子供は普通に汚い

Twitter からの寄せ集め、色々。

東北の震災以降、日本の電力事情ってどうなっているのかなということで、まとまった記事があった。こう言うのは随時追っていきたいなと思いつつ、ついつい忘れちゃうよね。

Google で先日行った温泉をなんとなく検索したときに気付いた機能。混み具合情報がある。すげー。っていうか、応用力だよなー。Google が集めているデータをどうやって活かすか。Google の中の人は楽しそうだ。いいなぁ。

POS で顧客管理していないお店も混み具合がちゃんと表示された。
どうやってるんだろうと思ったのだが、渋滞情報と同じなんじゃないですかねというツッコミをいただいて、理解した。まぁ渋滞情報は Google は VICS からもらってるとは思うが、まぁとにかく普通に Android 端末の数をカウントしたので出せるのだと言うことに気付くw

驚愕の事実。
日本の鉄道は、線路幅(ゲージ)はだいたい 1067mm で、これは世界標準(これを標準軌という)の 1435mm よりも狭い。新幹線なんかは標準軌だったりする。

でね、あの車内がクソ狭い大江戸線。あいつ標準軌なんだって!
マジかよ!! びっくりだよ!!

って、ただそれだけ。

ツイートの通りなんだけど、大人は汚いとかいう定番台詞はそっくりそのまま子供に返したい。子供こそ嘘はつくわ、暴力で脅すわ、盗むわ、罵詈雑言は言うわで、子供がキレイだなどと思ったこともない。まー、そもそも人間ってそういうものだよね、っていう。

ただね、そう言った「汚い」部分は、実は生存能力と密接に関わっている。
理性や法律などで縛ってはいるが、おそらく自然の中で生きて行くには必要不可欠なものでもある。しかし人間が作り出した社会生活においては「汚い」ものでしかない。

では社会生活では完全に要らないものかというと、そういうわけでもない。
科学の発展や人間そのもの向上には、こういった「汚い」部分が必要なものだ(便利さの追求、他人を出し抜く精神力、欲望など)。

そういえば我々ホモ・サピエンスが生き残れたのは、他の類人猿に較べて戦闘的だったからという説もあるらしい。

テレワーク

Twitter では息巻いてしまっているが、日本は基本的に通勤させるのを前提で世の中が回っているなぁとつくづく嫌になる。がしかし、会社に通うことは大事な事であるようで、テレワークを推し進めてきた IBM や Google などの大手 IT 企業は逆に今、出社制に戻しているのだという(関連記事)。もっとも IBM の場合はテレワークそのものが問題というよりも、それを理由にレイオフを推し進めたいようだが。

まぁ業種によってテレワークの向き不向きもあろう。

ボクが子どもの頃(といっても年齢は忘れたが小学 4 年だと思う)、会社に毎日通うなんていうことはなくなり、好きなときに好きなだけ働き、自分のやりたいことも好きにできる社会になってるんだろうなぁなんて夢見てた。

全くそんな世界は来ないwww
おかしい、どうした未来??

個人的に思うことは若い人でもあまりテレワークが浸透してないこと。「就職とは懲役 40 年」とか言うくらいなら、会社に毎日通わなくてよくて仕事時間を自由に決められるテレワークがもっと浸透してていいと思うんだけど……。

どうなの!? 若い人!!

声が大きいだけの人たちをどうするか?

こんな記事をみつけたので、なんとなくそれに関係することをつらつらと綴ってみた。

まぁ最近、ネット上でちょっとしたことでも炎上したり、ちょっとした抗議で取り下げたりなんてのを耳にする。ボクの記憶の新しい所だと、ファブリーズのくさや編だろうか? あれの抗議した人数は 16 人だったと聞いているが……16 人の抗議で CM とりやめる意味ってあるのかなぁ……と思ってしまう(まぁ、地元からの反発というのも大きいのだろう)。
そもそもその CM には 2 億円ぐらいかかってるんじゃないの? よう知らんけど。

