どうしてボクらは運命を感じるのか?

恐怖が恥ずかしさに変わって行く」という記事の続き。今日は「感情」の話。
今回も学術的な話ではなく、飽くまでもボクが色々なことを観測して得てきた、ただのエッセイである。

ペットをよくよく観察していると、彼らにも感情があるというのはよく解る。
恐怖や喜びなどだ。
この感情というものは、脳が受けた入力に対する出力の一つだ。こうこうこういう入力をされたので、こういう出力になりましたって言う、実に単純なものだとおもう。プレゼントをもらう(入力)→嬉しい(出力)といった具合だ。火垂るの墓を見る(入力)→悲しい(出力)みたいな(笑)。

単細胞生物に感情があるのかというのはなかなか難しい問題だ。ただ、入力に対する出力というのはある。例えば捕食者が近くに現れたとき、回避行動をしなければならないわけで、彼らとて何らかの出力をするはずだ。ただ彼らと我々はセンサーが異なる。捕食者が目に見えるというワケでもないし、なんて言うんだろうね、情報(入力)の捉え方が違うのでボクらには彼らの出力を「感情」として感じ取ることができない。

これが哺乳類となるとボクにも解って面白い(解っているつもりなだけかもしれないが)。
ボクは子どもの頃から何らかの動物(哺乳類)が家にいたので、彼らが喜んだり怒ったりしているのは何となく解る。だからボクは幼少の頃から哺乳類に対しては、何となく仲間意識じゃないけど、わかり合える存在だと勝手に思い込んでいるフシがある。
ところが鳥類や爬虫類や魚類、昆虫となるとこれがサッパリである。
彼らの感情が解らないのである。
喜んでいるのか、悲しんでいるのか、腹が減ってるのか、満腹なのか、サッパリ解らない。
せめて鳥類や爬虫類くらいは解っても良さそうなのに、なんて思っていた。

ところがである、最近、知人が鳥を飼い始め、その鳥を時々見せてもらう機会が増えた。
鳥って無表情で何考えてるかサッパリ解らんと思って来たのだが、よくよく観察してみると、なるほど表情があることに気付き始めた。やっぱり一緒に居ないと解らないものだなと痛感した。
おそらく爬虫類や魚類を研究している人たちは、彼らの感情を感じているのではないだろうか?

というわけで生物がいつ感情というものを手に入れたのかは解らないが、どうも遙か昔から手に入れていたようだというのは解る。おそらく恐竜の時代でも喜怒哀楽はあったのだろう。我々の祖先は恐竜に恐怖したり、子が生まれたことを喜んだりしていただろう。

え、何が言いたいかって?

ようやく本題(そしてすぐにこの記事は終わる)。
感情のように太古から生物が持っていたものって他にもあるんじゃないかなって思っていて、ボクがなんとなく感じているのが「信仰」と「運命」だ。これは何かというと、人智を超えた何かを信じたり、偶然に意味を見いだそうとしたりすることだ(まぁこれも感情の一つなのかもしれないけど)。
この二つは実は他の生物も持っているんじゃないかと何となく思ったのだ。別に証拠とかがあるわけじゃないし、動物がなにか儀式をして神様にお祈りしているのを見たことはないんだけどさ(笑)。でも同胞が死んだ時、偶然が何度も重なったとき、彼らもなんとも神妙な表情をする。

無神論者でも、例えばなんか欲しいものを買うとき、運命的な出会いをするとそれに決めてしまったり、偶然がいくつも重なると、それが自分の行くべき道だと感じてしまったりする。信仰がなくて死後の世界を信じていないのに孤独死に恐怖し、死後のことを考えたりする。
これって人間だけじゃないのかもっていうか、遙か太古からずっと生物が持ち続けていたから、人間も持っているのかも。

