中華を諦め、ステーキへ

今日は晩御飯たべに外に出た。狙いは国分寺の住宅街の中にある『しんせらてぃ』という中華料理屋。
辺鄙なところにあるから入れるかなって思ったんだけど、そもそも予約しないと NG とのことだった。お店の人はとても優しい人で、狙い目の時間と持ち帰りのメニューをくださった。

この店は孤独のグルメで知ったんだけど、放送から一ヶ月以上経ってるし、大丈夫だろうと思ったんだが……TV の効果なのか、元から人気店なのかは解らなかった。持ち帰りでも買いに来たいと思いつつ、店を離れた。

仕方がないので、お決まりと言っては何だが、ステーキを食べに行く。というか、この時点ですでに 19 時を回っており、店が閉まるかどうかのギリギリの状態だったので(緊急事態宣言下のため)、ネット検索して新しい店を探す余裕がなかったのだ。なので知ってる店という選択となった。しかしさすが飯時。ほぼ満席だった。うおー……ほんと時短って嫌い。時短営業がなければもっと人がいない時間に飯食えるのに……。今回は初めてハンバーグも頼んだ。しかも、まん丸いヤツw 大きさもすごい。ソフトボールくらいはあるかも^^;

ただここのハンバーグはゆるめだった。ステーキ屋さんのハンバーグというと、みっしり感&粗挽きってイメージがあるんだけど、

あとはやっぱrニンニクのスープがいい(一枚目の写真)。これ目当てにこの店に来ていると言ってもいい<ヲイ

面白かったのが、客席を離したスペースにジオラマが置いてあることだ(7, 8 枚目)。これ、店員さんの私物なのかなぁ??

久々に東京を直撃しそうな台風、現る。

マウスとか Qi とか三芳 P.A. とか

マウスの調子がおかしくなった。症状としては突如、動かなくなる。マウス側の LED が消え、マウス カーソルもボタンも効かなくなる。ただボタンは生きていることがある。でも、USB のコネクタを抜いてもう一度挿すと復活する。けどしばらく使っているとまた無反応になる。とはいえつなぎ直せばすぐ使えるようになるので、とりあえずそのまま使ってたんだけど、さすがに無反応になる頻度が高くなってきたので交換することに↓。

 

以前日記にも書いたが、ボクは Microsoft の IntelliMouse というのが気に入っていて、その予備をいくつか買ってあるのだが……引き出しを開けると、新品が一つしか無かった。あれ、もっとあったような気がしたんだが……。そう思いながらネットで検索をすると、なんと IntelliMouse がまた復刻しているという記事が! LED も白色になって、クールな感じに!

というわけで届いたのだが、使い心地が全然違うww
とにあえず軽くてスムーズなのはいいんだけど、ボクの普段の使い方では、ぶれるぶれる。ボタンを押すたびにマウス本体も動いちゃうのよね。だから押したことにならないの。ドラッグになっちゃうの……orz

これ慣れるのかなぁ……。

ちなみにこの日記を書いている、2022 年 1 月 21 日、つまり買ってから 4 ヶ月が経過しているのだが、だいぶ慣れてきた。それでも急いで操作しているとやっぱりドラッグになっちゃうのよねぇ……。

2019 年に非接触充電を導入したのだが、このうちの一つ『Anker PowerWave 10 Pad』っていう方は欠陥商品で、iPhone を充電すると iPhone が異常発熱し、バッテリーを傷めてしまう。なぜここまで断定しているかというと、この Anker PowerWave 10 Pad という機械は後に改良版(改善版?)が登場するからだ(公式サイトのは改善版になっている)。たぶん、何らかの不具合があったのだと思われる。

で、こいつは、それを話した上で同僚にあげた。

もう一つ買った方の『Anker PowerWave 7.5 Stand』っていう方は特に不具合はないみたいなんだけど、iPhone 12 を充電すると同じく iPhone が熱くなるのよねぇ。バッテリもいつのまにか傷んでいて、90% になっている。ただこれがこの充電器の所為かどうかは解らない。

というわけで、とりあえず Qi を使うのをやめて様子を見ようと思っている。

時短営業に相変わらず困っている。まぁ、夜型なのが悪いんだろうけど。
そもそもボクはコロナ禍前から人混みを避けて、ド深夜に食い物屋で飯を食ったりしていたので、逆に 20 時以前に店に入るとなると、他人と接触することになってしまうのだ。集まるのが NG というなら、店内は全部一人席にして(テーブルとかをくっつけないで離す)、団体で来ても一人しか座れないようにして、一人でしか飲み食いできないようにし、営業時間はそのままでもいいんじゃなかろうか。

