邪馬台国と大和王権

ボクは考古学の専門家でもなんでもないのだが、邪馬台国出雲国だったのではないかと考えている。その大きさは東は富山~長野(諏訪湖)~静岡(浜名湖まで)、西は九州北部まであったのではないかと予想していて、かつて島根が首都だったが後に奈良に移動したと勝手に予想しているというか、Lay=Alld No.2 ではそうなっている(笑い
この説だと九州説・近畿説どっちも正しいのだ!<ヲイ

で、高千穂から出てきた豪族(天皇家)に譲ると。このとき、まったく戦争がなかったわけではなく、神武天皇は何度か紀伊半島で苦戦を強いられている。最終的には天照大神の子孫(天孫)であることを示して戦いを収め、奈良つまり大和の地を治めることとなる。なので大和政権は邪馬台政権を引き継いだものの、直接の関係はないと思っている。あと神武東征国譲りが同じことを指しているのかどうかは解らない。記紀ではそもそも時代が異なっているのと、奈良で神武天皇に抵抗した勢力も天照大神の子孫だということになっている。

また、記紀には出雲をないがしろにしたせいで天皇が病気になったり都に疫病が流行ったりする記述があるので、邪馬台国への配慮がまったくないわけではない。そもそも大和政権の最初の首都の周囲の山々には出雲系の神を配しているし(例、三輪山)、古事記では神武天皇の奥さんは出雲系の神の子孫だったりするし、天照大神が女神なのも卑弥呼や台与への配慮なのかもしれない。

まぁでもなんだね、いくらでも想像出来ちゃうし、創作できちゃうことに間違いはない(汗

ウサギは性欲の象徴でもある。つまり来年はエッチな年に違いない! って、ただそれだけ。
年賀状、エッチな絵柄にしようかなって思ったんだけど……封書と違って年賀葉書は丸見えなのでエロいのはムリだよなぁ……。

そして台風 24 号発生。久しぶりの日本名。進路の SS とってないの、なんでやろ? ひょっとして 30 分の間に消滅した??

客観的に見た宗教の機能

これだけ社会と科学が発達して、自然界からの脅威(自然災害だけでなく猛獣なども含む)からも守られ、我が国においてはある程度の自由もある中で、不幸を感じ、不満を感じ、自分の人生の意味を見いだせず、ただネガティブな感情を抱いたまま生きる人がたくさんいる。
つまりこれらの脅威から逃れられるようになったことにより、今度は別の脅威が我々人間を脅かすようになった。
それが「情報」だ。しかも同じ人間の「他人の情報」だ(笑)。
自分よりも幸せそうに生きている他人の情報を知ると、人間は不幸になるようだwww

ただこれは何も「他人の幸せ情報」だけが人間を不幸にするわけではない。
ある美味しいモノの存在を知り、それが食べられないとわかると不幸に感じたりする。「他人の幸せ情報」も仕組みは同じだ。
つまり人間は知ることによって、不幸を知るのである。
隣の芝が青いことを知るのである(笑い

ちなみに、関連した記事がある。

この辺を解決するのは今のところ宗教の役目なのだが、日本人は宗教の使い方を間違っているのでなかなか宗教が救いにつながっていない。宗教なんてものはある意味おばあちゃんの知恵袋であり、過去の人たちがどうやって幸せに生きられるかと苦悩した集大成なのだ(なので新興宗教については、どこまで幸せをつかめるものなのかボクは解らない)。

何かに失敗したとき、もしくは何か困難に遭ったとき、神様のせいにすることによって、人間は心の平安を取り戻し未来に向かって歩める。「あのとき、なんであんなことを言ってしまったんだろう」と後悔したり、それこそあまりの過去の恥ずかしさに消え入りたいとか叫び声をあげてしまうなんてことは決して珍しいことではない。
なんであの人はあんなに成功していて、自分はこんなに惨めなんだろうかなんてことも誰しもが経験する。
そんなとき、それらを全部神様に責任を押しつけることによって人間は過去や蟠り、罪悪感から解放されるのである。これは科学や法律ではなかなか解決出来ないことだ。

もちろん自分が許された気になっても、他人はいつまでも覚えてたりする。けど「自分は許された」と思い込めることは生きていく上で充分強力なのだ。

イスラム教徒の自爆テロが恐ろしいと感じている日本人は多いと思うが、よくよく考えてみると、あんなことができるくらいなんだから、自分自信を幸せにさせることも充分可能だと言うことにも気付いてほしい。それが宗教の力だ。本当に神様がいるとかそういうのは置いておいて、宗教には人間の心を安らかにし、過去の自分を忘却させ、人間関係の煩わしさからも解き放ってくれる力があるのである。