特に偶然に対する人間の反応はとても興味深い。それを運命や何らかの導きと信じ、ついついそれを選択してしまう。あれって、ほんとになんだろうね? 神様とかを信じてない人でも偶然や運命を信じたりする(笑)。実はボクらが偶然と思っていることは、実はそんなに偶然ではないのかもしれないのにね(例えば夢で見たことが現実でも起きるとか)。

結論として、そう思うことが種が生き残っていく上で大事なことなのだろうということだ。神様を信じたり、偶然を運命と思い込んでその道に進んだりすることが、種の生存におそらく有利なのだろう。そう、もしかしたらあなたの飼っている猫や犬が、実はあなたを神様だと褒め称えて信仰しているかもしれないww

下の写真はチキンプレイスのチキンカレー。浅草橋でもボクのお気に入りのメニューの一つだ。
今日の話題がこのチキンカレーしかなかったので上のような話を書いたのである(爆)。

障がい者に対する単純な答え

すっかり記事にするのを忘れていた話題。本来は 7/26 に書く予定だったのに。なんでこの日かというと、去年の 7/26 に相模原の障害者施設が襲われて 19 人を殺害した事件が起き、それの一年後と言うことで NHK などで特番が組まれたからだ。
ボクはその NHK の番組は見られなかったのだが、見た人から聞いた話によると Twitter などで視聴者からの意見をリアルタイムで集計していたり(最近の NHK のお家芸ですな)していて、その中には「勇気を持って発言する、障がい者は生まれてこないようにするべきだ」とか障がい者への対策は社会の大きな損失だなどと発言する人がおり、そしてそれに賛同する者も少なくなかったとか。

これはとても由々しき問題である。障がい者問題が自分とどう関わるのか、学校で教えられなかったっけ?

感情論や障がい者の都合を抜いたとしても(つまり健常者だけの都合で見ても)、障がい者が社会に参画できるということは健常者にとってとても必要なことであり重要なことである。障がい者対策が社会の損失だなんてとんでもない!

どうしてか?
それはそもそも健常者がいつ障がい者になるか解らないからだ。我々は事故や病気によって簡単に障がい者になり得る。つまり障がい者が活躍できる社会、障がい者をケアしてくれる社会とはそのままそれは自分の為でもあるのだ。
実に簡単なことだと思うのだが、はて NHK ではそのことに言及したのだろうか?

もちろん交通事故になる確率や後遺症が残る病気になる確率を示し、その確率のためだけに社会的コストを課すのはいかがなものかという論調もあるかもしれない。ならばもう一つ、我々が障がい者と同じように機能低下してしまう現象があることを思い出そう!

それは老化である。

耳が遠くなり、ものが見えづらくなり、足腰も弱くなり、性格も了見が狭くなり、意固地になったり、幼児化したり、痴呆になったりする。一人でトイレに行ったりお風呂に入ったりできなくなる。障がい者をケアするシステムがあると言うことは、そんな状態の人でも社会に参画できることを意味する。素晴らしいことではないか?

障がい者を支援する必要性がわかってもらえたらと思う。明日は我が身である。我々が安心して暮らせる社会の一つに障がい者対策もあるのである。

恐怖が恥ずかしさに変わって行く

前々から書こう書こうと思って、すでに十年以上も経ってしまったネタがなのだが(いやまぁ、そんなネタは沢山あるのだが)、たまたま以下の様なツイートをしたので、よい機会だと思って書いてみた。今回の話は別に科学的な裏付けがある話ではなく、飽くまでもボク個人的に勝手に納得している話であることを承知してほしい。

幼少の頃から疑問に思っていたことに、「何故人間は裸を恥ずかしく思うのか」というのがあった。聖書には裸が恥ずかしいことに気付く描写が出てくる。それによると「知恵の実」を食べたため「裸であることを知った」とある。なるほど、キリスト教(ユダヤ教もイスラム教も?)ではどうやらそういう解釈らしい。

