弱男と恐竜

いわゆる弱男── Wikipedia に載っているとは思わなかった──が無視されるのと、醜い絶滅危惧種が見過ごされるのは同じ理由かなと(ぁ
ボクも弱男だが、世間様からは見向きもされないまま、一生を終えていくのだろう。
今後、弱男による自暴自棄な犯罪は増えていくのだろうか? どうだろうなぁ、弱男はそんな勇気ないからなぁ、基本的に。
できる人は脳が何らかの形で壊れた人だとは思う。

腐乱死体が爆発するというのはクジラよりも先に、人間の方で、ボクは知った。その情報源ははだしのゲンである。川に浮いている死体の腹が破裂するというシーンがあるのだ。微生物によって何らかの気体が発生し、それが爆発しているのだろうなと言うのは幼少の頃でもすぐに理解出来た。

さて、巨躯を持つ恐竜はどうだったのだろうか?

結果的には爆発していた可能性はありそうだ……っていう結論に、今のところはなっている(汗

下のパンの写真は、昨日買ってきたパン。いわゆるオシャレなパン屋さんの先駆け的なパン屋『パンステージ My』のパン。
デビュー当時は、「たけー!」という印象しかなかった(笑)。意識も高いが値段も高い、みたいな(当時、意識高い系という言葉はなかったが)。
それが今や、この店が安く感じるほど、世の中のパンは高くなった。
惣菜パンというか、何らかの味がしてあるパン(カレーパンなども含む)とか 1 個 340 円とか平気であるもんね。三つも買ったら 1000 円とかおかしい。普通に定食、食えるやんけ。一個で牛丼一杯食えるがな。なんなの、その値段設定!? ホント、パンって高いよなぁ。
ただこれは多分にボク側にも問題があるのだろう。きっと普通の人は 340 円のパン一個で満足できるのだろう。だとしたら牛丼と同じ値段でも文句はない。しかしボクは 4 ~ 5 個は喰わねば満足できぬ。なので高いと思うのだろう。牛丼屋だと確かに並一杯では満足できないが、二杯頼むことはほとんどない(ただ、そう言う時代はあったw)。

この店は一個 240 円くらいから。今となってはリーズナブル(ぁ

引きこもりの数

引きこもりの数、多いなぁ。この記事でのひきこもりは、「14 歳以下の不登校も含め、給与収入・課税がなく、さらに介護などの行政サービスも受けてない人」たちのことらしい。なのでテレワークで仕事してるとかひたすら転売で稼いでる人(且つ納税者)とかそういうのは含まれないようだ。あとは不労所得者とか。

IT が色々発達したので、なんとかこういう人たちを納税者にする方法を模索してほしいところだ。

あとこういう人たちは人前で話をすることも出来ない人が多いのだが、そこをカバーするのは優しさしかない。
とにかく彼らは心が弱い。ちょっとでも負荷がかかるとすぐに諦めるし、人の所為にするし、何もかも放り出してしまう。
だからそれらをすべて包み込んでくれるような人じゃないと、コントロールは難しい。
そんな彼らでも、「ああ、こうすればいいんだ」っていうのが少しずつ解れば、実は普通に活動できる。
これは何もひきこもりの人に限らず、普段禁忌しているようなことや、自分には到底出来ないと思っていることも、先人が少し助けてあげると意外とやれるもんである。一人で始めても、基本的に挫折することが多い。けれどその道の経験者がちょっとだけ手助けするだけで出来るようになるものだ。

まぁかくいうボクもいろんなことを諦めて今に至るので……ボクは引きこもりになる要素をたくさん持っている。
正直、よく引きこもりにならなかったなと自分でも驚くほどだ。

企業側も同じで、こういう人たちが使えるという前例とまた扱い方の道筋をつけられれば、こういう人たちを活用しようというムーブメントも生まれるはずだ。履歴書や面接で「この空白期間、何やってたんですか?」とか聞くんじゃなくて、「よく勇気を持って、ウチを受けてくれましたね!」って言えるような企業が現れるといいんだけどね。とにかく日本は一度レールから脱落すると戻るのが大変なので、そこをサポートする方法、しかも経済的に+になる方法ってのは IT が発達した今、可能になってきたんじゃないかなぁと思う。

