理想の通勤タイミング

ボクは公共交通機関を使う場合、時間ピッタリが好きだ。
どういうことかというと、たとえば 12:34 発の電車に乗る場合、12:33 頃にホームに降り立つのが理想なのだ。要するに、待ちたくないのである。ホームに降り立ったら、そこにドアの開いた電車がいる。それが理想なのである。

コレを実現するのはそんなに難しいことではない。幸い日本の公共交通機関は時間に正確である。だから時刻表を元に行動すれば、ボクの理想の移動が可能となるのだ。また、通勤タイマーなんて便利なツールもある。

しかし、残念ながらこの行動はできないことが多い。
理由は簡単で、通勤時間帯は人が並んでいるからである。
特に座りたい場合は、時間ピッタリの行動をすることは不可能である。となると結局、予め並んでおくという行動を取らねばならず、そのためトータルの移動時間が長くなることになる……orz

ボクが公共交通機関を使わない理由の一つである。
そんなことするなら、車で行く、ってなってしまうのだ。

もちろんボクが移動に車を使う理由はそれだけではなくて、時間に囚われずに移動できるという利点を重視しているのだが、残念ながらこれも完璧な利点ではない。確かに普段はそうだし、終電が終わったあとも移動できる利点はあるが、通勤時間帯は渋滞が発生して、移動時間は短くならないし、災害が起きた場合は道路が使えない事が多く、こちらも車で来ている利点というのはまったくなかったりする(^^;

ところで系統番号吉63』の保谷駅行きバスの場合、長蛇の列になり、出発時点ではほぼ満員になるのだが、青梅街道に出る頃には立ち客はほとんどいなくなるばかりか、ちらほら空いている席も出る。つまり客のほとんどが吉祥寺通りを通っている間に降りてしまうのだ。なのでこのバスに関して言えば、別に立っても良いんだけどね<ヲイ

やっぱり Apple ユーザって頭悪いんかな

Windows ベッタリなボクが言うと凄く驚かれるのだが、ボクはスティーブ ジョブズ信者である。まぁとはいえ狂信的ではないが。現にマッキントッシュは買ったことがない。しかし彼の『概念を商売にする』というのは中学生の頃から感銘を受けたというか、素直に凄いなぁと思ったというか。

まぁ、とはいえ、ボクは Apple 製品を使ったことがなかった(今は iPhone ユーザである)。
Next はすげーって思った。

しかしジョブスの作ったものってのは、弊害が生まれているとも感じている。
それは「誰にでも使える」ようにしたおかげで「バカでも使える」ようになってしまったことだ。これはとても素晴らしいことなのだが、このおかげで「Apple ユーザにはバカが多いのではないか」という偏見がボクの中に生まれてしまったのだ。
というわけで、その様子をご覧ください(ぁ

でね、言いたいことは「Apple ユーザってやっぱバカだなぁ、ギャハハ」っていう話ではない。コンピュータってやっぱりまだまだ使うのは難しいよねっていう話。スマートフォン一つとっても誰でも使えるようになったものの、やっぱり何かをしようとすると専門用語や専門知識とぶつかることがある。例えば Apple が提供するネット上のストレージ iCloud は便利だが、無料枠は 5GB までだ。
ほら出てきた、5GB という言葉。
でもサービスを提供する方としては、これを無制限にするわけにもいかない。どうしても何らかの制限をつけざるを得ないが、その制限する言葉が専門用語となってしまう。

じゃぁ 5GB ってどれくらいなん? って言うときに、写真だと○○枚、文書だと広辞苑○○冊分とかよく言うけど、それも正直アテにならない。写真で多く使われている JPEG 形式は同じ画素数の画像でも容量は様々になる。
ほら出てきた、「画素数」「JPEG」 って何よ!?

キリがないwwww

さらに言えば、「バカでも使える=プロに簡単に騙されてしまう」という問題も孕んでいる。
バカッターなんていう言葉ができたが、あれは騙されているわけではないにしろ、やはりコンピュータのことを知らなかったことによって起こる現象である。

かつてボクは Apple のように知識が無くても使えるようにするのがボクたちコンピュータ側の人間の使命だと思ってきた。けれど、そんな御花畑の世界は来なかった。いや、もちろん知識が無くても使えるようにはできるんだけど、知識のない人が知識のある人に簡単に騙される世界が来てしまった。

だから、コンピュータのことは勉強しないとダメだね、って今は思ってる。

もう一つ、アメリカを見てて思ったのだけど、コンピュータに強くないとこれからのグローバル社会、勝てないのかなって思った(Apple も Amazon も Microsoft も Facebook も極端な言い方だけど、プログラマが作った会社だ)。日本、まだまだ保守的だなって。
え、SUICA とか世界に先駆けてやったし、ガラケーなんてスマフォでできることを何年も前から実現してたって?
そう、そうなんだよ、確かに最先端の普及はすごいんだ(特にハードウェア)。だけども、5GB も解らないような人が溢れてる。キーボード使えなくて、フィッシングメールに引っかかって、メールボックスは spam だらけ、PC は勝手に広告のウィンドウが開きまくって、壊れたとか騒いでる人がたくさんいる。
パソコンで一発でできるようなことをいつまでも紙に書いてあーでもないこーでもないってやってる事務のおばちゃんおじちゃんが溢れてる。

やっぱ、勉強しようぜ、コンピュータのこと!