とか思いつつ……困ったものである。

最期に、気温は昨日のもの。9 月も下旬に突入したというのに、真夏日である。ただ湿度は低めだ。
吉野家は晩御飯。そのあとフラリと三芳パーキング エリアに行った時のもの。何故か稲庭うどんが山のように積んであったw 関越道で?ww 積むなら東北道じゃね??

MAX COFEE アイスは、思ったほど甘くなかったw やっぱ冷やすとダメだな<ヲイ

極くり~むぱんと極あんぱんは薄皮でしっとりしていて、なかなかよかった。広島県三原市のパンらしい。三原というと愛媛県人は、松山行きのフェリーが出ていたところなので、それなりに馴染みがあるなぁ。

最期は身体に悪そうなチェリオのフルーツパンチ(ぁ
700ml !

憧れのかき氷とコガネイチーズケーキ

経路の日、休日だ。
ふとかき氷を食べに家を出た。どこがいいだろう?
最初は調布にあるくもくま堂に行こうかと思ったんだけど、予約制だし、意識高そうだしということで、東所沢にある SANGO に行くことにした。

そしたら並んでた。マジか。
9 月も下旬にさしかかり、この日は天気はよかったけど風が強くてちょっと肌寒いくらいだったのになぁ(風の具合は三枚目の写真を見ていただければ、解ると思う)。

頼んだのはイチジクとピスタチオのかき氷。
フワフワなかき氷だったんだけど、ベースは練乳なのよねぇ。練乳、そんなに好きじゃなくて<ヲイ

まぁでも見映えも量も豪華なかき氷は食べてて嬉しいものである。

さて、せっかく外に出たのだから、他にも美味しいものに出会いに行こう。
というわけで東小金井駅へと車を向けた。
なぜ東小金井に向かったかというと、単純にこの東所沢は小金井街道の終点でもあるからだ。
小金井街道→小金井→東小金井にチーズケーキ専門店があったなぁ、という連想である。

そうだついでに東小金井で朝兼昼ごはんを食べようとも思い立つ。醤油とカツオがガツンと効いたくじら食堂に行こうと思い立つ。

お店は半分くらい席が埋まっていた。時間は 15 時ちょい過ぎ。

普通に醤油ラーメンを頼もうとしたのだが、下の方に生姜ラーメンというのがあった。お、これは……と思い、注文。
そしたら辺りだった~~~!
新潟は長岡ラーメンにも通じる……いや、違うな、長岡ラーメンほど油は多くない。これはどちらかというと、あの秋葉原にあったいすず系ではなかろうか?? そして醤油ラーメンよりこっちの方がボクは好みだ。生姜の入ったラーメンは、ずっと探し続けていたラーメンの一つなのだ。それがこんな近くで食えるとは。

濃いめの味だが、それらを生姜がうまく打ち消してくれていて、さらにチャーシューも難なく食えるw
生姜や葱の威力ってすごいよねw

さて、目的のチーズケーキ専門店『コガネイチーズケーキ』へ。
ここのチーズケーキは砂糖を一切使わないチーズケーキなのだ。じゃぁ甘味はどうやって出しているのかというと、果物の糖分のみを使うのだ(実際には他にもイロイロ使っているようだ)。まぁいわゆる意識高い系ってヤツ。が、ここのお姉さんはボクみたいなおっさん且つキモオタが入ってきても、スターバックスのように出て行けオーラを出さないのがありがたい(内心はどう思ってるか解らないが)。意識高い系にしては珍しくオタクに優しい店なのだ<ヲイ

詳しい説明は下の写真のパンフレットを読んでいただいた方が、情報は正確に伝わると思う。
しかも味毎に食べ方が違うので、それぞれに食べ方のペライチがついてくるほどのこだわりだw

とにかく素材の味が第一! 甘さは二の次どころか、五の次くらいの優先度だ。だから「ケーキ食うぞ」っていう気持ちで食べると肩透かしを食らうかもしれない。それいろもチーズのコクと一緒に入っている果物などのそれぞれの味を楽しむチーズケーキなのである。もし甘くしたければこのチーズケーキにソフトクリームやアイス、生クリームなんかを添えるといいかもしれない(でもそれだと、このチーズケーキを食べる意味がだいぶ薄れちゃうけどw)。

