演劇に誘われた

知人の声優が舞台をやるというので、ご招待いただいた。
おぉ、観劇など凄い久しぶり。
どんな話なのだろうと、なんの説明も無しに劇場に入った。場所は新井薬師ウェストエンドスタジオ。ここのまえは裏道なので時々通るが、こんなところに劇場があるとは知らなかった。まぁ、リハーサル室や稽古場としても使えるもので、あまり広くはない。
劇団は「ちょーごーきん」というところ。15 年も続いているらしい。すごいなぁ。

で、内容。ボクは勝手に牧歌的なモノを想像していたのだが、そんな話ではなかった。群像劇に近いのかな。一応主人公はヴァンパイアになっちゃった刑事なんだけど、事件に関わる色々な人がその事件に関わる経緯が一つ一つドラマになっていて、あんまり主人公は出てこない。で、最終的に主人公刑事が真相解明にたどり着いていくという感じ。

とにかく設定が多すぎて、演劇でやるにはちょっと向いてない気がした。
どれくらい細かいかというと、京極夏彦の小説くらい細かい。
なので、「どうしてそうなった」という説明に終始する演劇となってしまったというか、その「どうしてそうなった」が集まって出来た話、みたいな構成になっている。だからクライマックスや感動的なシーンも、イマイチ感情移入できないまま過ぎ去ってしまう(汗)。

でもふと思ったけど、アレだね、ボクもあんまり人のこと言えないね(ぁ

今日選んだヘビロテは、劇中で Ry Cooder の曲が頻繁にかかっていたので、Ry Cooder から一曲。

発達すると理解を簡単にする必要がある?

以前、音楽の多様性が失われていることに関して、コラムを書いた。様々なものが複雑化していく中で、どうして音楽が単純化していくのかということについて触れたものだ。しかしそれは音楽だけに限らないのではないかと、ふと思ったのだ。そのきっかけは、江戸時代の手品『手妻』というものを見たときだ。

なかなか示唆に富んでいて、これを一度見ただけで、最初の解説の通りのことを理解出来るかというと、ボクはその自信がない。そこでふと思い出したのが、ラヴェルのコンサートである。ラヴェルは和音の魔術師と言われ、今まで禁忌とされてきた不協和音を惜しげもなく取り入れた作曲家である。このラヴェルのなんのコンサートだったか忘れてしまったが、聴衆がそのラヴェルの曲を聴いたとき、不協和音の多さに不評だったという話を思い出したのだ。
はて、今の人たちは不協和音などをちゃんと理解して聞いているだろうか、と。

要するに何が言いたいかというと、昔のエンターテイメントってけっこう難しかったんじゃないかってこと。聞く方に教養が求められ、音楽であれば作曲家自身のこと、各楽器の演奏技法、そして楽典などの音楽的理論を理解しないと、その音楽のどこが素晴らしいのか理解するのは難しい。
それは文学にも言え、たとえば娯楽小説であるところの藤沢周平の時代劇とか、今読むとこれがなかなか行間に込められた情報量が多すぎて、難しい。もっと簡単な例で言うと、ヴァンパイアハンター Dキマイラなんかはボクの中では「ラノベ」なのだが、おそらく今のラノベを読んでいる人たちにとって、この二作品は「難しい」作品なのではないか、と。

そういう意味においてボクの書く文章というのも、もうすでに今の人には「難しい」のかな、と思い始めている。まぁそれはここ 10 年くらい感じ続けているのだけれど、売れている作品をみると「くどい」「同じことを何度も説明する」「譬喩や揶揄をさけ、直接説明する」「ストレートな話し言葉」というのを見て取れる。
逆にボクの文章は「本音を包み隠し」「会話やキャラには間があり」「表現を湾曲する」など、明らかに「わかりにくい」表現方法をとっている。さらにもう一つは「物事を明らかにしない」というのもボクのスタンスである。世の中の様々な物事というのは、様々なものが絡み合い、進んで行く。そこには「正解」はなく、「原因と結果」もそれこそ様々なものが絡み合っていて、本質を見極めるのは難しい。だから何かの物語を書いて何かの結果に至ったとしても、それが「○○だったから」という書き方は絶対にしない。「○○だったかもしれないし、○△だったかもしれないし、××だったかもしれない」というような、おそらく読み手に関してはスッキリしない終わり方をさせる。ボクはそれこそが面白いというか、自分であれこれ考えて自分の都合のいい原因をこじつけてくれて構わないのだが、どうにもそれはあまり許されないらしい。