ひきこもりが減らせない原因の一つに、上のツイートも挙げられると思う。
目の前にある事象に対応するのではなく、元になった根本原因をつきとめ、さらに変化する社会情勢や国際情勢、常識などを包括的に考察し、その上で将来像(ビジョン)を描き、そのビジョンに向かって進んでいけるように法整備や環境作りをしていく必要がある。
増税にしても、女性専用車両にしても、付け焼き刃では経済は回復しないし、痴漢をする男性はなくならないのだ。

炎上するということは、真実に違いない

炎上はいろいろなパターンがあるんだけど、ある悪口とか揶揄に対して炎上した場合、その悪口や揶揄が真実であることが多い。
人間、本当のことを言われると怒るものだ。
なんでだろうね?

ただ少し感じるのが、身内の悪口を自分や身内が言う分にはあまりカチンとこないのに、他人に言われると怒るのに似ている気もする?

何が言いたいかというと、炎上しているからといって、その炎上元となった発言が必ずしも「悪」とか限らないことだ。
むしろその発言が真実であり、炎上させている方はそれを真実と受け止めて(もしくは、実はとても気にしている、コンプレックスになって)いるのだ。なので偏見めいた発言でも、その発言された相手のたくさんの人が反撃の声を上げたなら、たぶんその元の偏見めいた発言は、偏見ではなく真実なのだ(笑)。

もちろん、すべてがすべてそうではないが、もう一つ言いたいことは、怒ってもロクなことはないということだ(ぁ

トミカのミニカーって、スケールが統一されてないのよねぇ。バスとかでかいトレーラーとかは縮尺が小さく作られているので、乗用車と並べるとおかしなことになってしまう。これでいつも買うのをためらうのよね。ほしいヤツがいくつかあるんだけど、どれも縮尺が違うので飾れないのだ。
悲しい。

昨日・一昨日と暑かったという話題は昨日の日記に書いたが、今日も暑かった。

地名、キセル、米軍

地名・名字はほんと面白いよね。
なぜその地名・名字が付いたかってのは歴史(ストーリー)があることが多くて、これがシナリオのネタになったりするのよね。侮れない。

運賃の話。西武池袋線の急行は速い。ボクの最寄り駅は『保谷』という駅なのだが、この駅は急行は止まらない(準急は止まる)。
保谷の下り側隣駅『ひばりヶ丘』は急行が止まる。一方、上り側は『大泉学園』をはさんで『石神井公園』に急行が止まる。
池袋から急行で帰ってくる場合、石神井公園で各駅停車に乗り換える必要がある。そして、大泉学園→保谷と間に一駅入る。
ひばりヶ丘まで行ってしまえば、各駅停車に乗り換えても一駅で済む。

という思考から、上のツイートが生まれた。

但し、本当にひばりヶ丘まで行った方が早いのかどうかは検証してない(ぁ

ウクライナとロシアの戦争は軍事マニアにとっては興味深い戦争となっている。ボクは軍事マニアほど知識が豊富ではないのでアレコレ語ることは出来ないのだが、アメリカの戦略(戦術?)については着目している。というのも武器拠出だけでなく、明らかに米軍の経験値をつむための戦闘となっているからだ。
今までアメリカ軍はあらゆる戦争・紛争に実際に兵を送ってきた。だが、今回の戦争はそう言うワケには行かない。

では、武器とブレーンの拠出でどこまで戦えるのか?

これは今後の米軍の派兵に大きな影響を与えるのではないだろうか?
そして米軍のあり方というか、世界の警察としての低コスト・高効率な方法を試す良い機会になっているのではないかと。

というのも、米軍は中東のイスラム系テロ組織に、費用対効果の悪い戦いをしてきた。向こうは携帯電話、お手製の爆弾、改造した車で多くの米兵を殺傷してきた。対する米軍の兵器や兵員は優秀だがコストが高い。だがテロ組織がやってきたようなことを米軍がやれば、より高効率で低コスト化が可能ではないか? ということだ。

これは成功すればいわゆる軍産共同体の利益構造改革にまで及ぶ割と壮大な実験ではなかろうか?
そしてこれを提案したのがアメリカ政府なのかそれとも米軍自らなのかは解らないが、従来のやり方や概念ごと変えて行こうとするその精神は見習わなければなぁ。

