帰り道

帰りはのらりくらりと南下するだけである。特にどこに寄るとかそう言う計画も全くない。が、まずはお風呂。秋田の上の方とはいえ気温は東京と変わらないぐらい高く、かなり汗をかいた。で、大湯ストーンサークル館はその名前の通り大湯温泉が近くにあるのだが、せっかく秋田に来たのだからボクの大好きな硫黄の温泉に入らない手はない。

というわけで大湯温泉ではなく玉川温泉に向かう(ぁ

乳頭温泉にするかはかなり迷ったんだけど、玉川温泉の方が全然行ってないのでこちらにした。

玉川温泉はかなりの強酸性で長湯は禁物だが、出たり入ったりを繰り返しながら浸かると良い。
そしてボクみたいな肌の弱いというか、吹き出物が出まくる人にはとても良い。このあと一週間くらいは肌の調子が良かった。ボクみたいな縄文系の遺伝子で吹き出物が良くできる人はアルカリ系の温泉の方が効くことが多いのだが、玉川温泉は別格のようだ(汗

ここでお土産もいっぱい買ってしまった。

写真から解るとおり、気温は東京と変わらない。暑い!!

あとスゲー迷惑というか進入禁止のエリアに入ってきてさらにそこに駐車してお土産を買いに行ってる一家がいて、うわーと思いつつ、車がアルファードだったのでなんというかステレオタイプで少し笑った。偏見は良くないとは思うものの、現実にこういう人がいるのでどうしても「アルファードに乗ってる人って……」って思ってしまうのよねぇ。車そのものはとてもイイ車なんだけどね。

玉川温泉からさらに南下した宝仙湖(玉川ダム)の写真。二枚目はダムの堰の部分のアップなんだけど……遠すぎて青くなってしまった(汗)。

宝仙湖からさらに少し南下したところにある田沢湖活性化センターという施設と開けた坂の写真(この辺)。活性化センターは元は学校だと思うんだけど、どうだろう? まぁどちらも背景の資料にはなりそうだ。

そこからさらに少し行くと、茶立ての清水があった。
来るつもりもなかったのだが、ここを通るのは何度目だろう?(汗
知ったのは 1/2 summer の背景資料を撮りに原画家と行った時なんだけど、覚え続けているのはボクの本名と同じだからってのと、原画家が「清水」と「たまき」という名前はどこに旅行に行っても必ず見ると突っ込んでいたからだ。

せっかくなので汲んで帰った。

で、田沢湖。別に来る予定ではなかったのだが、通ったので茶屋に入ってみる。『たつこ茶屋』。
駐車場には車がたくさん駐まってたのに店の中はほとんどお客さんがいなかった。みんなどこに行ってるんだろ?

お蕎麦とみそたんぽを注文。蕎麦がかなり残念な出来(汗)。カラッカラに乾いたボソボソした蕎麦だった。みそたんぽはきりたんぽの一種なのかなぁ? 味的には五平餅に近いかも? ちなみにこのたつこ茶屋がみそたんぽ発祥の店らしい。あと西洋人っぽいカップルの観光客が店内にいたんだけどボクのみそたんぽを見て、どれを注文したらこれなのかを聞いてきたので教えてあげた。


下道でのらりくらり帰るとか言いながらも 15:10、大曲 i.C. から高速に乗ってしまった(汗)。けっきょく山形県にすら入ってないやんけ!

で、下の写真は晩飯を食べに寄った菅生 P.A. の牛タン。高い割りにイマイチ!(当たり前
あとお土産の写真は買ったわけじゃないんだけど、萩の月のパクリを見つけたので思わず写真に撮ってしまった。『伊達の御紋』。まさか萩の月がある仙台のお土産で、萩の月のパクりが作られるなんて、どういうことなんだこれは!? ちなみにパクリと書いてしまっているが、実は萩の月のパクリ商品はどれも萩の月からレシピを教わって作っているってのと、各地元らしい改変をしている。

ただ同じ仙台でもやるとは思わなかった。検索したら比較サイトがあったw
なおこの時点で 18:00。

20:00 に那須高原 S.A. についたんだけど、眠くて仮眠(汗)。

21:30 に行動開始して、22:40 に久喜にいる知人にお土産を届け、23:40 に西荻と吉祥寺にいる知人(計 3 人)にそれぞれお土産を届け、24:15 無事家に帰ってきた。

