そして雪ミク

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日記のネタがないので、またコンビニ・ネタ。
ファミリーマートで初音ミク的な何かが売ってたので、買ってみた。
感想、甘い、食べにくい。
でも衣がホワイト・チョコ(?)か何かで固まってて、ぱりぱりしてて、好き。
中の紫芋ホイップは……イマイチだった(ぇー
カスタードが勝ちすぎてるのかなぁ?
でもこうやって見ると、なんかきったないボールみたいだなぁ……(マテ

あぁ、ネタがない(ぉ
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水とカップ麺

ネタがないので、コンビニで買ってきたもの。
以前、お気に入りのカップ麺を紹介したが、それの続編みたいなのが出てきた。「ラーメンの底力」っていうシリーズ・モノがらしい。写真によると蓋には「第 25 弾」って書いてあったので、これを含めて 25 種類あったってことなのかなぁ?
確かにボクが気に入った「濃厚味噌と中太麺」は「第 24 弾」って書いてある。

で、味はイマイチだった……(ぇ
コクはしっかりしてたとおもう。

もう一つはハワイの水(ぁ
なんか味が甘いような感じのする水。
あぁ、ほんとにネタがないな(汗)。
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動画撮影に(今頃)目醒めた

昨日群馬~埼玉を走ったときに、iPhone 4S で動画を撮ったんだけど、暗い道でも予想したより撮れるなーと思い、今日、高田馬場に呼ばれたので、その道程を動画に撮ってみた。使っている道路は、都道 234 から新青梅街道(都道 245)に出て、旧早稲田通り→早稲田通り(どちらも都道 25 )。高田馬場駅手前のロイヤルホストで動画は終わっている。

途中、井草付近でカメラを間違って止めてしまって、抜けてるけど(汗)。

もっと綺麗に撮れるといいんだけどなー、それには流石にちゃんとしたビデオ・カメラがいるかなぁ。自分は夜にドライブすることが圧倒的に多いので、夜でもしっかり撮れるカメラがちょっと欲しいなと思った。

雪道を試す

1/18 に雪国へ行くことが決まったので、氷の上でちゃんと走れるのか検証しようと言うことで、夜に出掛けた。最初は碓氷峠に行こうと思ったんだけど、神流湖でも雪はあるのではないかと思い、下仁田から南下し、国道 299 号に出て、そこから埼玉県に入り、戻ってきた。

肝心の雪道・氷道はほとんどなく、結果的には肩すかし。検証失敗であった。
R299 の群馬と埼玉の県境の道路は動画を撮ってみた。一部、凍ってた部分があって、そこでコーナリングやブレーキのテストをちょっとだけしている。けど、動画だと解らないかも(汗)。

素直に碓氷峠まで行った方がよかったのかなぁ……遠いんだよねぇ。
あとはブドウ峠とかどうなんだろう。あの道は、まだ行ったことない。
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NTFS の圧縮がイイ感じ

プロジェクトが一つ終わったので、会社のサーバのプロジェクト・フォルダと Sub Version のフォルダと MySQL のバックアップをとった。バックアップ先は外付け HDD にとっている。で、サーバ側の HDD は 4TB のミラーリングなのね(4TB x 2)。ところがバックアップ HDD は 3TB しか容量がない。そこで、NTFS についているドライブの圧縮ってのを使ってみてるんだけど、これがなかなかイイ感じ。バックアップが終わったあとの容量は、以下の通り。

1,587,255,023,066 / 2,452,017,136,145 バイト

右の数字が、データのサイズ。左の数字が実際に HDD を占有しているサイズ。実質 64.3% になってる。今後もこの圧縮率が保たれるなら、4TB すべてバックアップできそうだ。有難い。

じゃぁ、そもそもサーバのドライブも圧縮すればいいじゃんって思うかもしれないが、圧縮を ON にすると書き込み速度がものすごく落ちてしまうのだ。サーバは 40 人近くの人が使っているから速度を落とすわけには行かないのである。
まぁ、何はともあれ、エロゲの開発データのバックアップをとる場合、バックアップ元 HDD の 65% の容量の HDD を買ってくれば良さそうだ。

ところで、この 65% と言う数字は飽くまでもウチのサーバでの話だ。例えば MPEG や H246 などの圧縮された動画ばかりが入っている HDD はそんなに圧縮されないのではないかと考えている。と言うのも、これらの圧縮されたデータはこれ以上さらに圧縮することができないくらいに余地がない。なので、NTFS の圧縮は意味をなさないのではないかなぁと思っている。今度実験してみるかなぁ‥‥‥。

