ポリコレ問題

旅の途中ですが、その旅行中に見つけてしまった記事についてちょっと書こうと思う。
なんだか世の中が息苦しい。おかしい、こんなはずではなかった。
なんの話かというと、ポリコレ問題である。ポリコレとは何か? いやまぁ、ポリコレ自体はけっして悪いものではない。とても良い傾向の一つだ。問題はそれに粘着する人たちだ。いや、何もそれはポリコレだけではない。

もっと端的に言うと、他人のほんの些細なミスさえも攻撃してくる風潮である。失言やつい出てしまった本音などに、よってたかって群がって袋だたきにする現象のことだ。

おかしい、ボクが予想していた未来というのはこういうものではなかった。モラルが高くなっていくと言うことは、こういうことじゃない。

そりゃね、「いや、あんた、それ差別だよ」とか「その言葉は傷つく人がいるよ」と指摘するくらいはイイと思うのよ。それがもー、人格否定どころか場合によっては暴力にまで発展してしまう。しかも大きな声を上げているのは当事者じゃないことが多い。自分のことでもないのに、何をそんなに怒っているの??? さっぱり解らないよ。

これの根底に、落ち度(罪)のある人は攻撃しても良いというのがあると思う。
悪い奴には何をしてもいいと。正義は我にあると。
どうしてそういうふうに思えるのか……。

あともう一つは人の話を聞いてないwww
ほんと聞いてないww
噂や最初に耳に入ってきた情報だけでたたき始めるwww

他人を叩くってことを何だと思ってるんだ? 叩くからには叩く相手のことをちゃんと調べて、さらに情報源をしっかり吟味して、それでも叩くに値すると判断して叩くべきだ。それくらい他人への攻撃というのは慎重でなければならない。
そりゃね、身内だけの酒を飲み交わしているときに「○○はダメだ」とかは、まぁいいなじゃない? 笑い話で済むしさ。それをよってたかってみんなでやる。ホントにリンチを見ているかのようだ。

結果的にそこで見えているのは、世間のモラル・倫理感の向上とか正義のために叩いているわけじゃなくて、鬱憤晴らすために叩いてるだけっていう。
そしてこのような状況は、自分にも跳ね返ってくることを叩いてる人たちは自覚してるんだろうか? 自分が失言したら、何か問題発言をしたら、今度は自分が集中攻撃を食らい、袋だたきにされ、社会的に再起不能にされてしまうかも知れない。

本当に未来が心配だ……。

オタク文化はエロと暴力ですが何か?

最近はウェブ ブラウザを開くとニュースのヘッドラインが表示される。その中に興味を引いた記事があったので、何となく読んでみた。簡単に言えば萌え絵は露骨なセックスアピールであり気持ち悪いものであると思っている人が、オタクから総攻撃を受けたよっていう記事だ(笑)。

萌え絵を気持ち悪く思う気持ちは理解出来る。
今でこそあまり言われなくなったが、そもそもオタク文化はエロと暴力が発端となっている。そんなもんは GINAX 作品やスタジオ ジブリ作品を見れば一目瞭然であるし、20 世紀はわりと普通にそう認識されていたと思う。
が、21 世紀になってそういうことはとんと言われなくなった。

さて、萌え絵である。女の子をオタクの男性が見て可愛く見えるように最大限に振ったものである。従って気持ち悪いと思われても仕方がないし、実際、露骨なセックスアピールをしている絵は多い。
なので、別に気持ち悪いと思った人は気持ち悪いと発言していいし、されても仕方ないものだと思うよ(笑)。そしてオタクの人たちも、萌え絵を見て不快感を示す人もいるということは頭の片隅に入れておいた方がいいとは思う。極端なことを言ってしまえば、萌え絵をわいせつ物と見られている、ということだからねw

ただ、性に関してはボクはもっとおおらかでイイと思っていて、その気持ち悪いと思う人たちには、まぁそう目くじら立てなさんな、目の保養、目の保養くらいに思ってもらえるとありがたいなぁとか思っているが今や海外ではちょっとし失言でも大変なことになっているので、もしかしたらボクの考えは世界の常識とはかけ離れているのかも知れない。

さて上記には「性の問題」と「ポリコレ問題」の二つが実は含まれているのだが、それについてはまた別の機会に。

ところで話変わって、ネットとかで時々「ヨハネ」という名前の女性キャラを見かけるようになった。何の作品か解らないのだが……なぜこんな名前をつけたんだと、最初見たとき吹き出してしまったwwwww

イラストとかの綴りでは YOHANE ってなってるのが多いので、世界一般でいうところの「ヨハネ」とは違うようだ。世界で言うところのヨハネはヘブライ語である。そしてこれは英語だと単純に「ジョン(John)」だ(笑い。名前によく使われるジョン。しかも男名。
ボクは聖書を知っているので、ヨハネっていわれるとオッサンの顔しか思い浮かばないwww

なので吹き出してしまったのだ。この娘がどんなに可愛くても、この娘でオナニー出来ないwww<そこかよ!
名付ける方ももうちょっと調べて欲しかった……。

思想を歴史に頼った右翼のアイデンティティは成立するのか?