さて、どうすべきか?
おそらくボクは古い人間だ。今のストレートな表現に改めるべきか?
それとも、今まで通り湾曲した表現を続けていくべきか?
今のオタクでも婉曲した表現が好きな人がいたら、嬉しいんだけどねぇ……<他力本願

まぁ、湾曲した表現は続けていこうと思う。それをエンターテイメントに求めている人は絶対にどこかにいると思っている。ストレートで明瞭快活な作品はこれからもどんどん出続けるだろう。だからうさんくさくて、パッと読んでもよく解らなくて、原因と結果が多すぎる少数の作品として生き残る場所を探していきたいと、今のところは思っている(ぁ

自由な世界はやってこない

12/15 に「黒子のバスケ」の脅迫犯が捕まった。この事件自体、どうしてなかなか捕まらないのだろうとか、警察はオタク案件だから手を抜いているんじゃないかとか思ったこともあったが、下の記事を読む限りは地道な努力を続けていたようだ。

この記事の中から、いろいろと警察の捜査手法というのが解って面白い。もっとも憶測の域は出ないが…… やはり警察が足をつかみづらかったのが、関西の人間がわざわざ東京に来て脅迫状を出していたことなのであろう。そしてこれは大方の犯罪がそうなのだが、同じ場所で投函したのが、充分な手がかりになってしまっている。
実は多くの犯罪が、この「同じ場所」というのがけっこう、逮捕のきっかけになる。人間どうしても「初めての場所」という所は避けてしまうようで、潜伏先や逃亡先というのはどうしてもかつて暮らしていた場所や遊んでいた場所など、犯人にとって馴染みの場所であることが多い。
また犯罪を犯す場所も、同じく慣れた場所でくり返してしまい、逮捕されてしまうことが多い。

それよりもボクが驚いたのが、サーバのログをしっかり調べたところである。 HTTP のログというのは、サイトによっては 1 日で何十 GB にも及ぶことがある。それをつぶさにすべて調べ上げたというのだから恐れ入る。やはりログというのは重要な手がかりになるというのがこれでよく解った。

これに関連して最近ボクは「現金」というものを見直しつつある。 ボクはカードや電子マネーを使うことが多いのだが、しかし、これはやはりどうしても個人の追跡がしやすくなってしまう。
たとえばボクが秋葉原の駐車場代をカードで支払い、その後大阪に行ってその高速代もカードで支払ったとする。
するとカード会社には、その日、ボクが東京から大阪に行ったことが解ってしまう。
これが現金で精算していれば、誰がその駐車場と高速を利用したかは解りにくくなる。それでも、コインパーキングには監視カメラがつきものだし、高速道路は N システムや料金所にナンバーを控えるシステムが存在している。しかし、ボクが秋葉原にいたことは、コインパーキングの管理会社しか知らないし、大阪に行ったことは NEXCO しか知らない。しかしカードで精算すると、コインパーキングの管理会社と、NEXCO と、さらにカード会社にも知られてしまうことになる。
これは Edy などを使った場合でも同じである。

例えば、カードや電子マネーの ID を複数持つという解決方法もある。が、使い分けするのを忘れてしまうというリスクもある。

現金ですべて支払っていれば、ボクがどこでお金を支払ったかは解らない。
しかしこれもまた一つ罠があって、それは ATM。ボクが秋葉原のコインパーキングを現金で精算し、その後、大阪へ。大阪の料金所でも現金で精算し、財布の金がなくなったので大阪のコンビニでお金を下ろした。となると、銀行にはこの日、ボクが大阪に行ったことが解ってしまうわけだ。

