花、亡くなる

乳がんを患っていた猫が、今日のお昼頃、息を引き取った。
今回は最後の瞬間まで看取ることができた。
呼吸が次第にできなくなり、最後、酸素不足になったためか少し痙攣したあと、動かなくなった。
毎日患部を洗浄し、化膿止めを塗り、包帯を替えた。特に餌には苦労した。後半は高齢猫用の餌ではダメで、液状のモノやペースト状のモノを色々試した。ちなみにちゃおちゅ-るは途中からまったく見向きもしなくなった。最初の頃はけっこう夢中だったんだけどなぁ。いろんな味を試したんだけど、ダメだった。

なので、最終的にはいろんな種類の餌が余ったw

猫は死期を悟ると姿を見せなくなると言うが、じつはそれに類した出来事があった。
亡くなる前日、鳴きまくり、ボクの部屋から飛び出して、転がり落ちるように階段を降りて玄関まで行ったのだ。
死を覚悟したのか、それとも彼女なりの決死の何かだったのか?

最近は猫は家の中で飼う。
昔はよく外に出していたが、今はそれは推奨されていない。この猫も外に出ることはなく、家の中でずっと飼ってきた。
では彼女の世界は家の中だけなのかというと、それはどうもそう言うワケではなく「外がある」ということは認識している。というのも、窓から通りを眺めたり、なにか外に出たそうにしていたのをよく見たからだ。
死期を悟った彼女が自分の死に場所を選びたかったのか、それともいよいよ外敵から身を隠せる場所に行きたかったのか、それは解らないがその前日の決死のダイブは、何か意味はあったのだろうと今でも思っている。

人間の思いなんて勝手なモノで、2 月になくなったもう一匹と違って、最後まで世話をして見とれたので、亡くなったときの虚無感というか後悔というかそういうのはなかった。それよりも病との戦いにお疲れ様という気持ちの方が強い。素直に見送れたと思う。もし後悔があるとすれば、癌が発見された段階で患部を除去する手術はしてよかったんじゃないかなと、ボクは思っている。あのときはまだ体力もあったしなぁ……手術をしていたらもっと長生きしたのか、それとももっと早く逝ってしまったのかは解らないけど。それに長く生きることが幸せだとも限らないし……彼女が幸せだったのかどうか、それは彼女しか解らないだろう。

最後に、二匹の猫を振り返って見ると、人生の勉強になったこともあった。片方は頭が良く、場の空気を読み、遠慮するタイプで、もう片方は空気も読まず図々しい。先に亡くなったのは賢い方。そして介抱もロクにされなかった。一方の図々しい方(今日亡くなった猫)は家族みんなからちやほやされ、最後看取られていった。
図々しいのが由とはしないけど、図々しさってのは意外と大事なモノだなと思った。
人間社会でもそうではないか。静かで実直に生きてる人は、その存在に誰も気付かれない。わめいてる人が周囲にちやほやされ、相手にされて結果的に得をする。

前者に気付ける人間になりたいと思いつつ……。

同じく死に関わる問題だが、こちらは自殺の話。実はコロナ禍で自殺そのものの人数は減っている。しかし、芸能人と女性は増えている。
これは何か共通点はあったりするんだろうか?
個人的に思ったのが芸能人も女性も「見られる立場」だということだ。悲しいかな、女性はまだまだ「見られる」対象だ。化粧をしないで外に出ただけで非難されてしまうような世の中だし。そして当然芸能人は「見られてナンボ」の世界の人たちだ。それがコロナ禍というエフェクトがかかり、自殺を選ぶ要因になったりしていないだろうか?

ちなみにツイートでは漏れているが、子供の自殺も増えている。こちらも「見られる」が無関係ではない。
というのも四六時中親とともにいるということは「見られ続ける」ことになる。

人間の脳というのは不思議なモノである。どんなに恵まれていても、必ず不平不満が出るようにできている。なんなんだろうね、コレ。

通り魔や凶悪犯罪の動機

昨日の続き。自分が不幸だと思い込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなると、さらに職に就いてないなどで時間があると、人間はどうしても悪い方へと思考が向いてしまう。そう、人間って暇になると悪いことしか考えないのだ(笑)。さらに年を重ねれば重ねるほど、過去の自分への理不尽感は増していき、同時に世間へのヘイトも貯まっていく。

