新緑の大内宿

今日は有休をとってふらりと旅に出た。
5/5 に引き続き、今月二回目の旅行。といっても、人がいないところを狙って現地に金を落として帰るという作戦である。
今日の目的地は大内宿と言うところだ。
県で言うと福島県の南、会津若松のちょい南西に位置する。
出掛ける前にこのコロナ禍でも全店舗休まずにやっていることも確認。また、大内宿は 17 時には閉まるので、20 時の時短要請も関係ない。

資料写真を撮るという目的もあったのだが、別にここ大内宿を題材とした企画やアイデアがあるわけではない。
単純にかやぶき屋根の家と町並みが撮れるっていうぐらい。

それよりも大内宿を選んだ理由は、まずは東京から近いこと(250km くらい)、そして幼少の頃に来たことがあり朧気に景色を憶えていたこと、さらに 9 年前に行きそびれたのが何となく心に引っかかっていたことなどがあげられる。

というわけで今日の道程は以下の通り。大内宿の位置は F の上に A が重なっているところの A の場所(黄色○の A)。

7:30 頃出発。まずは給油。トリップ メータもリセット。
それから外環自動車道東北自動車道白河インターを目指す。と言いたいところだっただが、上の地図をみても解る通り、外環自動車道が大渋滞中。そこで関越自動車道鶴ヶ島ジャンクションまで行き、そこから圏央道久喜白岡ジャンクションから東北道に乗るというルートに切り替えた。

このお陰で 10 ~ 10 分ほど多く時間がかかってしまった。

大内宿に着いたのは 10:55。
第一駐車場にはけっこう車が停まっていた。えー、平日なのに? 第二・第三駐車場はそもそも開放されていなかった。
う~ん、人気なんだなぁ……。
と思いつつも大内宿に入ってみると、基本的に人影はほとんどないw
よかった、人に出会わない旅にはなっているようだ。

下の写真は第一駐車場から大内宿に入り、数百メートル入った地点までの情景。
いや~、イイ景色だね。こういう景色が通学路のエロゲ作りたいね。まぁ、いろはが近いんだけど、あれは妖怪要素が強すぎて学園要素がほとんどないからなぁ~。

まずは朝兼昼ごはんを食べる。
大内宿名物『高遠そば』、別名ねぎそばを食べに行く。こちらも行きたい店はすでにチェックしてあって『三澤屋』というお店だ。お昼時だというのにお客さんはボクともう一組しかいなかった。

天ぷら蕎麦を注文。
どんなお蕎麦かは、写真を見てもらった方がいいとおもう。どーんと葱が一本蕎麦に載っているw
箸を使わずにこの葱で食べるのが本来の食べ方なのだが、やはり食べにくいことに変わりはなく(汗)、結局箸で食べてしまった。

蕎麦は田舎蕎麦形式、少し舌触りに粉っぽさを感じるが蕎麦の風味もしっかりと聞いたお蕎麦だった。
かえしは東京寄りも甘めが少ないが、かといって出汁のしつこさもなくバランスがよいと思った。そしてそば湯がとろっとろ。かえしで割らずに直接飲んでも美味しい。

もう一つ特徴的だったのが天ぷら。なんと、饅頭が揚げてある(9 枚目の写真)。
え……これはしつこいんじゃ……って思ったんだけど、わりとさっくりとしていて、中のあんこも温度が高いせいかねばっこさとしつこさを余り感じることなく食べることができた。こんなのも天ぷらになるんだなぁ。

ただデザートにとち餅を選んだのは間違いだった。饅頭と味の位置づけ的に同じだった(汗)。
そして腹にたまるw

それから資料写真を撮るべく、大内宿内を散策した。
お土産も色々買った。現地にお金を落とすのが目的でもあるからだ。
こうして巡ってみると、白川郷内子とは建物の作りや雰囲気がまったく違う事に気付かされる。同じように見える茅葺きの家でも、場所場所で違うものなんだなぁ。

下の写真は三澤屋(この蕎麦屋はわりと大内宿の入り口付近にある)から大内宿の真ん中辺りまで。

上の写真の鳥居に誘われて、メインストリートから逸れてしまったのだが、社殿が見当たらず学校(江川小学校大内分校)に出てしまった。雰囲気からして、この学校はすでに廃校になっていると思われる(Google Mapにも表記がないし)。
この時のボクの観察力が足りなくて、社殿は一枚目の写真をそのまま真っ直ぐ進んて左手の方にあったらしい(高倉神社)のだが、見付けられなかった。

それから学校の脇を通って北上すると、大内宿のメインストリートの最北端に出ることが出来た。
最北端は山が始まっており、おそらくこの大内宿の人たちにとってのなんて言うんだろうね総社と言うべき祭儀施設が固まって存在している。いわゆるお寺に神社にお墓だ。五つほどの社寺が置かれているようだった。