何が言いたいか?
それは昨今の世界中の政府の動きである。
コンピュータが国に関わりなく相互接続するようになり、またさらに情報を収集する装置(監視カメラや POS システム、ATM、カード会社の情報などなど)が熟成していく中、政府はより個人を束縛する方に動いている。 様々な情報から個人を特定し、その人の毎日の動きを比較的つかみやすくなった。 そのおかげで、さらにボクらを監視しようとしている。
もちろんその気持ちは分かる。人間など信用できないというわけである。それはなにも国民だけでなく、政府側の人間も含めてである。だから、目が届くなら、そこに目を置こうとしている。 為政者が「こういうことができると、統治しやすいんだが」と思うようなかつては夢だったようなことが、どんどんと現実になってきてしまっている。

ボクは科学が発達したら、それによって様々な知見が世界中に広まっていき、人々が民族や過去のことを乗り越え、もっと自由で、行き来に制限もなく、どこに住んでもいいし、どんな職業についてもいい世界が来ると思っていた。 だが、現状は逆だ。情報技術が発達するにしたがって、どんどんとボクは閉塞感を味わい始めている。 せっかくの素晴らしいコンピュータが、自由を束縛する方に動いている。今の時代、それでいいのか……ボクはとても悲しく感じているのである。

味噌一への想い(高円寺の味噌ラーメン屋

今日はオッサンのただの回顧録である。
味噌一というラーメン屋がある。いまや色んな所に出来ているが、このラーメン屋はボクの中では非常に重要なラーメン屋なのだ。まぁ、過去の日記で味噌一の名前はさんざん出してはいるのだが、ボクと味噌一の出会いはもう 20 年近く前になる。
免許を取ったばかりの頃、大学に通っていた幼馴染みが、ラーメン・ツアーを提案。環七の端から端までラーメンを食おうというのを毎日のように出掛けてやっていた(汗)。この時に「なんでんかんでん」も食べた。
で、当時インターネットなんて便利なものはなかったので、その幼馴染みが雑誌やテレビ、そしておそらくだが大学の友人・知人を通して得た情報を元にしていた。そんな中、「土佐っ子」という有名なラーメン屋が常盤台にあり、そこに行くのが目的だった。
が、目当ての土佐っ子は長蛇の列……。仕方がないのでそのお向かいにあったラーメン屋に入ることに。それが味噌一だったのだ。

ちなみに土佐っ子はおやっさんが亡くなって、以来、行列ができなくなってしまった。噂では味は変わってないとのことで、人が変わっただけでこうも変わるものかと当時、衝撃を受けたものである。ちなみにその意志を継ぐラーメン屋が池袋にあるらしい(環七土佐っ子)。

そんな土佐っ子に入れなかったために入った味噌一だが、今までに食べたことのない味噌ラーメンで、ボクとその幼馴染みは味噌一の虜となった。コク、出汁ともに深くそして味噌然とした臭みがまったくない味噌ラーメン。ボクは太麺で食べるのが好きだった。特に常盤台店にはスキンヘッドの店員と石川五右衛門似の店員のコンビで回しているときが一番美味しかった。
あのコンビが作るラーメンは ボクの心の中で伝説と化し、そして伝説になってしまった以上、もうあのラーメンを越えるラーメンには出会えないと思っている(思い出補正がかかり、時が経つごとに勝手にどんどん美味しくなってしまうから)。

で、高円寺の味噌一である。環七沿いにある高円寺店が本店で、味噌一発祥の店である。ボクが常盤台店に通っていた頃、この高円寺店でも食べたが、常盤台店に較べて塩っ辛く、食べにくかった。今回、収録の人たちを連れて入った。
何年ぶりだろう。常盤台店のコンビがいなくなってから、味噌一には行かなくなってしまった。それがちょうど味噌一が色んな所にできはじめた頃と重なるのも感慨深い。

券売機を見るとずいぶんと違っている。前は細麺・太麺を選んでからメニューを選ぶんだが、今は背脂か従来のものかを選ぶ。背脂か……時代を反映していると言えなくもない。さらに夜 18 時までは麦飯が出てくる。ほう、味噌一のラーメンに麦飯か。
ニンニクとゴマは昔から有る。また募金箱に 20 円以上寄付すると、味付け卵・ゆで卵・辛子もやし・辛子メンマが食べ放題である。ボクが通っていた頃はゆで卵しかなかった。