あ、珈琲や紅茶を甘くしても、いいかもしれないね。

   

というわけで、今日はいろいろ美味しいものに出会えた一日であった。満足。

後部座席にタブレットを付けてみたものの…

晩御飯を買いにマクドナルドに行った~。
月見シリーズ。
しかし、味、憶えてない(ぁ
4 ヶ月も前のことだからなぁ~(汗<この日記を書いているのは 2022 年 1 月 19 日

月見パイは美味しかったような気がする~~~。

ところで後部座席に Windows タブレットつけた。とある絵描きさんからもらった Toshiba の N72 という機械。液晶が 1920x1280 ってのが気に入っている。
けど、3in1 タイプでキーボードが液晶のカバーになるタイプで、そもそもキーボードを外さないと画面が見られない。
これ問題だなぁ。ぱっと使い気にならないw
しかも使う人は PC とかに不慣れな人が多いから……あんまり意味ないかも。

やっぱり中古の iPad 辺りを買ってきた方がイイかなぁ?

今日の昼下がりの道路状況。
緊急事態宣言なんのその、まったく意に介していないようだ。まぁ、ボクもこっそり人のいないところには出掛けているので人のことは言えないんだけどね。でも最近ネットの発達のお陰で、穴場がぜんぜん穴場じゃなくなっちゃってるのよね。かつてはボクだけしかいなかったような観光地も、今は人がいっぱいだ。だから出掛けても車から降りずにそのまま通り過ぎることも(汗)。

下のお弁当は今半TOKYO X 焼肉弁当。冷たくても美味しいね。その分、調味料たっぷりなんだろうけど(汗

バーガーキングとターン制戦闘

バーガーキングに晩飯を買いに行った。
クワトロチーズワッパー(三枚目)とテリヤキダブルビーフバーガー(二枚目)。
チーズ好きだから注文してみたんだけど、あんまりチーズの主張が強くないぞ!?

もっとチーズまみれなのを期待してたのに(ぉ

ウィザードリィがこの世に出てから 30 年、コンピュータ ゲームはとても身近なものになった。
「戦闘」という要素はコンピュータ ゲームの中でも重要な要素の一つだ。戦闘がないゲームを探す方が大変なほど。
ウィザードリィの戦闘は、当時のコンピュータの表現力の乏しさもあり、ターン制で一手一手順番に戦闘が進むものだった。いわゆる、チェスや将棋と同じだ。一手動かすまで時間は進まない。どうしようと悩んでいる間にも、どんどんと敵が攻めてくるようなことはない。
ゲーム業界ではこの戦闘方法を、いつの間にか「コマンド戦闘」と呼ぶようになった。

そして 30 年たった今でも、この戦闘方法は採用され続けている。

しかし困った問題が起きた。ってそれを問題視しているのはボクだけかもしれないのだが、コンピュータの表現力は上がったにもかかわらずコマンド戦闘(時間が進まない)はそのまま残っているために、自分の番が来るまで「待つ」様子が描かれるようになってしまったのだ。たとえば以下の動画。

次のキャラクタが行動するまで他のキャラクタはずっと足踏みして、ぼけーっと突っ立っているw
この様子を見ていると、各キャラは待っている間は足踏みしていることが解る。「足踏みしている余裕があったら、敵に斬りかかれよ!」ってボクは思ってしまうわけだw なに突っ立ってんの? って。だって戦闘中だよ? 自分の命が関わってるのに!

とはいえ、実際はキャラクタの素早さの順番でしか行動できないので、そもそも足踏みはしているものの、攻撃はできないのだ。

これがボクはいつ見ても可笑しいと感じてしまうのだけど、皆さんはどう思うだろうか?