10 ~ 13 枚目の写真はそこから見下ろした大内宿のメインストリートである。
人がまったくいないのがよく解ると思う。

なかなかいい写真が撮れた。

最後に大内宿のいわゆる本陣(大名など地位のある人が泊まるための宿)が公開されていたので、中の様子をも撮ってきた。これも背景資料に充分役立つものが撮れたと思う。

かやぶき屋根を維持するために囲炉裏が使われており、雰囲気もイイ感じだ。
こうやって囲炉裏を使っていると、茅葺きは 20 年も 30 年も持つらしいのだが、他の家屋ではどうしているのだろうか? 当時は合理的な屋根だったが、電気・ガスの今の時代では維持はなかなか大変そうだ。

いやー、それにしても張りや天井の黒さがいいですなぁ。

最後に周辺の景色や花々などを。
ほんと、のどか。
こう言うところに暮らしてみたいと思わんでもないのだが……はてさて、文明の利器に脳を冒されたボクが暮らせるかというと難しい気もしている。とはいえ、なきゃないで自分でなんでも見付けるのではとも思っている。
最後は駐車場の様子で、第一駐車場はだいたい埋まっているのだが、コレだけ埋まっていても町の中にはほとんど人はいないので、うまく分散されているのだろう。

というわけで、大内宿の滞在は二時間ほど。
このあとは旅行の第二の目的である、ドライブに興ずる。この大内宿から新潟県の小出(魚沼)に抜けるのである。
そちらはドラレコの動画も交えて、別記事にまとめてある

またまた会津行き

10/29 に故障箇所をチェックした PC を直しに、会津に行った。
電源を交換し、ビデオカードを抜いてオンボードに切り替えた。とりあえずの応急処置である。さらにネットの設定もする。フレッツを契約していたのだがプロバイダとは契約してないとのことで、プロバイダとオンラインで契約。
さらに無線 LAN 親機が転がっていたので、それも設定する。

独り暮らしなので、ネットがあるとずいぶんと生活も華やかになろう。
情報も色々入手できるし。

ビデオカードがマザーボードので非力なので、中古でなんかテキトーなのを買ってくるかなどと思い、この日は終了。

帰りはちょっとだけ遊んで帰ることにした。
ルートは R121R289白河 I.C. から高速に乗った。

途中、路面が凍結している場所が何カ所かあった。標高はちょっと解らない。
ツイートでは気温 -4 ℃だったが、このあとさらに -5 ℃になった。
福島県、なんだかんだ言って東北地方である。

写真は最初の三枚が不味くておなじみ(ヲイ)、羽生パーキングエリアのソースカツ丼とうどんのセット。
次が R289 上での凍結部分と -5 ℃の写真。
最後の二枚が白河 I.C. 手前で給油したついでにとった夕食。 吉野家の牛すき定食である。

 

 

洋食屋『ポプラ』と南相馬の食事事情

南相馬の記事がけっこう長くなってしまったので、お昼ご飯は別ページにした。
お昼に食べた洋食屋さん『ポプラ』。
地元では人気店らしく、僕らが着いたときも満席だった。
ちょうど一組帰ったので、入ることが出来た。
人気なのは写真にもあるオムナポリタン。確かに美味しそう!
ボクはトンテキを頼んだ。
トンテキも柔らかくて、食べやすかった。混んでたと言うことで、一切れおまけしてもらった(笑
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夜は居酒屋兼小料理屋みたいな感じのところに通されたのだけれど、店名は解らなかった。とにかく日曜の夜だったワケだけだけれど、どの食べ物屋さんも満席。ファミレスやマクドナルドに至るまで。どこも入れなかった所に、ボランティアの人から電話がかかってきて、その料理屋に通された。
でもその料理屋でも、てんやわんやで、明らかに人手が足りてない。
聞けば、食べる所は圧倒的に足りてないので、夜はいつもこうなんだとか。
避難してた人が戻りはじめているのと、除染作業員がたくさんいるのに、食べ処は減ってしまったままでなかなか復活していないのが原因らしい。
ボクらが席に座ってからも、次から次へとお客さんが来ては店の人が断ったり、外のちょっとしたスペースに椅子を用意したりしていた。

味はけっこう独特(^^;
不味くは全然ないんだけど、味は濃いめかなぁ。
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それから 22 時頃帰途についた。

南相馬の神社巡り

ボランティア当日、とはいえボクは運転士として呼ばれているだけで、ボランティアそのものには参加しない。せいぜいボランティア内のメモをまとめて関わる全員にわかるようにテキストを整形したりするくらいである。
すでにボランティアは月日を重ねて続けられているものであり、まったく作業や事情を知らないボクがいきなり入ってきても邪魔になるだけなのだ。