今回の旅での走行距離は 1583.8km、給油は一回のみで燃費に関しては月末のまとめに乗せようと思う。
旅全体としては取材地はすべて行けたので成功と言ってイイと思う。帰りがちょっと高速に乗るの早すぎたかなぁ……。ただもっとドライブを楽しんでいた場合、今日中にお土産を配ることは出来なかったと思う。

縄文の風を感じる

取材旅行、続き。昨日は福島県を中心に、神社の写真ツクツクボウシの声を収めた。
それから夜のウチに秋田県に移動、道の駅おおゆで仮眠をとる。場所は秋田県北部とは言え、この季節、結構暑くてあまり寝られなかった。かといってエアコンのためにエンジンを掛けるのはマナー違反だ。

7 時起床。暑くて眠れん。
この道の駅の商業施設が開店するのは 9:00 なのでまだ駐車場にいても迷惑にはならないのだが、このままだと蒸し焼きになりそうなので移動することにする。とりあえず目的地である大湯ストーンサークル館へ。当然開いてない。コチラも 9:00 からだ。

東北は縄文時代に関する資料館や博物館が多い。一番有名なのは青森県三内丸山遺跡だろうか(取材したときの日記)。
三内丸山遺跡ばかり注目されがちだが、同規模やそれ以上の集落は東北のあちこちで発見されており、縄文時代の繁栄ぶりを物語っている。

大湯ストーンサークル館につくと門は開いていたので車を駐車場に入れることは出来た。
が、日陰がないのでここで開館まで待っていても焼け死んでしまう。
というわけでなんか面白いものはないのかと Google Map をなんとなくスクロールしてたら『八郎太郎出生の地』なんていうのがあった。マジか。そんなの同定されていたのか! 八郎太郎というのは秋田県に伝わる三湖伝説八郎潟に住んでいた龍である。1/2 summer の主人公でもある。

これは面白いというわけで行ってみた。碑には簡単なあらすじも書いてあった。丁寧だなぁ。
コレを立てたのは誰なんだろうか? まさか八郎太郎の子孫が今でもここにいるとでもいうのだろうか? いや、伝説の通りなら八郎太郎は田沢湖にいるので子孫もそっちにいそうだが……果たして?

下の写真は八郎太郎出生の地から大湯ストーンサークル館に戻る途中で、通学路とかに使えそうだったので撮った写真。緑が綺麗だなぁ~

で、大湯ストーンサークル館に戻ってきたのは 7:50。まだ一時間以上ある。というわけで飲み物を買いに近くのコンビニへ。するとこれまた景色のいい開けた場所に出たので写真を撮った。場所はこの辺。で、この坂の下を農業用水なのかなぁ? 小さな水路があったのでそっちもなんとなく写真に収めてみた。小さな水路とは言うものの水量は豊富だしこれだけの水量だと、落ちたら一気に流されてしまいそうではあった。

それでもまだ時間がある。というわけでさらに Google Map とにらめっこしていると田道陣没地とされる神社猿賀神社)があったので行ってみる。しかし田道は上毛野とついているということは、本人も蝦夷だったのではないかと思いつつ……まぁ群馬県栃木県は早くから大和王権側についていたようなので、別に矛盾はないのだが……。

ところで説明書きの札が↑の八郎太郎出生の地と同じような感じなので、鹿角市か秋田県が設置したのかねぇ??

さて、ようやく大湯ストーンサークル館、開館である。
中には縄文時代をメインに据えた様々な展示と、土器の製作体験なんかがある。単純に写真を送っていくだけで展示物の内容は把握できると思う。個人的に面白かったのは、縄文という名前のある、縄とそれによって出来る土器の模様。楽しいというか、当時の人たちも考えるの楽しかったんじゃなかろうか。












そして、個人的には一番見たかったストーンサークル。
周囲の景色(道路や木など)は変わってしまったが、地形はほぼ変わっていないはずで、この場所の空気を感じるとことは数千年後である今でも意味はあるとなんとなく思っている。ただ個人的にこの場所が生活の場所であったのかどうかは少し疑問が残る。祭儀の場所ではあったようだが。
大湯ストーンサークル館は実はちょうど丘の上に建っていて、東西と大湯温泉のある北側は標高が下がっている。西側には大湯川が流れていて、おそらく集落そのものはそっちにあったのではないかとなんとなく感じている。集落から見ると(見上げると)、この大湯ストーンサークル館のある場所が高台になっていて、祭儀をするにはちょうど良い場所だったのではなかろうか?