そんなとき、自分がスターダムにのし上がる一番簡単な方法はというと、「ショッキングな事件を起こす」ということなのかもしれないな、と思ったのが上のツイートである。

よく「教科書に載るようなことをしたい」とか「あの政治家は教科書に載りたいんでしょ」なんて聞くが、まぁそれの手っ取り早い版である。

ショッキングな事件を起こすことによって、日本中から注目されることに間違いはない。この時ばかりは日本の中で彼が主人公である。

もちろんそんなことを考えて事件を起こしているのかは解らないし、世間はどちらかというと犯人の境遇とかがフィーチャーされてしまうが、実は TV に映ってチヤホヤされている(ようにみえる)人のように、Youtube で何百万人も視聴者をかかえてノリに乗っている人のように、自分も! なんて思っていても別に不思議はないのではなかろうか。

実際に TV に出て人気者になったり、Youtube などでたくさんの視聴者を抱えるようになるにはたくさんの努力とそしてタイミングと運が必要だ。しかし犯罪ならばそのコストはかなり少なくて済む(ように見える)。ただ実際は犯罪を実行するにもそれなりに様々なコストや運・タイミングが必要だったりはする。しょーもない放火事件や通り魔事件を起こして、世間から馬鹿にされるだけで終わってしまう犯罪も多い(汗)。また京アニ事件のように、様々な要素が重なって結果的に多くの人が亡くなってしまうというようなことも。

まぁ今後、後がないひとの犯罪というのは増えるような気はする。
それはその人自身にも問題があるだろうし、それを放置してきた社会にも責任はあるだろう。誰かが言ってたな、本当に支援が必要な人たちというのは、周囲から見たら、支援したくなくなるような人たちだ、と。要するに周囲に当たり散らし、ネットで暴言を吐き、ワガママで人の言うことを聞かず、憂さ晴らし的に店員などに当たり散らしているような人。そう言う人たちこそが支援が必要だということらしい。京アニ事件の犯人も病院で手当てされたとき「こんな優しくされたことはなかった」とつぶやいていたように。

戦後、モノが豊かになり、そして 21 世紀に入って情報化社会になり……世界は刻一刻と変わっている。それに応じてモノの価値観や考え方、倫理観も変わって行く。それらに柔軟に対応できる人は少ない。しかし立ち往生している人にどうすればいいかを指し示すことはできる。我々は社会に生きているのだから。自己責任という言葉だけで片付けずに、社会全体で絶望した人たちに光を当てることはできるんじゃないだろうか……と思っている。

下の写真はなんか不満そうな猫w
靴下がぴったり合っている(ぁ

客観的に見た宗教の機能

これだけ社会と科学が発達して、自然界からの脅威(自然災害だけでなく猛獣なども含む)からも守られ、我が国においてはある程度の自由もある中で、不幸を感じ、不満を感じ、自分の人生の意味を見いだせず、ただネガティブな感情を抱いたまま生きる人がたくさんいる。
つまりこれらの脅威から逃れられるようになったことにより、今度は別の脅威が我々人間を脅かすようになった。
それが「情報」だ。しかも同じ人間の「他人の情報」だ(笑)。
自分よりも幸せそうに生きている他人の情報を知ると、人間は不幸になるようだwww

ただこれは何も「他人の幸せ情報」だけが人間を不幸にするわけではない。
ある美味しいモノの存在を知り、それが食べられないとわかると不幸に感じたりする。「他人の幸せ情報」も仕組みは同じだ。
つまり人間は知ることによって、不幸を知るのである。
隣の芝が青いことを知るのである(笑い

ちなみに、関連した記事がある。

この辺を解決するのは今のところ宗教の役目なのだが、日本人は宗教の使い方を間違っているのでなかなか宗教が救いにつながっていない。宗教なんてものはある意味おばあちゃんの知恵袋であり、過去の人たちがどうやって幸せに生きられるかと苦悩した集大成なのだ(なので新興宗教については、どこまで幸せをつかめるものなのかボクは解らない)。

何かに失敗したとき、もしくは何か困難に遭ったとき、神様のせいにすることによって、人間は心の平安を取り戻し未来に向かって歩める。「あのとき、なんであんなことを言ってしまったんだろう」と後悔したり、それこそあまりの過去の恥ずかしさに消え入りたいとか叫び声をあげてしまうなんてことは決して珍しいことではない。
なんであの人はあんなに成功していて、自分はこんなに惨めなんだろうかなんてことも誰しもが経験する。
そんなとき、それらを全部神様に責任を押しつけることによって人間は過去や蟠り、罪悪感から解放されるのである。これは科学や法律ではなかなか解決出来ないことだ。

