自己責任論は政治家・資本家に有利すぎる

前に勤めていた会社であったことなんだけど、会社の同僚が理不尽な理由で解雇を言い渡されたことがある。
とはいえ、それは理不尽だったので、親会社から待ったがかかり、結局解雇はなかったことになった。

日本人では海外の暴動を見て、野蛮だなぁとか未開だなぁとか理性的じゃないなぁという感情が先に立つ。
また、デモを見ると、邪魔だなぁとか反社会的だなぁとかうるさいなぁといった感情が先に立つ。

そして極めつけは自己責任論だ。上記の不当な解雇でも、解雇された方の責任論になったりする。また自己責任論の矛先はニートや貧困者にまで向くが、その責任論を語っている連中もニートだったり貧困者だったりする。が、彼らは自分のこととなると社会や政治、そして親ガチャといった運の所為にする。

話は変わって、2ch, 5ch などでもようやく 30 年間給料が変わってないことや、GDP のマイナス成長、そして自民党政権の批判がなされるようになってきた。もちろん政治や社会、そして企業や富を持つ側の問題もいろいろとあるのだが、この自己責任論と言うヤツが、結局政治家や資本家のやりたい放題を助長しているようにボクは見える。
例えば先の不当解雇の件も、結局、不当解雇された本人が一人で会社と戦うしかないし、日本ではそれが当然と思われている。しかし、庶民一人が国家や企業に立ち向かうのは非常に難しいし、そもそもパワーバランスがおかしい。
ここで起こすべきは、不当解雇を受けたら社員総出でそれを撤回するように動くべきなのだ。それがいわゆるストライキと言うヤツだ。なぜ一人の社員のために社員総出でそんなことをしなければならないのか? それは他の人も同じような不当解雇を受ける可能性があるからだ。そんな会社を黙って見過ごすわけにはいかない。
会社を変えるためにも、社員みんなが会社に対して行動を起こしていくことが重要なのだ。一人ではとてもじゃないが対抗しきれない。

国家や企業を相手にするには、そうした数による対抗が必要なのだ。デモとはそもそもボクら国民が持つ「権利」の一つなのだ。

これがどうも日本には浸透していない。
そしてそのせいで、政治家・資本家に都合のいい国家運営がなされてしまうのだ。
つまり 30 年というかバブル崩壊後の日本の停滞は、国や企業側の問題もあるが、それを助長する我々の気質も充分に関係していることなのだ。

これを変えて行くためには、教育でデモやストライキを始めとした労働者の権利というものをしっかりと教育していくしかないだろう。
そうしなければ、日本はずっと衰退し続けていくだけかもしれない。

最後に今日の室温。気温は高めだが、湿度は低め。有りがたい。

    最近の人はハラスメントに弱い?

    昨今、日本では○○ハラスメントが大はやりだ。昭和生まれにとっては「え、そんなことまでハラスメント?」って思うようなことまで。そして若い人やメディアは、それはボクの脳が古いからだという。果たしてそうだろうか? 入社やバイト三日目でばっくれてしまうような精神性とか、心の負担がかかる作品が嫌いとか、そういうのを見ているとホントにハラスメントのせい? ってつい思ってしまう(笑い

    ちょっとしたエロネタでぎゃーぎゃー騒ぐフェミニスト界隈も同じ香りを感じる。

    みんなちょっと打たれ弱すぎるんじゃないかっていうwww

    ちょっとでも心に負担がかかると、もうハラスメントだと騒ぐ。
    ただボク自身がハラスメントを感じにくい性格だというのは理解している。ボクはいじめにあっても気付かないのだ。無理難題な仕事を押し付けられて、みんな帰ったあとも一人で仕事をするとか、みんなに無視されるとか、あからさまに距離をおかれるとか、そんなの学生時代から山ほどされてきたけど、別になんてことはない。
    あとから知り合いや仕事仲間から指摘されて「あぁ、あれはハラスメントだったのか」と気付くくらいだ。