まぁ、この記事を書いた人の気持ちも分かるんだけど、とはいえ正論が通らないのもどうかと思う。とくに日本は──と言う言い方は良くないが、まぁボクの体験では程度に思ってもらえれば──正論を言っても相手にされないというか、同調圧力が強すぎて不正が修正されないことも多く、また正論で攻めると切れる人も多い(汗)。
なのでまぁ、匿名で騒いでる連中は相手にしないという文化が出来れば良いのではないかとボクは思っている。

ところでこのネットいじめだが、なんだろうね、ボクは犯罪者の親族や犯罪者の所有物に対するいじめ(というか犯罪行為)にも通じるモノを感じるんだよね。どういうことかというと、例えば犯罪者が逮捕されて無人になった家に放火したり、親や親族に脅迫電話をかけたりするようなことだ。
あれって取り締まってるのかなぁ? なんか警察もそういった行為は野放しというか、あまり関心なさそう。

まぁそんなワケで、21 世紀。まだまだ人間は理性に勝てずにいますよっと。

新卒がなくなる方向になっていくのか?

なかなか興味深い記事をみつけた。

新卒を廃止するというものだが、よくよく読んでみると、新卒という概念がなくなるわけではないようだ。とはいえ、これは大きな一歩のような気がする。
何が大きな一歩か?

ボクは企業の採用は中途採用しか存在しなくて良いと考えているからだ。
そもそも仕事とは自分がやりたいこと、もしくは自分に向いている(と少なくとも自分は思い込んでいる)仕事に就くべきであって、仕方なくやる仕事はその人の人生をいろいろと蝕む。仕事は仕方なくやるものと考えて仕事をされると、クオリティは落ちるし、不正もしやすい。
また仕事に対する将来の展望がないと、学生時代、遊ぶことしかしない。一番肉体的にも頭脳的にもノリにノっているときに勉強しないなんて!

いやもちろん、遊びも本気の遊びならいいと思うけどね。それが仕事になるから。

まぁそんなわけで終身雇用も崩れてきて、欧米型になっていくのであれば、中途採用をやめ、さらに大学なんかも入りやすく出にくい構造にしていく必要があると思う。給与形態だけ終身雇用を辞められても困る! 新卒や大学に入りにくく出やすいという構造は終身雇用が前提になっているはずだ。

ファッションが解らなかったボクへ

ボクは世間から言うと、オタクという部類の人間に入る(オタクから言わせたら、オタクとは言えないだろうが)。
最近のオタクはそうでもないが、昔のオタクというのはファッションに無頓着であった。服というモノは、楽で、夏涼しく、冬温かく過ごせればなんでもイイみたいな考えだった。そしてボクはいまでもその傾向は強い(汗)。

なので、女子高生へのセクハラや性的暴力事件なんかを見てても、そりゃあんだけ丈の短いスカートとかはいてりゃ、レイプしてくれって言ってるようなもんだ、女子高生側にも問題があるだろう、なんてことを思っていた。
駅の階段なんかでスカートを抑えながら登っている女子高生とか、「はぁ? だったらそんなスカート最初からはくなよ、バカじゃないの?」とかも思ってた。

そんな 20 代 30 代を過ごしてきた。

だが、それはボクの浅はかな考えでしかないということに、ようやく(30 代の後半ぐらいからかなぁ)気付きはじめた。

きっかけはスポーツカーだ。ボクは車マニアとかエンスーではないが、運転は大好きだ。そのため、運転が面白いスポーツカーも好きだ。そもそもオートマが嫌いだし、自分で車を操る喜びというものが好きなのである。
それに引き替え、世に出回っている車のつまらないこと……。車好きには本当に生きにくい世の中になったなぁ……なんてことを考えていたのだが、これがまさにファッションと関係することだったのだ。

つまり短いスカートをはいて、誰からもかわいく見られたい……!(まぁ、世の女子高生がそう思って、そういう格好をしているのかは解らないが)という欲求と、キビキビ走ってパワーもあって、運転が心地いい車に乗りたい! というのは、実は同じわがままだったのだ。
世の人は車は道具であって、人や荷物が載って、目的地まで走れればそれでよいのである。スポーツカーなどという、何の操作にしても人間が操らなければならず、人も二人しか乗れない、さらに車内は狭い。そんな車に何で乗らなきゃならんのじゃっていう(前乗っていた Euro-R という車では、同乗者が嫌がることも多かった)。
ファッションも同じ。かっこよく or かわいく見せるには、夏に暑い格好、冬に寒い格好をしなくちゃいけないし、不便な服を着ることもあるのだ。