もちろん自分が許された気になっても、他人はいつまでも覚えてたりする。けど「自分は許された」と思い込めることは生きていく上で充分強力なのだ。

イスラム教徒の自爆テロが恐ろしいと感じている日本人は多いと思うが、よくよく考えてみると、あんなことができるくらいなんだから、自分自信を幸せにさせることも充分可能だと言うことにも気付いてほしい。それが宗教の力だ。本当に神様がいるとかそういうのは置いておいて、宗教には人間の心を安らかにし、過去の自分を忘却させ、人間関係の煩わしさからも解き放ってくれる力があるのである。

無神論者だって科学を信じ、理論的な思考を信じ、そこに因果関係を見いだし、「あのときああだったから、こうしたんだ」とか自分で納得のいく理由をなんとかして作って自己というのを正当化し、精神が壊れないように確立しようとする。しかし本当にちゃんと理路整然とそれができている人間は少ないはずだ。自分の都合のいいように解釈したり、他人のせいにしたりして自己を正当化し、過去の恥ずかしい行為をなんとかなかったことにしようとする。
これだって結局自分は納得しても、他人は許してくれないという状況は普通に発生する。

要するに人間の脳はいーかげんなのだ。理由とか因果関係とかそんなのは自分で勝手に納得してしまえば、心は平安になれるモノなのだ。なので自分の今いる状態の落とし所を見つける方法さえあれば、不幸に感じたりそれこそ自殺したりすることはないと思うんだけどなぁ。こういうのは道徳の時間とかに教えるといいのかね?
もちろん宗教を教える必要はなくて、その落とし所の見つけ方だよね。その中で具体的な宗教の教理を教えるのは問題だけど、宗教の役割については教えてもイイと思う。そして科学的・理性的な落とし所の見つけ方も教えるといいだろう。

ボクは別に EV 反対派ではないし、モーターも好きだ。
ただボクは遠出が好きな上に何時間でも運転できてしまう人なので、今のところ EV が選択肢に入ってないってだけで。

で、急速充電。こいつはバッテリーが冷えているとできないらしい。
さらに急速充電自体、本当はやってはいけないらしい。急速充電ばかりやるとバッテリーの寿命が短くなるとのこと。普段は家の 200V などでやんわりと充電し、出先とかで休憩時間程度で充電したいときだけ急速充電を使うのが本来の使い方らしい。

やっぱりなんだかんだいって EV はまだまだ克服しなければいけない課題は多いような気がする。
まぁそれもそうか、レシプロエンジン車と歴史が違いすぎる。同じ水準に達するにはまだまだ時間を要すると言うことなのだろう。

これ面白い。実はアーサー王はまだ伝説の域を出ていない。なので実在の人物かどうかは疑問の余地が残るそうだ。
日本で言うなら、聖徳太子みたいなもんだろうか?(汗)
二人とも時代的には同じなのも面白いw

まぁそれはさておき、アーサー王がいたかどうかは別として、同時代にアーサーと名付けること自体は流行したとのことなので、アーサーという名前の何らかの偉人というか偉大な人がいたと言うことは事実かも知れないねっていう話。こういう外堀を埋めて証拠を固めていくのも考古学ならではって感じで面白い。

お取り寄せグルメと業務スーパー

お取り寄せグルメをいくつかご紹介。実はコロナ禍が始まってからお取り寄せグルメってそれなりにしてるんだけど、写真撮るの忘れてたりして、日記には余り登場していない(汗)。今回はちゃんと撮ったので、載せてみた。

まずは『さが錦』というお菓子。佐賀県では有名なお菓子&おみやげらしい。佐賀県はボクにとって九州で一番影の薄い県で、そんな中、名物は何だろうと検索して知ったお菓子だ。なんて言うんだろう、食感はスポンジケーキみたいなカステラ? そしれ甘さが西洋的でもあり、小豆的でもあり。なかなかおいしかった!

