久しぶりの池袋

久しぶりに池袋に行った。目的は東急ハンズうちたて家である。
武蔵野うどん、食いたかったのよね。
3 年ぶりっぽい?
味は変わってなかったと思う。武蔵野うどんは関西出汁ではダメだと思う。醤油があるていどガツンと効いた汁で食うのがうまいと思うんだよね。

ところで本当に久しぶりに池袋に来たわけだけど、ボクが使っていた安いコインパーキングはことごとく満車だった。びっくりした。池袋は割と裏路地と言われるような所にコインパーキングが点在していて、400 円 /h くらいで借りられるところがたくさんあったのだが……それらがほとんど満車だったばかりか、600 円 /h くらいまで値上げしてた。
どうした池袋!? 地価上がってんの!? なんなの?

まぁ結局、駅からは遠いけど最後の安いところは空いてたのでそこに駐めたけどさ……。
ちなみにそこは東急ハンズには生きやすい(ぁ

東急ハンズではペット用品(我が家には猫が二匹いる)と、竹細工のカッターを買った。カッターは会社の自分のデスクにはなくてけっこう不便だったんだけど、前々からあの竹細工のが欲しいなぁと思っていて、ようやく買うことができた。
名前とか解らなかったのでネットでは検索しなかったのだけど、今検索したら、Amazon で買えるのね(笑)。でも 3000 円かい! 東急ハンズの方が安いなぁ……(確か 2000 円そこそこだったはず)。

池袋で一通り用事を済ませたら、待ち合わせていた人と一緒に清里の別荘へ。明日から三日間、盆休みをとったのだ。途中、ドンキで買い物したり、温泉に寄ったりしてなんだかんだで清里に着いたのは 22 時を回っていた。
そうそう、清里のローソンでルマンド アイスを見つけてしまった。(東京では)幻のアイスだ! そうか、山梨県では売ってるのか~。
味は想像通りw
あの薄いサクサクしたヤツがアイスクリームにくるまれて、食感も味もイイ感じ。
ただ、驚きはない。早く東京でも売って欲しいなぁ~。

どうしてボクらは運命を感じるのか?

恐怖が恥ずかしさに変わって行く」という記事の続き。今日は「感情」の話。
今回も学術的な話ではなく、飽くまでもボクが色々なことを観測して得てきた、ただのエッセイである。

ペットをよくよく観察していると、彼らにも感情があるというのはよく解る。
恐怖や喜びなどだ。
この感情というものは、脳が受けた入力に対する出力の一つだ。こうこうこういう入力をされたので、こういう出力になりましたって言う、実に単純なものだとおもう。プレゼントをもらう(入力)→嬉しい(出力)といった具合だ。火垂るの墓を見る(入力)→悲しい(出力)みたいな(笑)。

単細胞生物に感情があるのかというのはなかなか難しい問題だ。ただ、入力に対する出力というのはある。例えば捕食者が近くに現れたとき、回避行動をしなければならないわけで、彼らとて何らかの出力をするはずだ。ただ彼らと我々はセンサーが異なる。捕食者が目に見えるというワケでもないし、なんて言うんだろうね、情報(入力)の捉え方が違うのでボクらには彼らの出力を「感情」として感じ取ることができない。

これが哺乳類となるとボクにも解って面白い(解っているつもりなだけかもしれないが)。
ボクは子どもの頃から何らかの動物(哺乳類)が家にいたので、彼らが喜んだり怒ったりしているのは何となく解る。だからボクは幼少の頃から哺乳類に対しては、何となく仲間意識じゃないけど、わかり合える存在だと勝手に思い込んでいるフシがある。
ところが鳥類や爬虫類や魚類、昆虫となるとこれがサッパリである。
彼らの感情が解らないのである。
喜んでいるのか、悲しんでいるのか、腹が減ってるのか、満腹なのか、サッパリ解らない。
せめて鳥類や爬虫類くらいは解っても良さそうなのに、なんて思っていた。

ところがである、最近、知人が鳥を飼い始め、その鳥を時々見せてもらう機会が増えた。
鳥って無表情で何考えてるかサッパリ解らんと思って来たのだが、よくよく観察してみると、なるほど表情があることに気付き始めた。やっぱり一緒に居ないと解らないものだなと痛感した。
おそらく爬虫類や魚類を研究している人たちは、彼らの感情を感じているのではないだろうか?

