一人揚州

今日は晩御飯を外で食べることにしたので、家をでた。
でもなんかアテがあるわけでもなく……何が食べたいわけでもなく……。
前回行った揚州商人がけっこう美味しかったから、今回も揚州商人でいいか、となった(汗)。

今回はおかずを二品試してみた。一つは蒸し鶏、もう一つは豚玉的なもの。
ラーメンは牛のラーメンに。
つまり、牛・豚・鶏と三拍子そろえてみたわけですな。

蒸し鶏は上にかかっている味噌(醤?)がかなり白いご飯を要求する味w
お酒のおつまみなのかな。
豚玉はニラと豚肉と卵がイイ感じ。卵はけっこうフワフワ。
ラーメンは……ちょっと失敗(汗)。見た目に反した辛いラーメンなんだけど、ボクの好みのラーメンとは違って後味がちょっと甘味もある感じで、ボク的には塩気だったなぁと思いつつ。単純にこれは美味しい・不味いの問題ではなくてボクがあまり好きではない味だったってだけ。

チャーハンはぱっと見具が少ないって思ったんだけど、食べてたら後から後から中から発掘されましたw

下の動画は深夜仕事していたら、ふとディスプレイに蜘蛛が現れたんだけど、なんとマウスカーソルに反応するのでしばし遊んでしまった(汗)。
そっかー、見えるんだなー。
ちなみに蜘蛛はころさずにそのままw
部屋の中の害虫を食べてくれることを期待してる。そしてこの蜘蛛が生息できてるって事は、ボクの部屋には害虫がいるってことかー。
今の所、この蜘蛛以外に虫にお目にかかってはいないが……。

(MP4 / H265 / 1080p / 60fps / 209MiB / 1’49” / iPhone XS)

花小金井駅横のベトナム料理屋

今日は、前からずーっと気になっていたベトナム料理屋に行ってみた!
このお店の存在を知ったのは、いつだったかなぁ。もう何年も経ってる気がする。
小金井街道を通るときにいつも気にはなってたのよね。
でも駅そばの店と言うこともあって駐車場もないし、なかなか寄るチャンスがなかった。

今日は花小金井駅のコインパーキングに車を駐めて、そこから歩いてお店に行った。

名前は『Ciao em cafe』。なんと、お隣がインド料理屋なので間違えないように注意が必要だw

入ると客はボクら以外、いなかった。
けど、Uber EATS がすげー来る。ボクらがお店に入った時にもいたし、食べている最中にも次から次へと Uber EATS が。すごいなー。もともとこの店の常連が頼んでるのかなぁ??

さて、頼んだのは二枚目が生姜風味の蒸し鶏。右のヌクマム ベースのタレをつけていただきます。
三枚目がおかゆ。さっぱり、あっさり。まったくしょっぱくないんだけど、色んな味がする。問題なのはこの味をボクの持っているボキャブラリでは表現出来ないことだ。何味かもわからない。
5 枚目が同僚が頼んだラーメン(ブンボーフエ)。こちらも何味か解らないwww ただ同僚曰く「スープを全部飲み干してもまったく罪悪感を感じない味」とのこと。つまり塩や油の心配をまったくしなくても良いということだ。
6 枚目がベトナムのお好み焼き(バインセオ)。7, 8 枚目のサニーレタス(サンチュ?)で包んで食べる。中にはお肉や野菜がたっぷりと入っていて、卵で包まれている感じ。何かに似ていると思ったら、とん平焼きだ。そしてこちらもヌクマムの利いたタレをつけて食べる。

全体的にヌクマム(ナンプラー)とパクチーは必須の調味料らしい。タイ料理と違うのはココナッツミルク感があまりないことだが、甘味がないかというとそういうわけではないので系統としては似ているなぁとは感じた。
まーとにかく何でもアッサリしていて、しょっぱくなくて、いくらでも食べられてしまう料理であった。

他にも色んなメニューがあったので、また来たい!

