由であって、そんなものがなくても、我々(というか、我々を構成する物質)は、広がり、そこに何かあれば侵略し、もしくは融合し、そしてまた広がるものなのである。
つまり人間が他人をおしのけて自我を押し通すのは、ずばりそのまま元素が宇宙に広がっていくことと同じことなのだ。金持ちが満足せずに搾取を拡大するのも、国家が空白地帯や他国に侵出するのも、弱者を追いやるのも、はたまた宇宙開発に乗り出すのも、全ては余地を求めて広がろうとする物質の本質なのだ。だからこれから先どんなに社会が成熟しようとも、過酷な世界なのは変わらないのかもしれない。少なくとも宇宙が生まれて 138 億年、ずっとそうだったのだから。

だけれども我々はその広がろうとする物質によって、知性を得た。その知性もまた広がろうとすることに支配されてはいるものの、異なる思考や思いができるようになってきた。138 億年かけて宇宙が生み出した、新しい概念・新しい仕組みかもしれない(もちろん、知的生命体は過去にも生まれて新しい概念を作り出せていたかもしれないが)。
それが正しいことなのか間違ったことなのかは解らない。間違っているなら、やはり広がろうとする物質たちに駆逐されて終わるだろう。
しかし、間違っていないなら、もしかしたら、新しい物質の法則が生まれるのかもしれない。ボクはそれに期待している。

などということをしゃぶしゃぶを食いながら考えて……いたワケでもないが、ゆず庵に行った!

裁判とか AppStore とか PHP とか妹倫理裁判とか

裁判は報復の場ではないと教わってきた。量刑は犯した罪そのもので判断すべきであると。
よく新聞などでも被害者についてお涙頂戴と言わんばかりのことがのその事件の記事の最後についていることがある。「○○を目指していて、まさに今日その発表の日でした」とか「シングルマザーでうんたらかんたら」とか。
その情報が果たして必要なのかと首をかしげることもある。

だが日本の裁判では、殺された人がヤクザだっただけで刑が軽くなったりする。
世間を騒がせたとかいう理由で刑が重くなったりする(逆に世間からの迫害を充分受けたとして軽くなることもある)。

うう~ん……いいのかな、それで。司法ってそういうもん??

なんか知らんが、朝から iOS のアプリが更新できないという不具合に見合わされた。これが WiFi 環境だとなる。家でも会社でも。勇気を出して Docomo 回線でやるとちゃんとダウンロード出来た。なんだこれ??
でもダウンロード出来る時もあったり……なんか今日は一日中、そんな感じだった。

一葉いいよ、一葉。ってなんでこんな動画を撮ったのか、ボク自身さっぱり記憶が無い。たぶん 1/2 summer+ の何かを確認して欲しいって言われて、ちょうどこのシーンがあったので懐かしくて録ったんだとは思うんだけど。
で、録って気づいたんだけど、背景が間違っている……orz
ここは一葉と主人公が寝泊まりしている部屋なんだけど、ド深夜の話なので布団が敷いてないといけないのだ。のに畳になっている。う~ん、何故見逃した、ヲレ。

下の写真は水新菜館という浅草橋にある中華料理屋さん。美味しいのに滅多に行かないお店だ。そう、ここは味はかなりいい。浅草橋の中華屋さんの中では上から数えた方がいいだろう(というかボク的には二番目である)。女性にも人気で、昭和な申し訳ないけどあまりキレイとは言えない店なのに、女性客が次から次へと入ってくる。

じゃぁ何故行かないのか?
それは高いからwww
店主は自分の料理の腕にかなり自信があるんだと思う。どれもメニューは 1000 円以上だ。ランチでは 1000 円以下のものもあるが量が少ない。うう~む……だが、うまい!

