資本主義にエグさを感じるときはないか?

日本に住むボクらは資本主義の中で住んでいる。その善し悪しとかはともかく、その恩恵にはだいぶあずかっている。もちろんそれによって産み出される不幸も多いが、それらの不幸は資本主義によって産み出される富の残滓によってまかなわれている。

ボクは別に資本主義にどうこうっていうのはあんまり持ち合わせてないし、その便利さに乗っかっているし、他にどんな主義がいいのかもよくわからないので、なんとなく世の中の流れに身をまかせてしまってはいるのだが、時々資本主義のえげつなさを垣間見ることはある。
たとえば以下の記事なんかみると、そう思う。

この記事を見て何も思わない人もいるだろうし、そうか次は大井町か!と思う人もいるだろう。
ボクが感じたのは、たとえば記事にある大井町の地価を何倍にもして、人を呼び込んで、地域を発展させたとしても、果たして大井町は本当に幸せになったのか、ということだ。特に大井町に古くから住んできた人達にとって幸せになるのか?
厄介なのは仕掛けた方が「良いことをした」と思っていることである。これは例えは悪いが、狂信者が殺戮を含めた布教活動をしてその国がその宗教国になりましたやったーと喜んでいるようにも見える(笑)。

もっとわかりやすい例が、共産党が良く使う例なのだが、蚊の輸入話だ。これはどういう話かというと、貧困に喘ぐ A という国と、豊かだけれども蚊に悩まされる B という国があって、A 国は雇用を生み出すために B 国から蚊を輸入して、A 国は殺虫剤や虫除けスプレーなどの製造などで潤い、国自体は貧困から脱したが、国民はみんな蚊に悩まされるようになった、はたして国民は幸せなのかっていう話だ。

そして上の記事に出てきた武蔵小杉という街はまさに蚊に悩まされるようになってしまった街と言えると思う。さらに問題なのが、資本主義の場合、潤ったのは武蔵小杉に住む人全員ではなく、一部の人だということである。しかし蚊の悩みに相当する部分は武蔵小杉に住む人全員だったりする(笑)。
まぁだからといって計画経済がいいのかというと、これもまた様々な問題を含むし、人類は一度失敗している。

さて、気を取り直して、今日は旧知の知人にお風呂に誘われたので行ってきた。場所は山梨県道志紅椿の湯と言うこところだ。道志と言えば水害に遭ったり、小学生が行方不明になったりと今年はなにかと話題になった。

夕方ぐらいから行ったんだけど、こちらも長野同様、台風による通行止めが多かった。相模湖東出口から紅椿の湯のある R413 までの様々な県道・林道が通行止めでそれらを迂回しながら向かわなければならなかった。そもそもこの R413 さえもが通行止めの区間があった。

まぁでも無事紅椿の湯に到着。お客さんはけっこういたように見えたんだけど、お風呂は空いてた。
道志は今秋、周囲の道路状況的に来にくい場所になってしまっているのかもしれない。

下の写真はその紅椿の湯でいただいたかき揚げ蕎麦。

帰りは 21 時頃だったと思うんだけど……中央自動車道が渋滞してた(事故渋滞)。うーむ、南側にまわって帰れば良かったか……。渋滞情報を見たのが高速に入る列に並んでからだったんだよね。不覚orz