無神論者だって科学を信じ、理論的な思考を信じ、そこに因果関係を見いだし、「あのときああだったから、こうしたんだ」とか自分で納得のいく理由をなんとかして作って自己というのを正当化し、精神が壊れないように確立しようとする。しかし本当にちゃんと理路整然とそれができている人間は少ないはずだ。自分の都合のいいように解釈したり、他人のせいにしたりして自己を正当化し、過去の恥ずかしい行為をなんとかなかったことにしようとする。
これだって結局自分は納得しても、他人は許してくれないという状況は普通に発生する。

要するに人間の脳はいーかげんなのだ。理由とか因果関係とかそんなのは自分で勝手に納得してしまえば、心は平安になれるモノなのだ。なので自分の今いる状態の落とし所を見つける方法さえあれば、不幸に感じたりそれこそ自殺したりすることはないと思うんだけどなぁ。こういうのは道徳の時間とかに教えるといいのかね?
もちろん宗教を教える必要はなくて、その落とし所の見つけ方だよね。その中で具体的な宗教の教理を教えるのは問題だけど、宗教の役割については教えてもイイと思う。そして科学的・理性的な落とし所の見つけ方も教えるといいだろう。

ボクは別に EV 反対派ではないし、モーターも好きだ。
ただボクは遠出が好きな上に何時間でも運転できてしまう人なので、今のところ EV が選択肢に入ってないってだけで。

で、急速充電。こいつはバッテリーが冷えているとできないらしい。
さらに急速充電自体、本当はやってはいけないらしい。急速充電ばかりやるとバッテリーの寿命が短くなるとのこと。普段は家の 200V などでやんわりと充電し、出先とかで休憩時間程度で充電したいときだけ急速充電を使うのが本来の使い方らしい。

やっぱりなんだかんだいって EV はまだまだ克服しなければいけない課題は多いような気がする。
まぁそれもそうか、レシプロエンジン車と歴史が違いすぎる。同じ水準に達するにはまだまだ時間を要すると言うことなのだろう。

これ面白い。実はアーサー王はまだ伝説の域を出ていない。なので実在の人物かどうかは疑問の余地が残るそうだ。
日本で言うなら、聖徳太子みたいなもんだろうか?(汗)
二人とも時代的には同じなのも面白いw

まぁそれはさておき、アーサー王がいたかどうかは別として、同時代にアーサーと名付けること自体は流行したとのことなので、アーサーという名前の何らかの偉人というか偉大な人がいたと言うことは事実かも知れないねっていう話。こういう外堀を埋めて証拠を固めていくのも考古学ならではって感じで面白い。

舟塚山古墳へ!

今日はとてもいい天気!
かねてより行きたかった茨城県にある舟塚山古墳に取材に行ってきた。本当はもっと身近な場所にある古墳で調べなきゃいけないことはけっこうあるんだけどね……。まぁでも期間限定の資料展示とのことなので……。ちなみにもっと近場の古墳とは埼玉県北部から群馬県や栃木県南部に広がる古墳群だ。
群馬県(毛野国)は早くから西日本の政権(これが邪馬台国なのかは不明)の軍門に降っており(?)、蝦夷(この場合、関東も含む)制覇に一躍買っている。なので調べるべきはそっちのほうなんだけど(ぉ

古代(といっても弥生後期古墳時代くらい)の日本の様子は、西日本は割と解っていることが多いものの、東日本に関しては判然としない。その理由の一つは弥生から古墳時代ともなると、西日本では比較的大きな政権にまとまりつつあったのに対し、東日本では小国家(部族? 村?)が乱立(というかまとまる必要も無かったのであろう)していたため、一つの体系的な歴史が存在しないからだろうと思っている。

とは言え、人は住んでいたし、記紀には東方を平定しに行く話が何度もあり、それは平安時代でもそうであったようなので、何かしらの勢力(と言っていいのかどうかはよく解らないが)があったのは間違いないのだろう。
史実は解らないが、とても簡単に弥生後期~古墳時代のボクの拙い知識をまとめると、こんな感じ。

  • 邪馬台国はあったんだろうが、大和王権とは違う政権
  • 国譲りで譲られたのが邪馬台国? だとしたら出雲が邪馬台国? -> 台与の段階で政権譲渡完了?
  • 九州北部、南部にはまだ独立勢力が現存

というわけで日本列島の西日本と呼ばれるエリアはほとんど一つにまとまりつつあったのではないか、と考えている。出雲が奈良というか大和まで支配下にあったのではというのは三輪山に残る神々の配置が出雲の神だからっていうただそれだけの事なんだけどね。また、浜名湖遠江と名付けられていることから、さらに出雲は越の国に手を焼いていたことから、富山(もしかしたら福井手前までかもしれない)~浜名湖くらいまでは支配下にあっただろうと推測している。