端的に言えば、死体が捨てられた場所で育った植物は、その死体の成分を吸っているはずというのを元に、森や山で遺棄された死体を見付けられるのではっていうアイデア。面白い。その人がなにか薬を常用していたり、酒飲みだったり、喫煙家だったりでいろいろと植物が吸い上げる成分も変わって来る。またもちろん痩せ・デブも判定できるはずだ。

面白い。推理小説に使えるなーと思ったし、読者も理解しやすいと思った。

推理小説のタネあかしってなかなか難しくて、たとえばコンピュータの事や、最先端の物理学なんかを用いると読者にはサッパリ理解されなくて、タネ明かしされたときに読者から共感を得られにくい。かといってあまりにも単純だと読者に推理されてしまうし……。この植物ネタはけっこう難易度的にイイ感じだと思ったw

せっかくのヘルシーさを台無しにする

今日はいろいろ野暮用(お役所回りとか銀行とか)があって、有休をとってそれらを片付けに午前中からでかけた。
で、13 時頃それらが終わった。
お昼ご飯どうしよう……。

いろいろ悩んだ末、そういえば『にんにくや』に最近行ってないなーと思い出し行ってみるもやってなかった。潰れてはないように見えるが……夜しかやってないのかなぁ。

で、青梅街道を帰りながらどこで食べようか頭の中で記憶をサーチ。『天神』でいいかと中華で妥協しかけたところ、『平作』の存在を思い出す。老舗の武蔵野うどん屋だ。しかもボクがここに入ったのは小学生の頃ではなかろうか? 親に連れられて入ったのだ。
以降、あそこに美味しいうどん屋さんがあるというのが頭のどこかにあって、それから大人になっても行くことはなく(ぁ

ただ家族の間で話題に出ることはあったし、そもそもあの辺りにご飯屋さんというと平作しかなかったのだ(今はいろいろチェーン店系が増えている)。

というわけで 30 年ぶりくらいに入る(ぁ
けどまったく憶えてないwww
すいとんと天麩羅うどんを頼もうとしたら、売り切れ。
肉うどんをお願いしたら、それも売り切れ。

マジか……。まぁ入ったのが 14 時近くだからなぁ……。それにしても人気なんだな。
店内はボクも含めて三組しかお客さんはいないのだが……。

そこで玉なすというのにする。タマネギと茄子のうどん。面白そう。
あとサイドにゴボウの煮つけを頼もうとしたらこれも売り切れだったので利尻昆布の煮つけを頼む。

利尻昆布の煮つけ、歯ごたえもよく、そしてしょっぱくなくてそのままでおいしい。
白米と一緒に食べようとすると、ちょっと物足りないかもw
玉なすうどんは冷たいうどんで頼んだんだけど、見た目はかけうどん。味はけっこう素朴。もちろん昔食べた味なんか覚えているわけではないので、はじめて食べるのと同じだ。麺は武蔵野うどんかと思っていたら、そうでもなかった。細くてつるっとしている。加須のうどんに近いかもしれない。食べやすいが小麦粉感はだいぶ薄い。あとつるつる感も加須のうどんには負ける。へー、こんな味だったか。

そして全体的にヘルシー。

というわけであっさり系なお昼をいただいたんだけど……ボク的にはお肉も食べたかったなぁ……。って帰り道なんとなくお肉への思いが心残りだったところに『かつや』の看板が見えた(ぁ

はいっちゃったー<ヲイ

普通にロースカツ定食頼んじゃった(汗
しかも唐揚げまで付けちゃった……。
豚と鳥のハーモニー。

突然の猛暑日と東京は時短営業要請中だった……

朝(9:30 頃)、起きたら、室温が 34℃だった……さすがに汗がすごかった。
その後、11 時台には 37 ℃に到達したので、さすがにエアコン入れた

しかし、突然暑い、なんだこりゃと思うものの……実際問題として、8/5 なんだよね。猛暑日になってもおかしくない日付なのだ。
東京では 8/1 になってようやく梅雨明け、7 月は 18 ~ 22 ℃をウロウロしていたので、いきなりの猛暑日はかなり身体にダメージが来る。いきなりの 15℃の上昇である。

というわけで、夜、ストレス発散も兼ねて、何かを食べに出た。
が、東京都は再び時短営業の要請が始まっており、行きたかった店がどこも閉まっていた。
最後の望みを掛けて、揚州商人にいったら開いてた! よかった~~。

一枚目は麻婆茄子。割と味噌(醤?)仕立て。山椒が強いタイプではない。まろやか食べやすくて、白いご飯が欲しくなるタイプ。
二枚目は豚玉ラーメン。
三枚目は坦々油麺の刀切麺。刀切麺がもちもち。硬い麺好きにはたまらない。
4 枚目は黒酢チャーハン。お酢が暑さに心地よい。
5 枚目はデザートで、プーアル茶のプリン。甘さとお茶の渋みじゃないけどなんていうんだろうね、とにかくおいしかった!