子供は普通に汚い

Twitter からの寄せ集め、色々。

東北の震災以降、日本の電力事情ってどうなっているのかなということで、まとまった記事があった。こう言うのは随時追っていきたいなと思いつつ、ついつい忘れちゃうよね。

Google で先日行った温泉をなんとなく検索したときに気付いた機能。混み具合情報がある。すげー。っていうか、応用力だよなー。Google が集めているデータをどうやって活かすか。Google の中の人は楽しそうだ。いいなぁ。

POS で顧客管理していないお店も混み具合がちゃんと表示された。
どうやってるんだろうと思ったのだが、渋滞情報と同じなんじゃないですかねというツッコミをいただいて、理解した。まぁ渋滞情報は Google は VICS からもらってるとは思うが、まぁとにかく普通に Android 端末の数をカウントしたので出せるのだと言うことに気付くw

驚愕の事実。
日本の鉄道は、線路幅(ゲージ)はだいたい 1067mm で、これは世界標準(これを標準軌という)の 1435mm よりも狭い。新幹線なんかは標準軌だったりする。

でね、あの車内がクソ狭い大江戸線。あいつ標準軌なんだって!
マジかよ!! びっくりだよ!!

って、ただそれだけ。

ツイートの通りなんだけど、大人は汚いとかいう定番台詞はそっくりそのまま子供に返したい。子供こそ嘘はつくわ、暴力で脅すわ、盗むわ、罵詈雑言は言うわで、子供がキレイだなどと思ったこともない。まー、そもそも人間ってそういうものだよね、っていう。

ただね、そう言った「汚い」部分は、実は生存能力と密接に関わっている。
理性や法律などで縛ってはいるが、おそらく自然の中で生きて行くには必要不可欠なものでもある。しかし人間が作り出した社会生活においては「汚い」ものでしかない。

では社会生活では完全に要らないものかというと、そういうわけでもない。
科学の発展や人間そのもの向上には、こういった「汚い」部分が必要なものだ(便利さの追求、他人を出し抜く精神力、欲望など)。

そういえば我々ホモ・サピエンスが生き残れたのは、他の類人猿に較べて戦闘的だったからという説もあるらしい。

テレワーク

Twitter では息巻いてしまっているが、日本は基本的に通勤させるのを前提で世の中が回っているなぁとつくづく嫌になる。がしかし、会社に通うことは大事な事であるようで、テレワークを推し進めてきた IBM や Google などの大手 IT 企業は逆に今、出社制に戻しているのだという(関連記事)。もっとも IBM の場合はテレワークそのものが問題というよりも、それを理由にレイオフを推し進めたいようだが。

まぁ業種によってテレワークの向き不向きもあろう。

ボクが子どもの頃(といっても年齢は忘れたが小学 4 年だと思う)、会社に毎日通うなんていうことはなくなり、好きなときに好きなだけ働き、自分のやりたいことも好きにできる社会になってるんだろうなぁなんて夢見てた。

全くそんな世界は来ないwww
おかしい、どうした未来??

個人的に思うことは若い人でもあまりテレワークが浸透してないこと。「就職とは懲役 40 年」とか言うくらいなら、会社に毎日通わなくてよくて仕事時間を自由に決められるテレワークがもっと浸透してていいと思うんだけど……。

どうなの!? 若い人!!

声が大きいだけの人たちをどうするか?

こんな記事をみつけたので、なんとなくそれに関係することをつらつらと綴ってみた。

まぁ最近、ネット上でちょっとしたことでも炎上したり、ちょっとした抗議で取り下げたりなんてのを耳にする。ボクの記憶の新しい所だと、ファブリーズのくさや編だろうか? あれの抗議した人数は 16 人だったと聞いているが……16 人の抗議で CM とりやめる意味ってあるのかなぁ……と思ってしまう(まぁ、地元からの反発というのも大きいのだろう)。
そもそもその CM には 2 億円ぐらいかかってるんじゃないの? よう知らんけど。

まぁ、この記事を書いた人の気持ちも分かるんだけど、とはいえ正論が通らないのもどうかと思う。とくに日本は──と言う言い方は良くないが、まぁボクの体験では程度に思ってもらえれば──正論を言っても相手にされないというか、同調圧力が強すぎて不正が修正されないことも多く、また正論で攻めると切れる人も多い(汗)。
なのでまぁ、匿名で騒いでる連中は相手にしないという文化が出来れば良いのではないかとボクは思っている。

ところでこのネットいじめだが、なんだろうね、ボクは犯罪者の親族や犯罪者の所有物に対するいじめ(というか犯罪行為)にも通じるモノを感じるんだよね。どういうことかというと、例えば犯罪者が逮捕されて無人になった家に放火したり、親や親族に脅迫電話をかけたりするようなことだ。
あれって取り締まってるのかなぁ? なんか警察もそういった行為は野放しというか、あまり関心なさそう。

まぁそんなワケで、21 世紀。まだまだ人間は理性に勝てずにいますよっと。

新卒がなくなる方向になっていくのか?