もう中身が何かすら憶えてない。たぶんデモ CD とかそう言うのが入ってるんだと思う。

今日は STEAK MAN に行ったらしいのだが、まったく記憶にない(汗)。
一人で行ったのかなぁ??
写真を見る限り、一人っぽそうだなぁ……。

頼んだメニューが前回と全く一緒なのが笑えるw

花、亡くなる

乳がんを患っていた猫が、今日のお昼頃、息を引き取った。
今回は最後の瞬間まで看取ることができた。
呼吸が次第にできなくなり、最後、酸素不足になったためか少し痙攣したあと、動かなくなった。
毎日患部を洗浄し、化膿止めを塗り、包帯を替えた。特に餌には苦労した。後半は高齢猫用の餌ではダメで、液状のモノやペースト状のモノを色々試した。ちなみにちゃおちゅ-るは途中からまったく見向きもしなくなった。最初の頃はけっこう夢中だったんだけどなぁ。いろんな味を試したんだけど、ダメだった。

なので、最終的にはいろんな種類の餌が余ったw

猫は死期を悟ると姿を見せなくなると言うが、じつはそれに類した出来事があった。
亡くなる前日、鳴きまくり、ボクの部屋から飛び出して、転がり落ちるように階段を降りて玄関まで行ったのだ。
死を覚悟したのか、それとも彼女なりの決死の何かだったのか?

最近は猫は家の中で飼う。
昔はよく外に出していたが、今はそれは推奨されていない。この猫も外に出ることはなく、家の中でずっと飼ってきた。
では彼女の世界は家の中だけなのかというと、それはどうもそう言うワケではなく「外がある」ということは認識している。というのも、窓から通りを眺めたり、なにか外に出たそうにしていたのをよく見たからだ。
死期を悟った彼女が自分の死に場所を選びたかったのか、それともいよいよ外敵から身を隠せる場所に行きたかったのか、それは解らないがその前日の決死のダイブは、何か意味はあったのだろうと今でも思っている。

人間の思いなんて勝手なモノで、2 月になくなったもう一匹と違って、最後まで世話をして見とれたので、亡くなったときの虚無感というか後悔というかそういうのはなかった。それよりも病との戦いにお疲れ様という気持ちの方が強い。素直に見送れたと思う。もし後悔があるとすれば、癌が発見された段階で患部を除去する手術はしてよかったんじゃないかなと、ボクは思っている。あのときはまだ体力もあったしなぁ……手術をしていたらもっと長生きしたのか、それとももっと早く逝ってしまったのかは解らないけど。それに長く生きることが幸せだとも限らないし……彼女が幸せだったのかどうか、それは彼女しか解らないだろう。

最後に、二匹の猫を振り返って見ると、人生の勉強になったこともあった。片方は頭が良く、場の空気を読み、遠慮するタイプで、もう片方は空気も読まず図々しい。先に亡くなったのは賢い方。そして介抱もロクにされなかった。一方の図々しい方(今日亡くなった猫)は家族みんなからちやほやされ、最後看取られていった。
図々しいのが由とはしないけど、図々しさってのは意外と大事なモノだなと思った。
人間社会でもそうではないか。静かで実直に生きてる人は、その存在に誰も気付かれない。わめいてる人が周囲にちやほやされ、相手にされて結果的に得をする。

前者に気付ける人間になりたいと思いつつ……。

同じく死に関わる問題だが、こちらは自殺の話。実はコロナ禍で自殺そのものの人数は減っている。しかし、芸能人と女性は増えている。
これは何か共通点はあったりするんだろうか?
個人的に思ったのが芸能人も女性も「見られる立場」だということだ。悲しいかな、女性はまだまだ「見られる」対象だ。化粧をしないで外に出ただけで非難されてしまうような世の中だし。そして当然芸能人は「見られてナンボ」の世界の人たちだ。それがコロナ禍というエフェクトがかかり、自殺を選ぶ要因になったりしていないだろうか?