政治ネタ。まぁ、日記は上の記事についてではない。
ボクなりの右翼がするべきことにちょっと触れてみたいと思った。
今の右翼はわりとアメリカに迎合している者が多い。なんでかは解らないが、自分たちが存続する上でも楽だからだろう。安倍ちゃんなんかもその部類に入る。もしくはアメリカから何か担保されている可能性も否定出来ない。

右翼の定義も難しい。日本の場合ただの保守というだけでなく、天皇制も絡んでくる。

ところで今の天皇制を生んだ明治政府、引いては薩摩長州の政治ポリシーはどんなものであったのだろうか? ボクのツイートでは「右翼は天皇の言うことを聞かない」と表現したが、薩長から言わせれば、彼らが天皇を復帰させたのであって(しかもあまり支配欲のない皇族を選んだとされている)、そういう立場からすると天皇の方が言うことを聞かないとなってしまうだろう。

今の右翼が薩長寄りの精神を受け継いだものなのかどうかボクには解らない。

さらに戦後はどうか? アメリカは戦犯というものを強調し、悪かったのは彼らであり、国民はそれに踊らされたという常識を作り上げた、とされている。これは左翼がやるプロパガンダを参考にして行われた(このプロパガンダには CIA の前身である OSS が実際に中国やソビエトからレクチャーを受けているらしい)。かくして日本国民は太平洋戦争の罪悪感を感じることなく、それらはすべて戦犯の所為にして高度経済成長時代を築き上げた。
もっとも靖国神社は戦犯を戦犯としては扱っていない。ひょっとしたら靖国神社の中枢の人たちは今でもアメリカ憎しなのかも知れない。

どちらにせよ右翼のやるべきことはアメリカが作り上げた戦前の日本像を丁寧に説明して否定し、本来の大和魂と言われる戦前の日本像を解き明かしていくことが大事だとボクには思えた。そこには武士道といった日本の誇れる正義感や価値観があり、美しい日本とはまさにこのことであろう。というかそれが右翼の目指す社会なのだろう。

だがこれには一つ大きなリスクが伴う。それは太平洋戦争の責任を戦犯だけでなく日本国民全員が背負うことになるからだ。国民みんなが八紘一宇のために一丸となって戦ったのだということを日本の常識にしなければならないのだ。
これが今の右翼が反アメリカになかなかならない理由の一つではないかと、ちょっと思っている。

ところで先ほど美しい日本とは武士道ではないかと書いたが、右翼思想と武士道には矛盾もある。そもそも武家社会は天皇を遠ざけてきたはずで、そしてそのために神道ではなく仏教を取り入れてきた。しかし薩長は天皇を担ぎ上げて江戸幕府を倒幕し、系統化されていなかった神道を無理やり国教に仕立て上げた。

結局の所、我々は先人たちの残した過去の資料から歴史を知ることしか出来ない。そしてその資料を読み解いた一人一人がその歴史を自分の思想の元に解釈し、空白になっている所は想像して、自分が納得する歴史を作り上げていく。
従って明治から太平洋戦争終結までの日本人の感覚・常識・アイデンティティというものが一体どういうものであったのかを正しく知ることはなかなか難しく、また何の歴史資料に触れたかによっても歴史認識は異なってしまうだろう。
そうなると「歴史にその思想の大半を頼る日本の右翼」のアイデンティティというものをちゃんと説明出来る人はいないのではないかとも思えてくる。例えば夫婦別姓に反対する右翼なんかも、いったいどこに伝統の中心を置いているのか、右翼でない人間からするとよく解らないのである。

右翼というとたぶんみんな「あんな感じ」という漠然としたイメージはあると思うが、突き詰めていくとそのアイデンティティを明確にするのは非常に難しいと感じている。右翼の人自身がどのように自己を確立出来ているのか解らないが、おそらく彼らも突き詰めた議論は出来ていないようにも思うが、どうだろうか?