というわけで生物がいつ感情というものを手に入れたのかは解らないが、どうも遙か昔から手に入れていたようだというのは解る。おそらく恐竜の時代でも喜怒哀楽はあったのだろう。我々の祖先は恐竜に恐怖したり、子が生まれたことを喜んだりしていただろう。

え、何が言いたいかって?

ようやく本題(そしてすぐにこの記事は終わる)。
感情のように太古から生物が持っていたものって他にもあるんじゃないかなって思っていて、ボクがなんとなく感じているのが「信仰」と「運命」だ。これは何かというと、人智を超えた何かを信じたり、偶然に意味を見いだそうとしたりすることだ(まぁこれも感情の一つなのかもしれないけど)。
この二つは実は他の生物も持っているんじゃないかと何となく思ったのだ。別に証拠とかがあるわけじゃないし、動物がなにか儀式をして神様にお祈りしているのを見たことはないんだけどさ(笑)。でも同胞が死んだ時、偶然が何度も重なったとき、彼らもなんとも神妙な表情をする。

無神論者でも、例えばなんか欲しいものを買うとき、運命的な出会いをするとそれに決めてしまったり、偶然がいくつも重なると、それが自分の行くべき道だと感じてしまったりする。信仰がなくて死後の世界を信じていないのに孤独死に恐怖し、死後のことを考えたりする。
これって人間だけじゃないのかもっていうか、遙か太古からずっと生物が持ち続けていたから、人間も持っているのかも。

特に偶然に対する人間の反応はとても興味深い。それを運命や何らかの導きと信じ、ついついそれを選択してしまう。あれって、ほんとになんだろうね? 神様とかを信じてない人でも偶然や運命を信じたりする(笑)。実はボクらが偶然と思っていることは、実はそんなに偶然ではないのかもしれないのにね(例えば夢で見たことが現実でも起きるとか)。

結論として、そう思うことが種が生き残っていく上で大事なことなのだろうということだ。神様を信じたり、偶然を運命と思い込んでその道に進んだりすることが、種の生存におそらく有利なのだろう。そう、もしかしたらあなたの飼っている猫や犬が、実はあなたを神様だと褒め称えて信仰しているかもしれないww

下の写真はチキンプレイスのチキンカレー。浅草橋でもボクのお気に入りのメニューの一つだ。
今日の話題がこのチキンカレーしかなかったので上のような話を書いたのである(爆)。

お気に入りの焼肉屋に苦労する

ゲーム業界で「美味しいものを食べに行く」ということは即ち「焼き肉屋に行く」という意味であることが多い。少なくともボクがこの業界に入ってからと言うもの、美味しいもの=焼肉だったというか、よく焼き肉屋に連れて行ってもらった。
だからボクがおごる立場になっても、焼肉屋に行くことが多い。

そういう経緯だから、ボクは常にお気に入りの焼肉屋というのを持っていた。
それは職場と自宅の近くにそれぞれあり、いつ誰を招待することになってもいいようになっていた。
でも焼肉屋というのは自分で調理する形式のくせに、やたら高い(ぁ
かといって下手に安いところに行くと、クズ肉しか出てこない店もある。

まぁでも日本は焼肉屋が多いので、だいたいはお気に入りの焼肉屋というのは見つけられるものだ。特に都心の方は困らない。現に今の勤め先である浅草橋ではすでにお気に入りの焼肉屋というのは決めてある。問題は、自宅近くの方の焼肉屋だ。

以前、東京飯店という所がお気に入りだった。ここは値段もそこそこ、肉もそこそこというお店で、食い盛りの男衆 4 人で行っても 1 ~ 1.5 万円くらい。ところが最近肉の質が低下し、値段はそのままというお店になってしまった。
現在のお気に入りは自宅からはだいぶ遠くなるが、矢野口と言う所にある『味ん味ん』である。ここは安い上に肉質が良い。しかし遠いし、飯時はすごい並ぶ(一時間待ちも珍しくない)。
他にも安くて和牛を取りそろえている店というと、あみやき亭ってのがあるのだがここは客層に DQN 層が多く、申し訳ないがドリンクバーやサラダバーのコーナーがとても汚いので、個人的には利用を避けたい店である。

そんなワケで東京飯店を失って以降、リーズナブルでお肉もそこそこのお店を見つけられていないのが現状だ。今日も焼肉屋に行くことになったのはいいのだが、店の選定に右往左往し、ボクの中ではとっておきの部類に入る『恭楽亭』に行った。
この店はいい肉が出るのだが、値段が安くない店である(笑)。
二人で入って一万円は余裕で超えてしまう店である(爆)。