ちなみにターン制のゲームをまったく否定するわけではない。
まず開発費をおさえるのにとても役に立っている。本物のようなリアルタイム戦闘は、プログラムにも映像にも金がかかる。
さらに解りやすさや手軽さも利点だ。リアルタイム戦闘というだけで、プレイしたくないという人もいるほど。

ただ、害もある。ターン制戦闘は現実世界を無視しがちだ。それは距離や時間の概念が曖昧になるからだ。カード ゲームなんかでそれは顕著なのだが、たとえば「攻撃を受けたら、カウンターとして同ダメージを敵に与える」とか。自分が近接武器しか使ってないのに、遠く離れた飛び道具の相手にもダメージを与えたり。これをリアルタイムの戦闘で表現したら、以下に可笑しいことかがわかる(ちなみに魔法なら、ある程度は有り。そのまま魔法でカウンターを当てるのも有りだが、呪いの一種で傷つけた相手が自動的にダメージを受けるというのも良さそうだ。それにしても受けたダメージと同じダメージってのは、少し疑問が残る)。他にも「ボスには効かない」とかね。どういう仕組みやねん。ボスかそうじゃないかの判定ってどうやってるねん。ボス属性ってなんやねん。せめて魔法の武器でしか傷つかないとか、ボスは全部悪魔なので悪魔には効かないとかそれくらいの理由付けはして欲しい。

と言うわけで、21 世紀にもなってただ足踏みしているだけなのは、やはり滑稽だ。
ターン所為でもいいので、表現はもっとリアルに殴り合っている様子を表現して欲しいものである(ちなみに方法はいろいろあって、それをやっているメーカーもある)。

ようやくワクチンにたどり着く

コロナ禍になってからすでに一年以上が過ぎた。
光陰矢のごとしとはまさにこのことだ。
なんか、一年以上もコロナ禍が続いているなんて、今振り返ってみても実感が全然ない。
などと呑気なことを思っている間にも、時間ばかりが過ぎていく。

そんなコロナ禍がちょうど一年くらいたった今年の二月中旬頃から、日本でもワクチン接種が始まった。

実はこの時点でボクはあまりワクチンを打つことに乗り気ではなかった。別に反ワクチン派とかそういうわけじゃなくて、ボクは過去にインフルエンザにかかったことがなく、またインフルエンザ ワクチンを打ったこともなかったからだ。単純なおごり高ぶりだが、別に新型コロナでもワクチンは不要だという「油断・傲慢」がボクの頭の中にあった。

そのため、余ったら討てばイイかくらいにしか考えてなかった。
ボクよりも優先するべき人が打つ方がいいだろうと。なのでその時は余裕で以下の様なツイートをしていたw<バーカ

そうも言ってられない状況になってきたのが、いよいよ東京五輪が始まる 7 月下旬頃だ。感染者数の増加もあるが、そもそもワクチンを打ってない人は非国民扱いをうけるような状況が見えてきた。いわゆる同調圧力と言うヤツだ。それと、ボク自身は旅行が好きで、人のいない場所を狙ってはけっこうあちこちしていた。しかしいくら人がいない場所とは言え、いつ感染してもおかしくない状況になりつつあった。
やれ病床が足りない、自宅療養だと叫ばれるようになって、さすがに COVID-19 に罹患して重症化したら、他人に迷惑がかかるなと思うようになった。

ちなみにボクの知識ではコロナ ワクチンを打ったからといって感染しないわけではないこと、あくまでもワクチンは重症化を防ぐものであるという認識でいる。なのでワクチンを接種したとしてもその人は COVID-19 に罹患するし、罹患したらその人から新型コロナ ウィルス(SARS-COV-2)がまき散らされることに変わりはない。これはワクチンを接種していようがしていまいが関係ないことだ。

となると、ワクチンを打ってない人が割を食うことになってしまう。これがワクチン接種者は感染しない(感染しにくくなる)ということなら、打たない人にも意味があるのだが……。

というわけで 8 月に入ってから、ワクチン接種の予約をとろうと思い始めるのだが、これがなかなか取れない。

ただ、ボクの場合、予約サイトにずっと貼り付いているわけではない。
時々、「あー、そういえば、とれるかなー?」って何日かに一回、予約サイトを見に行くくらいだ。その間にも会社の同僚や友人知人は次々と接種を済ませていった。彼らの話によると、やはりサイトにかじりついて予約開始とともにリロード連打でとったらしい。う~ん、そこまでするのもなぁ……と、この時点でもボクは呑気だった。

8/279/7 も予約失敗。

まぁでもそのうちワクチンは余って、いつでも打てるようにはなるんだろうなぁなんて事をボクは考えていて、気持ち的には焦ってはいなかった。ただ、11 月には紅葉を撮りに旅行に行きたいと思っていて……それまでに接種できなかったら、旅行もムリかなぁなんてことも思い始める。
そんな状況で 9/15 はやってきたのだった。
今日もムリだろうなと思って予約サイトにアクセスしたら、なんと今日の 14:00 から一名だけ空いているではないか!
他の日は全部埋まっていることから、おそらくキャンセルが出たんだと思われる。
なんという偶然w
というわけで予約を入れると、ちゃんととれた!