ちなみにツイートでは漏れているが、子供の自殺も増えている。こちらも「見られる」が無関係ではない。
というのも四六時中親とともにいるということは「見られ続ける」ことになる。

人間の脳というのは不思議なモノである。どんなに恵まれていても、必ず不平不満が出るようにできている。なんなんだろうね、コレ。

通り魔や凶悪犯罪の動機

昨日の続き。自分が不幸だと思い込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなると、さらに職に就いてないなどで時間があると、人間はどうしても悪い方へと思考が向いてしまう。そう、人間って暇になると悪いことしか考えないのだ(笑)。さらに年を重ねれば重ねるほど、過去の自分への理不尽感は増していき、同時に世間へのヘイトも貯まっていく。

そんなとき、自分がスターダムにのし上がる一番簡単な方法はというと、「ショッキングな事件を起こす」ということなのかもしれないな、と思ったのが上のツイートである。

よく「教科書に載るようなことをしたい」とか「あの政治家は教科書に載りたいんでしょ」なんて聞くが、まぁそれの手っ取り早い版である。

ショッキングな事件を起こすことによって、日本中から注目されることに間違いはない。この時ばかりは日本の中で彼が主人公である。

もちろんそんなことを考えて事件を起こしているのかは解らないし、世間はどちらかというと犯人の境遇とかがフィーチャーされてしまうが、実は TV に映ってチヤホヤされている(ようにみえる)人のように、Youtube で何百万人も視聴者をかかえてノリに乗っている人のように、自分も! なんて思っていても別に不思議はないのではなかろうか。

実際に TV に出て人気者になったり、Youtube などでたくさんの視聴者を抱えるようになるにはたくさんの努力とそしてタイミングと運が必要だ。しかし犯罪ならばそのコストはかなり少なくて済む(ように見える)。ただ実際は犯罪を実行するにもそれなりに様々なコストや運・タイミングが必要だったりはする。しょーもない放火事件や通り魔事件を起こして、世間から馬鹿にされるだけで終わってしまう犯罪も多い(汗)。また京アニ事件のように、様々な要素が重なって結果的に多くの人が亡くなってしまうというようなことも。

まぁ今後、後がないひとの犯罪というのは増えるような気はする。
それはその人自身にも問題があるだろうし、それを放置してきた社会にも責任はあるだろう。誰かが言ってたな、本当に支援が必要な人たちというのは、周囲から見たら、支援したくなくなるような人たちだ、と。要するに周囲に当たり散らし、ネットで暴言を吐き、ワガママで人の言うことを聞かず、憂さ晴らし的に店員などに当たり散らしているような人。そう言う人たちこそが支援が必要だということらしい。京アニ事件の犯人も病院で手当てされたとき「こんな優しくされたことはなかった」とつぶやいていたように。

戦後、モノが豊かになり、そして 21 世紀に入って情報化社会になり……世界は刻一刻と変わっている。それに応じてモノの価値観や考え方、倫理観も変わって行く。それらに柔軟に対応できる人は少ない。しかし立ち往生している人にどうすればいいかを指し示すことはできる。我々は社会に生きているのだから。自己責任という言葉だけで片付けずに、社会全体で絶望した人たちに光を当てることはできるんじゃないだろうか……と思っている。

下の写真はなんか不満そうな猫w
靴下がぴったり合っている(ぁ

客観的に見た宗教の機能

これだけ社会と科学が発達して、自然界からの脅威(自然災害だけでなく猛獣なども含む)からも守られ、我が国においてはある程度の自由もある中で、不幸を感じ、不満を感じ、自分の人生の意味を見いだせず、ただネガティブな感情を抱いたまま生きる人がたくさんいる。
つまりこれらの脅威から逃れられるようになったことにより、今度は別の脅威が我々人間を脅かすようになった。
それが「情報」だ。しかも同じ人間の「他人の情報」だ(笑)。
自分よりも幸せそうに生きている他人の情報を知ると、人間は不幸になるようだwww

ただこれは何も「他人の幸せ情報」だけが人間を不幸にするわけではない。
ある美味しいモノの存在を知り、それが食べられないとわかると不幸に感じたりする。「他人の幸せ情報」も仕組みは同じだ。
つまり人間は知ることによって、不幸を知るのである。
隣の芝が青いことを知るのである(笑い