いやー、満足満足。早くいろんなお店に普通に行けるようになって欲しいなぁ。

カレーハウス林と久々の揚州商人

今日は三田で打ち合わせがあった。
14 時頃におわったので三田でご飯でも食べてみようかなと思ったものの、三田は一見したところメシ屋がさっぱりない。裏道に入ってみるが……う~む、よくわからぬ。で、かつて三田の会社に出向していた同僚がいたのでその人に話を聞いて、平さんというお店を教えて貰う。

が、もう閉まっていた(14 時迄?)。

その平さんの隣りというか上にあったカレー屋さんが開いていたので入ってみた。
カレーハウス林
店主はなんていうんだろうね、うまく言えないんだけど、気のいいオッサンなんだけどちょっと意識高い系入ってる感じっていえば通じるかなぁ。性格はとても良さそうでした。ブルース好きで、自分で演奏もしてるっぽい。

そんな店なので、案の定、常連客が多かったように見えた。
あと女性客が多い。

さて、お味は割とさらっとしていて食べやすい。ライスがサフランライス(?)なのもイイ感じ。とはいえ個人的にはちょっとコクが足りないのと、挽肉が細かすぎてパサパサ感を憶えてしまう。ボク的には 3.5 点付くようなお店ではないと思うんだけど、個性的でここでしか食べられない味なのは確か。
好きな人はとことん好きになれるのだろう。

夜はその三田に出向に行っていた同僚と合流して、揚州商人に行った。は一人で行ったのであまり楽しめなかったが、今日は二人なので色々頼んだ。揚州商人はラーメン屋なんだけどいろいろな中華料理があるのだ(いわゆある酢豚とか青椒肉絲とか)。
写真ではラーメンしか写ってないけどw

昔は目黒の本店によく行ってたけど、今はそんな元気ないなぁ……。

安定したおいしさで、イイ店です。

中屋とゆず庵の写真

お昼は中屋といううどん屋に行った。
今回ははじめてかけを頼んだ。実はかけは同僚が食ったとき、美味しくないと言っていたのでちょっと気になっていたのだ。そして美味しくないと言った理由がわかった。一見、ちょっと食べた感じではうっすいうどん汁にしか感じないのだ。ダメな人はダメかも。

たしかにボクももうちょっと塩気が欲しいかなとは思ったんだけど、出汁はとれているし、徳利に入っている煮汁を足すと味を調節できるので、ボクは普通に食べられた。さらに言うとするなら、うどんが割と小麦粉小麦粉しているので、余計に味が薄く感じてしまうのかもしれない。

夜はしゃぶしゃぶでフィーバー!
って、ゆず庵だけど(汗)。
最近はちゃんと忘れずに写真を撮るようになった。けど、頼むモノもそう変わらないから、もう撮らなくてイイよね……って、日記を書いてて思った(ぁ。今回の目玉はマツタケのお吸い物と牡蠣フライかねぇ? お吸い物は香りだけは楽しめたけど、なんか永谷園のマツタケ味お吸い物あるじゃない? あれがけっこうケミカルに感じてしまうせいで、ゆず案のもなんかけっこう臭いが濃かったので、ケミカルっぽく感じてしまったw

そこに余地があるから

なんとも切ない記事を見つけたので、それから派生した話を一つ。ジャンル的にはなんだろうねぇ、哲学に近いのかしら? とはいえ、そんな大仰な話ではない。

生きるという事は大変だ。それでも人類は社会というものを形成し、自然界の弱肉強食の世界からはある程度離脱することに成功した。とはいえ、この社会の中での生活がけっして誰にとっても幸せに過ごせるというものでもない。
戦争、いじめ、経済格差、様々な差別などなどの問題が社会の中に溢れかえっている。
結局のところ、これだけ科学が発達し、社会制度が発達しても、誰しもが食うために一生懸命だ。

なぜかくも、この世界は過酷なのか。

幼少の頃からそう思ってはいたけれど、その答えもたくさんあったように思う。弱肉強食というのもその一つだろうし、人間が持つ欲望・自己中心・妬みなどを揚げる場合もある。自然災害ももちろん原因の一つだろう。
ただ、これら全ては、一つの理由に集約できないか? と、漠然と思ってきた。