ではその間何をしていたかというと、南相馬の神社の写真を撮りまくっていた(汗)。
ボクはあまり詳しくないのだが、南相馬には相馬野馬追というモノがあり、またそれらは神社が仕切っているらしく、この南相馬は神事のウェイトが重い場所らしいのだ。この辺は相馬重胤とか小高城とかも合わせて読んでもらいたい。

巡った神社は以下の通りである。

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①三嶋神社

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②秋葉神社(廃社)

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③松島神霊稲荷大神

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④子午田山神社

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⑤金華山神社

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⑥名称不明

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⑦太田神社

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⑧小高神社

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⑨三嶋・瀧尾神社

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⑩桜井古墳

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⑪泉の一葉松

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⑫出羽神社

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⑬氷川神社
写真データ ダウンロード(615 枚 2.13GiB)

氷川神社が南相馬にもあるとは。②の秋葉神社はすでに廃社されていた。
この地方で一番大きいのが、太田神社小高神社(小高城跡)らしい。
興味深いのが、どの神社も注連縄が非常に垂れ下がっていることだ(皷銅注連?)。この地方独特なのだろうか? そもそも拝殿にかかっている注連縄はもっと細いし(出雲はでかい)、鳥居に注連縄があるのも珍しいような気がする。

あと不思議なのはこのあたりのセミは圧倒的にツクツクボウシが多いと言うことである。車から降りたとき、一瞬、なんの鳴き声か解らなかった。ツクツクボウシが大量に重なるとこんな音がするんだ。録音機を持ってくれば良かった……。
一応 iPhone ではあるが、録ってみた。

(MP4 / 1080p / 30fps / 6Mbps / 6’00” / 270MiB / iPhone 6)

他にも津波にさらわれた場所や、現在も立ち入り禁止の場所などにも案内していただいた。自転車の写真は小高駅の駐輪場のもので、学校に登校したきり皆避難してしまったため、自転車だけがこうして何年も置き去りにされている。
この駅の東側まで津波が押し寄せたとのこと。ちなみに小高駅は現在も休止中である(来年 3 月運転再開予定)。

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小高駅の駐輪場

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津波で出たゴミの集積所

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海に埋めるためのテトラポット

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津波にさらわれた場所

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津波でも残った家

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人がいなくなり廃社に

水どうチックな宿探し

昼間ちょちょいと仕事して、夜 18 時頃かしら? 南相馬のボランティアのため、東京を出た。
飯を食ったりしながら南相馬に着いたのは 22 時頃。
ちょっとした仕事をしてから、宿探しとなった。
ええ、こんな夜遅くに空いてるのだろうか?

と、まずは原ノ町駅前にあるビジネス ホテルなどを回るも全滅。
国道 6 号沿いにいくつかホテルがあったので、そちらにいくと、そこもけっこう全滅。
しかたがないのでそのまま 6 号を北上していると、明かりが……!
やったホテル街だ!!

って思ったら、ラブホテル街でやんのwwww
三軒くらいあったかなぁ?

で、さらに北上してもう一つホテルを見つけたんだけど、そこもフルブック。
だがそこの従業員の話によると、相馬駅まで行けば空いてるホテルはあるんじゃないかとのこと。そこで相馬駅まで北上する。
相馬駅周辺でもいくつか断られたが、ホテル西山というところでようやく部屋を確保することが出来た。ギリギリ日付変わる 0 時前。次々とホテルが閉まっていくのを見ながらの部屋探しはけっこう精神をすり減らすんだなぁ。
水曜どうでしょうでぎりぎりでホテルをとるときの感じが何となく解った気がする。

んで、ホテル西山ってのはビジネス ホテルなんだけど、基本素泊まりの旅館しか使わない人間なので、ユニットバスの使い方がイマイチよくわからん(汗)。あと狭いwww
素泊まりの旅館とかって、最低でも 6 畳あるからけっこう自由にくつろげるというか、荷物のレイアウトも自由がきくんだけど、ビジネス ホテルってベッドとその脇に人が通れるほどのスペースしかないから、全然くつろげないんだね。しかも 4500 円だったかなぁ……。
それにしても、ホテル西山の看板がひどいw
バリバリって何?www
どうやら「バリバリ」という名前の焼き肉屋もやってるらしい??(追記:2015.09.28)
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下の写真は昨日、コミケの打ち上げがあったんだけど、その時に福岡出身の原画家さんからいただいたお土産。福岡いいなぁ。ご飯食べに福岡行きたいんだよなぁ。
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福島県大冒険

会津の外注さんのところに行ってきた。
ボクの方で全体を仕切る仕事もあまりなくなってきたため、この会津の人に仕事を出す機会が減っていて、連絡をする機会も会う機会も 1 年くらいなかったため、久しぶりに会うことにしたのだ。

