雪と戯れに行く

今日は弟一家が来たので子どもたちに雪を見せに群馬へと車を向けた。
目指すはスキー場なんだけど、遠くなくて雪遊びが出来る場所をなんとなく思い浮かぶ。真っ先に思い浮かんだのは越後湯沢だ。あそこは距離はそこそこあるが高速のインターからは近いので割とすぐにいける。もう一つは榛名山。あとはどこかなぁと思いながら、片品村ならもっと近いことを思い出し、片品高原スキー場に行った。

久しぶりにボクも雪と戯れたw
ソリとか借りて滑ったりした。
雪だるまを作ろうとしたんだけど、パウダースノーって言うの? さらさらの雪で、転がしても全然デカくならなかった。なんとか小さなかまくらが作れた程度。難しいなぁ……東京と全然違うぞ?

で、雪の写真はない(汗)。弟家族が写りまくっているためだ(汗)。

それにしてもボクの周囲だけかもしれないが、最近の親は子どもをあんまり色んな所に連れて行かないような気がする。ボク的には子どものうちに何でも体験させるべきなのではと言う考えがなんとなくあって、それは旅行にとどまらず習い事とかもね。子どもの頃習い事で嫌な思いをした大人も多いと思うけど、何がきっかけでそれが力になるか解らない。例え途中でやめたとしても、自分の可能性を探る意味でも習い事も含めて色んな事はした方がいいと思っているし、ボクは親に感謝している。

下の写真は雪で遊んだ後に寄った片品村の道の駅『尾瀬かたしな』以前も寄っていて、同じ場所から写真を撮っている(汗
こうしてみるとスキー場は一面雪景色だったのに、山を下りるとそうでもないんだなぁ。

道の駅でおみやげとかを買った後、晩ご飯を食べに行った。せっかくなので群馬名物『登利平』へ。行ったのは本店だ。
弟一家は初体験のはず。

最後に買ってきたおみやげ。チーズブッセと忠治茶屋の焼きまんじゅう。群馬と言えば、焼きまんじゅう。
チーズブッセは公式サイトを見つけられなかった(汗)。
ブッセ好きなんだよねぇ。シャトレーゼに行ったら必ず買ってるw
忠治茶屋の焼きまんじゅうはなんか、一番高級な焼きまんじゅうなイメージがあるんだけどどうだろう?
でも焼きまんじゅうは作るのがちょっとめんどいのよねぇ……。

というわけで相変わらずの思いつき旅行だったんだけど、目的は果たせたのではなかろうか?
子どもたちにとってもよい思い出になれば、と思いつつ……。

全然関係ない話。ドンキで買ったガムがすぐ味がなくなってびっくりしたよっていう。
10 円のフィリックスガムやマルカワのフルーツガムくらい亡くなるのが早いwww
でも作ってるのはロッテだった。やっぱ安く作ると、こうなっちゃうのかなぁ?

草津温泉

なんと、この年の瀬に草津温泉に行く機会を得た。家を出発したのが 23 時。到着時間はちょっと解らないが 27 時にお風呂から上がっているので、まぁ 26 時には着いたのではなかろうか。やはり酸性硫黄の温泉はイイ。

一枚目は今日のお昼にたべた Hotto Motto ののり弁。Hotto Motto と言えばのり弁(当時はほっかほか亭だったけど)。
のり弁は小学生の頃、真似して自分で作ってたなぁ。海苔を敷く場所を二重構造(ごはん・海苔・ごはん・海苔)にしたりして色々アレンジしてたのを今でも覚えている。

二枚目は草津へ出発時点での東京の気温。

3, 4 枚目は草津へ出かける前に腹ごなしに食べたグッデイサンドウィッチのベーコンチーズ玉子。

で、草津温泉の写真。このとき気付いたんだけど、なんか光が変だなと思ったら iPhone のレンズカバーが割れていた。
うぉ、いつの間に!? 上の 4 枚はぱっと見変な感じがしないんだけど……草津への移動中に割れたのかなぁ? それとも以前から割れてて、暗い場所で撮ると出現する現象だったのかしら?

