一人揚州

今日は晩御飯を外で食べることにしたので、家をでた。
でもなんかアテがあるわけでもなく……何が食べたいわけでもなく……。
前回行った揚州商人がけっこう美味しかったから、今回も揚州商人でいいか、となった(汗)。

今回はおかずを二品試してみた。一つは蒸し鶏、もう一つは豚玉的なもの。
ラーメンは牛のラーメンに。
つまり、牛・豚・鶏と三拍子そろえてみたわけですな。

蒸し鶏は上にかかっている味噌(醤?)がかなり白いご飯を要求する味w
お酒のおつまみなのかな。
豚玉はニラと豚肉と卵がイイ感じ。卵はけっこうフワフワ。
ラーメンは……ちょっと失敗(汗)。見た目に反した辛いラーメンなんだけど、ボクの好みのラーメンとは違って後味がちょっと甘味もある感じで、ボク的には塩気だったなぁと思いつつ。単純にこれは美味しい・不味いの問題ではなくてボクがあまり好きではない味だったってだけ。

チャーハンはぱっと見具が少ないって思ったんだけど、食べてたら後から後から中から発掘されましたw

下の動画は深夜仕事していたら、ふとディスプレイに蜘蛛が現れたんだけど、なんとマウスカーソルに反応するのでしばし遊んでしまった(汗)。
そっかー、見えるんだなー。
ちなみに蜘蛛はころさずにそのままw
部屋の中の害虫を食べてくれることを期待してる。そしてこの蜘蛛が生息できてるって事は、ボクの部屋には害虫がいるってことかー。
今の所、この蜘蛛以外に虫にお目にかかってはいないが……。

(MP4 / H265 / 1080p / 60fps / 209MiB / 1’49” / iPhone XS)

鮎と中華な最終日

13 時過ぎ頃で取材は終了。
このあとは経ヶ岬の方に行って写真をとろうなんて思っていたんだけど、京都にいる知人から食事の誘いがあり、宮津をあとにした。目指すは琵琶湖である。なんでもそこで是非紹介したいお店があるのだとか。

しかしそのお店は 17 時には閉まってしまうらしい。

というわけで急ぎ、琵琶湖に向かう。道路は混むことなく、ほぼ時間通りに到着するかにみえた。
ところが目的地 10km ほど手前で R161 が大渋滞! ラストオーダーまであと 10 分とかそんな感じなのに、Google Map によると 30 分以上かかるらしい……まじか!! なにそれ!? たしかに Google Map 上も真っ赤だ……くそー。

結局この Google Map の分数よりも多くかかって、案内されたお店に到着。
店の名前は『松水』。
琵琶湖でとれる魚(いわゆる淡水魚)専門の料理屋だ。

店内は客が一切なし。我々だけ。
そりゃそうだ、もうラストオーダー過ぎてるし。
ところが食べさせてくれるという。ありがたや…!

というわけで鮎づくしのコース料理でございます。百聞は一見にしかず、写真をごらんあれ。
焼きだけでなく、甘露煮(?)、酢漬け、マリネ、開き(一夜干し?)、天ぷら、そして卵。すべて鮎。鮎、鮎、鮎!
しっかり焼けば、中の骨までバリバリいける。
ボクは頭はなかなか食べ得られなかったのだけど、知人は全部食べてた。食べ慣れてるなぁ。

しかし鮎の卵ははじめて食べたかもしれない。なかなかいい体験をさせていただきました。

お腹いっぱいになったら今度は温泉に案内してくれるという。
しかも驚くなかれ、その温泉は、あのラーメンで有名な天下一品が経営しているのだとか。
天下一品の会長さんとかが普通に利用したりしているらしい。

すげー、そんなスパが!

名前を『あがりゃんせ』というらしい。琵琶湖畔に建っているので、露天風呂からの眺めがいい!
そして巨大で広い。
どんだけ奥があるのよっていうくらい、どこまでも建物が続いている。

さらにかなりいいマッサージ機があるというので、そこにも行く。
あんま王 II』。なんかやらしい<ヲイ

全身包み込んで、全身をあんまにかけるすごいヤツ。
無重力っていうコースがおもろい。若干頭が下がるくらいまで寝かせて無重力に感じさせつつあんまする。
肩・腰・足・足の裏・腕・掌とカバーエリアもすごい。
一回 15 分だったかなぁ。一時間くらいやってたと思う(汗

