記憶の仕方と不動産の不思議

日記を書いてて一番思うことなんだけど、一年前のことを思い出すときに、たとえば食べ物の写真だけだとどこで何の店かは思い出せなかったりする。でもその写真のジオタグを元にどこに行ったかが解ると、とたんにその日のことを色々思い出す。しかしながら初めて行った店の場合、その名前を思い出すことはまずない。

情報量としてはさ、店の名前が一番少ない気がするんだよね。

脳の記憶の仕方ってどうなってるんだろうね……というか、風景や情景を覚えるよりも言葉(単語)を覚える方が脳にとっては負荷が高いと言うことであってるんだろうか。確かに言語はホモ・サピエンスになってから獲得した能力であろうし、見たままを覚えたりとかそっちの方が脳は得意なのだろう。

ちなみに思考と言語は関係はあるものの、関係ない部分もあることが解っていて例えば喜怒哀楽なんてのは哺乳類全てにあるけれど、彼らは別にそれを言語として持ってるわけでは無い。これはかつて人間もそうで、言葉が確立していなかった頃、湧き上がる喜びや悲しみ、もしくは殺意や嫉妬なんかをどう表現すればいいかは解らなかった時代もあった。いや、言葉がなかったのでたぶん他の方法でちゃんと表現は出来てたんだと思う。

また、多くの文明に共通することとしてこう言った思考は神様が与えたもので、それによって自分は行動しているという考えがあったようだ。まぁこの辺の話は始めると長くなるのでいずれ……。

東京埼玉神奈川千葉は 23 区(主に山手線)に向かって鉄道網が発達しているが、それ以外の方角に関しては整備されていない。そして山手線へと伸びる鉄道網は東京から離れれば離れるほど、お互いの距離が離れていく。いわゆる放射状というヤツだ。これはおまんこマークを思い浮かべれば解りやすい。

で、この鉄道と鉄道に挟まれたエリアの真ん中辺りはどの駅からも遠いことになり、陸の孤島と化す。ボクの住んでいるエリアだと、自転車でどの駅に行くにも 15 ~ 20 分くらいかかりコレは歩きだとかなりの時間になる。ところがである、中央線京王線の間のエリアはあまり陸の孤島と呼ばれないどころか人気もあり所得が高い人も住んでいる。住所的には三鷹市武蔵野市調布市だ。

なんか中央線より南側ってさ、不便でも人気あるというか、馬鹿にされないエリアというか……なんだろうなぁ。
ちなみにこの中央線と京王線の間の陸の孤島に住んでる人達は、どこに住んでいるか聞かれると「吉祥寺」と答える人が多い気がする。調布ではないんだなぁ。

下の写真は最初の 5 枚が輸入モノのトリュフ ポテチ『HUNTER’S Hand Cooked Potato Chips』を買ってみたので、湖池屋との比較。
なんか見た目は湖池屋の方が豪華じゃない? ただ、「黒トリュフ風味」って書いてあるのでトリュフが入っているわけでは無いんだと思う。香りを美味く出しているんだろう。松茸みたいに。
そして湖池屋より香りは強いかも。ただ高いんだよねw 湖池屋の方がお得感ある。
あとアラブ首長国連邦製ってのがおもろい。

6 枚目以降は昨日の忘年会の時に同僚からもらった伊豆のお土産『ぐり茶ラングドシャ』。
ぐり茶とは!?
抹茶味とは違うんだ? でもお菓子にしてしまうと抹茶味とあんまり変わらないかも<ヲイ

自分の需要がある場所を探さないと…

田舎に家欲しいな、とかなんとなく思ってて、そして日本では空き家が問題になってるじゃない?
もちろん、ほとんど崩れそうになってるものも多いとは思うんだけど、普通に使える家もあると思うのよね。築 40 年とか。
なんか中古車買えるくらいの値段で買えないかなーなんて思ってるんだけど、なかなかないねー。
っていうかたぶん程度のイイ空き家は業者とか持ち主の親戚とかが抑えちゃうんだろうな~。だから一般の人には回ってこない。もしくはそう言う人たちによってある程度値段がつり上げられている??

まぁ真相は知らんけど……桶川で 70 万円って言う記事を何かで見て不動産サイトで探してみたんだけど、そんな家はなかった

ちなみに八街市とかあの辺だと 300 万円くらいで一軒家が買えるんだけどなぁ。

ボクが書いた小説はそのまま同人サイトにアップロードしているわけだけど、小説投稿サイトにもアップしとこうと思ってアップしてみたのだが……しかしアップしたもののその宣伝の仕方がよく分からない。どう書くと投稿サイトに来る人たちの心に刺さるだろうか? 一応、ファンタジー作品をアップしても問題ないようなサイトにしたはずだ。いや、もっとお堅いサイトがいいのかなぁ??

