ボクは親や親戚が音楽関係ということもあって三歳からピアノを習い始めた。色々有り、結局小学校 4 年の時に別の道を歩むことを決めたわけだが、そのまま音楽を続けていれば、おそらく音楽関係の仕事に就いていたと思う。そんな環境であったためか、なんだかんだと音楽に関しては色々と思い入れも有り、新しい音楽を模索し続けたり、古い音楽でもイイ音楽がないか常に探し続けている。
ボクの日記に貼り付けられる音楽がジャンル・年代問わず無節操なのも、そういう所以である。
では音楽をいわゆる義務教育でしか触れなかった人たちは音楽についてどんな思いを抱いているのだろうかというのは個人的に興味があった。というのも、ヨーロッパなどとは異なり、日本は音楽によって国(もしくは民族?)全体が何かを成し遂げようとしたような歴史は、ボクの知る限りないからだ。
だから日本という国で音楽というのは、まさに『消費のみ』の存在なのではないかと、何となく考えているのである。それを裏付けるというわけでもないが、とある知人から「思春期の時に聞いた音楽が自分の魂の音楽で有り、 40 になっても 50 になってもその頃の音楽を聴き続けることだろう」という言葉を聞き、衝撃を受けたからである。
ただ確かに日本で流行した音楽というのは時代とともに遷移し、そして過去隆盛を極めた音楽は時が経つにつれて売れなくなっていく。演歌なんかもそのうちの一つであろうが、とはいえそれは何も日本だけの話ではない。特に軽音楽については、時代を超えて残っていく音楽というのは限られているだろう(かといってクラシックが残っているのは、まったく別の理由であるが)。
かと思えば視点を変えれば、音楽に使用する様々な電子機器が安くなり、さらに CD 化のコストも劇的に下がり、さらにさらにネットワークを介して音楽を配信出来るようになり、今まで生き残ることは難しかったジャンルが復活し始めているというのもある。Jazz や昭和の頃の歌謡曲と言ったジャンルで歌い続けているアーティストたちである。ただそういった人たちのリスナーがどういう層なのか、ボクは解っていない。
例えば Jazz をやっている人たちのリスナーは 50 ~ 70 年代日本で Jazz が流行した頃に聞いていた人たちが圧倒的に多いのか、それとも今の若い人たちも聞いているのかということである。
何が言いたいかというと、「思春期の頃に聞いた音楽を聴き続ける」という人たちは、果たして 50 にも 60 にも 70 にもなってもそれを聴き続けるのはまぁボクの知ったことではないが、それって限界があるというか、新しい曲は提供されないわけだから、結局過去何度も聴いた曲を聴き続けることになる。それって、飽きないのかなぁ? という単純な疑問である。
今の 50 代 60 代に照らし合わせれば、演歌、フォークソング、グループサウンズ、Jazz 、そしてビートルズなどの 60 ~ 70 年代ロックである。これらの音楽は、新しいものが提供されることはほとんどない。
ただ、J-POP に関してはボクは少し思うことがあって、楽器の構成なんかを考えると 90 年代後半からあんまり変わっていない。昔のモー娘。の曲と今の AKB48 の曲がどれくらい違うかというと、これがあんまり差がない(笑)。そういう意味では J-POP では今のところこの 15,6 年は同じジャンルの曲がずっと提供され続けていて、まだまだこれから 10 年くらいはこんな感じなのかしら? と、思わないでもない(笑)。もっともアイドル系の音楽に関して言えば、そもそもそれらの曲は別に音楽で評価されているわけではないというのもあるけど。
音楽は今のボクらの生活になくてはならないものになってはいる。それはカラオケという文化を見ても、疑いようがない。だけれども、ボクら日本人にとって音楽の存在って何だろうって考えると、なんかこうイマイチ本当に音楽って浸透しているのっていうか、音楽が必要な民族ではないよなぁって思ってしまうのである。
ただまぁそんな小難しいことを言う必要もないというもう一人の自分もいる。というのも音楽という言葉を作った人は凄いなぁと思うのだが「音」を「楽しむ」と書く。それでいいのである。芸術性だとか、演奏のテクニックがどうとか、そういうことよりも下手でも何でも歌ったり弾いたり、もしくは聞いたりしてそれで楽しめればそれが音楽である。もっともそんなことを言ってしまうと、今まで上に書いてきたことがすべて無意味にもなってしまうのだけれどね(笑)。