通り魔や凶悪犯罪の動機

昨日の続き。自分が不幸だと思い込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなると、さらに職に就いてないなどで時間があると、人間はどうしても悪い方へと思考が向いてしまう。そう、人間って暇になると悪いことしか考えないのだ(笑)。さらに年を重ねれば重ねるほど、過去の自分への理不尽感は増していき、同時に世間へのヘイトも貯まっていく。

そんなとき、自分がスターダムにのし上がる一番簡単な方法はというと、「ショッキングな事件を起こす」ということなのかもしれないな、と思ったのが上のツイートである。

よく「教科書に載るようなことをしたい」とか「あの政治家は教科書に載りたいんでしょ」なんて聞くが、まぁそれの手っ取り早い版である。

ショッキングな事件を起こすことによって、日本中から注目されることに間違いはない。この時ばかりは日本の中で彼が主人公である。

もちろんそんなことを考えて事件を起こしているのかは解らないし、世間はどちらかというと犯人の境遇とかがフィーチャーされてしまうが、実は TV に映ってチヤホヤされている(ようにみえる)人のように、Youtube で何百万人も視聴者をかかえてノリに乗っている人のように、自分も! なんて思っていても別に不思議はないのではなかろうか。

実際に TV に出て人気者になったり、Youtube などでたくさんの視聴者を抱えるようになるにはたくさんの努力とそしてタイミングと運が必要だ。しかし犯罪ならばそのコストはかなり少なくて済む(ように見える)。ただ実際は犯罪を実行するにもそれなりに様々なコストや運・タイミングが必要だったりはする。しょーもない放火事件や通り魔事件を起こして、世間から馬鹿にされるだけで終わってしまう犯罪も多い(汗)。また京アニ事件のように、様々な要素が重なって結果的に多くの人が亡くなってしまうというようなことも。

まぁ今後、後がないひとの犯罪というのは増えるような気はする。
それはその人自身にも問題があるだろうし、それを放置してきた社会にも責任はあるだろう。誰かが言ってたな、本当に支援が必要な人たちというのは、周囲から見たら、支援したくなくなるような人たちだ、と。要するに周囲に当たり散らし、ネットで暴言を吐き、ワガママで人の言うことを聞かず、憂さ晴らし的に店員などに当たり散らしているような人。そう言う人たちこそが支援が必要だということらしい。京アニ事件の犯人も病院で手当てされたとき「こんな優しくされたことはなかった」とつぶやいていたように。

戦後、モノが豊かになり、そして 21 世紀に入って情報化社会になり……世界は刻一刻と変わっている。それに応じてモノの価値観や考え方、倫理観も変わって行く。それらに柔軟に対応できる人は少ない。しかし立ち往生している人にどうすればいいかを指し示すことはできる。我々は社会に生きているのだから。自己責任という言葉だけで片付けずに、社会全体で絶望した人たちに光を当てることはできるんじゃないだろうか……と思っている。

下の写真はなんか不満そうな猫w
靴下がぴったり合っている(ぁ

客観的に見た宗教の機能

これだけ社会と科学が発達して、自然界からの脅威(自然災害だけでなく猛獣なども含む)からも守られ、我が国においてはある程度の自由もある中で、不幸を感じ、不満を感じ、自分の人生の意味を見いだせず、ただネガティブな感情を抱いたまま生きる人がたくさんいる。
つまりこれらの脅威から逃れられるようになったことにより、今度は別の脅威が我々人間を脅かすようになった。
それが「情報」だ。しかも同じ人間の「他人の情報」だ(笑)。
自分よりも幸せそうに生きている他人の情報を知ると、人間は不幸になるようだwww

ただこれは何も「他人の幸せ情報」だけが人間を不幸にするわけではない。
ある美味しいモノの存在を知り、それが食べられないとわかると不幸に感じたりする。「他人の幸せ情報」も仕組みは同じだ。
つまり人間は知ることによって、不幸を知るのである。
隣の芝が青いことを知るのである(笑い

ちなみに、関連した記事がある。

この辺を解決するのは今のところ宗教の役目なのだが、日本人は宗教の使い方を間違っているのでなかなか宗教が救いにつながっていない。宗教なんてものはある意味おばあちゃんの知恵袋であり、過去の人たちがどうやって幸せに生きられるかと苦悩した集大成なのだ(なので新興宗教については、どこまで幸せをつかめるものなのかボクは解らない)。

何かに失敗したとき、もしくは何か困難に遭ったとき、神様のせいにすることによって、人間は心の平安を取り戻し未来に向かって歩める。「あのとき、なんであんなことを言ってしまったんだろう」と後悔したり、それこそあまりの過去の恥ずかしさに消え入りたいとか叫び声をあげてしまうなんてことは決して珍しいことではない。
なんであの人はあんなに成功していて、自分はこんなに惨めなんだろうかなんてことも誰しもが経験する。
そんなとき、それらを全部神様に責任を押しつけることによって人間は過去や蟠り、罪悪感から解放されるのである。これは科学や法律ではなかなか解決出来ないことだ。