久しぶりに会って、まぁいろいろ情報交換とか。
とりあえず年末くらいに、ボクの小説の背景をお願いしたいとお伝えしておいた。
今書いている小説は崩れ落ちたロンドンが舞台なので、かなり背景が大変なのだ。

で、そのあと、たまたま南相馬にボランティアをしていた知人がいたので、彼らを東京に送るため、会津から南相馬へと向かった。カーナビによると距離は 120km 程度。3 時間もみておけば余裕だろうという計算だった。
オチを先に言ってしまうと、この時点では、ボクはこの会津~南相馬間に「浪江町」が挟まっていることに気付いていなかった。

磐越道船引曳三春 I.C. までは順調に進み、この時点で 66km。残り 50km 台でまだ 2 時間以上の余裕があった。これは楽勝であろう、晩御飯をつまもうなんて考えていた。
状況が一変するのはあと 30km 程度の地点、県道 50 号線の通行止めにぶち当たったときだった。実はこの時点ではボクはまだ道路の崩落などによる通行止めだと思っていた。したがってこの道路さえ回避すればよいと思っていたのである。
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ところが周辺の県道さらには林道まで入ってみたが、どこもとある地点で必ず通行止めになっているのだ。なんだこれは、なんだなんだ? と、看板をふとみると「除染」という文字が見えた。ここでようやくボクは事態の深さを知ったのだ。
この先は浪江町であり、そして浪江町はそもそも立ち入り禁止なのだ。つまり今いる地点から南相馬に向かっている道路のすべては通行できないのである。
しかも不親切なことに、どの道が通行止めなのかは行ってみないと解らないという状況。せめて交差点の分岐点となる道路の入り口のところに、通行止めであることを書いてくれていればいいのだが……おそらく地元の人には常識なのだろう。

南下か、北上か……。南には国道 288 号が延びる……北は 114号
しなしながら、114 号へと繋がる 399 号も通行止めだった(114 も通行止め)。
すると、駐在所を見つけたので、そこで聞いてみる。すると警官は「あー、はいはい」とすべて話す前に事情を察した様子だった。どうやらそのような質問が多いようだった。
警官はペラが実を一枚ボクに渡すと、行き方を教えてくれた。
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まず、288 号は国道 6 号線手前で土砂崩れにより通行止め。
危ない。もし 288 号を選んでいたら、ほとんど着いた地点でほぼ引き返すことになっていた。
警官曰く、ここから 18km 西進し(要するに後戻り)、国道 349 号を北進して、県道 12 から南相馬に入れとのことだった。その距離、83km。倍以上伸びた……orz
結局 20 時に着く予定が南相馬市に着いたのは 22 時だった。

このような事態になってしまったのは、まず①ボクが浪江町の位置をちゃんと把握していなかったこと、そして②車載カーナビを使ってしまったことだった。カーナビは VICS 対応ではあるものの、VICS の電波を必ず拾えるとは限らず、ほとんどアテにならないため、浪江町の通行止め情報をカーナビが拾えなかった。
最初から Google Map などのスマフォのカーナビ機能を使っていれば、Google のサーバは VICS をはじめ JARTIC の情報などもすべてオンラインで同期しているので、最初から浪江町を回避したルートを示していたのだ。
いやはや、とんでもない大冒険になってしまった……orz

帰りは常磐道からそのまま東京へ。特にトラブるなどはなく、素直に帰れた
浪江町付近では線量計が設置されており、一定間隔で現在の放射線量(正確には線量当量)が表示されているのが興味深かった(詳しくは動画を)。
動画は一つ目が浪江町周辺でボクが迷っている様子と、二つ目が浪江町周辺を通る常磐道の様子である。
写真は会津若松にいく途中に寄った磐梯山 S.A. で食べたそばとソースカツ丼、帰りの常磐道は友部 S.A. で食べたカツカレー。会津若松の名物の一つにソースカツ丼があるなんて初めて知った(汗)。

(MP4 / 1080p / 60fps / 6.9Mbps / 22’04” / 1.06GiB / Marcus 4 / 3 倍速)

(MP4 / 1080p / 60fps / 12Mbps / 20’00” / 1.78GiB / Marcus 4 / 3 倍速)
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家についたら、届いてたw
去年の 12/20 に 15,000 枚売り出す予定だった『東京駅開業 100 周年記念 Suica』。結局、当日販売はやめ、通販となった。ボクはもともと車ユーザだし興味もなかったのだが、知人に買っといてと言われたので申し込んだ。
しかしなんでこんな仕組みなんだろ? JR 東日本の通販のシステムを使うわけにはいかなかったのかなぁ? それとも SUICA そのものの製造スケジュールの問題だろうか?