今回は背脂の方を頼む。
味はと言うと基本は変わってないように思う。しょっぱさもたぶん変わってないのだろうけど、背脂のおかげでマイルドになり、気になるほどではなかった。麺は太めだった。うん、普通に美味しい。そして一緒に行った人も気に入ってくれたようだ。

長々と書いたが要するに 20 年も前に通っていた店にまた入るって言うのが、思いのほか自分にとって感慨深いということに驚いたからだ。それだけ自分が年を食っただけなのだが、逆に言うと歳を取らないと経験できないことだ。そして、またこういう気付きが自分自身の視点や考え方を広くする。
20 代の頃、若い感性ばかりを追い求めていたが、こうした齢を重ねることによって得る感性も大事だなと思い始めている。そして若い感性はこれに増して磨き続けなければ行けないと思っている。磨き方はまず若い人と接すること、そして自分自身がいつまでも子どもっぽいこと、容姿に拘らず子どもと同じことをしてみること。
今のところ好奇心は絶えず過ごせているのだが、はてさてどうなることやら。10 年後も同じことを言ってられるといいなぁと思っている。

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世間の善悪と自分の善悪の違い

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テレビを見ていると、世の中の善悪の基準と自分のそれとがけっこう違うことがあってびっくりすることがある。どちらが正しいのかボクは解らないが、その違いにボク自身が当事者になってしまったとき、ボクは世間から悪者扱いを受け、迫害されるのだろうと覚悟している。ので、なるべく近づかないようにしているのだが、しかしまぁ、ボクも頭があまり良くないので、将来どうなるかは解らない。
で、今回はどんなことかというと、「みのもんた」の件である。正確にはその息子の件か。それが親にまで波及したようにボクには見える。もっとも忙しいので正しい情報を得ていないので、じつはみのもんた氏自身も問題があったのかもしれない?
まぁそれはさておき 30 歳の息子の不祥事なんかもう関係ないじゃんってのがボクの考え。そりゃまぁ「息子がお騒がせしました」くらいの挨拶はあってもいいと思うけど、それ以外にみのもんた氏そのものに何か否があったんだろうか? これがまだ 20 歳前なら親の責任とかそういうのもあるんだろうけど、成人したらもう別の個人だし(いや元から別の個人だけど)、親の所為でも何でもないよね。それとも三つ子の魂百まで理論で、何歳になっても親の責任は逃れられないってことなんだろうか?

ただまぁ、説得力というか、世間に対して突っ込みを入れて行く番組を担当しているので、「息子が犯罪犯しているのに、他人の犯罪に突っ込むじゃねーよ」的な説得力のなさは出てしまうけど、そんなの人の噂も 75 日ってなもんで、半年も我慢すればいいんじゃないのかなぁ。まぁあとは視聴率が爆下がりでどうしようもなくなったんなら、降板も仕方ないけど、その場合はそう言って降板すればいいんじゃないかなぁ。

というわけで、息子が犯罪を犯したからといってみのもんた氏を叩く意味がよく解りませんでした。というか「みのもんたを叩く材料が出来たよ、ひゃほー」っていうふうに見えました。

L-03E レビュー

9/13 にモバイル WiFi ルータをバッファロー製の BF-01B から LG 製の L-03E にした。1 ヶ月つかってみたので、そのレビューなぞを。
まずこの機種を選んだ理由は単純に電池容量が大きく、長時間使えると言うことである。連続使用時間 12 時間というのは長距離ドライブをするボクにとっては非常にありがたい。そしてその看板通り、二日はもつ。二日以上も持つのだろうけど、今のところそれ以上放置したことがない。
ただ逆に言うと、今のところそれくらいしか良いところが見つからないというか(^^;

BF-01B は色々面白くて、無線 LAN アクセス・ポイントとして、有線 LAN ルータとしても使うことが出来る。というのもクレイドルに有線 LAN をつなげることが出来るからだ。そのおかげでデスクトップ PC からもルータの設定ができる。L-03E はその部分がごっそり抜けているので、無線 LAN で接続している機器からしか設定が出来ない。
もう一つボクが困っているのが、シャットダウン中に充電ケーブルを挿しても充電を開始してくれないこと。この L-03E はシャットダウンに 10 秒ほどかかる。ボク的にはシャットダウンしたあと、すぐに充電ケーブルを挿し、次のことをしたいわけだが、シャットダウン中に電源ケーブルを挿すと、その後、ずっと充電されない。これなんとかならんかなぁ?