北地蔵の硬派な醤油ラーメン

今日は北地蔵に行った。ここは札幌味噌ラーメンの店なのだが、醤油もある。
というわけで、今日は醤油ラーメンを頼んでみた。

過去にも食べたことはあるんだけど、味はすっかり忘れてしまった。

出てきたのはけっこう黒いスープのラーメン。そして醤油の味がほとんどといえばいいんだろうか。出汁は醤油を邪魔しないようにうっすら。そして醤油の味が濃いんだけどしょっぱいとかクドいとか言うのはなく、スッキリ。東京醤油とはまたちょっと違うんじゃないかなぁと思いつつ、ご飯が合う(笑い

わりと実直に醤油の味を楽しめるラーメンでした。

上のツイートは、スマートフォンの画面からからふと「今、どこ駅だろう?」と視線を上げたら、反対側のシートに座ってる人が全員スマートフォンの画面を見ているのに気づいた時のものだ。その昔、重たいノート PC を持ち歩いていた。電車の中だけでなく銀行・役所・病院の待ち時間で広げていた。
そんなことをしているのは、ボク一人だけだった。みんな雑誌を読んだり新聞を読んだり本を読んだりしていた。ちなみにその頃はネットなんてできなかった。ただ PC の中に入ってるデータで何とかしてた。

それから W-ZERO3 というスマートフォンを使っていた。この頃も、そういった公の場で画面を見ているのはボクだけだった。W-ZERO3 だけじゃなくて携帯電話でもずっと画面を見ていたけど、ガラケー全盛期になると電車の中でボクと同じようにひたすら画面ばかり見ている人を見るようになった。ボクと同じだ! とは思うが、用途はだいぶ違っていた。

そしてスマートフォンの時代である。
みんな見てる。すごいなぁ……。
何を感じたかって?

「思えば遠くにきたもんだ」って感じたのよね。

車は浮いてないし、道路の代わりにチューブが張り巡らされているわけでもないし、メーターだらけでもないし、相変わらず人間は機械の身体を手に入れられてはないけど……ボクが初めてプログラミングというものを知った時から 31 年……未来に来たなぁって実感したよ。

なんかおかしな社会

去年の 5 月だったかなぁ? ボクの勤めていた会社は民事再生法に基づいて一度潰れた。で、その後、東証一部上場の企業に買収された。すると当たり前だがいろいろなことが変わった。そのうちの一つが勤怠の管理だ。
ボクが今の会社に勤めていた理由の一つに、勤怠があまり重視されないことというのがあった。仕事があまり詰まっていないときは遅刻とか関係ないし、有休とかも特にこれといってカウントするわけではない。個人の裁量に任されていた。仕事さえちゃんとやっていれば、勤怠はあまり関係なかったのだ。
ところが買収されてからは何時~何時までは会社にいなくちゃいけなくて(コアタイム)、遅刻などは何回で欠席扱いになって、有休も何日までときっちり決まってしまった。

まぁそれは、普通の会社になっただけで、当たり前のことなのだが、基本的に毎日会社に行くことすらアホらしいと考えているボクにとってはかなりの苦痛となった。
で、実際に新しい体制で勤めるようになって一年が経った。そこで感じたのが、会社にきっちり出ていると、社会生活にいろいろと問題が出てくるということだ。

まず、役所・病院・銀行に行くのに有給休暇を取らなければならない。これは丸一日の休みではなくても、午後休にしろ午前休にしろ時間給にしろだ。役所・病院・銀行は生活には欠かせないもので、個人の事情に限らず誰しもが必要なことだ。その必要なことが有休を削って行かなければならない。
それっておかしいな、と思った。生活上必ず必要なものは、会社の出欠とか関係なく行けるようにするべきではないか?

改めて、世のサラリーマンは偉いなぁと思った。そしてどうして土日や祭日の観光地に人が集中するのか、ようやく実感を持ったというか何というか(笑)。就職するとほんとに土日以外に自分の事って出来なくなるのね。なんだこの社会???

でね、思ったのが、そもそも会社に就職したら毎日会社に行かなければならないこと自体がおかしい気がするんだよね。週に何日間働くかなんて当人の自由でいい。もちろん働く日数が少なければ給料も少ないが、それは各人がそれぞれ自分で決めればいいことである。
月に 15 万しかもらえないが、週 3 日しか働かないというのも充分アリではなかろうか?