もちろん自分が許された気になっても、他人はいつまでも覚えてたりする。けど「自分は許された」と思い込めることは生きていく上で充分強力なのだ。

イスラム教徒の自爆テロが恐ろしいと感じている日本人は多いと思うが、よくよく考えてみると、あんなことができるくらいなんだから、自分自信を幸せにさせることも充分可能だと言うことにも気付いてほしい。それが宗教の力だ。本当に神様がいるとかそういうのは置いておいて、宗教には人間の心を安らかにし、過去の自分を忘却させ、人間関係の煩わしさからも解き放ってくれる力があるのである。

無神論者だって科学を信じ、理論的な思考を信じ、そこに因果関係を見いだし、「あのときああだったから、こうしたんだ」とか自分で納得のいく理由をなんとかして作って自己というのを正当化し、精神が壊れないように確立しようとする。しかし本当にちゃんと理路整然とそれができている人間は少ないはずだ。自分の都合のいいように解釈したり、他人のせいにしたりして自己を正当化し、過去の恥ずかしい行為をなんとかなかったことにしようとする。
これだって結局自分は納得しても、他人は許してくれないという状況は普通に発生する。

要するに人間の脳はいーかげんなのだ。理由とか因果関係とかそんなのは自分で勝手に納得してしまえば、心は平安になれるモノなのだ。なので自分の今いる状態の落とし所を見つける方法さえあれば、不幸に感じたりそれこそ自殺したりすることはないと思うんだけどなぁ。こういうのは道徳の時間とかに教えるといいのかね?
もちろん宗教を教える必要はなくて、その落とし所の見つけ方だよね。その中で具体的な宗教の教理を教えるのは問題だけど、宗教の役割については教えてもイイと思う。そして科学的・理性的な落とし所の見つけ方も教えるといいだろう。

ボクは別に EV 反対派ではないし、モーターも好きだ。
ただボクは遠出が好きな上に何時間でも運転できてしまう人なので、今のところ EV が選択肢に入ってないってだけで。

で、急速充電。こいつはバッテリーが冷えているとできないらしい。
さらに急速充電自体、本当はやってはいけないらしい。急速充電ばかりやるとバッテリーの寿命が短くなるとのこと。普段は家の 200V などでやんわりと充電し、出先とかで休憩時間程度で充電したいときだけ急速充電を使うのが本来の使い方らしい。

やっぱりなんだかんだいって EV はまだまだ克服しなければいけない課題は多いような気がする。
まぁそれもそうか、レシプロエンジン車と歴史が違いすぎる。同じ水準に達するにはまだまだ時間を要すると言うことなのだろう。

これ面白い。実はアーサー王はまだ伝説の域を出ていない。なので実在の人物かどうかは疑問の余地が残るそうだ。
日本で言うなら、聖徳太子みたいなもんだろうか?(汗)
二人とも時代的には同じなのも面白いw

まぁそれはさておき、アーサー王がいたかどうかは別として、同時代にアーサーと名付けること自体は流行したとのことなので、アーサーという名前の何らかの偉人というか偉大な人がいたと言うことは事実かも知れないねっていう話。こういう外堀を埋めて証拠を固めていくのも考古学ならではって感じで面白い。

日之出村妖怪奇譚 弐

彩先生のお話。取材の話はこちらに。
この世界の神様の定義とか、そういうのが解ります。
luv wave の頃からテーマってのは基本的に変わってないよねw
イモータルはどう生きるべきか? 人間を超えた先に何があるのか。
今回は彩を通して、身近なもので説明してみたつもり。

それよりも問題なのは、これくらいの規模の話、月一くらいで公開していこうよっていう。
頑張れ、自分!

飛竜、S4、そしてお取り寄せグルメ再び

今日は知人のすすめで、十数年ぶり(?)に復活したラーメン屋に行った。
名前を『飛龍』。過去の日記を検索したら、一応記録があった(写真はないけど)。
この店は酸辣湯麺が売りだったのだけど、他店と違うのは、酸辣湯麺って多少とろみがかかっているスープが多い中、ここは普通のラーメンと同じさらさらのスープによる酸辣湯麺を出す(2, 7 枚目)。久しぶりの復活と言うことで夜しかやってない居酒屋さんを間借りして、昼間だけの営業らしい。

僕が頼んだのは酸辣湯麺のつけ麺(1 ~ 5 枚目)。もう当時の味は忘れてしまったので比較はできないのだが、辛みと酸味がほどよく麺を包み込んで美味しい。辛すぎず、また酸味もイヤミになっておらず、スープのコクを邪魔しない。麺が太いのがまたいいのかもね。太いことによって麺の味も強くなるので、同じく酸味と辛みを適度に抑えているのかもしれない。
うまい。
そして居酒屋だからなのか、ザーサイ&ポテトサラダという小皿も付くw