神武東征は戦争による征服ではあるものの、三輪山のようなものが残っているということは国譲りとまでは行かないまでもある程度平和的な解決があったかもしれないのと、垂仁天皇が「出雲をちゃんと顧みなさいな」的な夢を見るという話があるくらいなので、大和が一方的に出雲を叩きのめしたと言うわけでもないだろうと推測している。そういう意味では大和は邪馬台国の領土と政治基盤をそのまま受け継いだとも言える。

というような状況を元に、さて茨城県にあった、関東第二位の大きさもある舟塚山古墳はどんな古墳であったかというのが今回の取材のテーマである。とはいえ、まぁなんだ、だいたいの事は解っているというかなんというか、前方後円墳っていう段階で西日本由来のものであるわけで、西暦 400 年~ 450 年頃に西日本の政権(当時は邪馬台国?)に協力した豪族であろうというのがボクの見解であり、おおよそ展示でもそのようなことが書かれていた。

今回は取材の過程を動画にまとめてみた(笑い

まずは展示物(出土品)。展示場となった『ふるさと歴史館』はとても小さな博物館(?)だ。石岡小学校に隣接している建物で、もともとここには常陸国府があった場所らしい。かつては茨城県の県庁所在地だったということですな。

しかしガラス(アクリル?)ケースに入れられているのは、まぁお決まりのことなんだけど、カメラで撮ろうとすると反射しちゃって困るのよねぇ……これなんとかならんかねぇ。ボクの影が映り込みまくってるしwwww

とりあえず展示物を見た所でお昼ご飯にする。
実は目を付けているお店がいくつかあった。今回の選定基準は昭和の頃からやってそうなお店だ。今時は田舎でもオシャレな店ができているが、そんなところは別に東京でも食えるわけで、むしろ昭和の努力していない店(これは褒め言葉である)を求めた。
とは言え時間は 14:00。やっているか不安だったが、森樹というお店へ。

やばい、中がすごく暗いwww

勇気を出してドアを開けると、おばさんが一人座っていた。
やっていますかと聞くと、どうぞと言われたので入店。よかった!

外観の写真は実はけっこうオシャレ。
しかし内装は……昭和である(笑)。いやー、予想通りで嬉しい。
客はボク一人で、しかも電気も消してあった。ボクが席に着くと電気と TV をつけてくれた。

色々頼みたかったのだが胃袋にも限界があるので、ミックスピザと豚の香草焼き定食を注文。

出てくるのにはそれなりの時間がかかった。まぁ、当然だろう。
ピザはかなり厚い生地で、縁がパイ生地のようになっている。食感は厚い割にはサクサクしている。乗っている具も大きく、食べ応え充分。こちらは味付けはわりとあっさりとしていて海老やチーズの味がぐっとくる。
一方、豚の香草焼きは……しょっぱい!!!
ビックリするくらいのしょっぱさ。
その上に味噌汁、香の物、昆布の佃煮まで来るのだから……本来ならばご飯は三杯以上行ける塩分であった(笑

何はともあれ満足! おなかいっぱいw そもそも量は多めなので、二品頼んだのは無理があったようだ。でもなぁ、もう二度と来ることはないし、色々食べたいじゃない! そういう意味では夜来るのが良いんだよね。そしたらおかず系とか一品物をたくさん頼めるから。

 

さて、お腹がいっぱいになったところで、いよいよ本体の舟塚山古墳古墳へ行く。と言っても、まぁ見てふーんくらいだろうと高をくくっていた。

実際行けばもちろん、それはその通りなんだけれども、186m という大きさは見て歩く分にはちょうど良いかもしれないと感じた。というのも、iPhone のカメラで収まる(笑)。そして収まって立てる場所が開けているというのもありがたかった。
周囲が住宅に囲まれていたりしたら意味ないなぁなんて思っていたからだ。

あとは百聞は一見にしかず、実際に写真をみてもらえれば規模感とか周囲の雰囲気とか掴めると思う。

▼後円墳側にある神社。なぜか本殿があった。本殿は古墳そのものではないのか、と思いつつ。

▼後円墳側の天辺から、前方部を眺めた景色。

▼三角点(?)と後円墳の南側に空いた穴、造り出しの部分にあった地元の人と思われる墓、前方部から後円部を見た景色と、前方部の地面に降りた状態から後円部方向の眺め。

▼前方部から後円部方向をみた眺め

▼全景(左が後円部、右が前方部)