ハンドルネームとか独裁者とか猛禽類とか

Twitter から拾ってきたネタ、色々。

ボクはエゴサをしているわけだけど、最近、その検索語と同じユーザ名の人がチラホラ現れるようになった。まぁ 1/2 summer の略である『ワンサマ』は他にもかぶりそうな名前なので仕方がないのだが、『テトメト』って人もいる(しかもこの人は、後にプロ小説家としてデビューしてしまったっぽい)。
テトメトは偶然の一致、あり得るのかなぁと思いつつ、まぁ別にいいです。テトメトが今後世間に出ることもあまりなさそうだし、それならその小説家に有名になってもらっても一向に構わないのだが、ボクが『テトメト』という名前を使ったときに、その人からクレーム来たらヤだなww

あとはヒロインの名前のユーザ名の人もいる。これらの人たちは別にボクの作った作品についてツイートするわけではないので除外したいのだが、なかなか難しい。ユーザ名ではじくのが一番かなぁ。なんか Mute しても検索だと出てきちゃうよねぇ?

ま、ツイートの通り。トランプ大統領が生まれたのも、この要素が少なからず影響しているだろう。
また、「オカルトがなくならない」でも書いたように、ヒーローや神を求めてしまうというのにも通じると思う。そして貧しい人ほど冷静に理性的に判断すると言うことができないのだろう。なにせ毎日の生活だけで精一杯なのだから。

面白い説。日本でも数分目を離した隙に我が子がいなくなったという未解決事件は起きており、それの犯人は(人じゃないけどw)、猛禽類ではないかって訳だ。あくまでもボクの感覚的な話ではあるが、乳幼児なら連れて行けそうだが、果たして日本に住んでいる猛禽類が幼児や児童を持ち上げられるだけの力があるんだろうか? ちなみにちょっと検索したら猛禽類の最大ペイロードは 35Kg という記録があるらしい。35Kg を持ち上げられるなら、児童も連れていくことは可能だ。彼らの握力は人間の 6 ~ 7 倍と言われているので、240 ~ 280Kg にもなる。
まぁでもせいぜい 4Kg くらいだと思うんだけどねぇ。あと猛禽類が餌として連れ去った場合、遺体が比較的すぐ見つかりそうなもんだけど。

障がい者に対する単純な答え

すっかり記事にするのを忘れていた話題。本来は 7/26 に書く予定だったのに。なんでこの日かというと、去年の 7/26 に相模原の障害者施設が襲われて 19 人を殺害した事件が起き、それの一年後と言うことで NHK などで特番が組まれたからだ。
ボクはその NHK の番組は見られなかったのだが、見た人から聞いた話によると Twitter などで視聴者からの意見をリアルタイムで集計していたり(最近の NHK のお家芸ですな)していて、その中には「勇気を持って発言する、障がい者は生まれてこないようにするべきだ」とか障がい者への対策は社会の大きな損失だなどと発言する人がおり、そしてそれに賛同する者も少なくなかったとか。

これはとても由々しき問題である。障がい者問題が自分とどう関わるのか、学校で教えられなかったっけ?

感情論や障がい者の都合を抜いたとしても(つまり健常者だけの都合で見ても)、障がい者が社会に参画できるということは健常者にとってとても必要なことであり重要なことである。障がい者対策が社会の損失だなんてとんでもない!

どうしてか?
それはそもそも健常者がいつ障がい者になるか解らないからだ。我々は事故や病気によって簡単に障がい者になり得る。つまり障がい者が活躍できる社会、障がい者をケアしてくれる社会とはそのままそれは自分の為でもあるのだ。
実に簡単なことだと思うのだが、はて NHK ではそのことに言及したのだろうか?

もちろん交通事故になる確率や後遺症が残る病気になる確率を示し、その確率のためだけに社会的コストを課すのはいかがなものかという論調もあるかもしれない。ならばもう一つ、我々が障がい者と同じように機能低下してしまう現象があることを思い出そう!

それは老化である。

耳が遠くなり、ものが見えづらくなり、足腰も弱くなり、性格も了見が狭くなり、意固地になったり、幼児化したり、痴呆になったりする。一人でトイレに行ったりお風呂に入ったりできなくなる。障がい者をケアするシステムがあると言うことは、そんな状態の人でも社会に参画できることを意味する。素晴らしいことではないか?

障がい者を支援する必要性がわかってもらえたらと思う。明日は我が身である。我々が安心して暮らせる社会の一つに障がい者対策もあるのである。