そして、こちらは神田で有名なすき焼き屋『ぼたん』のテーブルに置いてある鶏そぼろ!
マジか、あれ、買えるのか! あの鶏そぼろがご家庭で!!
って知ったかぶりをしながら注文した(笑い。ただのテレビで得た知識である。

うまい。椎茸がいいね。ご飯にかけてもイイし、サラダに入れてもイイし、三色ご飯作ったりもした。
このお店のすき焼きで使う割り下で煮込んでるみたい。
ぼたんにも行きたいね。

最後に、最近気に入っている業務スーパーのデザート。
イタリア産のアイス……なのかな? 溶かして食う。
甘さタップリ。食感、フワフワ。

最後に、まだ続いているアレ。なんと、無料ガチャで SSS キャラ出た。
今まで一度も出たことなかった。
そして今後出るかも解らない。

でも PvP にはこの SSS キャラがないとなかなかつらいんだよねー……。あと二体ぐらいはほしいところだが、果たしてこれから先、SSS キャラに出会えるんだろうか。

画像ばかりが現実に近づくけど…

RPG の戦闘なんかはコンピュータの制限もあって、パーティ vs パーティという構図になりがちだ。しかもパーティの人数以上、敵も出てこない。
アクション RPG や FPS 視点の場合はその限りではなくて、フィールド上にウヨウヨ敵がいるので一対多という構図は珍しくなく、こちらの方が現実に近いかもしれない。

もっとも人間がどれだけ長い間フルで戦えるかという問題があり、これに真剣に取り組んでいるゲームは少ないかもしれない。
長時間戦い続けるには本人の力量のみならずバックアップや仲間が必要だ。
ただ中には五日間戦い続けて敵の国境を抜けた化け物が現実にはいたりする。しかも砂漠で。この人は特殊部隊員(SAS)だった。

話をパーティ vs パーティに戻そう。
例えば 5 人 vs 5 人で戦闘に突入した場合、三人も倒されたら残りの二人は降伏するかトンズラを選ぶのではなかろうか(何か忠儀があったりするのならともかく)。またリーダーを一撃で仕留めて残り 4 人の戦意をそぐという方法もある。

何が言いたいかというと、コンピュータ ゲームの RPG の場合、最後の一人になっても戦い続けるなーと。
たぶんほとんどはそうならないんじゃないかなーとふと思ったというのが上のツイートだ。
つまり三人倒したところで戦闘は終了させ、金やアイテムをもらう代わりに残りの二人を逃がすとか(もちろん皆殺しにしてもよい)、一人の HP が半分以下になったらそいつを後方におしやるとか、そういうのをそろそろやってもいいんじゃなかろうか? コンピュータの計算能力もあがったことだし。もちろん操作がめんどくさいと思わせるようなことはしてはダメだけど。

ゲームというのは現実の抽象化だ。そこはそういうことにしていこう(ルール)、というのの積み重ねで成立している。
が、ルールが破綻しないのであれば、現実に近づけられるところは近づけた方がよいとボクは考える。
だから映像なんかも進化して、現実に近づいてきたわけで。

他人の家に入って勝手に引き出し開けてアイテムをゲットできるのは、コンピュータの計算能力や容量が足りなかったからであって、今ならもっと現実的な表現ができる。そういった部分で、まだまだゲームでやれることはたくさん残っているんじゃないだろうか?

ミスタードーナツの不思議

ボクはドーナツが好きだ。理由はデブだからだ。デブはドーナツが好きだ(偏見)。ドーナツが嫌いなデブはこの世にはいない(ただの偏見)。
そう言う意味でミスドも好きだ。ドーナツ屋さんの中で一番好きかと言われると、それはそうでもないのだが、それでも基本的にはミスドが好きである。

そのミスドだが、どんどんと閉店しているらしい。
そしてずっと赤字らしい。

なぜだ!?

だってミスド買いに行くと、いつも並んでる。
しかも限定品を買うのは大変だ。夕方とかに行くとまず売り切れている。「限定品を買おう!」という強い意志と行動が伴ってはじめて入手できる。ボクみたいに、テキトーにフラフラ入って、「あったら買うか」なんて程度の動機ではまず買えない。

なぜだ!?
どんどん潰れてるのに!?
なんで買えない??
人気ないんじゃないんか!

ミスドが赤字なんて、ウソだ!!!

って思うんだけど、これだけ人気なのになんで赤字なんだろうね。ほんと経済の世界ってわからんわ。

こちらはおまけのツイート。

エンジェリックリンクとディスガイア RPG

時々起動しているブラウザゲー。エロゲ色が強い作品(とはいえ、エロはない)なのでなんとなくやってたんだけど、ツイートしたキャラが出るまでやろうなんて思ってたら、出たので、引退した(笑い
いちおうこのキャラは★ 5 にはした。

このひとの絵はクセもなくて親しみやすくて、いいですね。

一方、こちらはディスガイア RPG のレイド戦。
悲しい……。