▼全体像

▼古墳周囲の風景。この写真は古墳の北から東にかけてを収めたもので、古墳の北側はこのように畑と平野が続いている。

▼墓と古墳。この古墳の周囲には墓がたくさんあった。二枚目は後円部の神社のあるあたりを遠景から。三枚目は立て札である。

▼下の 5 枚は古墳の南側の道路を捉えたもので、南側は急な斜面となっており(恋瀬川河岸段丘?)、古墳がこの丘の上に建っていることが解った。

以上で取材旅行は終了である。概ね目的が達せられたと思う。
その場所に立ち、その場所で考えることが大事である。
ちなみにこの弥生後期~古墳時代にボクが興味を持っているのは、現段階ではわりと自由に歴史をいじれるからである。いわゆる賢者が活躍できる幅も広い。だからこの辺に物語の仕掛けを持ってくると、個人的には楽しいなぁと思っているしだいである。

さて、帰りは特にどこに寄ることもなく、大人しく帰った。
岩城に温泉でも入りに行こうと思ったのだが、けっこう遠くて諦めた(笑)。

途中、守谷サービスエリアには寄った。ここも昭和の雰囲気を残したぼろっちぃサービスエリアだったのだが、建て変わったと聞いていたのだ。案の定オシャレになっている。お客さんもたくさん来ていた。
とはいえ腹はいっぱいだったので、せいぜい飲み物を買ったぐらいだが(汗

トイレがコントロール パネルが一つにまとまっていてかっこよかった。便座を拭くための消毒液を格納する部分まで一つにまとまっていた。いつもこれは後付けで付いていることが多いのになぁ。

三国志展

知人に連れられて……というのも変な話ではあるな、誘われて、か、国立博物館でやっている三国志展に行ってきた。知人は人形劇の三国志が好きだったらしい。初耳だ。
とりあえずお昼頃に、上野に行く。
国立博物館に行くのは、何年ぶりだろうか? 大恐竜展以来だろうか? 記憶があやふやだ。しかし大恐竜展って見に行ったの 2011 年か! もう 8 年も前なのか……。その前の哺乳類展は 2010 年……。いやー、さすがに上野というか博物館周りの状況も変わってるだろうなと、まずは思った。

外国人観光客が多そうだ……。

が、車で行ってみるとそんなに渋滞もなく上野駅に到着した。
駐車場も上野駅の上にある駐車場は普通に空いていたので、すんなり入ることが出来た。ただ、ここ、お値段、高いけどね!

さて、三国志展である。
実はボクはさっぱり知識が無い。漫画も読んだことないし、NHK の人形劇もほとんど見たことがない。
なので実は見てもサッパリなのだ(笑い

会場内はとにかく人がすごかった。だから、一つ一つ写真に撮るなんてことも出来なかったので、下で公開してある写真は展示物のほんの一部に過ぎない。これの 10 倍以上は展示物があったと思ってもらってかまわない。
撮った写真には解説も一緒に撮ってあるのだが、膨大な量になってしまうのでとりあえず展示物のみ並べてみた。当然解説もないので、雰囲気だけ味わってもらえれば(汗)。

人形劇に使われた人形に間しては、全部撮った。

他には横山光輝三国志の原稿なんかも展示されていた。

三国志の世界は現在の政治でも適用されるほど人間描写が豊かであり、2000 年近く経った今でも人間はまったく変わっていないことの証左であるらしい。たしかに旧約聖書を読んでも、人間というのは本当に変わっていないことは身に染みて解る。
三国志を学ぶことによって、今という世界がより鮮明に見えてくるかもしれない。

もう一つ思ったのは、三国志を知っているというか、興味のある人間がこんなにもたくさんいるのかということだ。会場は全ての展示物に行列が出来、一つ一つ見て行くには相当な時間を要する。それこそ丸一日かかってしまうだろう。それぐらいの盛況ぶりだった。
皆、どこで三国志を知り、興味を持ったのだろうか?
というのもボクは戦国時代にも、そして三国志にもまったく興味がわかずに育ってきたからだ。逆に言うと、歴史や政治の駆け引きが好きなボクが、なぜ戦国時代や三国志にまったく興味が無いのだろう??

この展示を見て、三国志に興味をもつかもしれないと思ったのだが……結局、答は出てこなかった。
漫画の三国志でも読めば、少しは興味が湧くだろうか?

松山市考古館

今日は、朝、早起きして、『松山市考古館』に行った。
目的は四国の縄文~古墳時代の資料集めである。日本書紀には神武東征の時、四国を通るとあるが……っておもったら、家帰って読み返したら、四国通ってなかったwww
あれー? おかしいなぁ……記憶違いか。しかも八咫烏が案内したのは紀伊から。でも何故かボクの頭の中の記憶は高松からになっていた。ボクの記憶違いがとんでもなくおかしいww

気を取り直して、まぁでもなかなか独特な土器があったり、詳しい埋葬方法が説明されていたりとなかなか興味深かった。この写真のデータは加工前のものをアップロードしておいたので、興味がある方はどうぞ -> 松山市考古館の写真データ(zip, 144 枚, 267MiB)。

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