まー、写真を見ても解ると思うと、基本どれも霜降だしねー。そりゃ高いよねー。
うまかったけど!
あと珍しく、全部じゃないけど写真撮ってたww 焼き肉はほんと写真を撮るタイミングを逃すのよねぇ。

磯丸水産のランチ

同僚がまたまたお魚系が食べたいというので、今日は磯丸水産に行った。
ここのランチはわりとリーズナブルではないかと思っている。海鮮丼が 580 円から食べられる。下の写真にあるように、うどんを付けても 1000 円を超えない。というわけで三色マグロ丼を頼んだ。これにエビのかき揚げのみにうどんを付けても 900 円くらいである。

あと 24 時間営業なのが嬉しいよね。泊まり込みとかにありがたい。
最近東京は(というか全国的に?)深夜営業をやめる流れができてしまって、深夜営業の店がどんどん減ってるからなぁ……。

雑談。まぁツイートの通りなんだけど、滋賀県の大半が琵琶湖でもボクはいいと思うんだけど、っていう話。琵琶湖は観光名所だし、琵琶湖がもたらす恵みも多いだろうし、例え陸地より琵琶湖の方が広かったとしても、それはいいじゃないと思う。
ただこの話、利き手は馬鹿にしたような感じで言うから、滋賀県民もカチンときちゃうんだろね。
ちなみに関東では霞ヶ浦がそれに相当するのかなって思ったけど、「茨城県って大半が霞ヶ浦なんだよね」っていう人は見たことはないなぁ……。

amatsukam.jp サーバ、クラッキング事件の顛末

またまた 7 月中に書こうと思っていたのに、すっかり忘れてていた話題。
amatsukami.jp サーバは、知人の音楽団のサイトも運営しているっていうか、このサーバはいろんなサイトを運営しているのだが、今回はこの音楽団のサイトがクラッキングされたのでその点末を備忘録も兼ねて記しておこうと思う。

まず 5 月にウェブ担当者が変わり、その人は WordPress を普段使っている人だそうで、音楽団のサイトに WordPress をインストールし、使えるようにした。これ自体はすんなり移行できたようで、5 月中旬より新サイトがスタートする。

そして6 月下旬、事の発端は上記の音楽団を Google で検索すると Windows Free Download なんとかかんとかというのが表示されるようになる。また検索画面には「このサイトは改竄されている恐れがある」とも表示されていた。実際に音楽団のサイトにアクセスすると、違法ソフト(と思われる)のダウンロード サイトへリダイレクトされるようになった。

この時のボクの対応は、仕込まれたファイルだけ取り除くだけだった。
また FTP のパスワードを念のため変更し、 FTPS でしかアクセス出来ないようにした。
というのもこれで沈静化したからだ。サイトは正常に表示されたし、Google 検索の警告も消えた。
しかし、Google 検索での表示は相変わらず Windows Free Download なんちゃらのままだった。

それよりもボクは侵入経路の調査に手間取っていた。侵入経路が判明しない以上、どんなにサイトを治しても再び攻撃されるからだ。ボクは最初から FTP から侵入したと考えていた。しかしログファイルにはそれらしいものが残っていない(そんなことが可能なのか、ちょっと解らなかったが)。
そこで、この音楽団用 FTP のパスワードを知っている人全員に、それぞれが使っている PC をウィルスチェックしてもらった。すると、音楽団事務局の PC からわんさかとマルウェアが発見されたと報告が入る。しかしこの時ボクは渋谷に出向していたため、事務局が開いている時間に、事務局に直接行くことはできなかった。
とりあえず電話でウィルスの駆除を指示する。

そうこうしているうちに、7 月中旬、再びサイトが改竄される。この改竄は FTP 経由ではなかった。なぜなら新しい FTP アカウントはボクと、そしてその新しいウェブ担当者しか知らなかったからだ。マルウェアが検出された事務局の PC には新しい FTP アカウントは設定されていなかったのである。

そうかー、WordPress 本体も改竄されていたか……orz まぁ当然だよね(汗

DB 汚染も考慮し、ウェブ担当者には 0 から作り直してもらう事をお願いし、DB と WordPress をすべて新しくした。これが 7 月の終わり。以後、Google 検索結果も正常に戻り、改竄されることもなくなった。
事務局の PC は出向が終わってから調べに行くと、実に 14 ものマルウェアに犯されており、その中でも特に三つのマルウェアがパスワードを盗む系のものであった(マルウェア名もどこかに控えてあったはずなのだが、どこかにやってしまった)。
と言うわけで今回の顛末を時系列順に並べると、こんな感じである。