いやー、身体がとても軽くなった気がする。

などとやっていたら、いつのまにかもう 21 時(汗)
明日は月曜日で普通に仕事だってばwww
まだ琵琶湖だよwww

というわけで帰ることにする(今頃

マッサージ器以外の写真は、あがりゃんせ内の気になったものをテキトーに撮ったもの。バーカウンターとか、格好いいんですけど! あとルロ売ってた。これ、あんまり見ないのよね。けっこう飲みやすい味だと思うんだけどなぁ。

途中、名古屋で晩飯&給油。時間は 22:30 頃。

コロナ禍の中、お店やってるかなぁと心配しながら名古屋駅周辺をウロウロ。
やってねぇぇぇぇぇぇ!!
人通りは多い。たくさん人は歩いてるんだけど、チェーン店以外はほとんど閉まってる。呑み屋さんも閉まってる。開いてそうなところに行っても 22 時で締めちゃいましたとか、もうラストオーダー過ぎましたって所ばかり……。
そもそも深夜までやってた味噌煮込みうどんの店もコロナ禍で 21 時に閉店。

こ、これは名古屋飯食えないのか……??

けっきょく名古屋市内を徘徊することに。そしたら、遠くの方にネオンが……。
中華料理屋だった。
名古屋飯ではない。
が、他にやってるかも解らないので、ここで食べることにした。

海鮮館』という名前。ということは、海鮮主体のお店なのかしら? と、ちょっと期待を膨らませてメニューを開いてみたが……割と普通の台湾料理屋だったw

でもね、なかなか美味しかった。一~三枚目の写真は豚の味噌炒めをなんかクレープみたいなので包んで食べる。かなり味が濃いけど、ネギと衣で柔らかい味になる。4, 5 枚目は油淋鶏。6 枚目は担々麺。わりとストイックな担々麺だった。辛さだけみたいな? うまく言えないんだけど、コクよりも辛さな感じの。

けっこうおしかったー。

それからひたすら帰る。中央道で帰るか、東名高速で帰るか悩んだんだけど、東名高速で帰ることにした。
日曜の夜ならまだトラックもそんなに多くないよね……? って思ったからなんだけど、甘かった……

日付変わって 2:30 頃、浜松サービスエリアに到着。
ここには何度か訪れてるはずだが、建物がピアノになってるって今気付いたよwww
YAMAHA があるからなのかな。

そしてここで眠くて、一時間仮眠。

3:30 からまたひたすら東京に向かって走る。
東京インターを通り抜けたのが 4:50 だった。こうして舞鶴取材旅行は丸三日を全部使い切って終わりを迎えた。まぁ、使い切るのはいつものことなんだけどね。10 時から仕事だよwww

総走行距離は 1448.5km と 2000km にはまったく及ばなかった。

そしてこの車との最後の旅となった。
2012 年の 3 月に買ったので、8 年の付き合いだ。走行距離は 23 万 km だが中古なのでボクが走った分は 20 万 km だ。8 年で 20  万 km。前の車は 7 年で 21 万くらいだったからそれよりちょっと少ない。少ない理由は電車通勤の期間が、前の車を乗っていた時より多かったからだと思う。

何はともあれ、8 年間苦楽を共にした機械である。そして多くの命を預かってきた。
素直にありがとうという気持ちでいっぱいである。

結局この子も北海道と九州にはつれていけなかったなぁ……次の車でははたして……。

天橋立・真名井神社・籠神社

今日は 9 時に起床。実はこれでも予定より寝坊してしまった。
というのも今日の朝入る予定の温泉は朝の 6 時からやっているからだ。早めに起きて取材の時間を長くとろうと思っていたのに。理由は今日の方が、どちらかというとメインの取材だからだったのだが……。

天気は快晴。

もともとこの旅行に出掛ける前の天気予報では、週末は全て雨の予報だった。
確かに金曜日はずっと雨が降っていたのだが、土曜日は曇り、そして今日は晴れてくれた。くっきりと気持ちのいい青空である。というわけでまずは気持ちの良いドライブ動画をば。道の駅の駐車場から朝に入った小野小町温泉、そして天橋立、さらに籠神社までの道のりをそれぞれ。見晴らしの良い風景が続きます。

動画はいずれも H265 なので HEVC コーデックが入ってないと再生できないかも(汗)。iPhone や Mac は悔しいかなそのままで再生できるはず。HEVC、もっと普通に普及して欲しいなぁ。