というわけでワクチン接種会場へ! 場所は『西東京いこいの森公園』というところだ。ここの駐車場にプレハブが建てられて、そこが接種会場になっている。この公園は今年の一月に車を板金に出したときに通った公園だ! こんなところが会場になっていたとは。
そして必要書類を、さっそくテトメト クリアファイルに入れて行ったよ!
受付のお姉さんに、スッて出したよ!
これならエッチな絵じゃないから恥ずかしくないね。

さて、肝心の接種後の容態だが、とりあえずアナルアナフィラキシー ショックは起きなかった。
副反応はそれなりに出た。といっても症状が出たのは翌日の昼過ぎになってからだ。まるで筋肉痛みたいだなwww
発熱はナシ。

たぶん、比較的軽い方なんだと思う。

ワクチンを接種していて言うのもナンだが、やっぱり今回のワクチンの効果は、この時点ではボクの中では未知数&懐疑的だ。
接種が進んでいる欧米では一向に感染者はともかく、重症者・死者が減っているように見えなかったからだ。
大丈夫なんか???

写真は今朝の気温と湿度、あと神田の有名店のレトルトカレーw
ボンディ100 時間カレー R&B。ボンディはかなり再現されてたと思う。100 時間の方はたぶんボクは食べたことがないので、出来のほどはよくわからなかったけど、普通に美味しい。レトルトってインスタント食品の中では歴史が長いだけあって、侮れないねぇ。
神田でカレーのハシゴしたいよねぇ。でも神田ってビジネス街だから、土日はみんな店閉めるのよね……。
有休とって行くしかないか!?

隣の芝生は青い、ただそれだけのこと

最近、2ch や 5ch のスレッドを見ることがあるんだけど、まーとにかくコンプレックスに満ちあふれている。やれ年収が○○円以下は人じゃないだの、軽自動車に乗っている奴は○○だの、スズキ・マツダに乗ってる奴は○○だの、F ランは○○だの。また、○○できてない自分は生きている意味がないとか、でもそんなスレッド立ててるくせに、本心突かれると怒り出したりとか。なんだよ、お前、生きている意味ないんじゃなかったのか? と、思わず思ってしまうが(ぁ

○○じゃないのは、○○以下というスレッドを立てている本人が、はたして○○以下なのか、それともそれよりも上なのかはわからないが、そんな感じで皆さん、生きているのが辛そう。

人間ってこんなに他人と比較する方法でしか、生きられないんだっけ??

なんてことを思っていたら、以下の様なニュースが目にとまった。

要するにインスタに掲載されている華々しい人生を見て、自分の人生がみじめに見えてしまうということなのだろう。それでメンタルをやられるのか、とボクは思うものの、若い人ほどダメージがでかいかもしれないとも思った。というのも単純に人生経験が短いからだ(もっとも上の記事ではインスタというか SNS を利用したいじめや陰口などによる攻撃も含まれているようだ)。

「隣の芝は青く見える」という言葉がある。これは元々は英語のことわざだったと思う。そしてインスタの華々しい投稿を見てそれを羨むのは、単純に隣の芝生が青く見えているただそれだけのことなのだ。
何故かって? それは自分自身のことを考えればすぐにわかることだ。「見栄」はっちゃうでしょ?っていう。
どんなに華麗な人生に見えても、そしてインスタグラムに充実した写真が連なっていても、本当にその人が幸せかどうかなんて解らない。けれどせめてインスタには幸せであることをアピールしたい。

幸せそうに見える美人・イケメンの高収入タワマン暮らしの夫婦。でも実は夫婦仲は冷え切っているかもしれないし、子どもができないことに悩んでいるかもしれないし、買ったタワマンに欠陥があったりとか、近隣住民との関係に悩んでいるかもしれない。それでもインスタにはそんなことを出したりなんてしない。