あとは設定画面のトップページにステータスが出るんだけど、これも情報が少ない。そもそも電池残量を表示してよー。あと出来れば通信量。L-03E 本体のディスプレイには表示されるんだけど、本体なんてカバンとか車の中に入れっぱなしなので、クライアントから電池残量を確認させて欲しい。

他にこれはまだ検証できてないんだけど、マルチ SSID を使用すると、長時間放置して再接続しようとするとインターネットに出られなくなるという現象がよく発生した。最初原因がサッパリ分からなくて、一つ一つ検証し、マルチ SSID が ON になっていると起きるコトが解った。このマルチ SSID は単純に言えば無線 LAN を二つ開局するようなもので、片方を暗号化のがっちりかかったもの、もう片方を緩めにして DS や PSP なんかを接続出来るようにするためのものである。モンハンとか流行っていたので、マルチ SSID を ON にしていたのだが、あまりにも先の現象が発生するので、諦めた……orz

そんなわけで、色々作りが甘いのが LG だからなのかどうかは、ちょっと解らないけどね。
でも、電池の持ち、LTE 対応といい、おおむね満足しているというか、充分活躍しております。
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絶賛の誤用

(実は「発売中」という言葉も間違っていた件については、こちら
ボクはシナリオ・ライターもやっているくせに、なかなか日本語に疎く、ライターを名乗れるほどちゃんとしてない。誤用も多く、また誤字も多い(汗)。そんな中でつい間違って使ってしまう言葉に「絶賛」がある。「絶賛発売中」の「絶賛」である。本来の意味は、「きわめて褒める」ことである。つまり「絶賛発売中」とはその発売されているものが好評で、非常に売れているとか、売られているものが賞賛されているとかそういうような意味になる。
ところがボクは無意識に「発売中」の「中」と「絶賛」が何故か一つになるというか、なんというか、「ただいま発売中!」的な意味に捉えてしまっているのだ。つまりどういう誤用があるかというと……。

「絶賛開発中!」

なんて使い方をしてしまうのだ。他にも「絶賛勉強中」とか「絶賛準備中」とか。
おかしいやん! 何が絶賛されてるんだ?wwww
ところが、わりとボクと同じ思考をしているのか「絶賛開発中」で検索すると、けっこうヒットする。
もちろん、開発そのものが絶賛されている(開発に期待がかかっている、完成品を待ちわびている、開発中のデモが素晴らしくて開発が絶賛されている)場合もあるのだろうが、果たしてこれらは本当にちゃんと「絶賛」という意味で使われているのか、はなはだ疑問だ。ボクみたいに、勘違いをしていないだろうか?(汗)

この「絶賛」の誤用は、いわゆる他の「確信犯」とか「憮然」とかとはまた違った間違い方なんじゃないかなぁ、と何となく思っている。あくまでも何となく、だけど(汗)。あとボクの周囲で気になる誤用は「敷居が高い」。これは相手に何か不義理を働いてしまった時に使う。例えばボクが〆切をブッチしてしまったんだけど、そのクライアントさんに挨拶に行かなければいけないとか(爆)。こう言うとき、そのクライアントさんの所に行くのは「敷居が高い」なぁ、などと使う。
単純に自分のレベルがおいついていなくて、クリアするのが難しい場合は「ハードルが高い」で良い。

とまぁ、そんなわけで、普段何気なく使ってしまう言葉で、間違った使い方をしていないか、気になるところである。ボクの日記とかでもおそらく誤用がたくさんあることだろう。もし見つけた人は、遠慮なくコメント欄で突っ込んでいただけると幸いである。