6, 7 枚目が醤油ラーメンと酸辣湯麺。

担々麺もやってるとのことなので、次来るときはそちらを頼んでみたいと思う。

それから知人に付き合ってスバルへ。詳細は書けないが、そこでなんと WRX の S4 に乗らせてもらう事に!
やべー。
もう乗り出し、時速 5km/h でイイ車だというのが解る。まずボディが硬い。そして路面の情報の伝え方がカチッとしている。いつもクソなミニバンを乗っているので、差が歴然だ。ハンドルもブレないし、コーナーは曲がりたいと思ったらその通りに曲がる。ノーマルでも充分に楽しい。
先進機能はそもそもやり方とかが解らなかったので余り試せなかったが、消費したガソリンの量とか解って面白い。この機能、ボクの車にもほしい。燃費が計算しやすいなぁ。あとディスプレイが縦長なのがいいよね。なんで横長ばっかり何だろ。縦長ってスバルだけじゃない??

オートマ(CVT)なのに操る喜びをちゃんと感じられるイイ車でした。

やはりスポーツカーはいいよね。ボクは人を乗せることを優先してしまったのでミニバンに乗っているが、車としての基本を楽しむにも、また運転の安全面でもスポーツカーはよくできているなと思う。

さて、夜はメインのお取り寄せグルメで鍋パ。といってもその取り寄せたものが写真にサッパリ写っていないがw
注文したのは『伊達のくら』のもつ鍋セット。普通にスーパーに売ってる豚のもつってさ、なんつーか、もちろんアレも好きではあるんだけど、脂感に欠けるじゃない? とろっとろのぶよぷよのもつ煮が食べたかったのよ。そんなときに出会ったのがこの伊達のくらのもつ鍋セットなのだ。

割り下も付いている(6 種類から選べる)。

うまい。ただ季節的には、ちょっと遅かったね。でもね、いつ鍋パをやるかはずっと狙ってたのよ。
三月も暑い日か続いててさ、今日は比較的すずしかったので決行したのだ。

ケーキの写真は加須では有名な『Vosges』のケーキ。

贅沢な一日でした。

インドスイーツとエルトリート

今日は砂町銀座にある銀座ホールという定食屋に行こうとしたんだけど、っていうか砂町銀座自体には行ったんだけど、コロナ禍のせいか、もうどこも店は閉まっていた。ちな砂町銀座に着いたのは 19:30 頃。晩飯時じゃね? って思うんだけどなぁ。

仕方がないので他の飯の場所を探す。というかすぐ近くにハワイアン レストランがあったなと思い出し、行ってみる。この砂町銀座に行く途中で見つけたものだ。歩いても砂町銀座から 10 分も離れていない。
行ってみると……並んでる。
そうか……ハワイ料理ってそんな位置づけだっけ?(汗
ハワイ料理で並ぶなら沖縄料理でも並びなよ……などというわけわからんイチャモンを心の中でつけつつ……晩飯をどうしようか悩む。

せっかく東京の東側(東陽町西大島辺り)まで来たのだ……前々から気になっていたインドのスイーツ屋のことを思い出した。その近くにはメチャシコメキシコ料理屋のエルトリートもある。インド スイーツを買って、エルトリートで晩飯を食べることに。

インドのスイーツ専門店『トウキョウ ミタイワラ』は、入るとスパイスの香りと甘い香り両方がする。脳がバグるwww
そしてまったく味の想像が付かない。
とりあえずお勧めなどを聞いてテキトーに買う。
そして申し訳ない、まったく味のレビューができない(汗)。
何味とかもまったく説明出来ない。
ちなみに名前もその場で教えてもらったんだけど、すっかり忘れたwww

4 枚目は『バルフィ』かなぁ? 5 枚目が『ラドゥ』。7 枚目のタイノエのおなか(←閲覧注意!)みたいになっているのが(失礼)、『グジャ』だと思う。6 枚目はインドのケーキらしい。三枚目は謎のままだな……。あとパッケージ、かわいい。

エルトリートでは久しぶりにメキシコ料理を堪能した。
ウチの近くにもメキシコ料理屋、あるといいのになぁ……っていうか、かつてはあったんですよ。閉店してしまった。この閉店したお店は二度しか行けてないのよね。

お店は賑わっていた。半分くらいは外国人だったけど。
葛西は中南米アメリカ出身の人、多いのかなぁ?
インド人が多いってのは聞いてるんだけどね。元々日本で最初に住んだインド人という方が長老みたいな感じで日本に来たインド人の面倒を見てあげてるって聞いたことがあるので。