現状、世に出ておるボクの作品で、この時代(縄文時代)から日本にいたのは黒翼熾永ぐらいなものなのだが、連綿と続く人間の営みをイモータルなりにどう捉えていたのかを考える良い機会にはなったと思う。

さて、ここではもう一つ小さな事件があった。
昨日の日記ツクツクボウシの鳴き声を録音するのは 8 年越しだと書いた。なぜ 8 年もかかったかというと、8 年前に南相馬でツクツクボウシだらけの鳴き声を聞いたとき、「ああ、沿岸部はツクツクボウシなんだな」と思ってしまったからである。つまり東北地方は全体的にツクツクボウシが優勢という思考にはならなかったわけだ。

なのでツクツクボウシの声を録ろうと思ったら、東北地方の太平洋側に行かないとなぁとずっと思い込んでいたのだ。
だからその後何度も東北に行っているにもかかわらず、ツクツクボウシの声を録音しようとは思ってもなかったし、また、セミの声に耳を傾けることもなかった。

だが、この大湯ストーンサークル館の林で鳴いていたセミは、ツクツクボウシだったのである!
マジかwww
そして一番良質な音がとれたのである(汗
その音が↓だ。

つまり何が言いたいかというと……南相馬に行く意味はほとんどなかったのであった……orz

というわけで、今回の旅行の目的はすべて果たした。
時刻は 10:00。これから、東北を縦断しながら 12 時間以上かけて東京に戻ることにする。

ツクツクボウシだらけの森

神社巡りの続き。
まず事の発端から。2015 年、とあるボランティアで南相馬に行ったときのことだ。南相馬博物館で展示物の手伝いをしていたとき、そこにある森というか林のセミの声が奇妙なのに気付いた。最初、何のセミか解らなかったが、よくよく聞いて見るとツクツクボウシだった。ただそのときはちゃんとした録音機材を持っておらず、iPhone での録音となった。その動画が下だ。

アブラゼミも混じってしまっていはいるが、ツクツクボウシが大勢を占めているのが解る。
ツクツクボウシだらけの森を録りに行くというのは、ゲームで使う SE のためにこの音を専用のマイクで録りに行くことなのだ。実に 8 年越しの計画である(汗)。今まで東北には何度も来ているのに、なぜ 8 年もかかったのかは明日の日記で解る<ヲイ

ちなみにいうと、1/2 summer という作品では舞台は東北なのに東京と同じセミの SE を使ってしまっている(汗。ただこのゲームを作っていた当時、東北ではツクツクボウシがメインだとは知らなかった(もっともこのことでユーザさんから指摘をいただいたことはない)。

というわけで美里町を後にして南相馬に向かうのだが、基本的に東進するだけである。会津若松 I.C.磐越道に乗り、磐梯山サービスエアリアで朝ご飯兼昼ご飯を摂る。会津名物のソースカツ丼。まぁしかし所詮はサービスエリアの味。ところでカツ丼がソースカツ丼な地域って、結構色々あるよねぇ。名古屋もなかったっけ? 関東だと桐生が有名かな? 福島県は郡山もソースカツ丼だ。あと中津川。福井か富山にもあった気がする
ちなみにボクはいわゆる卵とじで返しで煮たカツ丼の方が好きである。ソースカツ丼はソースがウスターソース系を使うところが多く、あの酸味がイマイチ白米に合わないのとキャベツが食感の邪魔をするのでイマイチ好きになれないのだ。でもさ、酸っぱいソースが白米に合わないって言うけど、酢飯ってものがあるし、トンカツの場合ソースをつけて食べるわけで……なんかボクの言い訳はイマイチ説得力に欠ける気はする。

それからさらに磐越道を東進し、船引三春 I.C. で降りてそこから下道で南相馬市博物館を目指した。
13:45、道の駅さくらの郷で飲み物補給。
ついでになんか面白いお土産とか、あと農産物とかないかなと思ったんだけど……特になし。
お向かいに新鮮野菜直売所っていう幟が立ててあるデイリーヤマザキもあったのでそっちにも寄ってみるが……特になし(汗)。
14:00、南相馬に向かう。この時点で博物館までまだ 54km もあった。