というわけで今日の取材地は天橋立と籠神社である。籠神社は元伊勢でもある。
伊勢・出雲と来てこの天橋立を取材しない手はない……と、まぁ日本神話というか記紀的にはそうなのであるが、今回はどちらかというと背景資料を撮りに来た意味合いの方が濃い。単純に舞鶴を舞台にした作品を作るなら、天橋立は出すよね当然だよね、くらいの認識である。

一枚目、天橋立に一番近い駐車場の様子。ボクが到着した時点ですでに満車である。
上の二つ目の動画にあるんだけど、ちょうどボクがこの駐車場に通じる道路に到達したとき、満車が空車になるのであった(汗)。そして天橋立の根本(?)にある智恩寺の写真。

お土産屋さんとかが並ぶ、商店街。こういうのを商店街と言っていいのかは謎だが(汗
二枚目の奥に見える橋が天橋立の入り口である。

その橋からの眺めはこんな感じ。船が出ていて、天橋立の先まで案内してくれるらしい。
今回ボクは歩きだ。しかも対岸まで行く気はない(ぁ。ちなみに向こうまでは 3.6km ある。

それから天橋立神社までの景色、いろいろ。
根本から天橋立神社はたかだか 800m 程度。1km もなかったはず。

天橋立は砂州なのだが、ぴったりと海を囲ってしまっておらず途切れている場所がある。それらは橋が掛けられているので、それらを渡りながら歩くことになる。ちなみにぴったりと海を囲ってしまった場合、その囲まれて出来た湖はラグーンと言うらしい。本記事では写真の説明の時、砂州に囲われた方をラグーン側、外側を海側と表現する。

海水浴をしている人はいなかったけど、海辺で遊んだり釣りをしている人はたくさんいた。
人が多いのは主に海側で、ラグーン側はそもそも砂浜になっていないので人はいなかった。

そして天橋立神社。もっと大きいものだと予想していたのだが、こぢんまりとした神社だった。
作りもけっこう無機質。本殿がないのはご神体はこの天橋立ということか??

横に生えてしまった杉と、ラグーン側の海の様子。
最後の動画は海側の様子。こちら側はけっこう人が出ているのがわかる。


天橋立で写真を撮ったあとは、籠神社へ。
いったん駐車場に戻り、それからぐるっと回って反対側へ。ここは奥の院の真名井神社とその手前に籠神社がある。興味深いのはここの神主が、神道は最初は一神教からスタートしたんじゃないかという説を持っているらしい。ネットではちょっとうまく検索できなかったが、なかなか興味深い話である。
ちなみにメソポタミアのシュメール神話も最初は一神教だったのではないかと言う研究があるらしい。ただこちらもネットでは検索してもよく解らなかった(汗)。要するに宗教というのは一神教からスタートして民族が別れたり移住したりどしたりしていくうちに宗教も細分化されたりその場所の環境に左右されたりして多神教になっていったのではないかと。でもってユダヤ教・キリスト教・イスラム教はその一神教時代をそのまま守ってるんじゃないかみたいなことらしいが、はたして?? 考古学的にはどうなのか興味のあるところだ。

まぁそれはさておき、まずは真名井神社。籠神社のさらに奥にわりとひっそりとある感じ。
うっそうとした山の中に現れる。

残念なのは拝殿より先は撮影禁止。まじか……来た意味が半分以上ないぞ(汗)。
6 枚目の参拝客を見送る三毛猫は、この写真の右手に家があるんだけどそこの飼い猫っぽい。人慣れしているらしく、ボクが来ると足許にきてしばらく離れなかった。

下の写真は籠神社から真名井神社に至る道の風景なんだけど、通学路の資料にイイかなと思って撮りためてみたもの。二枚目の写真、奥に海を隔てているのが天橋立。つまり見えている海はラグーン側である。

そして籠神社。こちらも拝殿より先は撮影禁止。
それにしても建物が新しいものが多いように見られた。神宮(伊勢)のように定期的に建て替えているのだろうか?
人は天橋立ほど多くはないが、駐車場はけっこう埋まっていた。こちらも人気のスポットのようである。