ちなみに、関連した記事がある。

この辺を解決するのは今のところ宗教の役目なのだが、日本人は宗教の使い方を間違っているのでなかなか宗教が救いにつながっていない。宗教なんてものはある意味おばあちゃんの知恵袋であり、過去の人たちがどうやって幸せに生きられるかと苦悩した集大成なのだ(なので新興宗教については、どこまで幸せをつかめるものなのかボクは解らない)。

何かに失敗したとき、もしくは何か困難に遭ったとき、神様のせいにすることによって、人間は心の平安を取り戻し未来に向かって歩める。「あのとき、なんであんなことを言ってしまったんだろう」と後悔したり、それこそあまりの過去の恥ずかしさに消え入りたいとか叫び声をあげてしまうなんてことは決して珍しいことではない。
なんであの人はあんなに成功していて、自分はこんなに惨めなんだろうかなんてことも誰しもが経験する。
そんなとき、それらを全部神様に責任を押しつけることによって人間は過去や蟠り、罪悪感から解放されるのである。これは科学や法律ではなかなか解決出来ないことだ。

もちろん自分が許された気になっても、他人はいつまでも覚えてたりする。けど「自分は許された」と思い込めることは生きていく上で充分強力なのだ。

イスラム教徒の自爆テロが恐ろしいと感じている日本人は多いと思うが、よくよく考えてみると、あんなことができるくらいなんだから、自分自信を幸せにさせることも充分可能だと言うことにも気付いてほしい。それが宗教の力だ。本当に神様がいるとかそういうのは置いておいて、宗教には人間の心を安らかにし、過去の自分を忘却させ、人間関係の煩わしさからも解き放ってくれる力があるのである。

無神論者だって科学を信じ、理論的な思考を信じ、そこに因果関係を見いだし、「あのときああだったから、こうしたんだ」とか自分で納得のいく理由をなんとかして作って自己というのを正当化し、精神が壊れないように確立しようとする。しかし本当にちゃんと理路整然とそれができている人間は少ないはずだ。自分の都合のいいように解釈したり、他人のせいにしたりして自己を正当化し、過去の恥ずかしい行為をなんとかなかったことにしようとする。
これだって結局自分は納得しても、他人は許してくれないという状況は普通に発生する。

要するに人間の脳はいーかげんなのだ。理由とか因果関係とかそんなのは自分で勝手に納得してしまえば、心は平安になれるモノなのだ。なので自分の今いる状態の落とし所を見つける方法さえあれば、不幸に感じたりそれこそ自殺したりすることはないと思うんだけどなぁ。こういうのは道徳の時間とかに教えるといいのかね?
もちろん宗教を教える必要はなくて、その落とし所の見つけ方だよね。その中で具体的な宗教の教理を教えるのは問題だけど、宗教の役割については教えてもイイと思う。そして科学的・理性的な落とし所の見つけ方も教えるといいだろう。

ボクは別に EV 反対派ではないし、モーターも好きだ。
ただボクは遠出が好きな上に何時間でも運転できてしまう人なので、今のところ EV が選択肢に入ってないってだけで。

で、急速充電。こいつはバッテリーが冷えているとできないらしい。
さらに急速充電自体、本当はやってはいけないらしい。急速充電ばかりやるとバッテリーの寿命が短くなるとのこと。普段は家の 200V などでやんわりと充電し、出先とかで休憩時間程度で充電したいときだけ急速充電を使うのが本来の使い方らしい。

やっぱりなんだかんだいって EV はまだまだ克服しなければいけない課題は多いような気がする。
まぁそれもそうか、レシプロエンジン車と歴史が違いすぎる。同じ水準に達するにはまだまだ時間を要すると言うことなのだろう。

これ面白い。実はアーサー王はまだ伝説の域を出ていない。なので実在の人物かどうかは疑問の余地が残るそうだ。
日本で言うなら、聖徳太子みたいなもんだろうか?(汗)
二人とも時代的には同じなのも面白いw

まぁそれはさておき、アーサー王がいたかどうかは別として、同時代にアーサーと名付けること自体は流行したとのことなので、アーサーという名前の何らかの偉人というか偉大な人がいたと言うことは事実かも知れないねっていう話。こういう外堀を埋めて証拠を固めていくのも考古学ならではって感じで面白い。