    あとボクの特徴としてボクにハラスメントをしてくる人に対しても普通に接することができるというのがある。向こうがボクの事をどう思っていようが、普通に挨拶もするし仕事上で接しなければならないときも普通に接すするし仕事も一緒にする。向こうがどう思ってるかは知らんけどw そしてその人を嫌いになることもない。苦手とかはあるかもしれないけどね。

    おそらく「ボクはボクですが何か?」という気持ちが強いのだと思う。
    なのでボク自身が他人に対してハラスメントをしていたとしてもそれに気付いていない可能性も大いにあり得ると思う(ぁ

    さて、6/8 に折りたたみタイプのクーラーボックスを買った。冷凍品や冷蔵品をお土産として買ってこられるようにするためだ。これを車に積んでおいて、冷凍・冷蔵が必要なお土産を入れておくのだ。しかしこれには大きな弱点があった。というのも、一緒に保冷剤も入れておかなければならないからだ。しかし冷やした状態の保冷剤って売ってない。

    というわけでクーラーボックスを買った意味はないのではないかと思い悩んでいた矢先、よく行くスーパーでドライアイスが売られているのを見付けた。というわけで試しに買ってみた。一回 50 円である。量はよくわからない(汗)。紙袋を渡されて、装置にセットして、ボタンを押すとドライアイスが出てくるのだ。
    というのが下の写真なんだけど、ただの霜にしか見えないwww

    ドライアイスって最近のスーパーには必ず売ってるのかなぁ?
    まぁとにかく冷凍・冷蔵のお土産を買った場合は、とりあえず地元のスーパーを覗いてみるのがいいのかもしれないね。

    男を手本にする必要はない

    女性差別(問題?)に関する二つの記事をご紹介。

    この二つは関係ないようでいて関係しているようにボクは感じている。
    一つは、社会への女性進出は確実に進んではいると言うこと。しかし、女性進出とは男性がしてきたことを女性もできるようになることだと考えられていること。

    実はストレスを解消する目的でアルコールを摂取するというのは、かなり原始的な行動であることが解っている。というのもあのショウジョウバエもするからだ。ネズミもする。つまりアルコールの効果というのはおそらく太古の昔から生物に知られているのだ。

    女性が社会進出を果たすことによって、今までとは異なるストレスに晒されるようになる。そしてそれは永きにわたり男が通ってきた道でもある。しかしおそらく女性にとっては初めて経験するストレスとなろう。
    そうして酒を飲む量が増えているのではなかろうか。

    女性の喫煙が増えているのも、案外、同じような理由かもしれない。

    ところで女性の社会進出はボクが見る限り、お手本が少ないように見える。というのも、社会進出=男のように働くことになっていることが多いからだ。しかし女性と男性はコミュニティに対する考え方や仕事に対する考え方がずいぶんと異なる。
    なので、今までのやり方をそのまま女性に適用して良いのかは、疑問が残る。

    ただ、残念ながらボクは女性ではないので男と同じように働くと、女性にどのようなストレスがかかるのかを知ることはできない。

    今では産休や育休があるが、たぶん女性のための職場なら、これらをとらなくてもストレスなく仕事も両立出来る方法があるはずだ。もちろんお産や子育てに専念したいなら休んでぜんぜんかまわないのだが、年単位で仕事を離れると、戻ってきた時に勘を取り戻すのはなかなか大変だし、閑職しかさせてもらえないなんてこともあり得そうだ(ただこの考えも、男側の視点でしかないが)。
    また仕事に燃えている女性もいるはずで、その人達が出産や子育てをしたいと思った頃にはすでに出産に難しい年代になってしまったという場合もあるだろう。仕事に燃えていても、出産・子育てができる環境というのは女性でしか構築できない仕事環境だと思う。
    また、長いこと仕事から離れていた人が復帰してもスムーズに仕事が始められる環境作りも大事だと思われる(これはたぶん男や引きこもり・ニートなどに対しても効果があるだろう)。

    さて、話題を女性ばかりに絞ってしまったが、我々男性も経験したことのないストレスの洗礼を今後は受けることになろう。それは子育てや家事、また近所づきあいや育児コミュニティとの関わりなどである。我々男もこういったストレスに触れながらも、男ならではの出産環境や育児環境を創世していく必要がありそうだ。