たとえばあの前澤さんだってボクらの手の届かない場所にいるけど、実は不安で仕方がないかもしれない。だからお金を配って自分の存在を確立しようとしていて、それが彼のアイデンティティを崩さないための心のよりどころかもしれないじゃない。でもたとえそうだったとしても、それをおくびにも出さないのが人間というものだ。

人生経験が短いとなかなかそういうことには気付けない。インスタグラムに投稿されていることが全てだと思ってしまう。が、そもそも自分が思い通りに行かなかったり様々な挫折を味わっているように、そのインスタグラムに投稿している人もまた、同じ経験をしてきているはずだ。なのに世の中はこんなに華々しいのに、自分はなんて惨めなんだって思ってしまう人が多すぎる。

20 世紀ってここまでじゃなかったようにも思うんだけど、それはボクの視野が狭かったのかどうかは解らない。インターネットという TV などのメディアに囚われない、個人が自由に発信できる仕組みができたせいで、こうなったのかもしれない。芸能界が雲上の世界だったのに、21 世紀はそうでもなくなり、素人と玄人の区別が曖昧になってきたというのもあるような気がする。「あいつにもできるんなら、オレにもできる」っていう感覚を持ってしまう。
でも実際にやってみると、当然だが、そう上手くは行かない。

そして人々はそれを運の所為にしてしまう。「親ガチャ」なんて言葉が生まれてしまうのも、そういった経緯があると思う。
もちろん運は大事だ。金持ちに生まれるか、貧乏に生まれるかはスタート時点で大きな差を生む。しかし運が向いてきた時、その運に答えるだけの実力が自分になければ、結局、運にはなんの意味もない。それを理解してない人が多すぎる。向いてきた幸運を使いこなすには勉強や努力が必要なのだ。

そう、学校の勉強が意味がないっていう風潮もよくない。たとえば生まれたときに担当医が「このお子さんはスポーツに向いています。特に野球が得意になるでしょう」なんてことが解ればそれに向かって育てればいいけど、その子がどんな才能を持っているのかはイロイロ試してみなけば解らない。だから義務教育である小中では全分野を勉強させられる。その中で自分が何に向いているか、もしくは何がしたいかを見付けていくのだ。
だから高校→大学になるにつれて自分で選択する要素が増えていく。

でも勉強は大人になっても役に立たないとか、受験のためだけというような目的を持たされてしまうと、そもそも勉強する気なんて起きないし、受験したのはいいが、結局大学を卒業するまで自分のやりたいことが見付けられず、就職活動では下手な鉄砲数打ちゃ当たるになり、自分の思いと違う職種に就き、鬱になって 30 歳になる前に退職なんてことになったりする。

インスタや芸能界、身近なところでは成功した友人や親戚、そういった人たちと比較し(比較され)、惨めな思いにならないためには、やはり自分という存在を確固たるものにすることだ。そして成功している人たちもまた、心の内にはたくさんの欠陥を秘めていることに気付くことだ。そうすれば他人と比較して生きる必要はなくなる。そして自分が何をすべきかを知ることができるはずだ。そうなれば何度挫折しても、周囲から馬鹿にされても、惨めな思いにはならないし、次に進もうという気も起きるというものだ。

昭和の時代は選択肢が少なかったから、コンプレックスがあっても進むことができた。それしか道がないのだから定年まで突っ走れたし、今走っている道であっているんだと思い込むことができた。
けど今の子どもたち・若者たちの選択肢は膨大だ。だから逃げることもできてしまう。もちろん逃げることは大事だが、そのせいで運を逃し、さらにコンプレックスが積み重なっていく。そうしてコンプレックスの塊になってしまった人は、世の中と自分とのギャップに悩み、さらには世の中の方を憎むようになってしまう。

隣の芝は決して青くない。
そして、親ガチャに外れても、運は転がってくる。
けれどその運に気付くには、そしてその運に乗っかるには、相応の能力が必要だ。
他人と比較して自分の惨めな立場が解るなら、自分の身の程も解るはずだ。まずは自分に何が向いているのか、そこから探し始めてもいいんじゃなかろうか? 義務教育は 9 年間だ。つまり 9 年間あれば何かが掴めるということだ。20 歳で挫折したなら 29 歳、30 歳で挫折したなら 39 歳までには自分のできること・向いてること・やりたいことが見付けられると言うことだ。そしてその暁には幸運に出会ったとき、「あ、それオレできる!」って手を上げられるのだ。