こうして、今回の取材は終了である。撮りたいものはすべて撮れた。
と思っていたのだが、天橋立を上から撮るのをすっかり忘れてしまった……orz
天橋立の近くに『天橋立ビューランド』というのがあり、そこから天橋立を上から見下ろせるのだ。籠神社を撮り終わったあと、すっかり終わった気になってそのまま出てしまった(汗)。うーむ……なんたる失態。まぁ、もう一つ理由があって、京都にいる知人から食事の誘いがあってそっちに気が向きすぎていたというのもあるかもしれない<食いしん坊

最後に、天橋立全景を。もっと海岸近くまで近寄りたかったんだけど、イマイチどういけばいいのか解らず。途中からの撮影になってしまった。写真に写るこの先の道路が果たして海岸までつながっていたのか、つながっていたとして果たして U ターンできたのか自信がなかった。たまたま撮影地点が十字路になっていてエスティマが U ターンできそうなので、ここでの撮影となってしまった(汗)。

さて、今日という日はまだまだ続きます。
ご飯編と帰還編は別記事にて。

コロナ禍の池袋・新宿・渋谷

ちょっと深夜に打ち合わせに出る用事ができたので、出掛けた。
どこかファミレスででも……と思ったのだが、コロナ禍の中、ファミレスも深夜営業はしていない。

となると、繁華したところ……。

というわけで池袋に行くも、やっているのは夜の店や居酒屋系、ラーメン屋ばかりで打ち合わせには適してなさそう……。

しようがないので新宿に移動するも、新宿も似たような感じ……。

ついでに渋谷も回って、コロナ禍の池袋・新宿の繁華街をカメラに収めてきた。
渋谷は駅前を通ったぐらいで、道玄坂とか裏路地とかには入ってないので、あまり参考にはならないが、動画は三軒茶屋まで続いている。

池袋の動画は明治通り(東口側)から始まり、北側の陸橋を通って北口~西口の繁華街を舐めている。
最後は要町通りを抜け、山手通りに出たところで終わっている。


(MP4 / h265 / 1080p / 16Mbps / 8’14” / 二倍速)

新宿の動画は青梅街道からスタートし、新宿大ガードをくぐって歌舞伎町を通る。
池袋も人が多かったが、さすが歌舞伎町、こちらの盛況ぶりもすごい。
この歌舞伎町に続く区役所通りは深夜でも大渋滞するのだが、車は動くので、いつもより減ってはいるのだろう。
動画はその後、西武新宿駅の横を通って JR 新宿駅の東口へ、R20 の下を通り代々木方面に抜けた後、また R20 に戻り、初台方面へいきかけるものの、井の頭通りの方に抜けて渋谷区役所を通った辺りまで。


(MP4 / h265 / 1080p / 16Mbps / 14’49” / 二倍速)

渋谷はちょっと複雑で、新宿の動画のそのまま続きで山手線と平行に走って渋谷駅前(ハチ公口)のところをそのまま横切ってモヤイ像の方に出て、そこから R246 に入ったかと思うと、すぐに裏路地にはいって住宅街をウロウロ(笑)。同乗者がトイレに行きたかったので、コンビニを探したのだ。しかしこの一帯はローソンばかりで、しかもちょうどローソンは COVID-19 対策でトイレを貸してないという……。
セブンイレブンがあったのでそっちに入ったら、貸してくれた。
それから R246 に戻って三軒茶屋で終わっている。


(MP4 / h265 / 1080p / 16Mbps / 9’41” / 二倍速)

今回の動画は人の出とかがわかるように信号待ちもカットしていない。
なんだかんだいってこのドライブはその後、遠く長津田の方にまで及び、打ち合わせは結局車のなかで済ませてしまった(汗)。

というわけで、腹が減った!

すると帰り道、やっているラーメン屋が! 見るからに家系だけど、いいや!
というわけで、ラーメン食べて帰った。

それにしてもなんだね、家系って遅くまでやってる店が多い気がする。

ぐんにゃり×2

今日は久しぶりにドライブに出た。
特に目的が有ったわけではないが、外の空気を吸いたいというか、遠くの空気を吸いたいというか、山の空気を吸いたいというか……。
ただボク自身は陰キャだし引きこもり体質だから、閉じこもっていることにこれと言ったストレスは感じてないんだけどね(気付いてないだけかもしれないが)。

なんとなく秩父にむかって、さらに小鹿野町まで抜けて群馬長野に出ようかしらみたいな、割と長大なことを考え出したが、走っているウチに奥多摩グリーンラインがいいんじゃないかと思い、ならば我が家から秩父へ行く王道の R299 を使わずに、R254花園付近まで行って、そこから西進して小川辺りから秩父を目指し、途中の峠で奥多摩グリーンラインに入っていけばいいんじゃないかというプランになる。

と考えていた時点では R299 方面へと伸びる所沢街道を走っていたので、途中から真北への進路へ逸れ、川越に出て川越街道(R254 へ)。東松山を過ぎた辺りから小川町を目指しつつ、定峰峠へと伸びる道を選択するも、それよりも手前に秩父へショートカットする道があったはずと、そっち(県道 361)へ行くと、なんと災害通行止め!! まじか!!
動画では解りにくいが、正面、反対車線側が崩落しているっぽい??