さらに、夜、黒い服とか着ている人がボクは大嫌いだった。
ドライバーからしたら、発見は遅れるし、暗闇に紛れるしで、黒い服を来ている人は死にたいに違いない! とまで思っていた。

違うのだ、違うのだよ。
スポーツカーに乗りたいのと同じ。黒い服を着たい。それに何の問題があろうか。黒い服を着ることをなぜ責められなければならないのか。その人がそれを着たいのだから、それでよいのである(安全とは別のレイヤーであって、ファッションと安全をそのまま議論するのはおかしいのである)。

というわけで、ようやくボク的にファッションの必要性を理解したつもり。
これで露出の高い女の人を見て、どん引きすることも(あ、もちろん目の保養にはさせてもらってます)、夜道を黒い服で歩く人をみてもピリピリすることもなくなった。
ボクもスポーツカー好き。ファッションと同じわがままを持っているのだ。

シン・コジラともうやんカレー

シン・ゴジラ』を見る機会を得た。

ボクは特撮にも庵野作品にも特に興味がある人間ではないので、今回のシン・ゴジラも別に見に行く予定は全くなかった。のだが、まぁ知人が行きたいというので、ほいほいついていった。

と言うわけで感想。非の打ち所のない、作品だったと思う。
話は単純明快。
リズムがとてもよい。このリズムは心地よさで言えば、誤解を恐れずに言うとラピュタ並みによかった(ただ表現手法はまったく異なる)。
そしてさすが絵の人。絵作りがいろいろ仕掛けが組み込まれていて素晴らしい。もっともボク自身、全ての仕掛けに気づけてないだろうけど。
実はエヴァの映画の三作目『Q』の時は、コンテは確かに凄いんだけど、非常に解りづらかった。
そういったものが一掃され、解りやすく、のめり込みやすいようにできていたと思う。
またわざと 50 ~ 60 年代を彷彿とさせるような色使い、ちょっと仕掛けがバレそうな SFX の使い方(とはいえコンピュータなので、仕掛けも何もないのだが)など、映像作りはとても面白くできていた。今までのゴジラ作品を見ていた人はもっと色んなことに気づけたり、楽しめたりしたんだろうと思う。
今は特撮(というか実写)もアニメも使う技術はほとんどクロスオーバーしてきているから、作る側もかなり応用が効いたことだろう。
あと東京の地図が頭の中に入っている人は、より楽しめると思う。どこがやられて、どこで戦っているのかとか想像できると面白いw

まとめてしまうと、昔彼らがゼネプロ時代(?)に作ってたウルトラマンとか DAICON FILM とかあの辺りの自主制作作品の超エネルギッシュなものがそのまま高度に進化して、情熱はそのままに届いてきたって感じ。

ケチを入れるとすると、官僚制度を揶揄しているのか本当に取材したらああなるものなのかよう解らんが、ちょっとクドい(とはいえ官僚が主人公だから仕方ないか)。あとオタク特有のうっすい右翼思想(これを言葉で表現するのは難しいのだが)が根底にあって、なんていうんだろうね、警察や自衛隊への漠然とした信頼とか、官僚や政治家をポジティブに捉えるところとか、日米関係のステレオタイプな主従関係とその立ち回りとか、ギークの扱いとかがちょっと苦笑が出てしまうくらいにこっ恥ずかしかったが、それらを良しとしての作品だから、それらを欠点とする必要はないと思う。

あ、あと、ゴジラ、尻尾長すぎない?<そこかよ
ただ尻尾にはどうも意味はあったみたいだけど。

閑話休題。
映画は 24 時からだったので、それまで暇だったので『もうやんカレー』に行った。
そしたら、なんと、夜でも 1000 円で食べ放題やってた。
ビーフ、ポーク、チキンが食べ放題。
他にもカレーうどん、野菜類が色々。これで 1000 円は安いかも。