これから人間の働く環境ってのがどう変化するのかは解らないけど、今の都市生活スタイルも人類の歴史上そんなに長いわけじゃないし、まだまだいろいろと変化してはいくと思う。

セクハラをしてしまう心理

朝日新聞に以下の様な記事があった。

簡単に言うと、介護される側が、介護する側に対してセクハラをすることへの記事だ。
これねー、介護される側がセクハラをしてしまう心理をボクは少しわかった(ような気がした)ので、ちょっと綴ってみようと思う。

最近電車通勤するようになった。でね、電車通勤なんて年単位で久しぶりだし自分自身に色んなコンプレックスがあるから、心の中では凄い緊張してるのね。だから隣に誰か座ってきた時とかは、臭いは出てないだろうかとか狭い思いはさせてないだろうかとか、まーネガティブなことをいろいろ考えちゃうわけよ。
また、席がどこも満席で立ち客がいるような状態でボクの隣りだけ空いてたりすると、「体臭が臭ってるんだろうか?」とか「デブの隣はやっぱりイヤなんだろうか?」とか「怪しいヤツと思われてるんだろうか?」とか「ボクの隣りに座るなんて気持ち悪いと思われてる?」なんてことを勝手に想像するわけ。
他人なんてそもそもボクのことを気にもかけてないし、なんとも思ってないはずなのにねw

そんな精神状態の時にキレイなお姉さんなんかが隣りに座ったりしたらもう大変だ。ボクの脳はひどいもので「自分がそのお姉さんに受け入れられた」っていう感情が湧くのよね。ほんとおめでたい脳みそしてるわ。

他の人がどんな気持ちで電車に乗っているのかは解らないんだけど、まぁボクが公共機関に乗っていると終始こんな感じでずっと緊張しっぱなしなわけ。だから自分の車で通勤したいんだけどさ……。ストレスで死んでしまう。

で、上の朝日新聞の記事につながる。介護をしてもらうような立場の人はたぶん精神的にだいぶネガティブになってると思うんだよね。自分の思い通りのことが出来ない、他人に迷惑をかけている、そんな引け目がある。そんな精神状態の時に自分に優しく接してくれていろいろ面倒を見てくれる人がいたら……。

自分を受け入れてくれている、と強く感じるんじゃないかな。
そしてその心の緩みから下の方もさらけ出してしまう(セクハラ行為をしてしまう)。
そんなことを思ったよ。

日本のグローバル化を阻んでいるもの

ボクが常日頃、日本人を見ていてなんとなく思っていることを二つほどまとめて見た。といっても別に民族性がどうとか、そういう深い話ではない。そして人によってはだからどうしたと思う人もいると思う。
けど、だからどうしたで済ませてはたぶんいけない気はしている。
内容は以下の二つである。

  1. 無勢で多勢を倒すのが好き
  2. 職人が好き

まず 1 から。日本人はとにかく少人数で大人数を倒すのが好きだなーって思うのよね。それは世の作品なんかを見ても思う。少人数で大軍団を蹴散らしたりとか。織田信長の桶狭間が大好きとかね。
でも現実はそんなことはなくて、やはり数は力である。そして欧米はそれをよく解ってるんじゃないかなって感じる。
戦争は数よ。
けれど太平洋戦争とか見ててもわかるけど日本人は奇をてらった作戦が好きだ。夜襲が好きだ。レーダーもろくになかったクセにwww 何言ってんの?www って思う。

次に 2 は専門性を持った人を妙に有り難がるというか、なんというか、この分野はこの人じゃないとダメとか、この機械は使いこなすのに何年かかるとかそういうのが好き。

この二つの何が問題なのか? それはね、このグローバル社会においてこの二つの思想は非常に非効率なものとなってしまうからだ。少人数で大人数がとりかかっている事業に取り組んだり、できあがった製品がすげー性能がいいんだけど、専門的すぎて扱いがとても難しかったり。
日本のプロダクトってそんなのばっかり。
でもそれじゃぁ世界に太刀打ちできない。そりゃ日本人がみんな天才ですっていうんならこれでも全然かまわないんだけど、残念ながら日本の頭脳は今どんどん世界から置いて行かれてしまっている。
そんな状態で、いつまでも奇襲作戦や性能はスゲーいいんだけど数人しか使えないハイテク機器とかあってもどうしようもない。

まぁでも日本で成功している企業は、この二つの思想を持ってないように思う。
SONY なんかはこの二つの思想でもろにやられちゃったイメージ。偏見だけどねww
そんな与太話でした。