ところで(きん)という物質がある。我々の社会では価値の高い金属として有名だ。あの金は超新星爆発がないと生まれない元素であることをご存じだろうか? 恒星(太陽)が燃え尽き、自分の重力で大爆発を起こしたときの超高温や高重力で原子と原子がくっついて生まれたのが金だ。
金に限らずより重い原子は、すべて超新星で生まれる。また鉄を含むそれよりも軽い原子は、恒星の中で作られる。これらは水素ヘリウムが、恒星内部の高重力と高熱によって、元素合成が起きて作られるのだ。
夜空を見上げると、たくさんの星々が瞬いているが、あの中で、鉄ばかりでなく岩石の元となるケイ素や、硫黄塩素などなど様々な原子が作られているのである。

つまりボクらの足許にある地球、そしてボクらの身体を構成する物質は全てがあの星々の活動によって生まれたのである。その中でも特に金は、超新星によってのみ生まれた元素なのだ(恒星が全て最後超新星爆発をするわけではない)。
もちろん宇宙規模で見れば、超新星なんて至る所で起きてはいるが、その時生まれた元素がこうして宇宙の至る所に広まって、ボクらが住んでいる地球の中にも埋もれている。非常に浪漫あふれる話ではあるが、同時にこの原子たちの広まりに恐ろしさをさえ感じる。
あの広大な宇宙に、つまりこれだけの原子が漂い、そして宇宙の果ての果てにまで行き届いているのだ。

そう、これこそが、ボクらが生きることを大変にしている元凶なのだと気づいたのだ。

高校だったか中学だったか、化学の授業の時、物質は均等になろうとするというのを教わったと思う。偏りのあるものはなるべく平らになろうとする。もちろん、それが不可能な場合もある。せき止められていたり重力があったりして、平らになれないこともあるが、とにかく物質はまんべんなく混ざろうとするのだ。そして何もない場所があれば、もちろんそことも混ざろうとする。つまり広がろうとするのだ。
だから、宇宙中に水素とヘリウムだけでなく、恒星によって作られた様々な物質が広がっていった。広がれるところがあれば、そこに原子はどんどんと広がっていく。そう、そこに自分たちが入る「余地」があるからだ。
これとボクらの社会となんの関係があるのか?

生物もまた、そこに余地があれば入ろうとするのである。

生きるためにとか、生存圏獲得のためとかではなく、そもそも我々はというか、物質はどこまでもどこまでも広がっていこうとするものなのだ。そこに入り込める「余地」があれば、勝手に入っていってしまうのである。
思考や哲学は関係ない。原子も、分子も、元からそうなのだから、それらで構成される遺伝子もまた同じ性質を持ち、そしてその遺伝子で作られたボクらもそうなのである。ちょっとでも隙があったら入り込む。そこにすでに何かあるなら、追い出したり融合したりしてやっぱり進出する。
欲望とか利己的とかなどというのは思考を持った我々が考え出した後付けの理由であって、そんなものがなくても、我々(というか、我々を構成する物質)は、広がり、そこに何かあれば侵略し、もしくは融合し、そしてまた広がるものなのである。
つまり人間が他人をおしのけて自我を押し通すのは、ずばりそのまま元素が宇宙に広がっていくことと同じことなのだ。金持ちが満足せずに搾取を拡大するのも、国家が空白地帯や他国に侵出するのも、弱者を追いやるのも、はたまた宇宙開発に乗り出すのも、全ては余地を求めて広がろうとする物質の本質なのだ。だからこれから先どんなに社会が成熟しようとも、過酷な世界なのは変わらないのかもしれない。少なくとも宇宙が生まれて 138 億年、ずっとそうだったのだから。

だけれども我々はその広がろうとする物質によって、知性を得た。その知性もまた広がろうとすることに支配されてはいるものの、異なる思考や思いができるようになってきた。138 億年かけて宇宙が生み出した、新しい概念・新しい仕組みかもしれない(もちろん、知的生命体は過去にも生まれて新しい概念を作り出せていたかもしれないが)。
それが正しいことなのか間違ったことなのかは解らない。間違っているなら、やはり広がろうとする物質たちに駆逐されて終わるだろう。
しかし、間違っていないなら、もしかしたら、新しい物質の法則が生まれるのかもしれない。ボクはそれに期待している。

などということをしゃぶしゃぶを食いながら考えて……いたワケでもないが、ゆず庵に行った!