進化論的には類人猿から人間への進化の過程のどこかで恥ずかしさを得ることになると思うのだが、その根源というか原因はどこにあるのか、ボク的に勝手に考えたものである。

まず他の哺乳類には刃物では簡単に貫けない皮とそして寒暖をしのぐ体毛がある。これらによって彼らは身を守っている。しかし人間にはほとんどそれがない。何故なくなったのかは今回の議題ではないので別の機会に譲る。
ちなみに人間とにたように、丈夫な毛もなく皮膚も柔らかい哺乳類というと、クジラやイルカがいる。

体毛などがなくなっていく変化の中で、人間はおそらく羽織るもの(靴も含む)を発明していくことになると思うのだが、最初の時点では「恥ずかしい」という気持ちで動物の毛皮などを身につけるようになったのではなく、単純に「身を守るため」だと推測する。つまり、外敵に襲われることへの恐怖から服を身につけるようになったと言うわけである。

この図式が成立したとき、ボクはあることに気付いたのだ。「そうか、恥ずかしいって恐怖の薄まったヤツか」と。いやひょっとしたらみんな気付いてたのかもしれないけど(汗)。
恥ずかしく感じてしまう行為ってよくよく分析してみると、生存競争において自分が不利になることが多い。たとえば他人に出し抜かれる、過去の失敗や後悔したことを暴露される、排泄中の姿、寝姿(これは人によりけりか)、大勢の前に出ること etc、etc。もちろん恥ずかしさを感じる場面は人それぞれなのだが、一つ一つを分析してみるとそれらはかつては「恐怖」ではなかったかと思うのだ。

他人に出し抜かれることや過去の失敗や後悔を暴露されることは、そのまま自分が不利になることであり、生存競争において立場が危うくなることにつながる。排泄や睡眠、出産、性行為は外敵からの直接的な攻撃に対して無防備な状態である。
初めて人前に出るなんてことも、自分が標的にされることであり、自分自身の立ち回り一つで命を失いかねないことが多かったはずだ。

それが人間が社会を形成することによって、だいぶ和らいできたというか、直接的な痛みや恐怖に較べて克服することができるようになったため、恐怖が薄らぎ、「できれば避けたいな」レベルに落ち着き、恥ずかしさという感情を抱くようになったのではないかというわけである。

ということは人間以外の哺乳類に「恥」はないのかと言われると、上記の理論で言えばないことになるか、もしくは弱い恐怖心ということになるのだろう。ただ犬はよく照れていると思われるしぐさを見かけることがある。

そこでもう一つ、哺乳類の感情についてボクなりに分析した答がある。
のだがそれはまた別の機会に(笑い。と言うのもこっちはこっちでそれなりの文章量になりそうなのだ。あと今回の話はあくまでも哺乳類を観察したことによるボクなりの答である。哺乳類以外の、例えば鳥類や爬虫類、昆虫に関してはまた異なる部分が有り、イマイチボクの中で答がでていない。ただこちらも知人が鳥を飼うようになって観察する機会を得、様々な示唆を得たので、「感情」に関しても別の機会に書きたいと思っている。

理想の通勤タイミング

ボクは公共交通機関を使う場合、時間ピッタリが好きだ。
どういうことかというと、たとえば 12:34 発の電車に乗る場合、12:33 頃にホームに降り立つのが理想なのだ。要するに、待ちたくないのである。ホームに降り立ったら、そこにドアの開いた電車がいる。それが理想なのである。

コレを実現するのはそんなに難しいことではない。幸い日本の公共交通機関は時間に正確である。だから時刻表を元に行動すれば、ボクの理想の移動が可能となるのだ。また、通勤タイマーなんて便利なツールもある。

しかし、残念ながらこの行動はできないことが多い。
理由は簡単で、通勤時間帯は人が並んでいるからである。
特に座りたい場合は、時間ピッタリの行動をすることは不可能である。となると結局、予め並んでおくという行動を取らねばならず、そのためトータルの移動時間が長くなることになる……orz