ちなみにボクは携帯をよく落っことすのでレンズカバーが割れることは充分にあり得ることではあるんだけど……それにしてもピンポイントすぎる(汗)。レンズカバーが割れるならそもそも裏面が割れてもおかしくないような(iPhone は裏面もガラスで出来ている)。ちなみにレンズ本体は無事だったので、レンズカバーさえ交換すればこの変な光の現象は出なくなった。

最後に草津で買ったおみやげ。
って、自分で食うならおみやげとは言わないよねw

いずれも初見のおみやげで、特に 5 枚目以降の生煎餅は完全にニッキの効いてない生八つ橋だったwww
他にやりようなかったのか? っていうくらい生八つ橋w
でもニッキが苦手な人にはいいかもねw

プリンは評価が難しいね。ボクの中でプリンはこれが美味しいという基準がないからだがこれはシュークリームもそう。で、その理由はどちらもあまり興味がないから<ヲイ 嫌いというわけでもない。どっちかというとプリンやシュークリームの有り難みが解らないって感じだ。今思い出したが、マカロンカヌレもだ。どうしてかというとプリンやシュークリームに何百円も出すなら普通にケーキ買うっていうとてもガキっぽい理由だったりする(汗)。

今年の遠出、まとめ

ボクの行動範囲はやはり関東近辺に偏っている。その理由は関東住みというのもあるが、車での移動が前提というのもある。車で移動できる範囲に限られているのだ。主なエリアは関東甲信越と東北だ。それよりも遠い場所はこの日記でもほとんど出てこない。
でも西日本・北海道も行きたいところはけっこうあるのよねぇ……。
遠い場所へは飛行機で目的の道府県まで飛んで、そこでレンタカーを借りるといいんだろうけどね。なかなか計画に移せないでいる。でも本州・四国はともかく九州・沖縄・北海道はこの方法じゃないと現実的じゃないなぁ。

と言うわけで 2024 年、どんな所に行ったのかまとめて見る事にした。

東北と関東甲信越以外のエリアは四国と東海旅行のみ。寂しい限りだ。
来年はどうしているだろう? ただ取材ばかりでなく作品をそもそも上げねばなぁ……そっちの方が重要だろと思いつつ……。

久々の奥塩原とひもかわうどん

今日は昨日のメンツで那須塩原へと行った。というか、このために昨日は集まったとも言える。

まずは近くのコメダ珈琲で軽食。時間は朝 9 時。写真はウィンナ珈琲。ソーセージのウィンナーと言葉としては同じだ(ウィーン風という意味)。生クリーム、そんなに甘くしてないのね。どちらかというとミルクの代わりって感じ。

それから北へと進路を向ける。塩原温泉郷は約 186km。那須にしろ塩原にしろ東京からは近くてお手軽な温泉地なのだ。なので 9 時という遅めの出発でも全然問題ない。その理由の一つは高速の出口からそんなに遠くないというのもある。伊香保なんかもそうなのだが、これって重要だ。名湯名高い草津温泉万座温泉は、湯質は最高でもやはり高速から遠いというのがネックで、那須や塩原と距離は余り変わらないにもかかわらず、所要時間は倍以上かかる(汗)。

というわけでお昼頃に那須塩原 I.C を下り、まずは昼ご飯。
行列必至のステーキ屋『聚楽』へ。ここって上野の聚楽と関係あるのかなぁ? って昔から思ってたんだけど、関係はないみたい。
250g のステーキをいただく。4 枚目は 150g との比較。
橋で切れるような柔らかいながらも肉としての歯ごたえは残るステーキ。ぱっと見サシは解らないが、噛めば噛むほど肉汁は衰えない。肉自体の味で何も漬けずに食える。塩胡椒だけでも充分。