    人でなしは何故いるのか

    まぁツイートの通りというか補足することもあんまりないんだけど……。
    自動運転車なんかもこの問題が浮上してきている。たとえば自動運転車のセンサー類の特徴を利用して、ニセの標識を作って混乱させたり、自動運転車だからと言う理由で気兼ねなくぶつけたり傷をつけたりする人があとを絶たないだろうっていう未来だ。

    本来、便利な世の中になるはずなのに、なんでか不便な世の中に(汗

    そのためにはまず社会全体が犯罪を犯さなくても済むような世界にする必要がある。これはどういう世界かというと、端的に言えば、将来の心配をまったくする必要もなく、衣食住の心配をする必要もなく、自分の住みたい場所に住め、自分のやりたいことができる、そんな社会だ。
    これを実現するには社会基盤をそのように整えていくだけでなく、教育も重要な鍵となる。

    だがたとえそんな社会が築けたとしても、愉快犯や他人の不幸を心底願うもの、破壊を好む者などなど、どんなに恵まれていても犯罪を犯してしまう人はいるのでやはり 0 にすることはできない。

    また彼らのような存在が、本当に不要なのかというと実はそう言い切れない部分もある。というのも他人を不幸にしてでも自分が生き残ろうとする行動は、おそらく今までの進化史の中で有益に働いてきたはずだ。残虐性、冷酷さ、人でなし、などと言われるこの要素があったからこそ、我々ホモ・サピエンスは絶滅せずに地球の覇者になった(逆に言うと他者を絶滅に追いやった)。
    これから先もどんな試練が待ち受けているか解らない。人類が滅亡するような危機に遭遇するかも知れない。その時に、これら人でなしの要素が必要となる時が来るかも知れないのだ。

    ただ、実はボクはそれには否定的だ。というのも、知的生命体となった今、これら人でなしの部分がなくても、我々は知性と理性をもって滅亡の危機に対処できると考えているからだ。もちろんこれには知性と理性をもって、人でなしな行為を実行するという可能性も孕んでいるわけだけど(汗)。これはどういうことかというと、例えば人類が生き残るためにはとある生物を根絶やしにしないといけないということが解った時とかねw
    おそらく、人間は容赦しないだろう。理性的に彼らを絶滅させるだろう!

    あれ? それってやっぱり人でなしなのでは?(爆

    いよいよ夏本番になってきたなー。
    しかし気温だけでは「感じる暑さ」は測れないことが解ってきた。まぁ当然っちゃぁ当然なんだけど。というのも以前、イスラエルに行ったとき、気温が 40℃を越えていても全然暑さがつらくなかったのよね。その原因は湿度。湿度が低いと、40℃でも平気で耐えられる。なので気温だけでなく、湿度にも注目していかないとダメなのかもと思っている(伏線)。

    田無のイタメシ屋と資本主義の中のエンタテイメント

    今日は病院に用事があったので、田無の方に出た。
    コロナ禍の病院……とはいえ私立の病院なので、あんまりいつもと変わらない。
    COVID-19 患者は指定された病院にしか入れないため、指定病院じゃないといつも通りなのだろう。
    それでいいのか甚だ疑問ではあるが……。

    で、朝の 9 時から 13 時までかかってようやく解放されたので飯を食うことにする。

    田無……全然開拓してない。
    ハンバーガが食べたかったので、チェーン店ではなく独立系の店を探すと、田無駅前にそれらしい店があることが解ったので行ってみる。そしたらよく差し入れに行く子ども食堂が借りている建物のお向かいだったw

    店の名前は『ピッツァリアン斗華』。「トウカ」と読むらしい。ハンバーガ屋ではなく、イタリア料理屋だった。まぁでもハンバーガがあるのでいいのだ。中はオシャレ系。ボクみたいなオッサンが入ったらダメなタイプ。
    客は二組でボクを入れると三組だった。全然、密にならない感じ。
    せっかくなのでピザも頼むことにする。オリジナルの和風ピザ、なんと海苔とシラスのピザ。面白そう。