まぁじゃぁ定峰峠でいいかと元来た道に戻って秩父を目指していると、なんとそっちも災害通行止め!!

えー?? 最近、なんか災害とかあったっけ???
と、この時点でほとんどドライブへのモチベーションがなくなってしまう。
というわけで、小川町駅までもどって、そこから南下して越生から坂戸西 I.C. に出て高速で帰ってきてしまった。

なんともはや中途半端なドライブになってしまった。

動画は小川町にあったドラッグストアから定峰峠へと抜ける道の通行止めまで。
ただ、最初の県道 361 での通行止めは(8’54” あたり)、ボクは道を間違っているかもしれない。途中で 361 を逸れて左に折れなければならなかったのだが、それを見過ごして牧場の方に行ってしまったと思われる。
もしちゃんと曲がっていたら、秩父に出られたかもしれない。

下のパノラマ写真はトイレに寄った三芳 P.A.。正直、他に客がいたらどうしようかと不安ではあったが、運良く、トイレは誰もいなかった。こうやって簡単にパノラマが撮れるようになったので、建物全景を撮ってみたw
ホイップクリームいっぱいのあんパンは、東松山で飲み物を調達するときに寄ったヤマザキ デイリーストアにあった『東松山あんぱん』。


さて、残念な事件はもう一つ起きた(汗
猫が布団に粗相をしたので、布団を持ってコインランドリーに行った。もう深夜の 2 時頃w
手順を一応見たんだけど、何度やっても扉が開かない!! おかしいなぁ、先にお金を入れるのかな? とおもってお金入れたら、機械が動き出したwww

ちょwwwまだ布団入れてないんですけどwwww

どうやらボクの開け方がよくなかったようで、隣で試したらなぜかすんなり開いた。

えー……。

仕方ないので隣の方で洗濯する。
元のヤツは中身が空っぽのまま、動き続けている。あたりまえだけど。

防犯上の問題で、一度動き始めると絶対開かないらしい。
まぁ自分のせいなんで、いいんだけど、空のママ動かして大丈夫なんだろうか? お風呂の空だきみたいな感じで、機械が傷んだりはしないんだろうか? などと思う。
あとさー、せめて重さ量るとかして中が空かどうか確認しないのかよとも思った。

もー!!

雪とインドカレー

雪が降った。
3/29 に雪が降るのは珍しいのではなかろうか。
東京では 32 年ぶりらしい(Yahoo ニュースなのでリンク切れの可能性あり)。やはり珍しいのかな?
練馬区では 2cm ほどの積雪。車の運転には支障がないくらいだった。

一月からけっこうバタバタしていたから、雪を見ていたら、なんだかなごんだというかホッとしたというか。

しかし桜は雪にまみれて、よく見えないw

動画はドラレコの様子と、iPhone を持って撮影したもの。
しかし Google が転送レートを抑えているので、画質はかなり汚いw iPhone は 4K の 60fps で撮ったんだけどねぇ。一応 Youtube にアップする前のデータも置いておきます。

今日は帰りにインドカレー屋さんに寄った。『ガンジー』。以前、来た時に気になっていたメニューがあったからだ。そう、ここの店のメニューに「インド人が作ったうどん」って書いてあって気になってたのよ!

というわけで頼む。

あとカレーとナンも頼む(ぁ
ナンはガーリック ナン。丸形のは初めて見た。ボクが今まで食べたことのあるガーリック ナンは、いわゆるオーソドックスな何の形だったからだ。表面がパリパリ、中がしっとりとした生地。前回食べたナッツのナンに食感は近い。あまりガーリックは感じなかったんだけどw(ぁ

カレーは野菜カレー。デカい根菜がゴロゴロ入っている。
うまい!