そんなお肉を堪能。

で、温泉の記録はまったく残っていなかったw
行ったのは大出館という、湯のみならず、空気中も硫黄成分が多すぎて、数年で家電製品が壊れてしまうと言う場所だ。

それから晩ご飯の場所は桐生と決めていたので下道で国道 121 を目指す。この道路は東北の背を貫く国道で、東北を旅行するとき、よく使う道路だ。途中、休業してしまった湯荘 白樺の前を通る(↓の三枚目の写真)。もう公式サイト(https://yuso-shirakaba.jp/)にもアクセス出来なくなってしまった……。

道路の雪の具合は一~二枚目の通りでそんなに積もってはいなかった。しかも道路にこうして雪があったのは大出館~白樺の間だけ。

17 時頃、レトロ自販機で有名な丸美屋を通ったので、寄る。これから晩ご飯だっていうのに、一名がうどん食ってた。
で、知ったんだけど、自販機にひもかわうどんがあるのねww 驚きだわ。

そして 18 時、桐生駅前にある『味処ふる川』に到着。
ひもかわうどんのお店だ。
桐生はソースカツ丼も有名なのでソースカツ丼も頼む(ぉ

写真は三枚目が鳥唐で 4 ~ 5 枚目がひもかわうどんを揚げたもの。これはこれで美味い。ちなみに二枚目がなんだったのか忘れた(汗)。磯辺揚げじゃないだろうし……一緒に行った知人からは「鶏皮ギョーザ揚げ」ではないかと言われた。6 ~ 7 枚目がソースカツ丼で 8 ~ 9 枚目がメインのひもかわうどんだ。ほとんどラザニアwww
圧倒的な小麦粉感ではあるのだが、コシはほとんどないのでうどんを食べているという感じはあまりないんだけど、出汁つゆの味でうどんであることを思い出す、そんな料理だ。ソースカツ丼は申し訳ないが、この店での本流ではない上に「桐生なのでソースカツ丼も出さなきゃね」っていう感じで作られたメニューに思えた。

ところで Wikipedia には桐生うどんとひもかわうどんが別々の項目で存在しているのだが……これは違うモノなのか?(汗

下の写真は帰り道にたまたま見かけた知らない名前のコンビニ『さくらみくら』。
群馬県のコンビニっぽい? Wikipedia によるとあのゼンショーがやってるコンビニらしい。ゼンショー、そんなことまでしていたとは……。

と言うわけで、途中、高坂 S.A. に寄ったりもしながら 21/30 頃帰投。ほぼ 12 時間の旅、そして健康的な旅だったのではなかろうか? ボク一人だと帰って送るのは日付越えた未明とか朝 5 時とかなのでw 走行距離は 458.5km。目的地が 180km 離れていた事を考えると、思ったより走ったなぁ。山道+下道が効いてるのかなぁ?

ライブ当日

さて、昨日のうちに山形に移動して、今日がコンサート当日だ。つまり昨日の日記はいわゆる前入りで、楽団員の移動費を抑えるために車で移動したというわけだ(汗)。主催者側がお金持ちだったら楽団員全員の飛行機代を用意したはずだしね(ぁ

コンサート会場は旧山形県庁『文翔館』という洋館だ。
この洋館の議事堂がコンサートホールとして貸し出されているというか、この文翔館自体を借りる事も可能との事(利用料金一覧)。
議事堂はサンルーフ付きのかなりかっこいい建物だった(1 ~ 7 枚目)。ただ国の重文なだけあって触れちゃいけない場所とか、使ってはいけない施設・備品なんかがあったりするのでそこは要注意。

音響的にはちょっとライト気味(響きやすい)。

ボクの担当は録画と録音だ。三台のカメラを用意したけど……結局、二台で撮る事に。つーても iPad Pro と iPhone 14 Pro なんだけどね(汗)。あれだなー、背の高い三脚があったらよかったなぁ。今後のために買っておこうかなぁ?