    ハンバーガはすごい嵩に見えるんだけど、上のレタスはレタスボールなのだw なのでこのレタスの部分に何か入っているわけではない……上にレタスが堅いので潰せないwww 結局どうしたかというとこのレタスを逆にして、レタスで下の具を包むようにしてから潰して食べた。
    お肉もジューシーで調味料がほどよく絡んでバランスがいいハンバーガ。調味料推しの味になってないのがイイんだけど、やっぱレタスがちょっと強いなー(汗)。

    ピザはこれまた具の味がガッツリ。海苔とシラスのハーモニー。面白いなぁ。生地はけっこうモチモチ。その食感とシラスの食感が不思議。塩加減も強くなくてこちらもバランスはいいと思うけど、磯の香りとかが苦手な人はちょっとウッと来るかも。

    そんなわけでなかなか独特なお店だった。

    ところでボクの斜め後ろに座っていた女子高生三人組の会話が面白かった。なんか人間関係についての真面目なトークをずーっとしてた。さらにそれが海外だとどうなのかとか、恋人だとどうなのかとか、なかなか哲学っぽいってのは言い過ぎだけど、チャラチャラした話じゃなくてビックリした。女子高生というか最近の子は緩い関係で付き合い方にポリシーとかそういうのなんてないと思っていたので、興味深かった。

    最後に気温。34 ℃。暑い!!  梅雨、本当に来るのか??

    この日記ではずいぶん前に触れたことがあるネタが、映画の世界では今頃のように話題になっているようだ。エロゲがすでに 2000 年台に通った道だ。そのエロゲはほとんど滅びつつある。もっともそれはこのネタのせいではないけれどね。

    上記の問題はなんといっても娯楽があふれていること、そしてその消費スピードが速いことが原因であって、ユーザのレベルが落ちたというのはそんなに大きなファクターではないと思う。と言うのも、ユーザのレベルというのは、エンタテイメントというものが生まれてからずっと下がりっぱなしだからだ。
    昔は音楽を楽しむには楽器のことや楽典のことを知らないと楽しめなかった。
    歌舞伎や能を今、手放しで楽しむには、かなりの教養がいる。
    落語もしかり。
    つまりエンタテイメントはどんどんと思考しなくても済むように発展してきた。そのために表現力の向上がなされてきた。今や映画の SFX は現実との区別が付きにくいほどにまでなった。

    やっぱねー、人間って考えるのイヤみたいよ?w

    なのでこの先、ますます簡単になっていくのかなぁ。
    100 年後のエンタテイメントはどうなっているだろうか?

    とはいえ昔の人に較べてボクらのできる事って格段に増えている。
    だからエンタテイメントの発展の仕方としては、難しい、より高度なエンタテイメントになっても受け手がそれについて行けるようになってる……はずなんだけどねぇw

    楽な方に流れるってことなんだろうか?(ぁ

    個人的にはエンタテイメントはそれでいいのだが、文学作品っていうんだろうか、芸術作品でもいいのかな、そっち方面が廃れないこと、そちらの方を危惧している。お笑いの世界なんて風刺がほとんどなくなっちゃったもんね。

    不倫の考え方とかウェットティッシュとか

    ドイツの、というか欧米の(?)不倫の考え方。
    ただ、欧米でもやはり二叉掛けというのは NG のようだ。

    よく北欧の不倫率はすごいなんて話を聞いて、えー……ってボク的には呆れてたんだけど(北欧はホントに美男美女が多い!)、要するに二人の関係が終わってしまって、その後、正式な離婚をする前に新しい異性と恋をスタートさせるから、不倫ということになるのんだなと理解した。もちろん全てがそうではないだろうし、異性関係にだらしのない人は洋の東西に限らずいるだろうけど。

    日本人が大好きなフランスなんかは結婚しなくてもカップル(同性も含む)に結婚と同じような法的権利が与えられたりするのだけど、恋愛やカップルの常識は日本とはいろいろ違いそうだ。