なかなか興味深い記事をみつけた。

新卒を廃止するというものだが、よくよく読んでみると、新卒という概念がなくなるわけではないようだ。とはいえ、これは大きな一歩のような気がする。
何が大きな一歩か?

ボクは企業の採用は中途採用しか存在しなくて良いと考えているからだ。
そもそも仕事とは自分がやりたいこと、もしくは自分に向いている(と少なくとも自分は思い込んでいる)仕事に就くべきであって、仕方なくやる仕事はその人の人生をいろいろと蝕む。仕事は仕方なくやるものと考えて仕事をされると、クオリティは落ちるし、不正もしやすい。
また仕事に対する将来の展望がないと、学生時代、遊ぶことしかしない。一番肉体的にも頭脳的にもノリにノっているときに勉強しないなんて!

いやもちろん、遊びも本気の遊びならいいと思うけどね。それが仕事になるから。

まぁそんなわけで終身雇用も崩れてきて、欧米型になっていくのであれば、中途採用をやめ、さらに大学なんかも入りやすく出にくい構造にしていく必要があると思う。給与形態だけ終身雇用を辞められても困る! 新卒や大学に入りにくく出やすいという構造は終身雇用が前提になっているはずだ。

ファッションが解らなかったボクへ

ボクは世間から言うと、オタクという部類の人間に入る(オタクから言わせたら、オタクとは言えないだろうが)。
最近のオタクはそうでもないが、昔のオタクというのはファッションに無頓着であった。服というモノは、楽で、夏涼しく、冬温かく過ごせればなんでもイイみたいな考えだった。そしてボクはいまでもその傾向は強い(汗)。

なので、女子高生へのセクハラや性的暴力事件なんかを見てても、そりゃあんだけ丈の短いスカートとかはいてりゃ、レイプしてくれって言ってるようなもんだ、女子高生側にも問題があるだろう、なんてことを思っていた。
駅の階段なんかでスカートを抑えながら登っている女子高生とか、「はぁ? だったらそんなスカート最初からはくなよ、バカじゃないの?」とかも思ってた。

そんな 20 代 30 代を過ごしてきた。

だが、それはボクの浅はかな考えでしかないということに、ようやく(30 代の後半ぐらいからかなぁ)気付きはじめた。

きっかけはスポーツカーだ。ボクは車マニアとかエンスーではないが、運転は大好きだ。そのため、運転が面白いスポーツカーも好きだ。そもそもオートマが嫌いだし、自分で車を操る喜びというものが好きなのである。
それに引き替え、世に出回っている車のつまらないこと……。車好きには本当に生きにくい世の中になったなぁ……なんてことを考えていたのだが、これがまさにファッションと関係することだったのだ。

つまり短いスカートをはいて、誰からもかわいく見られたい……!(まぁ、世の女子高生がそう思って、そういう格好をしているのかは解らないが)という欲求と、キビキビ走ってパワーもあって、運転が心地いい車に乗りたい! というのは、実は同じわがままだったのだ。
世の人は車は道具であって、人や荷物が載って、目的地まで走れればそれでよいのである。スポーツカーなどという、何の操作にしても人間が操らなければならず、人も二人しか乗れない、さらに車内は狭い。そんな車に何で乗らなきゃならんのじゃっていう(前乗っていた Euro-R という車では、同乗者が嫌がることも多かった)。
ファッションも同じ。かっこよく or かわいく見せるには、夏に暑い格好、冬に寒い格好をしなくちゃいけないし、不便な服を着ることもあるのだ。

さらに、夜、黒い服とか着ている人がボクは大嫌いだった。
ドライバーからしたら、発見は遅れるし、暗闇に紛れるしで、黒い服を来ている人は死にたいに違いない! とまで思っていた。

違うのだ、違うのだよ。
スポーツカーに乗りたいのと同じ。黒い服を着たい。それに何の問題があろうか。黒い服を着ることをなぜ責められなければならないのか。その人がそれを着たいのだから、それでよいのである(安全とは別のレイヤーであって、ファッションと安全をそのまま議論するのはおかしいのである)。

というわけで、ようやくボク的にファッションの必要性を理解したつもり。
これで露出の高い女の人を見て、どん引きすることも(あ、もちろん目の保養にはさせてもらってます)、夜道を黒い服で歩く人をみてもピリピリすることもなくなった。
ボクもスポーツカー好き。ファッションと同じわがままを持っているのだ。