15:00 きっかり、博物館に到着。
ここはほとんど人が来ないのでセミの録音をしていても他の音が入ることがないのは知っていたのでこの場所を選んだんだけど……事件発生。駐車場でエンジンかけたまま寝てる人がいる……orz

マジかー。

あとねー、意外と人が来る。なんだー? 博物館ってそんな来ることある?<偏見
ただ周囲が散策路にもなっていて、池があったり公園があったりするので子連れとかが普通に来てた。

目的の林ではツクツクボウシが大合唱していたので、ダメ元で録音したのが以下である。いちおう最低限のノイズ除去はしてある。

車の音とか気になったのでちょっと場所を移動して、別の木が密集していそうなところに行くことにする。
向かった先は『桜井古墳』。ここでもツクツクボウシは鳴いていた。というわけで、古墳の外で録ったものと古墳の中で録ったもの。古墳の中は……アブラゼミの方が多かった(汗)。

と、今日の取材はここまでである。時間は 16:00。
ここからはただの移動。秋田県を目指す!
常磐道に乗り、仙台東北道へ合流しひたすら北上……する途中、鳥の海パーキングでトイレ休憩。
それから『たかもりの湯』でお風呂と晩ご飯(19:15)。

それからまたひたすら北上し、中尊寺パーキング(21:30)で 24 時まで仮眠をとり、26:20 に道の駅おおゆに到着した。

ちあらの支配地域を増やしに行く(何それ

さて、8/4 の夜、東北に向けて出発した。
旅行に行ったこと自体の記憶はあるものの、なんでこの日にしたのかが思い出せない。別に連休でもなんでもないし……だけど金曜の夜に出発した。翌週の 8/7 ~ 8/13 がお盆休みだったのかなぁ?

今回も取材旅行である。目的は三つ。

  1. 第六天姫榊神社分社を探す
  2. ツクツクボウシの録音
  3. 大湯ストーンサークル館

というわけで 8/5の 0 時頃、那須高原 S.A でトイレ休憩。ついでに晩ご飯食べる。
なんだろうね、このラーメン。白河ラーメンかね?
で、そのあと仮眠したっぽい。

3:46 起床、白河 I.C. で高速を降り取材場所へ向かうも早すぎることに気付き、道の駅しもごうで時間を潰す(ぁ
外の気温は 19 ℃。過ごしやすい。
那須高原 S.A. で気温の写真を撮ってなかったのが悔やまれる。あっちもそこそこ標高はありそうだが……。

5:30、カメラで撮っても光量が問題なさそうだと判断し、移動開始。
まずは第六天姫榊神社の分社探しである。5/31 に公開した月夜野ちあらのショートではちあらが自分の分社を増やしている様子が描かれている。この小説では棚ぼた的に鶏冠山の山頂付近にある神社を手にするのだが、今後彼女は(というか、彼女の上司である所の黒翼が)日本全国に自分の分社を増やす計画である。
田舎にはうち捨てられてしまった神社や、管理費が出せない神社がたくさんあるのでなんかその辺を取材できないかなと思っていた。
一方、2021 年の GW に行った南会津から新潟へ抜けるドライブのときに、見落としたりコロナ禍のため地元民以外入浴できなかった温泉があったのでもう一度同じコースを辿りたいと思いながら地図を見ていたときのことだ。神社が異様に集まっているエリアを見つけたのだ。
で、ふと、このエリアにちあらの分社になりそうな神社がないかなぁと。
それが①の第六天姫榊神社の分社を探す、という目的なのだった。

で最初のポイントがココ(古峰神社)なんだけど、見つけられなかったっていうかね、今 Google Map では木塔って書いてあるけど、ボクが検索した頃は書いてなかった気がするんだよねぇ……。鳥居を目印に探してたんだけど見つけられず、あったのは藏だけ(汗)。

一番最後の写真はなかなか恐ろしい看板だ(汗)。
藏の写真の場所は右側の看板のエリアで、もう家はなくなっていて藏だけになっていた。一方、写真は撮っていないが左側のエリアはこんな感じでまだ人が住んでそうだった。まぁでもこうしてみると少なくとも数十年は土砂崩れは発生してないようで、まぁそんなに気にしなくていいことなのかもしれない。
一方の右側の看板のエリアは発生したから蔵しか残ってないのかなぁ??