ボクは広報や営業の経験はあるものの、成功しているとは言いがたい(汗

そう考えると、客層などの情報をもっていてどこに卸せばいいのか解っている問屋や流通って重要だよねっていう。
インターネットが普及することによってそれらも自分でしなくちゃいけなくなった。もちろんそのおかげで上がりのすべては自分のモノになるわけだけど……。

自分の書くモノが求められる場所、そんな場所がなかったとしてもせめて近い場所で宣伝をしないとなぁ……。

ところで不思議な現象も来た。小説投稿サイトに投稿した後、『OZ Meets OZ!』の注文がドッと来たのだ。といってもたいした冊数ではないが……しかし投稿者小説の閲覧数を見ると、とてもじゃないが注文数より遙かに少ない。なんだろう? この本は今はほとんど出てなかったので不思議である。

新発田の読み方

新発田市は新潟の地名。「発田」と書いて「ほった」と発音するのは名字なんかで聞くのでてっきり「しんほった」と読むのかと思っていた。コレも難読地名なのかなぁ?

いやー、2 月ももう終わりだけどこの気温……地球温暖化は止まらない!

フリーランスなら↑のような指摘を受けるかもしれないけど、サラリーマンなら大丈夫だと思うんだけどね。

資本主義にエグさを感じるときはないか?

日本に住むボクらは資本主義の中で住んでいる。その善し悪しとかはともかく、その恩恵にはだいぶあずかっている。もちろんそれによって産み出される不幸も多いが、それらの不幸は資本主義によって産み出される富の残滓によってまかなわれている。

ボクは別に資本主義にどうこうっていうのはあんまり持ち合わせてないし、その便利さに乗っかっているし、他にどんな主義がいいのかもよくわからないので、なんとなく世の中の流れに身をまかせてしまってはいるのだが、時々資本主義のえげつなさを垣間見ることはある。
たとえば以下の記事なんかみると、そう思う。

この記事を見て何も思わない人もいるだろうし、そうか次は大井町か!と思う人もいるだろう。
ボクが感じたのは、たとえば記事にある大井町の地価を何倍にもして、人を呼び込んで、地域を発展させたとしても、果たして大井町は本当に幸せになったのか、ということだ。特に大井町に古くから住んできた人達にとって幸せになるのか?
厄介なのは仕掛けた方が「良いことをした」と思っていることである。これは例えは悪いが、狂信者が殺戮を含めた布教活動をしてその国がその宗教国になりましたやったーと喜んでいるようにも見える(笑)。

もっとわかりやすい例が、共産党が良く使う例なのだが、蚊の輸入話だ。これはどういう話かというと、貧困に喘ぐ A という国と、豊かだけれども蚊に悩まされる B という国があって、A 国は雇用を生み出すために B 国から蚊を輸入して、A 国は殺虫剤や虫除けスプレーなどの製造などで潤い、国自体は貧困から脱したが、国民はみんな蚊に悩まされるようになった、はたして国民は幸せなのかっていう話だ。

そして上の記事に出てきた武蔵小杉という街はまさに蚊に悩まされるようになってしまった街と言えると思う。さらに問題なのが、資本主義の場合、潤ったのは武蔵小杉に住む人全員ではなく、一部の人だということである。しかし蚊の悩みに相当する部分は武蔵小杉に住む人全員だったりする(笑)。
まぁだからといって計画経済がいいのかというと、これもまた様々な問題を含むし、人類は一度失敗している。

さて、気を取り直して、今日は旧知の知人にお風呂に誘われたので行ってきた。場所は山梨県道志紅椿の湯と言うこところだ。道志と言えば水害に遭ったり、小学生が行方不明になったりと今年はなにかと話題になった。

夕方ぐらいから行ったんだけど、こちらも長野同様、台風による通行止めが多かった。相模湖東出口から紅椿の湯のある R413 までの様々な県道・林道が通行止めでそれらを迂回しながら向かわなければならなかった。そもそもこの R413 さえもが通行止めの区間があった。

まぁでも無事紅椿の湯に到着。お客さんはけっこういたように見えたんだけど、お風呂は空いてた。
道志は今秋、周囲の道路状況的に来にくい場所になってしまっているのかもしれない。

下の写真はその紅椿の湯でいただいたかき揚げ蕎麦。

帰りは 21 時頃だったと思うんだけど……中央自動車道が渋滞してた(事故渋滞)。うーむ、南側にまわって帰れば良かったか……。渋滞情報を見たのが高速に入る列に並んでからだったんだよね。不覚orz