ボクが公共交通機関を使わない理由の一つである。
そんなことするなら、車で行く、ってなってしまうのだ。

もちろんボクが移動に車を使う理由はそれだけではなくて、時間に囚われずに移動できるという利点を重視しているのだが、残念ながらこれも完璧な利点ではない。確かに普段はそうだし、終電が終わったあとも移動できる利点はあるが、通勤時間帯は渋滞が発生して、移動時間は短くならないし、災害が起きた場合は道路が使えない事が多く、こちらも車で来ている利点というのはまったくなかったりする(^^;

ところで系統番号吉63』の保谷駅行きバスの場合、長蛇の列になり、出発時点ではほぼ満員になるのだが、青梅街道に出る頃には立ち客はほとんどいなくなるばかりか、ちらほら空いている席も出る。つまり客のほとんどが吉祥寺通りを通っている間に降りてしまうのだ。なのでこのバスに関して言えば、別に立っても良いんだけどね<ヲイ

やっぱり Apple ユーザって頭悪いんかな

Windows ベッタリなボクが言うと凄く驚かれるのだが、ボクはスティーブ ジョブズ信者である。まぁとはいえ狂信的ではないが。現にマッキントッシュは買ったことがない。しかし彼の『概念を商売にする』というのは中学生の頃から感銘を受けたというか、素直に凄いなぁと思ったというか。

まぁ、とはいえ、ボクは Apple 製品を使ったことがなかった(今は iPhone ユーザである)。
Next はすげーって思った。

しかしジョブスの作ったものってのは、弊害が生まれているとも感じている。
それは「誰にでも使える」ようにしたおかげで「バカでも使える」ようになってしまったことだ。これはとても素晴らしいことなのだが、このおかげで「Apple ユーザにはバカが多いのではないか」という偏見がボクの中に生まれてしまったのだ。
というわけで、その様子をご覧ください(ぁ

でね、言いたいことは「Apple ユーザってやっぱバカだなぁ、ギャハハ」っていう話ではない。コンピュータってやっぱりまだまだ使うのは難しいよねっていう話。スマートフォン一つとっても誰でも使えるようになったものの、やっぱり何かをしようとすると専門用語や専門知識とぶつかることがある。例えば Apple が提供するネット上のストレージ iCloud は便利だが、無料枠は 5GB までだ。
ほら出てきた、5GB という言葉。
でもサービスを提供する方としては、これを無制限にするわけにもいかない。どうしても何らかの制限をつけざるを得ないが、その制限する言葉が専門用語となってしまう。

じゃぁ 5GB ってどれくらいなん? って言うときに、写真だと○○枚、文書だと広辞苑○○冊分とかよく言うけど、それも正直アテにならない。写真で多く使われている JPEG 形式は同じ画素数の画像でも容量は様々になる。
ほら出てきた、「画素数」「JPEG」 って何よ!?

キリがないwwww

さらに言えば、「バカでも使える=プロに簡単に騙されてしまう」という問題も孕んでいる。
バカッターなんていう言葉ができたが、あれは騙されているわけではないにしろ、やはりコンピュータのことを知らなかったことによって起こる現象である。

かつてボクは Apple のように知識が無くても使えるようにするのがボクたちコンピュータ側の人間の使命だと思ってきた。けれど、そんな御花畑の世界は来なかった。いや、もちろん知識が無くても使えるようにはできるんだけど、知識のない人が知識のある人に簡単に騙される世界が来てしまった。