    コロナ禍のせいか、ウェット ティッシュが手に入らない。
    でも最近はどこのメーカーかも知らんようなウェット ティッシュは見るようになった……けど、ボクがいつも買っているヤツは売ってない。困ったなぁ……。なんでウェット ティッシュごときにメーカーというかこだわりの製品があるのかというと、車載用なのだ。
    そして拭いたあと、なんとなく薬品が残る感じがなくて、サラッとしているのが条件だ。
    運転している手はサラッとしていた方がいいのだ。もちろんそういうウェット ティッシュって他にもあるんだろうけど、いろいろ試すの面倒だし……そもそもいろいろ試した結果このキレイキレイに落ち着いたわけで(汗)。

    いっぽうの WAKODO のヤツは容器の出来が素晴らしい。
    家でウェット ティッシュってあんまり使わないのね。それこそ取り替えるのは一年とか。現に通販の履歴を見たら、今家にあるヤツは 2019 年の 5/10 に購入している。つまり一年一ヶ月経ってもまだ使い切っていないのだ。にも関わらず中が乾くことなく、ちゃんとアルコール液が染みている状態だ。
    これが他のメーカーのだと、半年ぐらいでカラッカラに乾いてしまう。
    WAKODO の容器は素晴らしいのだ!

    最後の猫の写真は、最近仕事をしていると、横に来て何かを求めている(訴えいている)ので、なんとなく撮ってみた。なにを求めているのかは謎である。水もエサもあってもここに来てじっとこっちを眺めている。仕方がないので撫でたり遊んだりはするんだけど……。

    あと台風二号が生まれた。一号が 5/12 なので実に一ヶ月ぶりだ。

     

    警察に通報すればいいという常識が通用しない世界

    アメリカでは今、コロナ禍の中、黒人の暴動が広がっている(というように、日本の報道からは見える)。
    またかという思いもないわけではないが、少し広がり方が性急すぎるように見えるし、民主党陣営や、はたまた中国共産党が広めているという噂まで出たりしていた。
    トランプ大統領はシェルターに避難しただとか、軍を動かすとかなにやら不穏な空気も……。

    とはいえ、これらは報道やネットの情報を通してのことなので、現場の空気感は解らない。
    ただ、これらの情報では、秩序を取り戻すための努力がなされてないようにも見える。

    そんな折り、こんな記事に出会った。

    なるほど! と、ボク的にはいろいろ合点がいった。
    まず根本的な常識が異なること。それは何かというと、ボクらはたとえば身に危険が及んだとき、警察に通報するという常識を持っている。自分だけでなく、誰かが暴行されているのを見たら警察に通報したりする。
    警察とは我々にとってそういう存在だし、安全・秩序を維持するためのパワーだと信じている。

    しかし黒人にとってはそうではない。アメリカではそもそも行政・国家権力そのものが黒人を差別してきたし、黒人に不利なことをしてきた。だからたとえば自分に身の危険が迫っていても、「警察に通報する」という常識はないのだ。通報したら警察官も敵になってしまうこともある。黒人たちはそう感じているのである。
    黒人が大統領になれる国なのに、である。

    もちろん全ての黒人がそう思っているかはこの記事からは読み取れなかった。

    ただ、このボクらとは異なる常識を知った上で、今回のデモや暴動をみるといろいろ腑に落ちる点はある。たとえば暴動をなぜエスカレートさせるのか? それは行政側にも、警察が黒人たちにとっては信頼できるものではないことを知っているからだろう。秩序を保つために投入しても、それは弾圧にしか見えない。そしてそれは行政側の人間に黒人が少ないと言うことを表してもいる。
    黒人というか少数派の暴動からの秩序の回復は、先進国ではなかなかセンシティブな問題なのだなと感じた。

    もちろん、この暴動の中には便乗している者も多いだろう。
    それに暴動を由としない黒人だってもちろんたくさんいる。

    ただ、なぜ暴動が起きるのか、について、ボクらは歴史や差別されている人達の立場をいろいろと勉強する必要があると改めて痛感した記事である。ただ闇雲に、そして感情だけで彼らの暴動を批難するべきではないし、その背景やそれしか手段がないことについての悲劇をしっかりと受け止める必要があるのだ。