8 ~ 9 枚目は文翔館本体で、こちらが県庁舎だ。

洋館の県庁舎は明治時代に流行ったらしく──というか多層構造にするには洋館が手っ取り早かったんだと思うんだけど──けっこういろんな県庁舎や市庁舎などが洋館で作られた。あと幕末も含めれば江戸にあった藩邸なんかも洋館のモノが多い。現在でも使われている藩の洋館と言えば島津家の本邸が有名だ。

下の写真は仕出し弁当。256 っていう名前のお弁当屋さんらしい? 運営しているのは井筒屋という会社で、なんと 1736 年創業らしい。スゲー。なんで 256 って名前なんだろう? 二進法と何か関係が!? と思ったんだけど、住所がただ単に二丁目  5-6 だからっぽい(汗)。

味は忘れた。創業 300 年近い重みとかそういうのは解らなかった<当たり前だ

北九州のデパートとも関係ないみたい。

で、コンサートも無事終わり、片付けをして早々と撤収。

下の写真は安達太良 S.A. で食べたラーメン。何ラーメンかも忘れたし、味も忘れた!

最後に、その安達太良 S.A. で見つけた東北土産なんだけど、まぁ、ままどおるは有名だとして『みちのくミルル』というままどおるそっくりのお菓子があったので買ってみた。大きさは若干ままどおるの方が大きい? 餡も違うんだけど、ボクのバカ舌ではそんなに差は感じないというか、材料を信じるならままどおるはミルクベースでミルルは白あずきか白インゲンだとは思うのだが……ミルルのほうがなめらかでぬめっとしている感じ。どっちがいいかは完全に好みかも。

山形ライブツアー(何

今日は知人の音楽団山形でコンサートをするのを手伝いに、16 時とかだったかなぁ? ちょっといつ出発したのかは忘れたけど、楽団員を乗せて東京を出発した。その距離、約 400km。
特にトラブルというトラブルもなく、順調に宮城県に抜け、そこから山形道で山形県へ。
ところが蔵王にさしかかったところで雪に遭遇。

まじかー。

スタッドレスにしておいてよかったっていうか、この件があったからスタッドレスにしといたというのもあるんだが……そもそも雪ふるの早くない!? 山形に着いてからコンビニのおばちゃんと話をしたんだけど、やっぱり今年は降り始めが早いって言ってた。そうなのよ、東北とは言え、たとえば酸ヶ湯とかああいうところはさ、それこそ 12 月の頭から雪降るけど蔵王とか山形市街とかは雪が降り始めるのって 12 月下旬のイメージだったのよね。

というわけで↓は山形道で雪の中に突入する動画。

で、無事にホテルについたんだけど、先発隊がいねぇ。
と思ったら、音楽団を招聘してくださった地元の人達に接待されてたので、ボクらも接待されに行く(ぉ
庄司屋という蕎麦の名店だ。

山形も蕎麦、有名なんだよね。まぁ、土地が痩せてるところはだいたい蕎麦が有名なんだけど<ヲイ
でも山形は庄内平野もあるので、米所でもある。

しかし凄い量だ。まぁ東京の蕎麦の量が少ない(確か半人前)ってだけではあるんだが……それにしても多いw
白い蕎麦が更科、茶灰色っぽいのが田舎蕎麦(全粒粉)。
うまい。

で、せっかく山形に来たのだから、蔵王温泉に行かねば。案の定、蔵王温泉は雪が普通に積もっていた。下の動画はエスティマでスノーモードを ON にしたところ。まぁ、スタッド レスタイヤを試せたのはよかったかなぁ。

入った温泉は共同浴場の上湯という所。
誰もいなかった。貸切だ! いいぞ! 硫黄が心地よい。

思わず長湯してしまった。酸性硫黄泉での長湯は、基本禁物なのに。

で、ホテルに戻って寝る。止まったのはアパホテルなんだけど、この山形駅前大通店は今(2025 年 12 月)は閉業しているようだ。へー、あんなに立派な建物だったのに。今はどこか別のところが使ってるのかなぁ?? って調べたら『ホテル山形ヒルズ 駅前大通り店』になっているようだ。