だから、コンピュータのことは勉強しないとダメだね、って今は思ってる。

もう一つ、アメリカを見てて思ったのだけど、コンピュータに強くないとこれからのグローバル社会、勝てないのかなって思った(Apple も Amazon も Microsoft も Facebook も極端な言い方だけど、プログラマが作った会社だ)。日本、まだまだ保守的だなって。
え、SUICA とか世界に先駆けてやったし、ガラケーなんてスマフォでできることを何年も前から実現してたって?
そう、そうなんだよ、確かに最先端の普及はすごいんだ(特にハードウェア)。だけども、5GB も解らないような人が溢れてる。キーボード使えなくて、フィッシングメールに引っかかって、メールボックスは spam だらけ、PC は勝手に広告のウィンドウが開きまくって、壊れたとか騒いでる人がたくさんいる。
パソコンで一発でできるようなことをいつまでも紙に書いてあーでもないこーでもないってやってる事務のおばちゃんおじちゃんが溢れてる。

やっぱ、勉強しようぜ、コンピュータのこと!

子供は普通に汚い

Twitter からの寄せ集め、色々。

東北の震災以降、日本の電力事情ってどうなっているのかなということで、まとまった記事があった。こう言うのは随時追っていきたいなと思いつつ、ついつい忘れちゃうよね。

Google で先日行った温泉をなんとなく検索したときに気付いた機能。混み具合情報がある。すげー。っていうか、応用力だよなー。Google が集めているデータをどうやって活かすか。Google の中の人は楽しそうだ。いいなぁ。

POS で顧客管理していないお店も混み具合がちゃんと表示された。
どうやってるんだろうと思ったのだが、渋滞情報と同じなんじゃないですかねというツッコミをいただいて、理解した。まぁ渋滞情報は Google は VICS からもらってるとは思うが、まぁとにかく普通に Android 端末の数をカウントしたので出せるのだと言うことに気付くw

驚愕の事実。
日本の鉄道は、線路幅(ゲージ)はだいたい 1067mm で、これは世界標準(これを標準軌という)の 1435mm よりも狭い。新幹線なんかは標準軌だったりする。

でね、あの車内がクソ狭い大江戸線。あいつ標準軌なんだって!
マジかよ!! びっくりだよ!!

って、ただそれだけ。

ツイートの通りなんだけど、大人は汚いとかいう定番台詞はそっくりそのまま子供に返したい。子供こそ嘘はつくわ、暴力で脅すわ、盗むわ、罵詈雑言は言うわで、子供がキレイだなどと思ったこともない。まー、そもそも人間ってそういうものだよね、っていう。

ただね、そう言った「汚い」部分は、実は生存能力と密接に関わっている。
理性や法律などで縛ってはいるが、おそらく自然の中で生きて行くには必要不可欠なものでもある。しかし人間が作り出した社会生活においては「汚い」ものでしかない。

では社会生活では完全に要らないものかというと、そういうわけでもない。
科学の発展や人間そのもの向上には、こういった「汚い」部分が必要なものだ(便利さの追求、他人を出し抜く精神力、欲望など)。

そういえば我々ホモ・サピエンスが生き残れたのは、他の類人猿に較べて戦闘的だったからという説もあるらしい。

テレワーク

Twitter では息巻いてしまっているが、日本は基本的に通勤させるのを前提で世の中が回っているなぁとつくづく嫌になる。がしかし、会社に通うことは大事な事であるようで、テレワークを推し進めてきた IBM や Google などの大手 IT 企業は逆に今、出社制に戻しているのだという(関連記事)。もっとも IBM の場合はテレワークそのものが問題というよりも、それを理由にレイオフを推し進めたいようだが。

まぁ業種によってテレワークの向き不向きもあろう。

ボクが子どもの頃(といっても年齢は忘れたが小学 4 年だと思う)、会社に毎日通うなんていうことはなくなり、好きなときに好きなだけ働き、自分のやりたいことも好きにできる社会になってるんだろうなぁなんて夢見てた。

全くそんな世界は来ないwww
おかしい、どうした未来??

個人的に思うことは若い人でもあまりテレワークが浸透してないこと。「就職とは懲役 40 年」とか言うくらいなら、会社に毎日通わなくてよくて仕事時間を自由に決められるテレワークがもっと浸透してていいと思うんだけど……。

どうなの!? 若い人!!