この食べ放題は人気のようで、いつまでやるかもまだ決めかねていて、当分はこの形式で行くとのこと。

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宗教はバカが信じるもの

ボクが時々ネタ探しの時に眺めているサイトに、なかなか面白い記事があった。

このスレッドを立てた人は、その人の書き込みを信じるなら医者で有り、そしてその所為かどうかは解らないが、しっかりと「現実」と「知識」に基づいた発言をしているように見えた。端的な区別をしてしまうと、無神論者と思われる。

さて、この記事にあった、以下のグラフがボクの興味を引いた。

この図は縦がその国の人口における宗教者の割合(%)、横がその国の平均 IQ をしめし、各宗教の信者がどこに位置しているかを表している。コレを見ると明らかなとおり、頭のいい人ほど宗教を信じていないことが一目瞭然である。
なるほど、これは面白い。

その他、気付いて欲しいことはそのグラフの周囲にいろいろ書かれているので、ここでの説明は省略したい。

このグラフを誰が集計し、どこに載っていたものなのか、ボクはちょっと解らない。「宗教を信じる人はバカだ」という結果を導き出したいがために統計を操作したグラフなのかもしれないが、まぁ、そこは今疑ってもしようがない。

だが、「宗教の多様性やその容認は頭が良くなくては受け入れられない」という事は、高校で世界史を学んだ人なら、解ると思う(ヨーロッパにおいて宗教の自由が認められるまでの道のりのことを指している)。そして上のグラフはその延長線上にあるとボクは思い、そして誰しもが漠然と心の中で思い描いていたことではないかとも思うのだ。
ここでもう一つ言えることは、やはり宗教(というか、神)というものは人間の想像上のものであって、この世界に存在しないのではないか、ということであろう。
なかなか宗教者にとっては厳しい現実を突きつけられたと言えると思う。

ただ IQ というものは、頭の良さを測るためのある一つの角度で有り、全てを網羅しているのかというとそう言うワケではないという声もある。IQ テストは訓練すれば上がるという話もある。ただ、それにしても頭の良さを測る指標の一つには変わりはないので、ご託を並べたところであまり意味はないだろう。

では IQ さえ高ければ良いのかというと、そう言うワケではない。日本ではわりと意見の割れる、いわゆる「倫理」の部分はまだ IQ では測れないことが解っている。しかしながらこの倫理というものは環境によっても変わるため、なかなか数値化しにくい。ところが、宗教はこの倫理の指針を示していることが多い。
実際、IQ が高かったとしても、その頭で納得のいく罪の犯し方が説明できれば、それを実行してしまうからである。解りやすい例としては、歴史家や資本家が「戦争も経済活動の一つだ」と言い切って、損得だけで戦争に踏み切る(歴史家なら戦争をそのように評価する)ことだろうか。また、資産家などの金持ちが自分の理論において殺人を犯すことも少なくない。たとえば第二次世界大戦のドイツのユダヤ人虐殺などは、そのような理論の元、行われた可能性が高い。ナチス ドイツの高官たちの IQ は非常に高かったことが解っている。
つまり IQ が高いからといって、抽象的な「人間性」とか「愛」とか「良心」などといった部分まで高いとは限らないのである。

もっとも、宗教もまた、神の名の下に犯罪(テロ)を犯すこともあるわけだが、あちらはちょっと事情が異なる。あちらも知恵と知識を使って宗教をうまく利用して犯罪を犯させている(犯している)のであって、イスラム教という宗教のせいではないと思う。

とは言え、倫理がどうとか愛がなんだとか言っても、世の人たちはそういった抽象的なものよりも IQ という数字を信頼してしまうだろう。

そんなわけで、なかなか興味深いスレッドであった。
ついでにコーランを理解する一つの見方としても、今回のスレッドは面白いと思う。
今後、科学が発達して行くにつれ宗教は滅びていくのか、それとも科学によって新たな再発見があるのか、それは解らないが、今後も様々なことがボクらの目の前に露わになっていくだろう。