久しぶりのもうやんカレー

久しぶりに「もうやんカレー」に行くことが出来た。最近はカレーが巷で流行しているらしく、CoCo壱の独裁体制は続くモノの、かといってカレー屋さんがやっていけないということはなく、様々なカレー屋が生まれているらしい。
なのでいろんなカレーを食べに行きたいな、などと思っている。
特に神田はいつの間にかカレーのメッカになってしまったしなぁ。
神田のカレー屋にはどれも言ったことがない。

閑話休題。
とはいえ、今のところボクの中で世界で一番好きなカレー屋が「もうやんカレー」である。今回行ったのは「利瓶具」の方なんだけど、アレだね、本店とけっこう点数差があるんだなぁ。

久しぶりだったので、オーソドックスに豚のカレーを頼んだ。大盛り。
多かったー。
そしてうまかったー。
ちゃんと色んな野菜の味がするのがいいよね。そして、濃い。なんと言ってもルーが濃い。
もうやんって大好きなんだけど、食べるとしばらくカレーはいいかも……という気になってしまうのが難点。浅草橋にも美味しいカレーのお店、できないかなー。
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発達すると理解を簡単にする必要がある?

以前、音楽の多様性が失われていることに関して、コラムを書いた。様々なものが複雑化していく中で、どうして音楽が単純化していくのかということについて触れたものだ。しかしそれは音楽だけに限らないのではないかと、ふと思ったのだ。そのきっかけは、江戸時代の手品『手妻』というものを見たときだ。

なかなか示唆に富んでいて、これを一度見ただけで、最初の解説の通りのことを理解出来るかというと、ボクはその自信がない。そこでふと思い出したのが、ラヴェルのコンサートである。ラヴェルは和音の魔術師と言われ、今まで禁忌とされてきた不協和音を惜しげもなく取り入れた作曲家である。このラヴェルのなんのコンサートだったか忘れてしまったが、聴衆がそのラヴェルの曲を聴いたとき、不協和音の多さに不評だったという話を思い出したのだ。
はて、今の人たちは不協和音などをちゃんと理解して聞いているだろうか、と。

要するに何が言いたいかというと、昔のエンターテイメントってけっこう難しかったんじゃないかってこと。聞く方に教養が求められ、音楽であれば作曲家自身のこと、各楽器の演奏技法、そして楽典などの音楽的理論を理解しないと、その音楽のどこが素晴らしいのか理解するのは難しい。
それは文学にも言え、たとえば娯楽小説であるところの藤沢周平の時代劇とか、今読むとこれがなかなか行間に込められた情報量が多すぎて、難しい。もっと簡単な例で言うと、ヴァンパイアハンター Dキマイラなんかはボクの中では「ラノベ」なのだが、おそらく今のラノベを読んでいる人たちにとって、この二作品は「難しい」作品なのではないか、と。

そういう意味においてボクの書く文章というのも、もうすでに今の人には「難しい」のかな、と思い始めている。まぁそれはここ 10 年くらい感じ続けているのだけれど、売れている作品をみると「くどい」「同じことを何度も説明する」「譬喩や揶揄をさけ、直接説明する」「ストレートな話し言葉」というのを見て取れる。
逆にボクの文章は「本音を包み隠し」「会話やキャラには間があり」「表現を湾曲する」など、明らかに「わかりにくい」表現方法をとっている。さらにもう一つは「物事を明らかにしない」というのもボクのスタンスである。世の中の様々な物事というのは、様々なものが絡み合い、進んで行く。そこには「正解」はなく、「原因と結果」もそれこそ様々なものが絡み合っていて、本質を見極めるのは難しい。だから何かの物語を書いて何かの結果に至ったとしても、それが「○○だったから」という書き方は絶対にしない。「○○だったかもしれないし、○△だったかもしれないし、××だったかもしれない」というような、おそらく読み手に関してはスッキリしない終わり方をさせる。ボクはそれこそが面白いというか、自分であれこれ考えて自分の都合のいい原因をこじつけてくれて構わないのだが、どうにもそれはあまり許されないらしい。

さて、どうすべきか?
おそらくボクは古い人間だ。今のストレートな表現に改めるべきか?
それとも、今まで通り湾曲した表現を続けていくべきか?
今のオタクでも婉曲した表現が好きな人がいたら、嬉しいんだけどねぇ……<他力本願

まぁ、湾曲した表現は続けていこうと思う。それをエンターテイメントに求めている人は絶対にどこかにいると思っている。ストレートで明瞭快活な作品はこれからもどんどん出続けるだろう。だからうさんくさくて、パッと読んでもよく解らなくて、原因と結果が多すぎる少数の作品として生き残る場所を探していきたいと、今のところは思っている(ぁ