ところで悲劇が二つ起きた。一つは汚い話で申し訳ないのだが、蔵王温泉いったじゃない? 当然、そこのお湯で髪を洗ったんだけど……そのあとホテルに戻ったらとんでもなくフケがたくさん……(汗)。いやね、フケってさ、頭をばさばさばさーってやれば、細かい粉みないなのがないことはないんだけど、今夜のはヤバかった。紙吹雪みたいな巨大なフケがどさどさどさーって降ってきた(汗
こんなことある? いままでずっと落ちてこなかったものが貯まってて、それが温泉水によって一気に剥がれたってこと?

もう一つの悲劇が、腰痛だ。アパのベッドがボクの身体に合わないのか……まー、腰が痛くなる。
ナニコレ。
寝返りしまくり。
こりゃたまらん……。結局、あんまり寝られなかった……orz

北埼玉の古墳を見る

埼玉県北部~群馬栃木南部・茨城西部には古墳が広がっている。今で言う利根川流域、なのかな?(利根川は江戸時代より前は東京湾に注いではいたものの、鬼怒川など銚子方面に伸びる河川はいくつもあったので、この辺りは河川の豊富なエリアだと推測している)。おそらく縄文時代からずっと人が多く住んでいたエリアなのだろう。
また、早くから大和王権に従ったエリアでもある。

この頃、東京はまだまだ田舎で、近畿地方からの道路も群馬県に向かって延びていて、後にそこから南に下る道路が整備された。戦国時代に甲斐(山梨県)から小田原を攻めた武田信玄も、わざわざ長野・群馬を通ってそこから南下して神奈川県入りしている。東京が江戸時代になってから整備された街だということがよく解る。京都へ向かう中山道がなぜわざわざ北上してから南下するのかは、そういう経緯があったりするのだ。

というわけで埼玉北部~群馬・栃木・茨城に広がる古墳エリアは、弥生時代からそれこそ平安時代くらいまで関東の中心と言えるかも知れない。

で、なんで古墳時代なのか。それはボクの作品で日本が舞台の場合、日本のアイデンティティをこの辺りに求めているからだ。
天皇制や大和魂、そして日本の伝統というのはこの頃にだいぶ形成されており、それから飛鳥・奈良・平安で平和的文化も成熟され、武士の時代へと入っていく。
一方、今の右翼が主張する美しい日本像はどちらかというと明治維新の時に確立された天皇制であり、あれを伝統というのはボクは違うと思っているのである。アレは当時の列強と肩を並べるべく、薩長によって整備された当時としては最新の宗教であり、今まで国と言えばだった概念を日本列島全体を国として認識するために必要だった国民の精神を統一するための制度だ。我々日本人は、そこにルーツを求めるのではなく、弥生・古墳時代にこそルーツを求めるべきという考えが、ボクにはあるわけである。

さて、ところがそれには大きな問題があって、それは縄文時代だ。↑でいうボクが思うルーツはあくまでも弥生人のものだ。大和王権が当初、関東や東北の制圧に苦労したように、そこには違う民族(蝦夷)がいたわけで、そちらのアイデンティティもまた日本人のルーツであるはずだ。ところが縄文時代から続いていた文化は、弥生時代に増してよく分からない。特に宗教(神様)については徹底的に(?)大和王権によって上書きされてしまっており、当時の神様の名前やまた英雄や指導者の名前もあまり残っていない。
それでも諏訪大社なんかには出雲の神が来る前の情報がほのかに残っていたり、東北のあちこちには歴史の教科書には出てこないご当地の支配者(たぶん酋長クラス?)の名前が残っていたりする。ただそれらはだいたい悪者になっている事が多いが(汗
教科書に出てくる蝦夷人といえば、やはり阿弖流為が有名であろう。