  1. 音楽団の事務局 PC がマルウェアに感染。FTP アカウントを盗まれる(改竄プログラムは WordPress に特化した仕組みを持っていたと思われる)。
  2. ウェブ担当者が変わり、システムが WordPress となる。
  3. 音楽団のサイトが FTP 経由で改竄される。このとき WordPress そのものも改竄される。
  4. ボクが FTP を塞ぎ、怪しいファイルを削除
  5. マルウェアが WordPress の更新機能を使って、再びサイトを改竄。
  6. WordPress 本体と DB を全て削除し、インストールし治す。
  7. 以後、改竄は起きていない。

いやはや、ネットの世界は自意識過剰でも、過剰でも何でもないということを思い知らされた事件であった。こんな弱小サイトなんか誰も相手にしないさなんて思っても、攻撃してくるのは機械だから無差別にやってくる。
ボク自身に大きな落ち度はなかったと思うが、最初の改竄の時の対応はお粗末だったと言える。
今後の教訓としたい。
下の写真は 8/21 のお昼に食べた酔壱やのごまぶっかけ。

障がい者に対する単純な答え

すっかり記事にするのを忘れていた話題。本来は 7/26 に書く予定だったのに。なんでこの日かというと、去年の 7/26 に相模原の障害者施設が襲われて 19 人を殺害した事件が起き、それの一年後と言うことで NHK などで特番が組まれたからだ。
ボクはその NHK の番組は見られなかったのだが、見た人から聞いた話によると Twitter などで視聴者からの意見をリアルタイムで集計していたり(最近の NHK のお家芸ですな)していて、その中には「勇気を持って発言する、障がい者は生まれてこないようにするべきだ」とか障がい者への対策は社会の大きな損失だなどと発言する人がおり、そしてそれに賛同する者も少なくなかったとか。

これはとても由々しき問題である。障がい者問題が自分とどう関わるのか、学校で教えられなかったっけ?

感情論や障がい者の都合を抜いたとしても(つまり健常者だけの都合で見ても)、障がい者が社会に参画できるということは健常者にとってとても必要なことであり重要なことである。障がい者対策が社会の損失だなんてとんでもない!

どうしてか?
それはそもそも健常者がいつ障がい者になるか解らないからだ。我々は事故や病気によって簡単に障がい者になり得る。つまり障がい者が活躍できる社会、障がい者をケアしてくれる社会とはそのままそれは自分の為でもあるのだ。
実に簡単なことだと思うのだが、はて NHK ではそのことに言及したのだろうか?

もちろん交通事故になる確率や後遺症が残る病気になる確率を示し、その確率のためだけに社会的コストを課すのはいかがなものかという論調もあるかもしれない。ならばもう一つ、我々が障がい者と同じように機能低下してしまう現象があることを思い出そう!

それは老化である。

耳が遠くなり、ものが見えづらくなり、足腰も弱くなり、性格も了見が狭くなり、意固地になったり、幼児化したり、痴呆になったりする。一人でトイレに行ったりお風呂に入ったりできなくなる。障がい者をケアするシステムがあると言うことは、そんな状態の人でも社会に参画できることを意味する。素晴らしいことではないか?

障がい者を支援する必要性がわかってもらえたらと思う。明日は我が身である。我々が安心して暮らせる社会の一つに障がい者対策もあるのである。

久しぶりの落雷

近くで落雷があったらしく、停電した。もちろんサーバもダウン。
いやー、なかなか壮絶だった。
ひっきりなしに雷の音が鳴り響き、それが一時間くらい続いたと思う。

停電は約 20 分後に回復した。

惜しまれるのは、この雷鳴が録音できなかったこと。ボクはプロ用の録音機械を持っていないのだ。仕方がないので iPhone 7 で録音した。それがこちらw

全体
ラッシュ部分抜き出し
格好いい部分抜き出し

ちゃんと録れてれば、ボクの SE ライブラリに追加できたのになぁ……。
でも落雷って、エロゲではそんなに出番はない? そうでもないか……。良く憶えてない<ヲイ

雷が去ったあとは雹が降り出して、屋根の上がカンカンうるさかった。車が心配だったんだけど、無事だった。