そしてカレーうどんは……わりとフツーだったw
麺は讃岐系なので、供される頃には少し柔らかくなってしまっているが別にそれは気にならなかった。いわゆるインドカレーにうどんが入っているものを想像してもらえれば。ボク的にはうどん以外の和的な要素も入っているのかなと思ったんだけど(例えば醤油を使っているとか、日本の出汁を使っているとか)、フツーにインドカレーだったw

美味しかったけどね。

季節メニューに気付かずに、悔しい思いをしたのでまた来たい。なんか牡蠣のインドカレーとかあったよ??

舟塚山古墳へ!

今日はとてもいい天気!
かねてより行きたかった茨城県にある舟塚山古墳に取材に行ってきた。本当はもっと身近な場所にある古墳で調べなきゃいけないことはけっこうあるんだけどね……。まぁでも期間限定の資料展示とのことなので……。ちなみにもっと近場の古墳とは埼玉県北部から群馬県や栃木県南部に広がる古墳群だ。
群馬県(毛野国)は早くから西日本の政権(これが邪馬台国なのかは不明)の軍門に降っており(?)、蝦夷(この場合、関東も含む)制覇に一躍買っている。なので調べるべきはそっちのほうなんだけど(ぉ

古代(といっても弥生後期古墳時代くらい)の日本の様子は、西日本は割と解っていることが多いものの、東日本に関しては判然としない。その理由の一つは弥生から古墳時代ともなると、西日本では比較的大きな政権にまとまりつつあったのに対し、東日本では小国家(部族? 村?)が乱立(というかまとまる必要も無かったのであろう)していたため、一つの体系的な歴史が存在しないからだろうと思っている。

とは言え、人は住んでいたし、記紀には東方を平定しに行く話が何度もあり、それは平安時代でもそうであったようなので、何かしらの勢力(と言っていいのかどうかはよく解らないが)があったのは間違いないのだろう。
史実は解らないが、とても簡単に弥生後期~古墳時代のボクの拙い知識をまとめると、こんな感じ。

  • 邪馬台国はあったんだろうが、大和王権とは違う政権
  • 国譲りで譲られたのが邪馬台国? だとしたら出雲が邪馬台国? -> 台与の段階で政権譲渡完了?
  • 九州北部、南部にはまだ独立勢力が現存

というわけで日本列島の西日本と呼ばれるエリアはほとんど一つにまとまりつつあったのではないか、と考えている。出雲が奈良というか大和まで支配下にあったのではというのは三輪山に残る神々の配置が出雲の神だからっていうただそれだけの事なんだけどね。また、浜名湖遠江と名付けられていることから、さらに出雲は越の国に手を焼いていたことから、富山(もしかしたら福井手前までかもしれない)~浜名湖くらいまでは支配下にあっただろうと推測している。

神武東征は戦争による征服ではあるものの、三輪山のようなものが残っているということは国譲りとまでは行かないまでもある程度平和的な解決があったかもしれないのと、垂仁天皇が「出雲をちゃんと顧みなさいな」的な夢を見るという話があるくらいなので、大和が一方的に出雲を叩きのめしたと言うわけでもないだろうと推測している。そういう意味では大和は邪馬台国の領土と政治基盤をそのまま受け継いだとも言える。

というような状況を元に、さて茨城県にあった、関東第二位の大きさもある舟塚山古墳はどんな古墳であったかというのが今回の取材のテーマである。とはいえ、まぁなんだ、だいたいの事は解っているというかなんというか、前方後円墳っていう段階で西日本由来のものであるわけで、西暦 400 年~ 450 年頃に西日本の政権(当時は邪馬台国?)に協力した豪族であろうというのがボクの見解であり、おおよそ展示でもそのようなことが書かれていた。

今回は取材の過程を動画にまとめてみた(笑い

まずは展示物(出土品)。展示場となった『ふるさと歴史館』はとても小さな博物館(?)だ。石岡小学校に隣接している建物で、もともとここには常陸国府があった場所らしい。かつては茨城県の県庁所在地だったということですな。

しかしガラス(アクリル?)ケースに入れられているのは、まぁお決まりのことなんだけど、カメラで撮ろうとすると反射しちゃって困るのよねぇ……これなんとかならんかねぇ。ボクの影が映り込みまくってるしwwww

とりあえず展示物を見た所でお昼ご飯にする。
実は目を付けているお店がいくつかあった。今回の選定基準は昭和の頃からやってそうなお店だ。今時は田舎でもオシャレな店ができているが、そんなところは別に東京でも食えるわけで、むしろ昭和の努力していない店(これは褒め言葉である)を求めた。
とは言え時間は 14:00。やっているか不安だったが、森樹というお店へ。

やばい、中がすごく暗いwww

勇気を出してドアを開けると、おばさんが一人座っていた。
やっていますかと聞くと、どうぞと言われたので入店。よかった!