で、ボクの作品の世界では日本は三つの勢力が今でも存在していて、それはまず元々本州の半分(浜松まで)と九州の北部を支配していた出雲国の勢力(国津神──これが邪馬台国ということになっている)。それから九州から出てきて国譲りで出雲国を受け継いだいわゆる今の天皇家の勢力(天津神)、そして縄文時代に日本を支えていた縄文人達の神様の勢力だ。ただ縄文時代の神様達は一枚岩ではなく、それぞれの土地の土着の神様であったため、結局天津神に圧倒されてしまい、現在ではゲリラ的な活動を強いられている。これらの勢力は九州の隼人熊襲、沖縄も含めているのだが、九州の勢力はすでにもう途絶えたことになっている。
一方の国津神は基本的には天津神に帰順したことにはなっているものの、水面下では時々やりあっている。

そこにさらに複雑なのが、民族的な勢力は上の三勢力なのだが、宗教的には仏教やキリスト教、イスラム教も入ってきたりしていてさらに新興宗教についてもバックにはイモータルの影があったりする。

いろはも、翼をくださいも、1/2 summerTimepiece Emsemble もバックボーンはそんな世界なのだ(汗

というわけで、埼玉の古墳たちを見て来た。この場所は蝦夷が住んでいたエリアであり、早くから近畿勢力の影響が見られる。
すでに作品に出ているキャラクタでこの時代にも現役だったのは、若先生、そして熾永稲置、またが掲げられる。黒翼含め翼をくださいの天使たちは封印状態にあり、存在はしていたがイモータル性は持ち合わせていない。ただし黒翼は賢者(Magic User)ではあった。
またルイーゼの祖先はまだヨーロッパにいた。彼らが北欧の神々を引き連れて日本に逃れてくるのは 8 世紀に入ってからだ(奈良時代)。

埼玉県立さきたま史跡の博物館

まずは展示物から。もともとこの博物館に行こうと思ったきっかけは『古墳時代の装い-おしゃれな古代人-』という規格があったからだ。もちろん、この博物館自体は前から行きたかった場所ではあるんだけど……なかなか腰が重かった(汗)。実は都内でも行きたい郷土資料館とかもけっこうあるのよね。

というわけで、まぁ写真はこんな感じ。説明も読めるように今回は QXGA(2048×1536) だけでなく HXGA(4096×3072) の画像も用意した。

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埼玉古墳群の古墳達

そして野外に出るわけだが……この日は曇り時々雨で光が圧倒的に足りなかった__orz
なので写真はボロボロだ。補正してこの有様。やっぱり外ロケは晴れの日じゃないとダメだなぁ。まぁ iPhone のカメラだからってのもあるのかもしれない。フルサイズの一眼とか持ってたら違ったのかなぁ?

とりあえず解りやすい解説サイトが用意されていたので、詳細はそちらが詳しい。
写真は全部の古墳を撮ってはいない。というのも古墳の形はまぁなんだ、ゲームではそこまで細かいディテールは求められないし(汗)、どちらかというと重要なのは石室の中とか副葬品なので。

一、二枚目は稲荷山古墳で、三枚目以降が将軍山古墳だ。将軍山古墳は内部についても詳細に展示物が用意されていた。

 

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下の写真は歩いてたらあったので思わず撮ってしまったお地蔵様。場所はこの辺

浅間塚古墳

こちらは神社になっている古墳。浅間塚古墳というらしく、↑の博物館の公式マップには載っていない。古墳のテッペンに前玉神社がある。前玉と書いて「さきたま」と読む。弘前と同じ読み方だ。前玉という埼玉の書き方は初めて見たかもしれない。この古墳の解説は案内板に詳しい。ただ、拝殿を撮ろうとしたら……なんか儀をやっていた。うーむ、タイミングが悪いなぁ。結局奥の方とか本殿とか撮れなかった(本殿があったのかもわからないが)。秋保神社の時もちょうどなんかやってて中が撮れなかったのよねぇ……。