つぎがココ。こちらも石碑のみで社(やしろ)があるわけではない。
いつの時代のモノか解るといいんだけどねぇ……ボクには知識もないし鑑定方法も解らない。

お次はココ(氷川神社)。
石碑と、さらに木々に半分埋もれかかった鳥居がイイ感じ。登っていくと、なんか小屋みたいな社がある(汗)。
また周囲には末社的なモノが奉られていたようだが、崩れてたり倒れてたりしていた。

次はここの奥なんだけど、人ん家の中っぽかったので諦めた……orz(結納赤城神社)
ちなみにここまで車では行ったw

で次がココ(熊野神社)。石碑とこれまた非常に手作り感あふれる社。規模感とかロケーションはイイ感じなんだけどねぇ。

下の写真は↑の結納赤城神社と熊野神社に行く途中にあった木。わざわざ道路を狭くしても残してあったので、地元では謂れのある木なのかもしれない。

次の写真はこのあたり
のどかだ。
通学路の背景として……とは思ったモノの、歩いて行ける範囲に学校あるのかなぁ? まぁ、ゲームとか作る時は架空の世界なワケだし別にいいかなどと思いつつ(ぉ

パノラマの次の写真はそこから少し北上したところにある祠たち(この辺この辺)。そしてこの奥にイイ感じの大きさの神社があることをボクは見逃していた。ちゃんとポイントはしてたし GSV にもバッチリ写っているのになぜスルーしてしまったのか__orz。朝立神社というらしい。



さて、次がなんか山の中にある神社二カ所なのだが……こちらは動画を作ったので張っておく。
結果から言うと、見つけられなかった……orz
そうなんだよ、今回、地図にはあっても見つけられない事が多いんだよね……ボクの探し方が悪いってのが一つと、あと神社と地図には書いてあるものの、一番最初のヤツみたいに木塔だったり石碑がぽつんと置いてあるだけだったり。

ただなかなかイイ感じに寂れた寺はあったので撮ってみた。仏像、もっとちゃんとアップで撮っておけば良かった。

こちらは路肩に駐めて地図とにらめっこしてたら飛んで来た猛禽類。
ただ、あれね、視線とか解るのね。目が合った瞬間、飛んで行ってしまった。たぶんこの電柱

で、その電柱の先にあったお寺。Google Map には「川島興五右衛門の慰霊碑」となっている。
この名前で検索しても、パッとは出てこなかった。一応触れている書物は存在しているらしい。英霊の碑があったので、兵隊さんなのかなぁとかも思ったが詳細は謎のままである。

その慰霊碑からもうちょっと北に行った所にあったのが下の写真の碑。
Google Map には何も書かれていない。
Google MAp だとすでになくなっているが、ココはかつて辻だったようで……道祖神の碑の可能性もある??

下のはこの辺で、明らかに集落の入り口にあったので、まぁ道祖神の碑であろう。

そこからさらに入った辻にあった碑。
新しく建て直してある。けど新しい方の碑はなんか違う事が書いてあるぞ(汗)。団体営圃場整備事業尾岐窪地区と旧字体で書かれている。ただ場所的にはやはり辻なので、なんか昔は普通に道祖神の碑があったんじゃないかなぁ<テキトー
ところでこの『尾岐窪』という地名、「おぎくぼ」って読むのかなぁ? 東京の荻窪と同じ?

んでもって、下がこの辺。岩山稲荷神社。
予想外の場所にwww
これは見つけられないわ……。↑の Youtube の動画で探してた神社も、こう言うのだったら絶対無理だと思う。
で、パノラマの方はその神社の反対側を撮ったもの。ホント、いい景色。


下の池の写真はこの道路沿いに鬼渡神社、聖神社という二つの神社があると言うことだったので行ってみたら行き止まりまで来てしまったって言う。ここでも神社は見つけられなかった。まさかここまで見つけられないとはなぁ……。

でもこの日記を書いている時、GSV 見てたらあったよ(聖神社)。でもこれは人ん家だよね。いや神社だって人様の土地だけどさ(汗)。もう一つもこの通り(鬼渡神社)。なんで見つけられなかったかなぁ。ただ見つけられたとしてもここに入っていく勇気はないなぁ、というか入っていくとしたらこの家の人に普通に尋ねるけどね。

熊出没注意! となみに道祖神の碑もあった。

次来たところが雰囲気はいーんだわ(熊野神社)。場所はこの辺で、地名も山ノ神ってかっこよくない!?
みて、この参道。そして埋もれ具合。こんなところにさ、白髪の巫女が突っ立てたらホラーだよね。
ただ拝殿がやっぱり小屋みたいな感じなのよね。