外観の写真は実はけっこうオシャレ。
しかし内装は……昭和である(笑)。いやー、予想通りで嬉しい。
客はボク一人で、しかも電気も消してあった。ボクが席に着くと電気と TV をつけてくれた。

色々頼みたかったのだが胃袋にも限界があるので、ミックスピザと豚の香草焼き定食を注文。

出てくるのにはそれなりの時間がかかった。まぁ、当然だろう。
ピザはかなり厚い生地で、縁がパイ生地のようになっている。食感は厚い割にはサクサクしている。乗っている具も大きく、食べ応え充分。こちらは味付けはわりとあっさりとしていて海老やチーズの味がぐっとくる。
一方、豚の香草焼きは……しょっぱい!!!
ビックリするくらいのしょっぱさ。
その上に味噌汁、香の物、昆布の佃煮まで来るのだから……本来ならばご飯は三杯以上行ける塩分であった(笑

何はともあれ満足! おなかいっぱいw そもそも量は多めなので、二品頼んだのは無理があったようだ。でもなぁ、もう二度と来ることはないし、色々食べたいじゃない! そういう意味では夜来るのが良いんだよね。そしたらおかず系とか一品物をたくさん頼めるから。

 

さて、お腹がいっぱいになったところで、いよいよ本体の舟塚山古墳古墳へ行く。と言っても、まぁ見てふーんくらいだろうと高をくくっていた。

実際行けばもちろん、それはその通りなんだけれども、186m という大きさは見て歩く分にはちょうど良いかもしれないと感じた。というのも、iPhone のカメラで収まる(笑)。そして収まって立てる場所が開けているというのもありがたかった。
周囲が住宅に囲まれていたりしたら意味ないなぁなんて思っていたからだ。

あとは百聞は一見にしかず、実際に写真をみてもらえれば規模感とか周囲の雰囲気とか掴めると思う。

▼後円墳側にある神社。なぜか本殿があった。本殿は古墳そのものではないのか、と思いつつ。

▼後円墳側の天辺から、前方部を眺めた景色。

▼三角点(?)と後円墳の南側に空いた穴、造り出しの部分にあった地元の人と思われる墓、前方部から後円部を見た景色と、前方部の地面に降りた状態から後円部方向の眺め。

▼前方部から後円部方向をみた眺め

▼全景(左が後円部、右が前方部)

▼全体像

▼古墳周囲の風景。この写真は古墳の北から東にかけてを収めたもので、古墳の北側はこのように畑と平野が続いている。

▼墓と古墳。この古墳の周囲には墓がたくさんあった。二枚目は後円部の神社のあるあたりを遠景から。三枚目は立て札である。

▼下の 5 枚は古墳の南側の道路を捉えたもので、南側は急な斜面となっており(恋瀬川河岸段丘?)、古墳がこの丘の上に建っていることが解った。

以上で取材旅行は終了である。概ね目的が達せられたと思う。
その場所に立ち、その場所で考えることが大事である。
ちなみにこの弥生後期~古墳時代にボクが興味を持っているのは、現段階ではわりと自由に歴史をいじれるからである。いわゆる賢者が活躍できる幅も広い。だからこの辺に物語の仕掛けを持ってくると、個人的には楽しいなぁと思っているしだいである。

さて、帰りは特にどこに寄ることもなく、大人しく帰った。
岩城に温泉でも入りに行こうと思ったのだが、けっこう遠くて諦めた(笑)。

途中、守谷サービスエリアには寄った。ここも昭和の雰囲気を残したぼろっちぃサービスエリアだったのだが、建て変わったと聞いていたのだ。案の定オシャレになっている。お客さんもたくさん来ていた。
とはいえ腹はいっぱいだったので、せいぜい飲み物を買ったぐらいだが(汗

トイレがコントロール パネルが一つにまとまっていてかっこよかった。便座を拭くための消毒液を格納する部分まで一つにまとまっていた。いつもこれは後付けで付いていることが多いのになぁ。