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さて、埼玉県立さきたま史跡の博物館周辺はこでおしまい。とりあえずお昼ご飯を食べる事にする。
ブラウザのブックマークに行田のメシ屋なんて登録されているかなぁって思ったら普通にあったw 恐るべし、ボクのブックマーク。
というわけで行ったのは『加賀屋食堂』という定食屋。14 時頃入ったんだけど凄い人だった。ほぼ満席。人気店なんだなぁ。
まぁボクのブラウザのブックマークに入っているってコトは、有名な店ってことになるので人気店なのは当然か。

なんかメニューがいろいろおかずが選べるようになってて楽しい。とりあえず牛焼肉とハムカツとからあげを頼んでみた。
うん、見た目通りの美味しさ。期待を裏切らない味付け。特に何が美味しいとかは覚えてないんだけど(汗)、どれもバクバク食べられた。

八幡山古墳と防人藤原部等母麿遺跡

今度は博物館から少し北にある古墳『八幡山古墳』へ。もろ住宅街の中にある(汗)。
ここはなんと、石室の中が見られるのだ。
元の古墳の姿がどうだったのかは解らないが、石室そのものがむき出しになっている。

で、この古墳なのだが、よく分からないが『防人藤原部等母麿遺跡』も一緒にある。なんかこの辺の人だったのではないか、ということかな?

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地蔵塚古墳

で、最後がこれまた住宅街の中にあると言うか、アパートも前にある古墳、地蔵塚古墳
こちらは先の八幡山古墳よりもさらにコンパクト。これぐらいの墓ならちょっとしたお金持ちが作ってもおかしくないかも的な。こちらは中は残念ながら閉ざされていたが、古墳の上に洞があってそちらは撮影できた。

アパートの人がちょうど出てきたので、思わず挨拶してしまったw
っていうのと、駐車場がないのでアパートの前にもろに車を駐める形になってしまい、何か言われるかなと思ったんだけど、古墳を訪ねてくるのは珍しい事ではないらしく、アパートの住人も「ああ、はいはい」みたいな反応だった。

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これで古墳巡りは終わりである。今回の場所は基本、開発が進んでいる場所であり、住宅地であるため、当時の人達の風景を想像するのは少し難しかった。それでもおそらく古墳に登れば関東平野が見渡せ、しかもほとんどが湿地だった事を考えるとなかなか感慨深いものがある。そう、たとえ昔と変わってしまっていても、現地に立ってみると言うことはそれなりに重要だ。

大和王権に帰順した関東の人達は、劇的に生活が変化した事だろう。社会基盤が整理され農耕色がより強くなり、土地への定着性も増し、それと同時に階級や貧富の差なんかも生まれたかも知れない。つまり今の社会に近くなったともいえる。その代わりに分業が進み、様々な分野の専門化が起き、集団としてはより効率的にそして盤石なものになっていったと推測している。


さて、晩ご飯の話。
前々から目を付けていたレストランがあったのだ。それは三県境の近くにすむ知人のところに行くときは、佐野の方まで足を伸ばす事がおおかったのだが、そのときに見つけたレストランで、なんていうんだろうね、チェーン店じゃない個人経営のファミレスみたいな感じ?

名前を『ジャックと豆の木亭』。

なんか入ったらおばさんから怪訝そうな顔で見られる。えー……。あと薄暗い。電気代節約か?
客層は基本的に常連客のように見えた。だから怪訝そうな顔で見られたのかも?
で、味は、フツー<ヲイ
でもハンバーグの肉汁はかなり多く、イイ感じ。デザートのパフェはなんか昭和チック。
面白い店でした。

最後に、おみやげ。
行田名物と言えばゼリーフライ。端的に言えば味付コロッケである(ぉ
古墳の周囲を歩いていたらゼリーフライと書かれた幟が立っているお店があったので、思わずそこで購入してしまったのだ。噂には聞いていたが、まさか今日、お目にかかる事が出来るとは。

お店の名前は『くん平』。

頂いた時はできたてだったのだが……まだ取材中だった事もあり、食べたのは家に帰ってから(汗)。

最後に今日巡った場所のだいたいの位置関係を地図で示す。