で、上の熊野神社から少し下ると、これまたいい雰囲気の神社が。名前も凄い、鬼荒神社。こわいわ。
ここも参道が素晴らしい。お社は拝殿と本殿が分かれてないけど、上の熊野神社よりは映えがあると思う。末社もあったみたいで、石の祠がいくつか置いてあった。

上の熊野神社と鬼荒神社のある道路には廃校もあった。この辺。旭小学校って言うらしい。
ただ、微妙な古さ(汗)。
エロゲとかで期待しちゃうのは木造校舎だよねー<ヲイ

二宮金次郎の像があるのはイイね。ちなみにこの像についてはなかなか面白い歴史があるらしく、Youtube で取り上げられていた

んで、このエリア最後の神社、亀岡八幡神社。いやー、他にもあったんだけど……見つけるのに疲れちゃったorz
こちらはほぼ理想の神社というか、こう言うのを探してたみたいな?
でも立地はのどかでいい所ながら、個人的には↑の熊野神社や鬼荒神社が絵になるなぁ。

この段階で午前 9 時である。
今日の予定は午後には南相馬にツクツクボウシだけの森に行って録音をしなければならない。
朝飯も食ってないし、あとお風呂も入ってない。
というわけで南相馬までの移動時間を考えると、そろそろ移動した方がいいかもと思いつつ会津美里町を後にした。

まずはお風呂。同じ会津美里町にある『あやめの湯』という所に行く。朝の 9 時からやっているのは確認済み。

下の写真はそのあやめの湯に行く途中で見つけたお稲荷さんである(滝壺稲荷神社)。
社の感じとか規模感とかはイイ感じなんだけど、ここは道路ッ端にあるせいで参道が短すぎるのと鬱蒼感が足りない(汗)。

でもかわいらしい、イイ神社だった。

で、あやめの湯に到着したのだが、なんか雰囲気が変だ。
というのも施設に入っていく人たちがどう考えてもお風呂に入るような格好ではない。そして周囲の人が風呂道具を持っているボクをジロジロ見る。
そもそも建物の見た目も温泉施設と言うよりは、なんか公民館みたいなそんな建物だ。でもちゃんとあやめ温泉の看板はあるのだが(当時のドラレコの映像)。
で、入り口から入ろうとしたらご用件はと聞かれたのでお風呂と言うと、潰れたとのこと。

えー……。

というわけで他の温泉を検索。『本郷温泉 湯陶里』というところがやっていたので、そっちに移動する。

午前 11 時、風呂から上がる。
そして今日の最後の神社を撮りに行く。それは『伊佐須美神社』でこの地方一帯の総社である。と書いたモノの、Wikipedia を読むと総社ではなく、謂れがハッキリしている大きな神社のようだ(二宮)。Wikipedia に書かれていなかったので補足すると、総社というのは中央(京都)から派遣されてきた国造は現地についたら最初に治める土地の神社を挨拶回りすることになっているのだが、それはめんどくさいので一番メインの神社(一宮)に他の神社の分社を置いてそのメイン神社だけ参拝すれば他は全部回ったことにするための神社のことだ。

伊佐須美神社もたくさんの末社・分社があるのでてっきり総社かと思ったのだが。

まずは末社の一つ、『殺生石稲荷神社』。この神社の地下に殺生石が埋まっているという伝説がある。
Lay=Alld の設定では当のは鼻で笑う<ヲイ
そもそも彩からしたら自分と宇迦之御魂神を結びつけることに怒りすら覚えているであろう。
ま、それはさておき、綺麗な神社だった。

それから本体の伊佐須美神社へ。下の写真はその神社を取り巻くように流れている

伊佐須美神社はちょうど七夕だったらしく、風鈴や短冊がたなびいていた。
Wikipedia に詳しいので特に解説することはないのだが、まぁそこそこデカい。参道がいくつもあり、それぞれに手水舎も設けられており、立派な神社であった。

さて、伊佐須美神社を撮り終わった段階で 11:40 である。まだ午前中だ、いいぞ、計画通りだ。いや見落とした神社はいっぱいあるけどさ! ここは涙を拭いて未来に進もう<大袈裟

というわけで次なる取材地、南相馬市博物館へと車を向けた